まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ゆらゆらと そうめん流しの 涼味かな

2010年08月16日 | 自然
 神戸からのよしつぐさん家族四人、娘家族四人、次男のよっくん、甥のけいご、それに我が家の三人の合計13人の懇親会とご宿泊・・・。  一夜明けて・・・朝食が終わるとよっくんがお帰り。けいこばぁはお仕事にお出かけ・・・。さっちゃんは・・デイサービスにお出かけ・・・。それぞれの一日が始まっていく。  

 私と孫のはやてちゃん、たつや君の三人がサンフランシスコに行くのが十日後に迫ってきたこともあって、よしつぐさんが私の頭を刈ってくれた・・。それもお坊さんみたいに(お坊さんなんだけれど・・)くりくり坊主にしてくれた・・・。これで準備万端・・・。  すると・・娘たちが青竹を切り出してきた・・。「おとうさぁんんん・・・」何事かと思えば、竹で樋(とい)を作って欲しいという・・。何にするのかと思えば、「そうめん流し」をするのだという・・。  

 で、出汁入れ容器、薬味入れ、お箸なども全て青竹で自作して欲しいという・・・。  

 まぁ、気温は38度を超えてはいるが、日陰にいると涼しいし、風が吹けば気持ちのいい夏の風だ・・・。  

 青竹の樋に水をホースで流してきて・・・そうめんを流して・・・それをみんなが自作の青竹を削ったお箸でつかまえて食べる・・・。涼味満点・・・。カメラなんぞ脇に置いたまんま・・缶ビールなんぞ手にすることもせずに・・・黙々と・・そうめんの流れてくるのを待ちかねて食べるほど・・。  

  

 今日の予定では、どこかのおうどん屋さんでみんなで会食をして、それで解散・・・という予定だったのだが、数年前にも似たようなそうめん流しをやったことを思い出したんだろうか・・。  

  

 ま、やりたい放題の我が家である・・。 それだし、思いついたら何でもやってしまう我が家のメンバーである。



 おなかがおきたら、即座に「撤収!」後片付けも早い・・・。使った竹材料は全て竹藪に戻す。あとは水で洗い流して・・・跡形もなくきれいに片付けてしまって・・・。  楽しい思い出を抱きしめたまんまで・・・解散。神戸組の車に便乗して、甥のけいごくんは新神戸から新幹線で神奈川に戻って行くし、かねちんは・・・三重の職場に戻っていく。後には・・・私一人が残ってしまった・・・。

  いよいよ・・サンフランシスコ行きが秒読み段階に入ったような・・・。荷物も用意できたし、パスポートやらドル交換も終わったし、何か忘れ物はないのだろうか・・・。  明日からの一週間が・・・気になる一週間。どうやって過ごせばいいんだろうか・・。

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

蓮の葉の だんごの数や 写真集

2010年08月15日 | 自然
 今日は香川県では36度にもなったとか・・・。全く風もなく、暑い一日になったものだ。

 で、今日は島から戻って、山の家でゆっくりとする日・・・。だから・・朝から片付
けモード・・・。 

 

 洗濯物ものとか空き缶とか・・燃えるゴミとか・・ま、燃えないごみから燃えるゴミからと片付けどおし・掃除機もかけて終わったと思ったら・・こどもらが海水浴から戻ったら・・元の木阿弥・・・。

 朝の間は・・・潮が引いて・・・100m先まで海底状態・・・。歩いても歩いても海がない。遠浅の海だから、泳ぎたくても泳げない状態・・・。

 で、こどもらが退屈するものだから・・予定よりも早くに・・島の家を出て・・・第一陣は午前10時45分の高速艇で島を出て・・山の家に向かった・・。

 

 かねちんはワンボックスカーで乗り込んだために・・12時45分のフェリーでないと島を出られな。私も後片付けなどで居残りになって・・。

 

 今日がユーターンのピークとかで、14時15分以下は予約でいっぱいだとか。仕方がないので12時45分になったが、それでも客室は満室状態。後部甲板などにも大勢のお客さんが・・・。

 

 これも・・明日、明後日までなんだろうなぁ・・。お盆を過ぎると海水浴客も激減するし、お盆休みが終われば・・・みんなはお仕事に戻ってしまうのだろうし・・・。

 で、今日のお昼は・・・あちこちに寄ってみたんだけれど、どこもかしこも満員状態・・・。20分ほど待ってください・・とか・・。いくら待つかわからんです・・とか・・。

 で、あそこならば・・・ということで寄ってみたのが・・・丸亀市飯山町の「てっちゃん」・・・。ここも・・・店内はにぎやかだったけれど、すぐにお客さんがいなくなって、ラッキー・・みたいに・・。

 

 で、いつもの・・「ひやしうどん2玉」をお願いした・・・。時間が・・・14時過ぎでおなかもすいていたし・・・。

 

 で、15時前には我が家について・・・荷物を片付けて・・・メール確認をして・・、我が家のお盆の行事・・・。みんなで楽しくお食事をして・・・懇親会の夜は更けていくのでありました・・。

 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

  


8月14日の思い出し日記

2010年08月14日 | 自然
 島の朝は早い・・・。子供らは外が明るくなる五時半過ぎには起き出して・・・ゴミを燃やしたり、竹や木の枝に火をつけてたいまつのようにして歩きまわる・・。ま、本土ではできないような遊びだわ・・・。

 ひとしきり遊んだころに親たちが起き出してきて朝食になる。その朝食前に朝の釣りに行く。これまた・・甲路の堤防・・・。

 

 やはり、あじとかサバとか・・。もう、こうなると魚釣りも飽きてくる。

 

 釣りと言うよりも魚遊びとか水遊びとか・・・。

 で、戻って朝食・・・。

 

 朝食が終われば・・・夏休みの宿題・・・。

 

 音読をやったり、砂絵でのお絵かき・・・。

 

 その後は・・・プライベートビーチ(誰も居ないだけの砂浜)での海水浴。港近くの砂浜には「江の浦海水浴場」というものがあって、ネットで囲まれて、サメ監視用の漁船が待機しているビーチもあって、カラフルな水着をきた若者たちがにぎやかに楽しんでいる場所もある。

 そこから少し離れたこの砂浜には誰も来ない・・・。

 

 潮が満ちてきたお昼過ぎになると・・・マイボートに乗り降りができるようになる。潮が低いと船底が海底に触れたりするもので船を出せないし、船が低い位置にあるもので乗り降りが難しいのだ。

 で、こどもたち4人に、けいご、よしつぐ、かねちん、それに私の8人があかつきⅡに乗り込んで、ウエークボードを楽しむ。ボードに乗るのは・・まごのはやてちゃん、神戸のたつや君。それにおにちゃんの周平と甥のけいごくん。

 船を操縦するのはかねちん船長。私とよしつぐは監視役兼カメラマン・・・。なぎちゃんは応援役。

 

 ウェークボードというのは、水上のスノーボードと水上スキーの中間みたいなもの。スノーボードみたいなものをはいて、ロープで引いて・・・水上を滑走するもの。周平が小学2年のころかに、横瀬さんに教えてもらって二度ほどで立って滑ったことから、周平がはじめ、かねちんがはじめ、触発されたけいごが夢中になり、今度はまごのはやてが夢中になり、たつやくんもチャレンジ中・・・。

 

 これがはやて君(10歳)の滑走・・・。

 

 あとの先輩たちもチャレンジするが・・・パワーがないのか、意欲が半減したものか、すぐにロープを放して水中へ・・・。

 その後は・・沖の一文字で釣り・・。釣りになれば・・・たつや君の独壇場・・・。

 

 おとなたちは・・パワー的にダウン・・・。こどもらは今度は川の中でダイビング・・・。橋の上から海の中へ飛び込んだり泳いだり・・・。

 夜は夜でまたも花火大会・・・。こどもらはパワーがあるもんだわ・・・。

じゃぁ、また。

8月13日の思い出し日記

2010年08月13日 | 自然
 朝から甲路へ釣りに行くがほとんどアタリがない・・・。で、甥のけいご君の車の練習で島を周回する・・。なにせ、神奈川市内に住んでいるいるもので、免許は取ったものの・・ペーパードライバー。都会では車を運転する必要もなければ乗る機会はない。そこで、ほとんど車の走らない島の道路で、しかも・・交通信号機も踏切もない・・・。

 午後からは神戸からのお客さんが来るというので、早めに簡単な昼食を食べてから丸亀港までお迎えに行く・・・。

 

 今度は・・マイボート「あかつきⅡ」を操縦して海を疾走する・・・。神戸のよしつぐさん、その子供二人、娘の子供二人とけいこばぁがやってきた。その6人とたくさんの食材やら遊び道具やらを満載して島へ・・・。

 

 一休みするまもなく・・釣りに行くと言い出して・・。子供らは釣りが好きやねぇ・・。

 
 
 で、いつもの甲路(こうろ)の堤防へ。ここだと堤防上に車を乗り付けることができるので、荷物やらの持ち運びが楽だからだ・・・。そのまんまで釣りができて、片付けも簡単だし。

 

 で、サビキ釣りを始めると・・、アジやさば・・アイナメやキス、ベラなどが上がる上がる・・・。その上に・・・横瀬さんからも魚の差し入れがあったりして、その夜はお魚三昧・・。

 

 

 

 おとなたちは楽しい懇親会。こどもたちは恒例の花火大会・・。手持ち花火は庭先で、打ち上げ花火は海岸の砂浜でと大騒ぎで夏休みを堪能・・・。

 みんなが・・・バタンキューでお休み・・・。ZZZZ ・・・

じゃぁ、また。

8月12日の思い出し日記

2010年08月12日 | 自然
 朝の4時起きで朝食を食べて五時過ぎには我が家を出たが、さぬき市の我が家から丸亀港までは、どう見積もっても・・・1時間半はかかる距離・・・。甥のケイゴ君と一緒の旅立ちだ・・。

 朝の五時に我が家を出たら、丸亀港に着くのは6時半過ぎ・・・。始発の6時15分にはどうしても乗れない計算・・・。

 あきらめて、丸亀港近くの釣具屋さんで活きエサ(赤ゴカイ)を1000円分買う。それから、島しょ部帰省客用の臨時駐車場にマイカーを置くと・・・まだ、フェリーの出港時間には10分ほどもあるという・・。「ええっ・・。我が家からここまで・・1時間弱で着いたん??・・」それは・・新記録だぁ・・。

 で、ほぼ、満員状態のフェリーに乗って島に着いたのだけれど・・。

 

 1000円で買った釣りえさがない。いや、釣りえさが惜しいのではない。生きた赤ゴカイが、私の車の中でひからびて針金のようになってしまうのが悲しいと思うのだ・・。

 それだし、確かに持って出たと思う・・携帯電話が見えないし。甥の・・ケイゴ君の携帯電話から呼んでみても誰も応答はしてくれない・・・。

 けいこばぁが・・・「早く早く・・・」というので、出てはきたのだけれど、二人きりで島にやってきても・・・面白くもおかしくもない・・・。第一・・、共通の話題もないし、やりたいこともないし・・・。

 

 甥のけいご君というのは、私の弟(三男)の長男で、東京の某私立大学の三年生。夏休みだから・・・ふるさとに戻ったのだけれど、行く場所がない・・。そこで、私と二人で島に来たのだけれど、それこそ・・何もすることはない・・。

 で、休憩の後・・・、高速艇に乗って・・丸亀港に向かった・・。釣りえさの救援とか、携帯電話の探索操作とか・・・。あと・・・暇つぶしと夕食の食材の買い出しとか・・・。

 

 で、11時過ぎに丸亀港に着いて、まずは昼飯だ。近くの「太助」とい一般店で冷やしうどん・・・。ここでもどんぶりに麺が浮かんでいるだけで、何のトッピングもない。最近の冷やしうどんて、そんなもんか・・・。

 

 駐車場の車から釣りえさと携帯電話を探し出して一安心。あとは夕食の食材を少しばかり買って、13時半のフェリーに乗って島に戻る。全く・・・何をやっているんだか。

 その後、船の燃料、軽油を40リットル買って、それを船に補給しておいてから、二人で釣りに出たが・・・キスが一匹釣れただけ・・・。

 

 この日は・・・夕食もそこそこに寝てしまった・・・。

 

じゃぁ、また。

あれこれと 考えている 夏休み

2010年08月11日 | 自然
 田舎の山あいの一軒家なんだけれど、昨夜は蒸し暑くて寝苦しかった。台風の影響なんだろうか、今日も一日、蒸し暑い日になった・・・。おかげで・・・何をする元気も出ない・・・。

 そうは言っても、お盆前だから・・お墓の掃除もやっておかなくては・・・と、山の旧宅に行ってきた。ここも・・・草まみれになって、旧宅もお墓も草の中に埋まっている・・・。

 

 明日(12日)から・・・15日まで島の家に帰るもので、今日中にお墓の掃除をやっておかないといけない。暑いのは覚悟で・・・1時間の辛抱だ。

 

 で、家に入る道やらお墓の周囲のお掃除やら草刈りをやった・・・。まぁ、暑くはないのだけれど、全身が汗まみれになって・・ずくずくになって・・身動きできないような汗の量になった・・・。汗で作業服がぬれて身体に張り付くものだからどうにもならない。全く・・・パワーがないね・・。

 

 草刈機のタンクの燃料がなくなればほぼ・・・一時間。あと少しがんばれば・・きれいになるなぁと思うのだけれど、その・・あと少しが・・・がんばれない。

 あ・・、今日は・・「がんばれの日」なんだ・・・。「前畑がんばれ、前畑がんばれ・・」。あの・・・水泳の前畑秀子さんの前畑がんばれ・・・の日。「実況中継の日」とか「絶叫の日」とか・・・。

 私は・・それとは関係がないのだけれど・・。

 

 今日の・・お昼は・・さぬき市志度の「根っこ」というお店になった・・・。

 

 秋の文化祭に出展する「咸臨丸」を作っているんだけれど、その船体をどうやって作るのか。何で作るのか・・・ということで、ホームセンターめぐりをやっている。そのついでに、ここに寄ってみた。

 

 で、「おんたまぶっかけ小・冷」を注文した。ここには・・ひやかけも、冷やしうどんのメニューが見当たらない。いえばあるのかも知れないのだけれど。

 これで・・300円。

 夕方からは・・・来客・・。いよいよ・・夏休み。

 しばらく・・・15日までお休みしますね。島であれこれと・・・。

じゃぁ、また、来週、会えるといいね。

クマゼミよ どんな驚き 見つけたか

2010年08月10日 | 自然
 昨夜から蒸し暑さが残っている朝になったかなぁと思ったら・・・雨の朝になった。今頃の雨なんて梅雨でもないだろうし、秋雨でもないだろうし、朝から・・夕立でもあるまいし・・・。

 そんなんで、奥方のけいこばぁと、アメリカ行きの準備を始めた。コルマの日本人墓地に参列するための「道服:どうふく」「「略袈裟」に「装束念珠」、読経用には夏用の五条袈裟も用意した・・・。

 

 正式な読経は日本人会「慈恵会」がお願いする現地在住の僧侶三名が行うのだが、せっかくだからということで、地元(讃岐)の僧侶が略式で読経して欲しいとのこと。僧籍があるのだから略式ながらもちゃんと礼拝するのが礼儀でしょ・・ということで。

 

 で、簡単な工程表なんぞを紹介しておくことにする。

 8月27日夕方に成田を出て、その日の昼前にSF(サンフランシスコ)に着く。で、咸臨丸入港の碑ほかを見て回る。丸亀市の笠井さんほかからは、ここの写真を撮って帰れ・・・との指示がある。50年前だかに丸亀市長がここに行ったからだとか。

 

 28日にはメアアイランドとかバレホの海軍設備を見学する。咸臨丸を修理した設備ほか・・・。

 

 30日の午前は自由行動。午後からコルマへ移動。追悼式や顕彰碑の除幕式に参列。

 

 

 その後、ジョン万次郎草の根サミットに参加ほか。

 で、30日の午前も自由時間。午後からはチェックアウトしてSF空港へ。午後に出発して・・・31日夕方に成田到着・・・。日付変更線でややこしいのだけれど。

 

 さて、今日のお昼は・・・木田郡三木町の「味泉:みせん」に寄ってみた。ここだとおいしそうな・・・「冷やしうどん」があるかなぁと思って入ったんだけれど。

  

 あ・・・。セルフのお店の冷やしうどんて、こんなものか・・・と思った。つまりは、ザルうどんと冷やしうどんは同じもので、ザルに乗っているか、どんぶりに入って氷が浮いているかだけなんだ・・。つけ出汁は同じものなんだ・・・。そうなんか・・。上にも何も乗っていないんだ・・。

 

 ここの場合、冷やしうどん小は220円。いなり寿司が一個80円、それを二個食べて160円。合計380円だった・・・。

 で、今日の郵便で塩飽本島での咸臨丸渡米150周年記念事業・「咸臨丸と塩飽本島」の資料が送られてきた。

 

 今年の9月1日から始まるこのイベントは展示や講演会、史跡探訪、顕彰碑建立、食とアートと多彩だ。

 で、9月23日(木・祝日)13時から塩飽勤番所で、私が「咸臨丸の水主(かこ)たち」ということで講演をすることになっているらしい・・・。予約不要・入場無料らしいので、都合をつけて・・塩飽本島までおいでくださいますように・・・。

 

 また、時期が近づいたら、細部についてご案内しますね・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

雷鳴が 轟いて遍路 大慌て

2010年08月09日 | 自然
今日は「長崎原爆の日」で、「長崎原爆忌」の日だとも言われる。1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。



 でも・・悲しいかな、私は・・ナガサキ・・を知らない・・・。ナガサキの街には一度ばかり行っただけで、この平和記念公園や浦上の天主堂にも行ったけれど、広島のような知識も意識も何もない・・・。悲しいのだけれど・・・。

 今日は毎月の定期予約診察日で、県立病院に行ってきた。ようやくに新システムになれてきたが、「193番さん、三診にどうぞ・・」というアナウンスは馴染めない。個人情報を公開しないってことから受診番号というか、受付番号で呼ばれるものだから、自分のことだとは思えない・・。

 

 「血がねばっているので、お茶やお水を飲んでください」って言われてもね。この時期に冷たいお茶や水をがぶがぶと飲むのもつらいものがある。ま、熱中症予防のために、気をつけてお茶は飲んでいるのだけれど、おなかが冷たくなるようで・・・落ちつかない・・・。それだし・・、おなかがどっぷん・どっぷんというようで・・。

 さて、今日のお昼は・・・久々に・・・わが、さぬき市大川町の「大山製麺所」に寄ってみた。ここも知る人ぞ知る製麺所だから、お昼前になると混雑するし、行列にもなる店だ。

 

 たまたま・・・駐車してる車が少ないぞ・・ということで入ってみた。で、「冷やしうどん小」を注文したのに・・・出てきたのは・・「ザルの小」・・・。「へ・・、私、こんなん注文しましたっけ・・・」というと、「変えるん??」と言われた。本当は変えて欲しかったけれど、後ろから続々とお客さんが並ぶものだから・・「あ、食べます・・」というてしまった。美人のおねえさんは得やねぇ・・。笑顔だけで商売ができるんだもの・・・。

 

 で、おねえさんを狙ってカメラを向けたけれど、うまく隠れてしまって笑顔が写らなかった・・・。

 

 これがここの・・・ざるうどんだ。何の変哲もない・・素朴な・・ざるうどん小で180円。

 さてだ・・。前に・・サンフランシスコの新聞社から取材を受けたという話を書いたと思うし、その掲載誌の画像も掲載したが、今日になって、その実物が届いた・・・。

 

 「U.S、A」からのお手紙なんて初めてだ・・・。CAって書いてあるのは・・「カルフォルニア」っていう意味なんだろうね・・。へぇ・・、こういう表記で・・アメリカからの郵便物が届くんだ・・なんて、妙に感心したり驚いたり・・・。

 で、中身は・・・タブロイド判の週刊紙みたいな体裁。日本の・・フリーペーパーとは少しばかり体裁が違うけれど、中身は似たようなものだった。西海岸に住む日本人用のフリーペーパーというようなものか。

 

 で、今年が咸臨丸渡米150周年ということで咸臨丸特集になっているらしい・・。その一部に、ほんの一部に・・・「まほろば工房」の文字が・・・。

 

 ま、うちのホームページを参考にして記事を書いたっていうことやろうね。しっかりと、咸臨丸子孫の会とか加州日系人慈恵会の藤本さんあたりを押さえているのは信頼に足りるなぁと思った・・・。この藤本聖香さんという方にはお世話になったし、慰霊祭でもお世話になる予定・・・。

 今日も・・子孫の会の小林頭取から電話があって、藤本さんとの打ち合わせの細部についても聞かされた・・・。

 

 少しずつ・・、少しずつ・・・サンフランシスコが近づいてくるなぁと思った。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

窓際に やもりも休む 夏の午後

2010年08月08日 | 自然
 立秋だからという訳でもないのだろうけれど、朝がたは肌寒くて・・・四時半ごろから起き出してしまった・・・。年寄りは早起きだ・・・というのを全く・・実感するようになった・・・。

 かと言って・・そんなに早朝からすることもない・・。テレビはテレビショッピングとかお買い得情報だとか・・・面白くもないものを流し続けているし・・・。

 そこでお米をといで・・久々にご飯を炊いてみた・・・。朝ご飯なんて久々だし、お米を食べるのも久しぶりだ・・・。

 

 さて・・、朝の六時から・・「でごと」らしい・・。お盆前に・・みんなでお墓の掃除をするのだとか・・。中学校の裏手に広い墓地があって参り墓が建ち並んでいる。ここもかつては・・埋め墓があり、七年ほどすると・・砂が安定するので、その上に石碑を建てて参り墓にするのだと聞いた。今はほとんど・・遺体を土葬することはないが、たまに・・新しい土葬墓や霊屋や四十九院などが置かれることもある。

 

 お盆の十六日には・・ここで、盆踊り、ボンダンスが行われる。それだから・・お盆前には墓地をきれいにしておくのだという・・・。

 

 この日には、この江の浦地区のほとんどの人が総出でお掃除する。チェンソーがうなり、草刈り機がけたたましく鳴り響き、草を燃やしてヤブ蚊を追い払う煙が周囲を覆う・・・。草を集める者、草を運ぶ者、草を燃やすもの・・・。めいめいに働いて・・草まみれだった墓地が二時間ほどでさっぱりとした共同墓地になった。

 私は少しばかり早めに戻って・・シャワーを浴びて着替え、洗濯やら部屋の片付けをしておく。立秋を過ぎたとはいうものの、やはり真夏の雰囲気ばかりの朝だった・・。

 10時から・・コミュニティセンターで、「英国士官レキ研究会」の例会がある。丸亀市の笠井部長、商工観光課の香川さん、丸亀城石会の山地さん、広島連合自治会長の横瀬さん、それに私の五人・・。会の名称とか、事務局とか、会長とかを決めて、手元にある情報の持ち寄りやら今後の作業分担などを打ち合わせた。

 

 英国士官のレキが、江の浦沖で病死して、この島に埋葬されたのは幕末の慶応二年(1866)年。だから・・・6年後に150周年ということになる。それまでに何をどうするのか・・という打ち合わせの会議・・・ということだ。それまでに調べなければならないことはいくらもあるし、集めたいものも山とある・・。行ってみたい場所もたくさんある。

 

 会はお昼過ぎに終わった。私は昼食を食べて後片付け・・・。14時15分のフェリーで島を出たが、船の中はこどもらだらけ。どこかの子供会か、グループのキャンプがあったらしい・・・。大きな鍋からイスからを山積みしたトラックが何台も乗っているし、若い親子が楽しそうにはしゃいでいる。

 

 こういうにぎわいが・・いつまでも続くといいのだが、お盆を過ぎてしまうと・・海も砂浜も・・フェリーの中も・・人っ子一人いなくなって・・・静かな過疎の島に戻ってしまう・・・。この賑やかさを持続させるものを何か作り上げたいものだけれど。

 打ち上げ花火のような一発イベントではない、しっかりとした事業を立ち上げなければ・・・と考え続けて・・・船は丸亀に着いた。

 

 今週末は、もう、「お盆」・・・。あさってあたりからはお客さんが来られて、また、にぎやかな島の海になることだろう・・・。しばらくは休養して、お盆の準備でもやっておくことにしようか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


立秋は 暦ばかりの 暑さかな

2010年08月07日 | 自然
 八月七日の朝・・・四時に起きた・・・。お年寄りになったものか、朝起きるのが早くなった・・・。その分、寝るのも早くて・・八時半だ・・。それでは起きるのが早くなるのはあたり前か・・・。

 で・・朝一番のフェリーに乗った。6時15分の船で丸亀港を出る・・・

 

 この日も・・・海水浴らしい若ものたちで賑やかな船内になった・・・。一時期・・瀬戸内海のサメ騒動で減った海水浴客も・・・公的プールの閉鎖やら営業縮小やらで・・・少しずつだが・・・海へ若者が戻ってきているような印象を受ける。

 

 実は・・・先週・・・我が愛艇の「あかつきⅡ」に乗って丸亀まで釣りえさを買いに出たのだけれど、エンジンの回転数が3000回転までしか上がらず、速度も10ノット少ししか出ない・・・。

 標準では、3800回転で18ノット。それからすれば・・・自動車でいえば・・40Km走行みたいな気分・・・。ノロノロ運転みたいなものだった・・・。春先には快適に走ったのにね・・・。

 

 そこで、メンテナンス担当の「なおし君」と打ち合わせて、このフェリーに乗ったもの。で、あかつきⅡを上架して・・・船底点検やら船底掃除・・・。

 

 この設備は漁協のものだから、漁師さんが使わない時期に借りて船台を海に下ろして、船を乗せ、船台を巻き揚げて作業をする・・。組合員以外は・・・6000円だという。

 

 一番、ひどかったのは・・・ドライブ・・・。スクリュー部分やね。ここにフジツボとかカキとか海藻が付着している。これが水の抵抗となって速度が上がらない・・。船底部分のフジツボは少ない・・。「ロクチャン」という・・船底塗料が塗ってあるからだ。ドライブにも塗るには塗ってあるのだが、金属部分があるものではがれてしまうらしい・・・。

 

 これを・・ジェット水流で洗い流して掃除して・・・カキやら海藻、フジツボなどを掃除して、いったん、乾燥させるために休憩・・。昼食にカレーうどんを食べる。冷凍うどんをゆがいて、水で締め、先週の残りのカレールーを電子レンジでチンして乗せて食べて・・・OK。

 午後からは・・・ガムテープでマスキングして、ロクチャン塗り。船底塗料塗りやね・・。船底もそんなに損傷していなので・・・水際付近ばかりを重点的に補修。

 

 で、しばらく乾燥させてから・・・下架(げが)・・・。エンジンを緩めると・・・船台にのった愛艇は・・・そろりそろりと・・レールを滑って・・・海の中へ・・・。

 

 船が海に浮かぶと・・・ロープを外して・・海に出て試験走行・・・。その間に、相棒は上架装置の片付けやら施錠やら後整理・・・。

 午後からは・・・お昼寝して・・・ごゆっくりモード・・・。速度も回転数も復帰して・・正常運転が可能・・。お盆にはみんなで海を疾走できる予定・・・。たいした故障ではなくて良かった良かった・

じゃぁ、また。

風鈴が 身動きもせず 日が暮れる

2010年08月06日 | 自然

  今日、八月六日は「広島平和記念日」とか「広島原爆忌」の日・・。今年はアメリカとかフランスとか・・国連からの代表が出席しての慰霊祭が行われた・・・。少し・・・時代が動いたかなぁと思った・・・。


 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島市上空で世界初の原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。広島市内の相生橋近くの外科病院上空600メートル上空で炸裂し、広島市街は壊滅し、約14万人の死者を出した。 


 その近くにある「商工奨励館跡」、いわゆる・・「原爆ドーム」。ここに、この・・・ドームを描き続ける被爆者がいる。 原爆ドームの絵を26年間描き続けている原広司さん(78)=安芸区=が、被爆65年の節目を機にした個展を、旧日本銀行広島支店(中区)で30日まで開いている。これまで描いた約2800枚から、152枚を選んだ。原さんは「原爆ドームが何を訴えているのかを感じ取ってほしい」と話している。

 「魂の水で原爆ドームを描く」と言われているのが、この・・原さんだ。元は国鉄職員。頼まれて・・「ヒロシマの語り部」「ヒロシマの証人」にもなる・・・ 


 13歳の時に江田島から広島に入って被爆した原さんは、1984年の原爆の日に1枚目を描いた。途中、病気で休んだ時期もあったが、毎日のように、原爆ドームの近くに腰掛けて絵を描いている。その前を、たくさんの観光客が笑顔で立ち止まり、過ぎていく。「写真をパチパチ写して、『これが原爆ドームか』と立ち去っていく。でも、原爆ドームはそういう存在ではないはずなんよね。あれは戦争の原点。65年前に思いをはせてみてほしい」

 指を二本立てて、笑顔でドームと納まる観光客には目を伏せる。「ここは観光地じゃないんです」

 このブログを読んだ皆さんは、決してそのようなまねはしないでください。ヒロシマというカタカナで書かれる広島は・・・魂の原点であり、人が人として生きようとしている座標軸の街なのです。

 「岡さんでしょ・・」と声をかけられることもしばしば・・・。「小学6年生の時に、ここで、岡さんに原爆ドームの絵を描いてもらいました。今日は・・・教え子を連れて、岡さんに逢いに来ました。教え子に原爆ドームの絵を教えてください」若者の笑顔に岡さんは笑顔で答えた。

•広島市 http://www.city.hiroshima.jp
•ヒロシマ・ピース・サイト http://www.pcf.city.hiroshima.jp/peacesite/

 そして今日はまた、「World Wide Webの日」。1991年のこの日、計算機科学者ティム・バーナーズ=リーが、自身が開発したWorld Wide Web(WWW)に関する情報をインターネット上に公開し、世界初のWebサイトhttp://info.cern.chを開設した。


 おかげで、私たちはこうして・・・WEBを利用し、恩恵を享受している。まるで夢のような技術革新を思う存分・・・楽しんでいるし、反面・・・苦しんでもいるかも・・・。

 「雨水の日」というのは、東京都墨田区が1995(平成7)年に制定したもの。 

 墨田区では、区役所・両国国技館・江戸東京博物館等区内の公共施設で雨水を有効利用している。1994(平成6)年のこの日、墨田区で市民主体による世界初の雨水利用国際会議が開かれたことに因み、翌年の雨水フェアでこの日を「雨水の日」とすることを宣言した。 

 「太陽熱発電の日」というのは、1981(昭和56)年のこの日、私たちの香川県三豊郡仁尾町の電源開発・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われた記念日・・・。

 しかし、この場所は日照量が少なく、最大出力が2000kWと、実用になる程度の大規発電ができなかったため、この発電所での実験は1985(昭和60)年に中止された。あのころの喧噪がうそのように静まりかえっている仁尾の町だけが残った・・・。

 見え見えなんだけれど・・・「ハムの日」・・・。「ハ(8)ム(6)」の語呂合せだよね。コメントする意味もないか・・・。

 日本ハム・ソーセージ工業協同組合が制定したもの。

 似たようなものに・・・「ハローの日」は・・「ハ(8)ロー(6)」の語呂合せ。

  

 キティちゃんは関係ないのだが、「ハロー・・」と言えばこれしかない・・。こんな日もある。「ハンサムの日」だ。

 
 2008年11月公開の映画『ハンサム★スーツ』のPRのため、配給会社のアスミック・エースが制定。これまた・・・「ハ(8)ンサム(6)」の語呂合せなのだとか・・・。おやじギャグばっかりやね・・・。さむぅぅ・・・。

1971年、佐藤榮作首相が現職首相で初めて広島平和式典に出席したのもこの日だった。

  この日、原爆資料館から出てきた佐藤総理を見ようと・・群衆が集まったために警護の警官隊が緊張し、私たちは機動隊に取り囲まれた・・・。「動くな!」「身動きするな!」「動けば逮捕するぞぉ!」の怒号に包まれた思い出が・・・。やがてに・・・流れ解散的に散ってしまって・・「なんだよぉ・・」みたいな雰囲気で佐藤総理も人混みに消えた・・・。

 あれは・・なんだったんだろうか・・・。

 今日の誕生花だとkの・・凌霄花[のうぜんかずら,しょうりょうか] Trumpet Flower・・。
 

 花言葉は・・・「名声」 名声も・・財産も・・・何もないね・・。何も持って生まれて来なかったんだから・・・何も持ってゆけない世界に還って行くのだから・・・。所詮・・、何もなくていいんだと思う・・・。

 トレニア(夏菫[なつすみれ]) Toreniaは、そのあたりにある花だと思う・・・。花言葉は「閃き」


 で、この前に・・サンフランシスコの新聞社「スポーツJ」から取材を受けた件なんだけれど、
以下のURLで見られると思うけれど・・・、どんなんだろうかね・・・。サンフランシスコの新聞だというても、スーパーとかの広告ばかりだし・・・、一応・・、「まほろば工房」とは書いてあるものの・・・・、意味がよくわからないことだ。この月末に・・・ケント記者に会えたら光栄だがね・・。

http://sportsj-usa.com/page/731.pdf

 じゃぁ、明日の早朝から・・・さぬき広島に行って、日曜日の夕方に戻ってくるので、予約投稿はセットしません・・・。元気でいますので、心配はしにでくださいな・・。

じゃぁ、また、週末に会えるといいね。

ヒロシマの ことしも八月は 暑い夏

2010年08月06日 | 歴史

 広島市内の「平和公園」内にある「原爆の子の像」をご存じだろうか・・・。今年も暑いヒロシマにあの夏の日がやってきた。 


 佐々木 禎子(ささき さだこ、昭和18(1943)年1月7日 - 昭和30(1955)年10月25日)さんは、昭和20(1945)年8月6日、2歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。

 同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。1954年8月の検査では異常なかった。しかし、11月頃より首のまわりにシコリができはじめ、1955年1月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べたところ、白血病であることが判明、長くても1年の命と言われ入院した。

 私が小学校の二年生の時だったかに、このサダコさんのために折り鶴を折って送った記憶が残る・・・。折り鶴を折ることも大流行した・・・。 

佐々木禎子-広島2008


 佐々木 禎子(ささき さだこ、1943年1月7日 - 1955年10月25日)さんは、日本の広島市に住んでいた原爆の被爆者で、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルともなっている。また、シアトルの平和公園にも銅像がある。2004年7月25日、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に遺影が登録された。

 


 佐々木禎子が在籍していた広島市立幟町中学校に、1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。8月の下旬に折った鶴は1000羽を超える。

 その時、同じ部屋に入院していた人は「もう1000羽折るわ」と聞いている。その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。死後、禎子が折った鶴は葬儀の時に2、3羽ずつ参列者に配られ、擱に入れて欲しいと呼びかけられ、そして遺品として配られた。

 禎子が生前、折った折り鶴の数は1300羽以上(広島平和記念資料館発表)とも、1500羽以上(「Hiroshima Starship」発表)とも言われる。実際の数については遺族も数えておらず、不明である。また、三角に折られた折りかけの鶴が12羽有った。その後創られた、多くの創話により1000羽未満の話が広められ、折った数に関して多くの説が出ている。

 

 原爆の子の像(げんばくのこのぞう)は、広島県広島市の広島平和記念公園内にある、佐々木禎子(像のモデル、原爆による白血病で死去)の同級生等による募金運動により作られた像。1958年5月5日完成。 

 昭和30(1955)年11月8日に禎子の同級生に対し「禎子さんを始め原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と新聞で禎子の死を知った青年により提案され、設置のための活動を始めた。12日に全日本中学校長会場で、禎子の同級生8人によるビラ配りが行われ、全国の中学校より寄付金が寄せられた。12月に入り反響の大きさにより広島市内の小・中・高校に運動への参加を呼びかけ、「広島平和をきずく児童・生徒の会」が組織された。1956年は街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までに540万円の寄付金を集めた。募金活動には全国の3000校以上の学校が協力し、募金は海外からも寄せられた。

 私たちもこの運動に賛同し、少ないお小遣いの中からお金を集めて協力した。それが、この、「原爆の子の像」である。

 像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれている。 



  内部には鐘があり、風鈴のように、かぜがふくと中にぶら下がっている金の折り鶴がゆれ、鳴る仕掛けになっている。鐘に刻まれた文字は、湯川秀樹が揮毫した。 また原爆を体験した子ども達の証言『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(文庫版で全2分冊)は、広島大学の教育学の教授、長田新により編纂され、1951年に岩波書店から刊行された。 



 やがてには映画も作られて、みんなで大声をあげて泣きながら・・・映画を見たのも胸に残る・・・。

 

 社会人になってから・・・42年間に18回、ヒロシマの暑い夏を迎え、原爆の子の像に足を運び、「サダコ」のことを思い出してきた・・。

 そんな暑い・・ヒロシマのことを・・・書き残しておきたいと思った夏である・・。

じゃぁ、また。

まだ見えぬ 俳句のテーマが 蝉の声

2010年08月05日 | 自然
 すっかりと夏らしくなった。「夏はいいなぁ・・」と言いつつ・・・、内心は暑くてどうしようもなくて、朝の七時過ぎからエアコンを動かせた・・・。「ゲゲゲ・・・」が苦労したような頃は、暑くても我慢できたような時代だったし、我慢しなければどうにもならなかったような時代だったように思う・・・。

 

 さて・・・、いよいよ・・・今月末のサンフランシスコ行きの書類が届いた。日程表とか・・請求書とか・・・。孫二人を・・「助さん」「格さん」として連れてゆく私は・・「水戸のご老公」みたいだ・・。その請求書だから・・・「@げげげ・・・」。なんとかサーチャージとか、空港使用税料とかで・・千両箱が欲しいと思った・・。

 

 だから・・奥方のけいこばぁが・・「靴を買う・・」と言い出して・・。「スニーカーでいいじゃん・・」ていうと、「慰霊祭にズックなんて失礼でしょ!」そりゃ、そうか。

 

 私は・・・白足袋に雪駄でもいいのだけれど、それも・・・荷物になるんかなぁ・・。

 で、今日はけいこばぁのおごりで・・・お安い・・セルフの店、「すぎもと」に行った。さぬき市大川町にある小さなお店だ。

 

 私は「ひやかけ」が欲しいがここにはない。だから・・「冷やしうどん」を注文したが・・「なんじゃこりゃ・・」「ざるうどん」がどんぶりに入ってるみたいなもの。冷やしうどんてば、キュウリを切ったものとか、きんしたまごだとか、みかんとがか乗ってるイメージなんやけれど・・。

 

 冷やしうどん小で280円。いなり寿司一個が90円で・・280+180=460円。お安くはないねぇ・・・。



 さてだ・・・。今日は「タクシーの日」なんだそうだ・・。東京乗用旅客自動車協会(東旅協)が1984(昭和59)年に制定し、翌1985(昭和60)年から実施しているそうで、現在は、全国乗用自動車連合会(全乗連)が全国統一キャンペーンとして実施しているそうだ。

 1912(大正元)年のこの日、東京・数寄屋橋のタクシー自動車株式会社が日本で初めてのタクシーの営業を開始したのを記念したものだとか・・・。

 

 それから、こんな記念日もある。「ハコの日」というから「山崎ハコ」の記念日かと思ったら・・・東京紙器工業組合が1991(平成3)年に制定し、全国の紙器段ボール箱工業組合が実施したものらしい・・・。「は(8)こ(5)」(箱)の語呂合せだって言うじゃん・・・。それは・・・「はご」瀬戸内海の島で使う「はご」は・・「おばかさん」・・。

 

 「はしご車の日」っていうのは、国内の90%のはしご車の製造を行う株式会社モリタが制定したもので、「は(8)しご(5)」の語呂合せらしいが・・・消防自動車のハシゴ車のことらしい・・・。



 私が若い頃には・・・電話工事用のハシゴ車とか電気工事用のはしご車とかがあったけれど、今は・・高所作業用バケット車になってしまったらしい・・。検索では見つからない・・・。時代だね・・・。

 「ハンコの日」というのは、山梨県甲府市の印判総合商社・モテギ株式会社が制定したもので、「は(8)んこ(5)」の語呂合せかららしい・・・。

 この日とは別に、10月1日が、全日本印章業組合連合会が制定した「印章の日・ハンコの日」となっている。

 

 忌日としては・・・あの・・マリリン・モンロー・・・。1962年マリリン・モンロー (米:女優) <36歳> 「Marilyn Monroe」 この日に自宅で死亡しているところを発見されたらしい・・・[1926年6月1日生]



1 俳人の・・「中村草田男[なかむら・くさたお]」は <82歳>で亡くなったらしい・・。
[1901年7月24日生]

 

 学校の教科書なんかで見かけたような気がするが・・・最近では・・先人の句は見かけない・・・。俳句もまた・・・時代の寵児なんかね。でも、一茶や芭蕉は・・・避けて通れないし、正岡子規は最近では大手(?)だし・・。

 1984年の、「リチャード・バートン (英:俳優)」は <58歳>で亡くなったらしい・・。Richard Burton
[1925年11月10日生]

 

 「本田宗一郎[ほんだ・そういちろう] 」さんは、(経営者,本田技研工業創業) <84歳>
[1906年11月17日生]

 

 若いころには・・・英雄って言うか、あこがれの人だったけれども・・。


 
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

ヒグラシが 鳴いて散歩が 早くなり

2010年08月04日 | 自然
 今日も気温は32度を超えていたが、そんなに汗が流れ出るという蒸し暑さではなかった。ま、夏だから・・こんなものかなあとは思う・・・。

 今日も相変わらず・・・ホームセンター巡りだ・・・。島の家の目覚まし時計が古くなって動かなくなったので、安い目覚まし時計とか・・、咸臨丸の船体のヒントとか・・・。草刈り機の部品とか・・・。

 で、今日のお昼は・・東かがわ市湊の「元匠白鳥店」に寄ってみた。

 

 ここはセルフのお店で、早い・安い・旨い・・・と思えるお店・・。で、最近、流行の「冷やかけうどん小」を注文した。250円。それにいなり寿司90円を二個セットで、合計430円。今朝も・・朝食なしだったもので。

 

 おなかがすいていたせいか・・・この冷やかけうどんがおいしくてね・・。もういっぱい、おかわりが欲しいなぁと思ったほど・・。

 

 ここも・・、最初は・・「へんなおうどんを出す変なお店・・・」と思っていたんだけれど、最近は妙にここが気に入っている。麺も、お出汁も・・・店員さんのサービスもいいと思う・・・。

 さて、8月4日(水曜日)は・・・「箸の日」なんだそうだ・・。これまた・・おやじギャグみたいな・・・「は(8)し(4)」(箸)の語呂合せ。



「お箸を正しく使おう」という民俗学者の提唱で、わりばし組合が1975(昭和50)年に制定さrたもので、東京・千代田区の日枝神社では、神前に長さ1メートルもの大きな箸を供え、古い箸を焼いて供養する箸供養祭が行われる。そのほか、各地の神社でも似たような供養祭が・・・。

 

 似たような記念日に、「橋の日」というものもある。宮崎県の湯浅利彦さんの提唱により「橋の日実行委員会」が1986(昭和61)年に制定したもの。これまた、「は(8)し(4)」(橋)の語呂合せ。

 

 それから・・・「吊り橋の日」というのもある。日本最長の鉄線の吊り橋「谷瀬の吊り橋」など、村内に約60か所の吊り橋のある奈良県十津川村が制定。谷瀬の吊橋は、地元の人たちの生活路である。

 

 しかし休日ともなると観光の名勝にもなっている。場所は奈良県の吉野地方、十津川村にある。このつり橋は、揺れるし高さもあり長い。なので、渡るのが怖いので有名である。それなのに地元の人はちゃりでも渡るらしい。最近は九重に日本一のつり橋が出来たが、関西では一番だと思う。

 「ビヤホールの日」というのは、ビアホールチェーンの銀座ライオンが制定したもの。



 1899(明治32)年のこの日、東京・銀座の新橋際に、現存する中では日本で最も古いビアホール「ヱビスビヤホール」(銀座ライオンの前身)が開店した。

 「ゆかたの日」というのは、兵庫県城崎町の城崎温泉観光協会が制定したもの。「城崎ふるさと祭り」の開催日から行われるようになった。



 ま、いろんな記念日、いろんな人の誕生日、忌日でもあるのだが、そのほんの一部から・・・。1897年後藤象二郎[ごとう・しょうじろう] (政治家,大政奉還の建白書提出,自由民権運動家,農商務相(10代),逓信相(2代)) <59歳>
[1838年3月19日生]

 

 1988年土光敏夫[どこう・としお] (経営者,石川島播磨重工会長,東京芝浦電気会長,経団連会長(4代)) <91歳>
[1896年9月15日生]

 1992年松本清張[まつもと・せいちょう] (小説家『或る「小倉日記」傳』『点と線』) <82歳>1952年下期芥川賞
[1909年12月21日生]



 1996年渥美清[あつみ・きよし] (俳優『男はつらいよ』) <68歳>1996年国民栄誉賞(第12号)
[1928年3月10日生]



じゃl、また、明日、会えるといいね。

追加>8月3日の日記

2010年08月04日 | 自然
 毎日、この暑さの中で働いている多くの方々・・・、お疲れ様です。私は・・・「制服」というか「作業服」を脱いでしまったから、その日、その日を気ままに過ごしていて、申し訳ないなぁと思っております・・・。サラリーマンやオフィスレディーさんたちは、そのスーツやら制服やらで頑張っていられるんだろうと思う・・。つまりは・・「気力のスーツ」だなぁと思ったりする。

 

  で、昨日は・・・県立図書館で借りた咸臨丸関係の本を島の家に忘れてきた・・。その返却日になったもので、大慌てで・・・島に行って本を探して戻ってきた・・・。

 

 それだから・・、「あれ?島へ通いよるん?」と、あちらこちらで言われた・・・。七月末には草刈りに行って戻って、一日おいて、土曜・日曜とお客さんが来て、それから戻って・・すぐに・・またも島に行って、その日のうちに戻って来るものだから・・・。

 

 だから・・・島の家で・・・冷凍うどんをゆがいて・・・かまたまうどん・・・。特製まほろば釜玉うどん・・・。夏は・・・・こういうものがおいしいね・・。

 で、帰りに・・・県立図書館に寄って、借りていた本を二冊、返却してきた・・。

 

 図書館は夏休みだから・・・こどもの数が多くて・・・落ち着かない。それだし、まもなくお盆だし・・ということで、何も借らずに戻ってきた。おそらく・・・本を借りても読む時間はないのだろうしね・・・。

 

  今年は「咸臨丸渡米150周年」という年だから、今年のさぬき広島の文化祭「ふれ愛まつり」に出展する咸臨丸の模型を作っている。別に使命でも命令でもなんでもない。ただ、作ってみようと思っているだけだ。できなければできないでいいし、完成できなければできないでもいいものだ。

 

 こういう・帆船を作りたいわけだけれど、甲板(こうはん)から上は試作版でも問題はさほどないが、船体部分が問題だ・・・。この船体の膨らみ具合やらカーブが難しい・・・。そういうことで、図書館で参考になるような書物を探してみたかったのだけれど・・・そういう雰囲気ではなかった・・。

 

 本来ならば、キ-ルという竜骨・・肋骨みたいなものを並べていって、その上にバルサ材を細くテープ状に割ったものを水平に貼り付ければ、こういうカーブができるのだが、この小ささでは、それも難しそう・・・・。じゃぁ、どうするのか・・・。そのあたりの発想の転換が難しい・・・。

 

 前半分くらいはやわらかい・・・バルサ材なんかで整形できそうだけれど、後部甲板まわりは丸くできても、舵部分あたりの絞り込みが問題やね・・・。ここいらを、いかにごまかすかやね・・。

 そんなこんなで・・・暮れてしまった昨日でありました・・・。

じゃぁ、また。
 

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