まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨晴れて 今日はいずこの 草に寝る

2010年06月16日 | 自然
 今日は・・梅雨の中休みというか、緊張の中の中休みというか・・、思わずにほっとする・・「全休符」みたいな一日になった・・・。今日は・・何の予定もなかったし・・・。

 強いて言えば・・先日のいろりパーティーの片付けとか・・テントの片付けとか・・草刈り機の後片付けくらいなもので・・。

 

 あとは・・HPの修正だの、ブログの更新だのという雑用をこなしておった・・・。忙中閑あり・・・みたいな一日になった・・・。

 今日、6月16日は「和菓子の日」なのだそうだ。辛党の私にはよくわからん・・記念日なんだけれど・・。全国和菓子協会が1979(昭和54)年に制定したものらしい。

 848(嘉祥元)年6月16日、菓子類を神前に供え疫病退散を祈ったという「嘉祥菓子」の故事に由来するのだとか・・。



•全国和菓子協会 http://www.wagashi.or.jp
•和菓子の日 http://www.wagashi.or.jp/kinen.htm



 また、今日は・・・私の落語の師匠である・・・五代目春風亭柳昇[しゅんぷうてい・りゅうしょう] (落語家) <82歳>が亡くなった日なのである・・。師匠は[1920年10月18日生]

 春風亭 柳昇(しゅんぷうてい りゅうしょう)とは落語の名跡である。2003年(平成15年)に5代目が逝去して以来、空位となっている。代数に関しては場合によりまばらであり3代目と表記されているものもある。(落語芸術協会では5代目となっている。)柳として名乗ることもある。

  決まり文句として・・・冒頭で必ず「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きな事を言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では…(沈黙)、わたし一人でございます…」

師の春風亭柳昇は、新作落語専門で大成した人物であったが、弟子たちは新作派(昔昔亭桃太郎)、古典派(9代目春風亭小柳枝、瀧川鯉昇)とバラエティに富む。昇太は新作が売物であるが、古典もかなりの量を手掛けている。ただし、誰とも似ていない昇太流の強烈なアレンジが施されている。



また、もともとテレビの視聴者参加番組から出てきて弟子入りしたという経緯もあるが、テレビ活動に力を入れるところも師・柳昇譲りである。



昇太は前述のごとく6代目春風亭柳橋の一門で、柳派であってもルーツは春風亭柳枝(4代目とそれ以前の)。同じ春風亭であっても、春風亭小朝はその大師匠林家彦六の一門で、3代目柳家小さんの系統。彦六が6代目柳橋から小朝の師匠である5代目春風亭柳朝のために「柳朝」の名跡を譲り受けた経緯があるものの、昇太と小朝の間には一門の関係はない。

 

 そんなんで、今日は・・さぬき市志度の「根っこ・志度店」に行った。

 

 で、相変わらずの「かけ小」を注文した・・。かけうどん小で180円・・。それなりにおいしかった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

この雨や てるてる坊主も うなだれて

2010年06月15日 | 自然
童謡てるてる坊主《TeruteruBozu》~Mille Vents~


満濃池のゆる抜き

 

 満濃池のゆる抜きは、毎年6月13日に行われ、本県の初夏の風物詩ともなっているが、関係者が配水用ハンドルを回して水門を開放すると、堤防下の放水口から「ドーッ」という轟音(ごうおん)とともに毎秒4トンの農業用水が勢いよく流れ出す。

 このようにゆる抜きが日を定めて儀式として行われるようになったのは、明治以降で、当時から数千人の人が堤防上に参集しその盛況ぶりは想像も出来ないものであったと言われている。現在のように取水塔が設置されたのは、大正3年で、それ以前は、すっぽん穴に差し込まれている筆木を抜き取り、竪樋、底樋を通じて水を導水するものだった。

 

 竪樋のすっぽん穴の大きさは、直径一寸八尺(55cm)という大きなもので、これに差し込む筆木も長さ九尺、元廻り九尺五寸という大きな松材で仕上げられていた。そのうえ差し込まれていた筆木は水漏れしないように周りを堅く粘土で巻き立てられ、しかも筆木が水中深くしっかり竪樋につきささっているためゆる抜きは大変な作業で非常に豪快なものであった。

 

 まず、ゆる抜きにあたっては、梃木(てこき)(長さが2間の檜丸太)を8本、栓木(せんぎ)(筆木の落下を防ぐもの)を2本、械木(かせぎ)などを用意します。そして、4段に組まれた櫓の最上段に登り、筆木に械木を横に通し、これに左右4梃づつ梃木ををかまえ、20数人の人夫がそれぞれ梃を肩に担ぎ「エンヤ、エンヤ」の掛け声とともに抜き上げるもので勇敢で活気に満ちたものであったという。

  


 たけなわの春が過ぎ、野山の緑が色を濃くした六月十三日、満濃池恒例の「ユル抜き」が行われる。藍色の水をたたえた池の「ユル」が抜かれると、待っていたかのように出口を求めた水が一斉にほとばしり出る。

 

 “満濃抜いたら牛馬離すな” こんな言葉が満濃池の水掛かりの村々に言い伝えられている。「ユル抜き」が終わると始まる田植えのために、牛や馬はなくてはならない働き手だったのだろう。 かつて「ユル抜き」は、夏至の三日前に行われていたそうだが、昭和三十年ごろから始まった水稲の早期栽培で六月十五日に変わり、今は六月十三日が「ユル抜き」の日(※)とされている。

 

 現在も「ユル抜き」には大勢の見物客が訪れ、堤の上は人々で埋め尽くされるが、昔は今以上の賑々しさであったようだ。 取水塔が設置される大正三年以前の「ユル抜き」は豪快なものだったという。赤や青の褌姿の若者が竪樋に五メートル程の檜の棒を差し込み、水利組合長の打ち振る御幣と“満濃のユル抜き どっとせーい”の音頭に合わせた威勢のよいかけ声とともに、差し込んだ棒をゆっくりと押さえて、少しずつ筆木を抜き上げてゆく。そんな様子を息を詰めて見つめる人々。「ユル抜き」はこの地方の初夏の風物詩であり、歳時記でもあった。

出典 満濃池史

 


 ※本文中では満濃池のユル抜きを六月十三日と掲載していますが、平成22年からは6月15日に変更になりました。尚、詳細については満濃池土地改良区(TEL:0877-75-3157)でご確認ください。

満濃池ダム(満濃池)諸元
目的/かんがい
ダム位置/香川県仲多度郡満濃池
河川名/金倉川水系金倉川
型式/アースダム
総貯水量/15,400,000m3
流域面積/12.8km2
湛水面積/1.4km2
完成年/昭和34年
管理所/満濃池土地改良区
香川県多度郡琴平町西山522-3
TEL:0877-75-3157

関連ホームページ
●まんのう町
http://www.town.manno.lg.jp/
開催日:2010/06/15

初夏の風物詩ともなっている満濃池の『ゆる抜き』
今年は 6月15日(火) に行われます。
    <11:00 ~  式 典 >
    < 正 午 ~ ゆる抜き>

詳しくは、満濃池土地改良区(75-3157)まで

 で、昨日娘らがパスポートセンターへ行ったんだけれど、私の書類が不備だというので、急遽、島から戻って・・、サンポートのパスポートセンターに出かけて行って、免許証の実物を見せてOKになった。代理だと・・年金証書だとか健康保険証とかが必要ならしい・・。そういうのは書き方見本には書いていなかったようにおもうのだけれど・。

 

 で、パスポートは、来週の月曜日にできあがる予定らしい・・。この週末は神戸から大阪・神戸と・・これまた・・・飲み会だな・・。少しばかり・・・風邪気味なのがきにかかるけれど・・・。それまでにはなおしておかなくては・・・だ。なにせ、気候が安定せぇへんものね。暑くなったり寒くなったりだから・・のどがガラガラというてる・・。

 

 で、今日はかねちんと・・「たも屋」朝日町店に行った・・。ここは駐車場がないのが欠点だけれど・・。素材は、大将の真剣勝負の練りと打ち込みだし、そして、手作り・無添加、純正にこだわった手打ちうどんを食べさせてくれる。こしと食べごたえのある逸品として有名だ。

■ メニューとしては以下のようなものがあって・・。

かけうどん (小) 150円 (大) 230円 (特大) 310円
ぶっかけうどん (小) 220円 (大) 300円 (特大) 370円
ざるうどん (小) 220円 (大) 300円 (特大) 370円
釜あげうどん (小) 220円 (大) 300円 (特大) 370円
釜たまうどん (小) 270円 (大) 350円 (特大) 420円
天ぷら 各種 100円
ジャンボいなり 100円
おにぎり 100円
手作りコロッケ 120円
巻き寿司 150円
バッテラ寿司 150円

 

■ ショップデータ
名称 : たも屋
サイトURL : http://www.tamoya.com/
所在地 : 〒760-0064 香川県高松市朝日新町1-16
連絡先 : TEL/FAX 087-821-4480
営業時間 : AM7:00~PM2:00
定休日 : 日曜日・祝日

 で、いつもの「かけ小」に野菜かきあげ天を載せてみた。これで・・250円。

 

 お湯きりがあまかったものか、お出汁が薄くなって、しかも天ぷらがお出汁を吸うモノから、お出汁の追加ということになってしまった・・。ま、大きなずんどうから蛇口で注ぐ形式だから遠慮はいらんのだけれどもね・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。




葛原を 抜けてお寺の 裏に出る

2010年06月14日 | 歴史

 午後からは・・佐柳島へお邪魔して・・。坂出の「朝日丸」という特船を一日・・チャーターしての海の旅・・。普通ならば・・地方(じかた)=丸亀や多度津から・・島に渡る定期船を利用しないと島には上がれない・・。

 

 一行は・・島の集会場に上げていただいて、そこでお茶をいただき、島田さんのご挨拶を受ける・・・。ここでは・・「鐵五郎」さんのほうがお馴染みかも・・。

 

 塩飽諸島には・・二十八の島々があるが、櫃石や岩黒島、与島などは坂出市に、塩飽本島や牛島、広島・手島などは丸亀市に、この・・高見島・佐柳島は・・・多度津町に属している・・・。昔は・・・海上に横につながっていたものが、戦後は・・地図的に・・・縦に結びついたようで、便利なのか、不便になったものか・・。

 

 これが・・塩飽史談会の会長さんの入江先生・・・。九十歳を越えてなおかつお元気そのもの・・。昔のことを見てきたようにお話される・・・。

 佐柳島でも・・八幡神社を見学したり、干満の井戸という不思議な井戸を見学したりして、佐柳の旧庄屋さん「長太夫」宅を訪問・見学させていただいた。

 

 今でも・・広い間取りで豪壮な建物・・・。欄間でも一枚板の立派な彫り物があったり、今でも槍や船突き槍などの武具が残されていたりする。この屏風も由緒あるものらしい・・・。

 で・・歴史というと・・やはり、お寺や神社やお墓に注目せざるを得ない・・。

 今度は・・「乗蓮寺」に向かう・・。ここには・・あの「咸臨丸」の乗り込んだ・・「富蔵」と「前田高次」のお墓があるし、お寺の壁には・・瀬野昇平という人が・・「咸臨丸に野って米国の桑港に行った」という履歴書を張ってある・・・。咸臨丸に乗り組んだ水夫は50人。その内の35人が塩飽の水夫。その中に・・「昇平」という名前はどこにもない・・。この昇平という人物はいかなる人物なのか・・・。

 

 一行は・・・本浦という地区の見学を終え・・再び朝日丸に乗り込んで・・、今度は島の北端にある・・「長崎地区」に向かう・・。

 ここの・・お墓は想像を絶するところ・・。あの・・青森下北の「恐れ山」を彷彿とさせるような光景が・・・。

 

 こういう・・自然石を盛り上げた埋め墓が・・数百と言わず・・・並んでいる・・・。中に・・細長い盛り石があるものが「寝棺」を埋葬した土葬のお墓。小さな丸い盛り石は・・病院とかで亡くなって・・遺骨となって島に帰り埋葬されたお墓・・。最近はこういうお墓が多くなったとか・・。

 

 ここでも・・小さな石碑に・・故人の俗名が刻まれていて、誰を埋葬したのかがわかるようになっている。少し前までは桐の木を刻んだ「地蔵」という人形をさして居たが、今ではそういう風習もすたれたようだし、草履や杖を添えるお墓もすっかりと見なくなった・・。

 一つの盛り塚に、二つ以上の石碑があるものは、親子とか夫婦の遺骨を並べて埋葬したものだとか・・・。

 で・・少し離れた場所には・・立派な戒名を刻み込んだ「参り墓」の並んだ墓地がある・・。

 

 16時過ぎには・・佐柳島にお別れ・・西山先生や島田先生とお別れし、一行は・・さぬき広島・・丸亀港・・塩飽本島・・与島・櫃石島・・坂出へと寄港しながら流れ解散になった・・。

 私は・・広島には戻らず・・丸亀港で下船・・、久しぶりにさぬき市に戻ってきた・・。

じゃぁ、また。
 
 


目覚めれば やまの朝明け ほとぎす

2010年06月14日 | 自然
 六月14日の朝は曇っているものの、まずまずのお天気だった・・。なにせ、朝の五時過ぎから起きて・・それから資料の印刷をするのだから・・・、まさに・・「どろなわ」やね。泥棒を見てから縄をなうというか、泥棒を捕まえてから縄をなうというものだか・・。

 ま、そんだけ、土日には遊びに夢中になっておったという訳やね・・。

 


 で、まごのはやてちゃんと、はやてパパとを屋島のおうちにまで送り届けてから・・丸亀に向かった・・。それだから・・・余裕を見て家を出たのだけれど、丸亀港に着いたのが九時10分だ・・。そこから徒歩で丸亀市民会館まで・・。歩くとしっかりとあるね。30分近くかかって九時40分ごろに会場に着いたように思う・・。

 

 塩飽史談会の例会は十時過ぎから始まって、活動報告やら会計報告やら、活動予定が発表されたり、予算案が審議されたりする・・。まぁ普通の例会の様子・・・。

 

 その後、私の発表が30分ばかりになった・・。まぁ、目新しいお話もないし、くどくどと資料を読むのもどうかなぁと思って・・・。資料が多くなりすぎて大切なお話が見えなくなってしまったし・・・。お話としては「ある情熱」という文倉平次郎の咸臨丸に賭けた情熱と、その男に惹かれた男のお墓探し」という内容のお話になった・・・。



 その後は懇親会になって・・・石の話やら塩飽本島の秋の行事の話やら多度津町での講演会の話櫃石島の顕彰碑建立の話やらと話題はもりだくさん・・・。

 その後は・・さぬき広島にわたり、広島支所へ「羽節灯台」の写真を届けに寄った。この前、手島へ草刈りに行った帰りに、支所に飾っておきたいと言うもので撮影したもの。



 この日は「世界献血者デー(World Blood Donor Day)」ということで国際赤十字・赤新月社連盟、世界献血団体連盟、国際輸血学会が2004年に制定したもの。ABO式血液型を発見した生物学者・カール・ラントシュタイナーの1868年の誕生日にちなんだものらしい・・。



 「手羽先記念日」というものがあって、名古屋市で手羽先店チェーン「世界の山ちゃん」を展開する株式会社エスワイフードが制定したものらしい。1981年の「世界の山ちゃん」の創業記念日。

 また、「開発支援ツールの日」というものもあって、株式会社AHotDocumentが2007(平成19)年に制定したもの。同社の開発支援ツールAHotDocumentの1996年の発売日。

 開発支援ツールとはコンピュータソフトの開発の一部を効率化し、開発の負荷を軽減するソフトウェアのことである。



 「五輪旗制定記念日」というものは、1914年のこの日、5色のオリンピック大会旗が制定された。



「フラッグデー [アメリカ合衆国]」というものは1777年のこの日、「星条旗」を正式にアメリカ合衆国の国旗と定めた日である。

 アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていた。しかし、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗を完成させた。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日とした。



じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ようやくに 梅雨になったか 濡れ鼠

2010年06月13日 | 自然
 すっかりと雨の一日になってしまった・・・。

 昨夜から神戸のよしつぐさんらや娘家族がやってきて、ほたるを鑑賞する会(非公認)をやった・・。その前に・・夕食はBBQということでホタテやらさざえやら・・ししゃもやらと・・もりだくさん。もちろん、お肉やお魚もふんだんにある・・。

 

 夕食を食べて・・あたりが暗くなるのを待つが・・八時を過ぎないと暗くならない・・。やはり、ほたるは暗くならないと見えないし、昼間のホタルは間がぬけている昼あんどんみたいなものだし・・。

 

 そんなんで・・昨夜は・・BBQを堪能し、ホタルを見て回って大満足・・。我が家の近所の川辺をぐるっと見て回ると・・多くのほたるが飛んでいるのが見える・・。でも・・私のテクニックでは・・カメラにほたるは写らない・・。写るんだろいうけれど、「イラまほ」の私は気が短いもので・・我慢ができないのだ・・。

 

 で・・、今朝、目覚めてみると・・・雨だ・・。弟がクラス会の打ち合わせに、バーベキューコンロを使いたい・・というていたので、朝から・・テントを張ったり・・ステーをとったりとしていたのだが、雨は激しくなる一方だし、風まで吹いてきて・・。

 それではダメじゃん・・春風亭昇太。

 奧の旧宅から・・小型の「いろり」を持ってきた。大型のいろりは動かせないものだから・・。

 

 で、これはまごたちが試食会・・。

 お昼前ごろからは、弟の同級生たちが集まってきて、クラス会の打ち合わせ・・。

 

 ね。小型ながら・・囲炉裏らしくできてるでしょ。照明もそれらしく・・。

 

 丸い和室風のあかりを持ってきて飾ってみた・・。

 で、ごちそうを食べるかたわらで、私たちは・・野菜かき揚げ天うどん・・。今日は自家製のおうどんになった。

 

 午後からは・・・川遊び・・。コンクリートを練る「フネ:舟」と呼ばれる箱に乗って文字通りに「舟あそび」だ。

 

 今ごろの時期は・・田植え用にダムからの放流があるもので、まぁ、楽しく遊ぶことができる。

 

 そんなんで、今日。明日、丸亀に行ってくるので・・・、ここもお休みしますね。

じゃぁ、また、会えるといいね。

雲間から 窮屈そうに ほととぎず

2010年06月12日 | 自然
今日は午前中は晴れて気持ちのいい朝だったが、午後からは蒸し暑い薄曇りの梅雨空みたいになった・・・。

 今日は所属寺院の春の永代経の法要の日だ。いまさら・・春の・・という時期ではないのだけれど、お寺の都合で・・今日になった。

 

 こういう・・行事もだ・・。土・日がいいのか、平日がいいのかに二分する・・。足の悪いご婦人たちは・・送迎する子や孫の都合にもよるだろうし、出勤する法中(ほっちゅう:お坊さんたち)は・・土日は忙しいしね・・。なかなかに・・「後生の一大事」というものが理解できずに、目の前の出来事に追われる毎日・・・。

 

 こういう時代だから・・・なかなかに信仰ということになると難しい・・。しかしのかかし、いつかは枯れていかねばならない私たちだもの、生きる意味、死んでいく意味を考える時期にあるんじゃないのかなぁ・・。「死」は」待ったなしやからね・・・。その、準備はできてるんじゃろうか・・、」みんな・・。

 

 今日の法要は・・「仏説阿弥陀経」のおつとめ・・。私と先輩僧侶の三好さんは受付係。「地場懇志」という・・おつつみを受け取って、お供えの品々を渡す・・いわゆる「受付」だし、その前には・・いろんな準備・・。お供えやら・・・なんやらなにやら・・。
 
 

 

 ま、いつもと同じ法中さんたちのご出勤で、春の永代経のおつとめが行われて終わると、ご法話・・ということで、少しばかりのお話がある・・。「お聴聞:おちょうもん」というもので、ほとけさまのお話を聞きながら・・自分の人生の有り様を考える時間・・。ま、いわゆる・・お説教を聞きながら・・自分のこころの有り様を振り返ってみる時間・・。

 

 高松市西植田町の称名寺さんが、人生をどう過ごすか、どのように生き抜くのか・・・みたいなお話をされた・・・。仏教というものは死んだ人のためにあるのではない。生きている私たちのためにあるもの。どのように生きて、どのように死んで行くのかを考える教え・・・みたいなお話だった・・。

 


 さて、今日は「日記の日」なのだそうだ・・。1942(昭和17)年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。

 

 アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。そして、1945(昭和20)年3月31日にドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死したそうだ。

 私も若い頃には・・日記は何度となく書いたけれど・・、それこそ・・三日坊主みたいなもので、長続きはしなかった・・・。本当に・・・日記は何度となく書いたけれど・・。

 

 だから・・このブログがここまで続くとは想像だにしなかったし、今でもどうしてなんだろう・・と考えるときがある・・。1800日あまり・・。五年二ヶ月以上にもわたって書きつづらてきたこの日記・・・。まさに・・不思議な出来事ではあるなぁと思ったりする・・。

 いよいよ・・明日あたりから・・梅雨らしくなるんだろうか・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

雨が欲しい 薔薇の小枝に シャワーほど

2010年06月11日 | 自然
 今日も晴れて、少し動くと汗ばむような季節になった。今日は6月11日・・・。「傘の日」なのだという・・。何にでも記念日があるもんだね・・。日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989(平成元)年に制定したもの。この日が雑節の一つ「入梅」になることが多いことかららしい。今年も暦の上では今日が「入梅」となってるらしい・・。最近は天気予報も民間委託しているみたいで、地域の気象観測会社が「梅雨入りした模様・・」というのを発表するんだろうか・・。

 

 で、「あれ?」と思ったのは、「雨漏りの点検の日」というもの。全国雨漏検査協会が1997(平成9)年4月に制定したものらしいが、最近の家でも雨漏りてするんだろうか・・。昔の家は草屋葺きとか茅葺きとかだったし、戦後はトタン屋根とか板屋根とかの急場ごしらえだったせいもあったし・・。でも・・、最近の屋根は漏らないと思うのだけれどもね。

 時期的にこの日が雑節の一つ「入梅」になることが多いことから、こういう記念日が決められたんだろうね。でも・・昔みたいな・・・「入梅」とか「かび」とか「じめじめ感」とかはなくなったものね・・。生活様式ががらりと変わったからね・・。

 

 年寄りになると昔話をするらしいが、最近、私も昔話が多くなった。私らが小学生の頃には連日雨が降り続いて・・・。小学生の頃には「学生服」というものがあって、制服だった。それが雨で濡れてしまうと翌日には着ていくものがない。だから乾かそうにも乾かす間がない・・。濡れてばかりだから・・。だから室内の「火鉢」に炭を入れて火をおこして・・、その温度で部屋干ししてある濡れたものを乾かすのだから大変だ・・。部屋中が洗濯物ばっかりで・・。



 で、今日は「国立銀行設立の日」と言うても・・・知らないわな・・。1873(明治6)年、日本初の銀行、第一国立銀行(後の第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)が設立された。その後の5年間に153もの国立銀行が発足したというのだけれど・・・。

 

 「国立」という名前がついているが、これはアメリカのNational Bankを直訳したもので、実際には民間の銀行だったというのだから・・・「なんたるこっちゃ・・・」やね。国立銀行はすべて第○国立銀行のような名前になっていて、ナンバー銀行と呼ばれた。第四銀行、七十七銀行等、現在もそのままの名称を使っている銀行が残っている。第九銀行とか・・・。香川には・・「百十四」銀行っていうのがあるが、これも・・「百十四番目」なんじゃろうか・・。私らが子供の頃には・・「瀬戸内海にある島の数が・・114島あったから・・」などという説明を聞いたのだけれど。それが、香川県の島の数だったか、瀬戸内海の有人の島の数だったか・・詳しい内訳なんぞは覚えていないのだけれど。

 

 それだし、今日は「カメハメハ・デー [ハワイ州]」でもあるらしい・・。1810年のこの日、カメハメハ1世がハワイ諸島全島を統一した。あの・・咸臨丸が渡米したのが1860年万延元年のことだったが、その帰路に、ハワイに立ち寄り、このカメハメハ王に謁見をしている・・・。

 

 今日は・・朝の間は・・ビオトープの点検とか・・。新しく・・沼から・・睡蓮を数株ほど持ってきたし・・。川魚の小フナとかあかまつとかのこどもも十数匹は確保したのだけれど・・・。

 で、だ・・。ぽちのフィラリアのお薬をもらうのと、狂犬病の予防注射を受けるために三木町の動物病院「光昇堂」に行ったついでに、「新鮮市場・きむら」で食材を買ったりして・・。

 

 先日に、「ナニコレ珍百景」に出てた・・さぬき市大川町の「太一」うどんに寄った。いや、けいこばぁとのお買い物が早くに終わったもので、たまたま・・早くから開いていたこのお店に入ったというだけの話・・。このあたりのお店は・・普通は・・11時開店なんだけれど。ここは・・午前十時開店だというても・・、そういう時期におうどんを食べる人は少ない・・。私らくらいなもんか・・。

 

 で、普通の・・かけうどんを注文した。今日のおうどんは細麺で、つやもあってなめらかでおいしかった・・。何か変わったんやろうか・・。テレビに出たくらいでは味とか麺とかはかわらんよね・・・。でも、今日のおうどんはおいしかった・・。あ・・、私のおなかが空き過ぎていただけのことだったのかも・・。

 

 で、だ。ようやくに「塩飽史談会」の講演用の資料がまとまったもので、印刷にかかったんだけれど・・、こういう時になるとアクシデントがやってくる・・。

  

 そう・・トナーの残量が少なくなりましたっていうメッセージ。25ページの両面印刷で40部印刷しようとすると・・、トナーがぐんぐんと減って・・、ついには動作しなくなった。それじゃダメじゃん・・春風亭昇太。こんな時にはどうするん??

 WEB検索で・・「けぇずでんき」を検索して、近くのなんたらパワフル館だかの電話番号を調べて、携帯電話で電話して・・。「はい。在庫がございます」というので、すぐさまお財布をにぎって・・。それとまっ赤な「安心パスポート」も忘れずに・・。

 

 で、買ってきた・・カートリッジ304。一年に三本以上は使うなぁ・・。1本で2000枚は印刷可能ていうから・・、相当数・・印刷するんやろうね。おかげで・・印刷はできたけれど・・。

 

 お部屋は散らかったまんま・・・。
 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

箱庭に 睡蓮の浮いており 地蔵堂

2010年06月10日 | 自然
 初夏だとはいえ、朝方は寒い・・。その寒さに戸惑ったものか、大きな蜂が飛び込んできた・・。で、ガラスにぶつかって気絶したらしい・・。寒さで飛べなくなったのではないらしい・・。虫の世界も大変だなぁ・・。早々にお引き取り願った。

  

 さて、丸亀の石材屋さんから・・石のことで連絡があったので行ってきた。石に字を刻むということにも、いろんなルールがあるみたい。餅は餅屋、石は石屋さんやね・・・。部外者には想像もできんようなことがらがあるらしい・・。

 

 そりゃそうだ。

 

 電柱につけられた番号札・・・。一般の人が見たら意味のないものらしい。でも、これを関係者が見たら一目瞭然のデータベースになるらしい・・。

 例えば、この場合だと、コンクリート電柱自体はNTT東日本さんの電柱で、新中野支線の7号柱から右に四本目、さらに右に分岐した一本目の柱だということになる。この電柱は14m以上の高さがあって、上部には東京電力さんの電力線が乗っている。その番号は・・云々・・・。

 だから・・石造物に字を刻むという単純そうに見えることでも、それなりのルールというものがあるものらしい・・。

 

 そういうことで、その打ち合わせに行ってきたというわけだ。ま、仕上げはでき上がってのお楽しみ・・・。

 その後、多度津町のマリーナ、「香川西部ヤンマー(株)」さんに行って、あかつきⅡのバッテリー交換などの費用のお支払い・・。ま、5万円弱の修理費だった。

 

 その後、13時半までに屋島の娘んちへ行かないといけない・・。急げ急げ・・・と走るものの・・、おなかがすいては元気が出ない・・。あそこがいいか、ここは満員・・。ここは空いているけれど反対車線だから面倒だし・・などと。

 結局の薬局の電話局で・・、国分寺の「手打ちうどん 三嶋」に寄った。高松方面ぬ向かっては反対車線に入ったところにあるが・・。

 

 ここは創業が昭和の40年代前っていうから・・もう、50年近く営業してるってことで、お店も厨房も古めかしい感じ・・。テーブルやイスも年代物っていうか、使い込まれているっていう雰囲気。

 

 ここも何回も来ているお店だが、この日は「かけ小」を注文した。どんぶりにうどん玉一個を入れてくれる。で、足下のずんどうから出汁をかけて、トッピングのネギやらおろしショウガなどを載せて・・ばかでかい・・あおげを載せる・・。このお店の特徴の一つなんだそうで、これを二枚も三枚も載せて食べる通のご婦人がいるらしい・・。やるもんだね・・。

 

 麺は細麺で上品でまろやか・・。お出汁もマイルドでくせのないもの。ここもセルフのお店なんだけれど、一般店のような暖かさと安心感のあるお店だ。

 この日、孫たちの学校で研究授業があるらしく、関係のない学年のクラスたちは早めに下校するので、一時間ほどの孫たちのお守り・。お守りというてもお買い物や何やかや・・。

 

 近くのホームセンターで植木鉢を買ったり、ヒメダカを買ったり・・、ポチのおやつを買ったり・・、まごのなぎちゃんのおもちゃを買ったり・・・ついでに、アイスクリームなんぞも・・。じぃじはやさしいわねぇ・・・。



じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

穏やかに 時の記念日 畦の草 

2010年06月10日 | 自然
一秒の言葉~SEIKO(1985年版)


一秒の言葉~SEIKO


日本で一番最初のCM


 今日、六月十日は「時の記念日」。東京天文台と生活改善同盟会が1920(大正9)年に、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と制定したものだとか。

 

「日本書記」の天智天皇10(西暦671)年4月25日(新暦6月10日)の項に、「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあることから。「漏刻」とは水時計のことである。

 

 この記念日は1920年に東京天文台と生活改善同盟会によって制定されたもので、日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。記念日ではあるが国民の祝日ではない。1921年より外地の台湾も実施されたが、戦後は自然消滅。

 

 由来は先ほどにも概略で書いたが、『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(西暦671年6月10日(旧暦4月25日))に、

 「置漏尅於新臺。始打候時動鍾鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也[1]。云々。」(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。(訳:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系68 日本書紀 下』 岩波書店))

 とあり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることからこの日となった。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」とは水時計のことである。

 

 そうそう、昨夜のテレビお「ナニコレ珍百景」に町内のうどん屋さん「太一」が紹介されていた。ロケは四月に行われとり、五月中旬ごろに放映予定だと書いてあったが、ようやくに昨日の放映になったものらしい・・。

 

 ここの店長さんはいろいろとアイディアを出す人で、新しいうどんを作っては話題を呼んでいたが、その「オバマうどん」が紹介されて、デンジャラス・ノッチさんがやってきた。あの、オバマ大統領の物まねをする人だ・。

 

 で、「オバマうどん」というのあ、普通のぶっかけうどんなのだが、そのトッピングが問題で、「おあげ」の「オ」、「バレイショ」の「バ」、「まめ」の「マ」が乗ってるから「オバマ」なのだそうだ。最初は、「おあげ・バナナ・まつたけ」のオ・バ・マであったが、それがいつしか・・豆になったんか・・。

 

 

 というわけで、昨夜、十万人目のお客様がおいでになりました。本当に長い間のおつきあい、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いしますね。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

睡蓮の 静かな花の 昼寝かな

2010年06月09日 | 自然
 朝方は曇っていて、梅雨空になるのかなぁと思っていたらば、午後からはすっかりと初夏の空になった・・・。なかなかに梅雨らしくはならないものだ・・いや、梅雨空を待っているわけでも、梅雨入りを期待している訳でもない・・。

 さて、あんまり・・、アクセス数とか訪問者数とかは気にしては居ないのだけれど、ふっと、気づくと、この「まほろば自然博物館」という・・ブログの開設から 1880 日目。1880日目というのは、5年と55日、つまりは、一ヶ月と24日らしい・・。まぁ。途中に・・閏年もあったのだろうけれど・・。

 

 平成16年の秋に社宅に入って、その翌年の四月15日あたりにブログを書き始めたように記憶をしている・・。それから・・5年が経って、二ヶ月弱か・・。その間に、このブログを訪問してくれた人が・・10万人だ・・。

 

 まさに・・「継続は力なり」だと思う・・。よくもよくも・我慢をし・・、辛抱したものだなぁと・・我ながらに思う・・・。このブログの場合、一日のお休みもない。

 さてさて・・、来る六月14日の「塩飽史談会」の講演用の資料を整理やら資料作成をやってきたが、今回は・・こんなものを作ってみた・・。

 

 多分・・何が何だか見えないと思うのだけれど、「掛け軸」みたいには見えると思う・・。咸臨丸に乗り組んだ水夫たちのお墓マップの総合版みたいなものだ・・。この一枚の中に、塩飽水夫・・18人のお墓の位置が網羅されている・・・。しかも、それを・・掛け軸風に装飾してある・・。これは・・力作だと思うのだけれど、自画自賛かな・・。

 

 これは・・、その下部の装飾部分を見てもらうもの・・。この下に・・巻物用の巻き芯を用意したのだけれど、そこまで必要かなぁと思ったりして。用意はできているのだけれど・・。風鎮までもはいらないのだろうけれど・・。

 で、これから逆算をして・・レジュメの作成も・・どうにかできた。ま、レジュメが必要なお話でもなのだけれど、まぁ、サービスみたいなものかな・・・。

 で、睡蓮の時期だからと・・近くの池に行ったのだけれど・・。「え・・、今頃何なの・・」みたいに感じたのが・・これ。

 

 わらび・・・それもやわらかくておいしそうなワラビなんだけれど・・。いや・・、その根本にいるのは・・カメじゃ・・ありませんかね・・。ま・・、驚いたですよ。カメは珍しくはないのだけれどもね・・・。

 

 この沼には・・睡蓮が密生してて・・・。ここから数株を抜いて我が家の水辺に持ってきた・・。

 

 水草も増えてきたし、緑もどんどんと増えてきて・・ビオトープらしくはなってきた。お魚たちも数も増えてきてにぎやかになってきている。

 神戸から持ってきてくれた「舟」も活用しているし、とれたばかりのたまねぎの置き場にもなっているし・・。

 

 今日、6月9日は、「ロックの日」とか「ロックデー」という日で、「ロッ(6)ク(9)」の語呂合せ。楽曲の方のロックの記念日でもあるらしい・・。

 「リサイクルの日」というのは、東京都北区の金属回収業者、菊池隆重さんが1990(平成2)年に提唱したもので、6と9を組み合わせると巴の形になり、それを消費者と生産者に見立ててリサイクルの模様になることからなのだとか。考えるものだね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね・・。

ほうほたるこい 私の手足も まどろこしい

2010年06月08日 | 自然
 今朝も三時前から目が覚めて・・。でも・・起きる訳にもいかないので・・布団の中でごろごろとしていたが、この週末のお寺の法要も気にかかるし、来週の頭の・・14日の講演会のことも気にかかる・・。なんせ・・、何の準備もやっていないのだからして・・。

 それだから・・・ゆっくりと寝て居られないのだろうか・・・。確かにそれもあるかなぁ・・。およそ・・50分の時間・・。咸臨丸のことについて話すのだけれど、なにせ・・歴史好きな人たちばかりの・・「塩飽史談会」の総会に引き続いての講演だからね・・。

 

 例えばだ・・。富士山のお話をするとしよう・・。山の特徴だ、いい所とか、有名な民話だの、たとえ話だの・・山の攻略法だ・・登り方だのと・・富士山一つでも、いろんなお話ができるのだと思う・・・。

 でもだ・・。こと、咸臨丸のことになると・・、誰も何も知らないのだ・・。知らないから・・どんな話でもできると思うのだけれど、知らないから・・どこから話していいのかがわからない・・。

 

 まったく・・クモをつかむような話になってしまう・・。そんなことで・・、もんもんとしている今日この頃・・・。

 話は変わって・・。はやてちゃんのマウンテンバイクが動かないらしい・・。タイヤがぺっちゃんこだし、ギヤとかチェーンが真っ赤に錆びていて回らない・・。私が乗ると・・悪さ加減がわかるのだろうけれど、私には乗れない小ささだから・・どこがどんな具合に悪いのかがわからない・・。

 

 でも、虫ゴムを交換して、空気をタイヤ・チューブに入れてみて・・、これで多分、OKなのだと思う。

 

 チェーンにもオイルを流して動くようにしたし、チェーンがはずれていたのもなおしておいた・・。多分、この週末には乗って走れるのだと思うのだけれど。

 このあたりは・・三月下旬に田植えをするところがありぃの、四月下旬に田植えをするところがありぃの、先週あたりの六月あたまから・・この十日あたりの田植えと時期もさまざま・・。

 

 我が家は・・平成16年を最後に農家をやめたのだけれど、やめてみて・・、農家って、たいへんやなぁとつくづく思ったりする・・。あればあったでいいこともあるのやろうが、なくなればなくなったで、気分的には気楽なものだと思ったりする・・。

 

 こういう姿も・・なつかしいなぁと思ったり・・、大変やなぁと思ったりする・・複雑な気分・・。

 今日は・・資料整理のために・・インクカートリッジを探して・・さぬき市志度のホームセンターに行ったついでに、「亀城庵・志度店」に寄って・・・。

 

 かけうどん小(250円+野菜かきあげ天(70円)を載せて・・・320円。まずまずのお味に満足・・・。ここも安心して食べられるお店だなぁと思う・・・。まるで一般店のような麺やお出汁が安定しているし、麺がやわらかくなく、うおん粉くさくもない。

  


 午後からは・・・川でメダカをとったり、史談会の資料作成をやったりして・・日が暮れた・・・。資料もデジカメで写したんだけれど、やはり蛍光灯の明かりではうまくきれいには写らないみたい・・・。

 あ、写らないと言えば・・これも写らないのか・・・。

 

 

 最近は・・デジカメまでもが・・私の言うことを聞いてはくれていない・・。なんだかねぇ・・。ま、私の手足の感覚がおかしくなっているのかも知れないのだけれど・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


賑やかに てっぺんかけたか ホトトギス

2010年06月07日 | 自然
今朝も我が家ながら・・・朝の三時半ごろから目が覚めてしまって・・・。でも、そんな時間から起きる訳にもいかない・・。奥方やらおふくろさんがまだまだ寝ている時間・・・。どうしたもんだろうかね・・。

 ようやくに起き出したのは五時だ・・。それでもまだまだ早いね・・。でも、外が明るくなると・・ゆっくりとは寝て居られない・・。全く・・お年寄りだね・・。それからメール確認やら、hP確認・・、ブログをのぞいて、お友達ブログを一巡して回る・・。
 

 さて、今日は・・心臓の手術をして一ヶ月後の・・診察日なのだけれど、「診察券」が見当たらないし、健康保険証がわからない・・。退院後・・・どこに保管したものか、どこに置いたものかがわからない・・。

 マシン室から・・書斎から・・・本棚から書類棚から・・探して探してもわからない・・。やがてには夫婦喧嘩だ・・。「あんたに預けた」「あんたが保管したんやないの」と大騒ぎだ。結局は・・奥方が大切に保管してあったのだけれど・・。

 

 お互いに・・・記憶がうすれてきてしまってね。これからが思いやられるね・・。やがてには、お互いの名前すら思い出せなくなってしまうのやろうかね・・。そうはなりたくはないのだけれど、今の状況では・・あぶなかっしいね・・。

  

 で、術後・・初めての内科の診察日だった。新しい病院になって・・新システムでの診察だからと少し早めに行ったのだけれど、「案ずるよりも産むが易し・・」みたいなもので、診察券を受付機に通すと・・これから行く場所、行く診察科目が印刷された用紙が出てきて・・、そこの前で待っていると・・アナウンスがあって、呼ばれるので・・中に入って・・採血検査・・。それが終わると・・整理検査室へ行くと・・心電図検査。それが終わると・・内科でのドクターの診察・・。全て・・コンピュータからの指示によって行われていく・・。検査結果も書類によらずに、電子カルテに記載されて行くみたい・・。

 

 で、早くも来月には奥様同伴で来てくださいとおっしゃる。右心房の手術が終われば、今度は左心房の手術だなんて・・。ま、一回やってれば・・二回も三回も似たようなものなんだけれど・・。でも、奥様同伴というのは・・「万が一・・・」という説明だからね・・。ま、覚悟はできてはいるのだけれど・・。どうなるもんだかね。

 私ら家族と、ドクターの学会との調整みたいだけれど。ま、私は毎日が日曜日だからいつでもいいのだけれど、お盆の時期と、サンフランシスコ行きを外して考えれば・・いつだってOKなんだけれども・・。

  

 午後からは・・・コイやメダカの水槽の大掃除。睡蓮やホテイアオイなんぞが元気になってくると・・水の汚れが気になってきてね。だから・・水槽を大掃除したりして・・。水槽も四つあるし、この前に神戸から大型の水槽を寄付してもらったものだから・・。

 

 夕食後は・・けいこばぁと・・ホタル散策・・。まぁ、あちらこちらで・・ホタルの乱舞なんだわ・・。最近は河川工事とかで、コンクリート工事がさかんに行われたもので、ホタルの姿なんぞ見えなくなったのかと思っていたが、やはり、いる所にはいるもんだ・・。

 

 まぁ、映画で見るようなホタルの乱舞には・・二人ともがぼうぜんとして・・言葉が出ないくらいに・・。「なんじゃ・・これは・・」みたいな・・・。せっかくなんだけれど、私のカメラでは何も写せない・・・。写っているのはくらやみばかり・・。それじゃだめじゃん・・「春風亭昇太」。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

守らねば 海の豊かさと 夏の雲

2010年06月06日 | 自然
 五月二十二日に始まった「船の祭典2010」も大詰めに向かってきた六月六日、高松港サンポート二万トンバースに横付けされた「支援母艦よこすか」を見に行った。

 この・・「よこすか」には、有人潜水調査船「しんかい6500」が搭載されていて、最大潜航震度6500mの能力を持つ世界最高水準の大深度潜水調査船らしい・・・。

 

 「しんかい6500」の運用には、その支援母船としての「よこすか」が建造され、しんかい6500はこれに搭載されて調査海域まで運ばれる。「よこすか」はしんかい6500の整備施設のほか、収集したデータ・資料のための研究設備も備える。運用上、しんかい6500の潜航時間は8時間と定められており、水深6,500mまで潜る場合は、片道の潜航時間に約2.5時間必要であるため、海底での調査時間は約3時間となる。調査深度がこれより浅い場合は、調査時間を長く取ることができるものらしい。

 

 独立行政法人「海洋研究開発機構(JAMSTEC)」が所有する支援母船『よこすか』は総トン数4,439トンで、全長105m。有人潜水調査船『しんかい6500』の母船であり、活動を管理する司令室の役割を担っている。

 運行業務は日本海洋事業が行っているそうで、1990年(平成2年)東京晴海ふ頭にて皇太子殿下をお迎えして竣工式典が行われてから来年で二十年を迎えるのだとか。

 後部甲板には、『しんかい6500』の着水揚収装置とA字型クレーンがあり前方に整備施設を備えた格納庫がある。

 船の操縦席を特に・・「船橋(せんきょう)」といい、英語で言うと・・【ブリッジ (bridge)】にあったBridgeConsole(ブリッジコンソール)を「操船卓」というものがこれ。

 

 エンジン、スラスターなど操船に必要な装置をここで操作するし、普段には・・ジャイロコンパスによってオートコンプリートされて自動操船される仕組みになっている。

 エンジンコンソールほか船内全てが英語表記されており、最大速度 16マイル(約30km/h) 、航海距離 約9,500マイル、定員総数 60名(乗組員27名/「しんかい6500」運行要員18名/研究者15名) 、動力はディーゼル機関で、 2,206kW×2基、可変ピッチプロペラ×2軸である。

 

 これが「しんかい6500」の本体で、全長は9.5m、幅2.7m、高さ3.2m。定員3名。海洋研究開発機構所有。支援母艦「よこすか」に搭載されているもの。

 

 しんかい6500は、独立行政法人海洋研究開発機構が所有する大深度有人潜水調査船。2009年現在、世界でもっとも深く潜る運用中の潜水調査船である。「しんかい2000」の運用実績をもとに1990年に完成し、2002年11月には「しんかい2000」が運用休止となったため、日本で唯一の大深度有人潜水調査船となっている。

しんかい6500は、その名称が示す通り、6,500mまでの大深度の潜水調査を目的とし、その主な任務は、地震、地殻を構成するプレートの沈み込み運動、マントル中のプルーム運動など地球内部の動きの調査。深海生物の生態系、進化の解明。深海生物資源の利用と保全に向けた調査。海底に堆積した物質、海底熱水系の調査を通した地球の熱・物質循環の解明などと多種多様だ・・。

 ま、あんまり難しいことをお勉強しても頭には残らない・・。

 

 で、朝昼兼用のお食事と言うことで・・模擬店のさぬきうどん「愉楽家」のきつねうどんを注文した・・。はやてちゃんも一緒・・。なぎちゃんも一緒だったのかなぁ・・。

 

 こんなところで、こんなおうどんを食べるのかなぁ・・と思ったけれど、これが麺・出汁、トッピングともにおいしかった・・。「え・・、これはいいなぁ・・」みたいな感覚だった・・。

 その後は・・国土交通省の「海洋環境整備船:わしゅう」の一般公開に臨んだ・・。瀬戸内海地区の坂出方面海面を担当している海面清掃船で、オイル漏れの回収とか、海面浮遊物などの除去を行う船らしい・・。

 

 これが・・、海面を浮かぶ浮遊物を回収するコンテナらしい。これえに移動式クレーンでゴミをつかんで、ここに回収するものらしい・・。

 今日の我が家の・・環境保全隊員の孫たちである。

 

 「一同に・・敬礼!」と言って挙手の礼・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

六月四日の思い出し日記:ぽっかりと空いた一日の話

2010年06月06日 | 自然
 お船のご用は終わったし・・。もう、帰ってもいいようなものだけれど、自治会長さんの話では・・土曜日に粟島へ行くというもので・・今日の金曜日は空白の一日・・・。何の予定も計画もない・・・。

 でも、お年寄りは朝になると目が覚める・・・。この日も朝の四時半になると目が覚める・・・。仕方がないねぇ・・・。だから・・いつもの・・釜の越しの堤防に行く・・・。

 

 で、ここから朝日の上がってくるのを眺めている・・・。お年寄りは・・こういう朝日に向かって柏手(かしわで)を打って、頭を下げるものらしいが、私にはそういう信心深さはない・・・。朝の光は・・とりもなおさず・・私の法名の「暁光」なんだろうと思うのだけれど・・・、太陽に向かって手を合わすという気持ちにはなれない・・。

 釣り用語では「あさまずめ」というらしいのだが、日の出あたりには魚が釣れるものらしい・・。あくまで一般的なことなのだけれど・・。

 

 それと・・「ゆうまずめ」という日暮れ時とか・・。それと潮の加減・・。中潮で打ち込みといわれる潮が満ちてくるころとがうまくかみ合えば・・それなりに魚が釣れるものらしい・・・。

 

 だから・・潮どまり・・といって、潮が満ちてきて、それから・・引き潮に移る・・休憩時間あたりになると・・ばったりと魚は釣れなくなる。そして、引き潮になると、栄養分が沖に向かって流れるものだから・・魚も沖に向かって泳いでゆく・・。そうなると、魚は釣れなくなるものらしい・・・。

 

 そうなると・・することがない・・。周囲を散歩したり・・歩け歩け運動をやってみたり・・。お洗濯も毎日やるような量にもならないし・・・。


 

 マイボートの点検をしたり、散歩をしたりで、空白の一日を過ごすばかり・・。この日の昼食も・・例によっての・・「かまたまうどん」時には・・カレーうどんとか肉うどんなんぞも作るんだけれどもね・・。

 

 ノートPCは持ってきて・・・立ち上げはするんだけれど、全く動かそうと言う気にはならない・・。資料整理も急ぐのだけれど、ギリギリになるまでは・・手をつけようともしない。

 

 天気はいいのだけれど、一人で船を出して・・海を走るという元気はないし、単独で船に乗ってはいけないと・・奥方にきつく言われているものだし・・、一人で沖に出ても楽しくはないし、釣れるという保証もないもないものだから・・。

 

 で、あちらこちらで竿を出してみたのだけれど・・あんまり魚も釣れない・・。釣れないといいながら・・、でも、まぁ、こんな具合だけれど・・・。

 

じゃぁ、また。

六月三日の思い出し日記:マイボートの引き取りの話

2010年06月06日 | 自然
 三日の朝・・。ふと目覚めれば・・四時半前・・。あたりはうっすらと明るいのだ・・。最近は老化なのかどうか、朝になれば目が覚めるのだ・・・。仕方がないので起き出して・・・朝の釣りに行った・・。

 

 これが日の出で・・五時前だったように思う・・。いつもの・・釜の越しという地区の堤防に行ってみた・・・。アイナメだのキスの小型なんぞが何匹か釣れた程度・・。藻場なんだけれど、海藻が時期的に伸びてきて・・根掛かりばかりが続出・・・。藻にハリが引っかかって・・切れてしまうのだ・・・。これにはうんざり・・・。

 

 潮は中潮で釣りにはちょうどいい時期なんだろうけれども・・。

 二時間ばかり釣ったのだけれど・・数匹があがったのみ・・。

 

 その後は朝食を食べたり、お洗濯ものを干したりと・・一般的な雑用・・。軽トラで島を一周してみたりしていると・・十一時前になって携帯電話が鳴った・・。

 「船・・できてるで・・」そんだけ・・・。昨日の西部ヤンマーさんから船の修理ができたということらしい・・。「えっっ・・。そんなに早く・・・」みたいな気持ち。今度ばかりはバッテリー関係からダイナモ(発電機)から・・電気回路一式の・・重傷気味で当分は入院やなぁと思っていたのに・・翌日には退院なんだと・・。なんじゃ、それは・・。

 

 仕方がないがなぁ・・。高速艇は出たばっかり・・。今度は12時45分のフェリーしかない・・。昼食の・・例によって・・例の・・「かまたまうどん」島ではこればっかりやな・・・。要するに・・おうどんの玉子かけ・・・ということだ。

 丸亀港に13時20分過ぎに着いて、そこから徒歩で・・JRの丸亀駅まで・・10分程度・・。13時38分おローカル線で、二駅目の「多度津」駅まで・・。これでも・・200円とかの料金だった・・。JRも安くないね・・。

 

 JRの多度津駅からは路地を歩いて・・・浜国道を目指す・・。多度津水産高校も名前が変わったんやろうかね・・。学校の中をすり抜けて・・。ようやくに・・西部ヤンマーさんにたどり着いたらば・・汗まみれになっていた・・。出された冷茶がおいしかった・・・。

 そこで、社長さんの説明を聞いて、船を引き取って・・さぬき広島に向かう・・。要するに・・バッテリとダイナモを結ぶ電線が切れていて・・充電をしなかったし、電気回路が構成されていなかったもので、ドライブが動かない・・。回転計が回らない・・。GPSが映らない・・・てことだったみたい。大山鳴動ネズミ一匹・・・。ターミナル一個を接続して修理完了・・。

 

 でも・・おまけ・・みたいに、Vベルト・・これでも「ボルボ純正」なんだと・・。ダイナモが動かないのに、セルモータを回したもので・・「キリキリ・・というてたのは、このベルト。すり減ってしまっていた・・。これの交換だけで4000円。ほかにもバッテリーの交換、インペラの調達ほかで、5万円弱の請求書。でも、思ったよりも安かった。

 

 帰路は・・意気揚々と・・幕府海軍旗の「中黒長旗」を翻して・・・さぬき広島を目指す・・・。

 

 夕方には・・自治会長さんが・・網にかかっていたと・・三十センチもある大きなタイを持ってきてくれた。その一部をおすそわけにいただいて・・・。

 

 この日は・・疲れたものか、早起きがこたえたものか、夕方の七時半から寝てしまった・・。まさに・・老人になったものやね・・。

じゃぁ、また。

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