まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

本箱に 整然とある 夜寒かな

2011年12月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日は・・・孫のはやてちゃんがサンポートでお勉強するので、送迎をやって欲しいという予約が入っていたので、ごんの散歩を早めにやって、8時前に家を出た。さすがに朝は冷たい・・・。

 

 娘の家で少し休憩して・・・この、サンポート・シンボルタワーに着いたのが9時半過ぎ。講座は10時からだとか・・。粘土を使って、ショート・ムービーを作るとか・・。Eテレなんぞでよくやってるもの。

 

 こういう所に来るのははじめてだ・・・。こんなことでもないとね・・・。

 で、講座が終わるのが・・11時半過ぎだというので、1時間半ほどをどうやって過ごすかと考えたが、街の中はいやだから・・・山の中に行こうと・・・またもや五色台に向かった。

 

 五色台の途中で見下ろした生島(いくしま)の香川県営野球場・・・。冬の海の青さがいいねぇ~。でも、さすがに五色台(ごしきだい)の紅葉はおしまい・・・。枯れ枝ばかりが目立つ森になっている。

 

 これは・・・昨日に奉納されたばかりの大わらじ・・・。この麓の「檀紙(だんし)わらじ会」というメンバーが作って奉納したもの・・。これが・・仁王門の左右に安置されている・・・。昔は・・・このようなわらじを履いてお遍路をしたものだろうね。

 

 これが・・・根香寺(ねごろじ)の山門横に設置されている「牛鬼像」。まさか、こんな姿ではなかったのだろうが、このお寺にはこの鬼の角が寺宝として残されているし、これを討ち取ったという「山田蔵人高清」のお墓も塩江町に残されている・・・。

 

 わずかに残る初冬の紅葉・・・。この黄色も間もなく・・・北風によってお掃除されてしまうのだろうね。ほのかに残る・・・秋の思い出みたいな・・・。

  

 一方、こちらは同じく四国霊場の一つ、白峯寺前に残っていたもみじ・・・。これも最後の姿だろうね・・・。さすがにこの時期になると、お遍路さんの姿も、カメラマンの姿はない・・・。お寺はこれから・・・迎春準備に入るのだろうね。

 

 待ち時間のために入ったスーパー・・・。すっかりとこちらも迎春準備。クリスマスセールと並行してだから・・・忙しいね。

 

 サンタさんも忙しくなるぞ。それはそうと・・・「うちのこどもの話だけれど、保育園にサンタさんが来たんだけど、サンタさん・・スリッパ履いてた・・・」と話すお母さんの会話に、そのあたりが爆笑になった・・・。このサンタさんは・・・黒い長靴をはいている。

 

 11時半過ぎに・・・元の・・eトピア・かがわに戻ってみると、ちょうど、講座の終わるころだった。粘土で造形をしながら、その一コマ一コマをカメラに撮って、それを連続再生すると・・アニメーションになる・・・っていう講座だった。なぎちゃんもそれなりにうまくできた様子。

 12時前には・・・おうちまで送り届けて・・・。その近くのうどん屋さんに滑り込んだ。

 

 高松市屋島西町にある「うどん馬鹿一代・かしむら」という、「超プチ・セルフ」のお店で、カウンターで注文して・・・席について待つ。おうどんができたら呼ばれて・・・うどんを受け取って食べて・・・最後に容器を返却して代金を支払う・・・。なんか・・・変だなぁ・・・と思うようなお店。

 

 で、いつものしっぽくうどん。ダイコン・ニンジン・揚げ・豆腐・里芋・鶏肉の入ったおうどん。麺が太くて重い・・。まるでお餅を細くしたようなもちもち感のある麺で、「小」で、350gというしっかり麺はおなかにずしんとこたえた・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


南天の うれしいことは 小声にて

2011年12月16日 | 自然ありのままに

 今日はまた冷たい風の吹く冷たい一日になったけれど、それでも気温は・・・6度とか7度とか・・。明日の朝には・・・3度とか2度とかの予想らしくて、さすがに師走かなぁ・・と思うのだが、この部屋から外を見る限り・・・晩秋という紅葉の山々・・・。

 

 さて・・・昨日から年賀状の受け付けが始まったらしいので、重い腰を上げて・・・年賀状の準備でもと、とりあえずは・・・リストの整理から・・・。

 

 住所録データから・・・一覧表をプリントアウトして、今年、去年あたりにいただいた年賀状をチェックして、喪中はがきを頂いた方、亡くなった方・・・なんぞをチェックして・・・。

 母が25枚、けいこばぁが30枚、私が・・・ぐんと減って・・・35枚。合計・・・90枚。予備で10枚。そんなものだろう・・・。まぁ、20日までには仕上がる予定。あくまで・・・予定・・・。

 

 午前中は・・・そういう年賀状データのチェックやら、HPの更新なんぞをやって・・・。定刻の10時になったのでお出かけ・・・。今日もけいこばぁは・・・「日勤」。定刻の勤務らしい・・・。

 

 で、香川県のしっぽくうどんを出すお店調査というものがあって、香川県東部のリストを見て、ここはまだだな・・・と思うお店をピックアップして・・・、データ漏れになっているお店に行ってみた。ご存じ・・・「権平(ごんぺい)うどん」だ。

 

 この「やってます」という看板で有名・・。その上の「羽釜:はがま」もちょっと有名。「はがま・かんぺい」はよそのコマーシャル・・・。

 

 これだ・・・。麺が見えないほどに盛り上がった野菜・・・。ダイコン・ニンジン・油揚げに鶏肉・・・。それに大盛りのネギ・・・。どこから食べようかと考えてしまうおうどんだ・・・。

 ここは・・・麺が多い・・。セルフのお店の・・1.5倍くらいの量だと思う・・。その上に煮込んだ野菜が乗っている・・。さらにおネギも乗っている・・・。これで・・・480円。

 

 このお店の名前は・・・その昔、「森権平」という若武者が戦で討たれたらしい。その若武者をお祭りした・・・「権平庵:ごんぺいあん」というのが近くにあるので、それにあやかったものらしい・・・。

 

 その後・・・さっちゃんに着替えを持って、病院に寄り、その帰りに通ったお寺にあった掲示板。

 

 ふむ・・・・。私は・・・仕事に懸命でなかったから・・・人の器はできていないなぁ。趣味も中途半端だから・・・風格も中途半端かも知れない・・・・。風格をつくるほどの趣味が持てればいいのだけれど・・・。書もだめ、画もダメ、詩も歌もだめだしなぁ・・・。

 

 そうそう・・丸亀の「ようかん」さんが教えてくれた「乾燥室」の記事。やはり・・・島嶼部には残っているんだね。昭和という時代を支えてきた産業の一つの葉タバコ産業。今は・・・「遺産」になるんか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


振り返る 日々あれも良し つるもどき

2011年12月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 朝方は暖かくて晴れていて・・・お布団でも干そうかと考えたほどの上天気だったが、午後からは雲も出て、風も出て・・・冬らしい天候になってしまった。これが・・週末あたりまで続くらしい・・・。

 

 今年も残り・・・半月・・。永いと思った一年もあっという間に過ぎてしまった。今日にはこれこれをやって、これこれも片付けておきたいと思ったけれど、夕方になってしまえば・・・思ったことの一割もできずに終わる・・・。

 「人生一生 酒一升 あるかと思えば もう空(から)か・・・」いい言葉だなぁ・・・。

 さて・・・今日は年金支給日・・。銀行や郵便局には長蛇の列だった・・・。私はまだ・・・63才だから・・すずめの涙くらいしか年金はもらえないが・・・、それでも病院の薬代くらいにはなる・・・。

 

 で、二週間ごとの調薬診察に出かけた・・・。プラザキサという新薬のために・・・二週間分しかお薬を調剤してくれない・・・。だから・・・二週間ごとに病院に行くのは面倒だけど仕方がない。

 

 ま、お薬だけだから・・・どんだけ患者さんが待っていようと・・・5分もあれば・・・処方箋は出してくれる。だから・・・病院で読む積もりで持っていた文庫本は開く前に終わった・・・。

 

 これが・・・昨日届いた本で、その中身は・・・HPに掲載したので、興味のある方はご覧下さいな・・・。

http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/reki08.html

 

 でも、今日は混雑してるなぁと思ったけれど、こんなもの・・・。母のさっちゃんのいる「市民病院なんぞ・・人人人・・・なのに・・・。ま、建物が広いせいもあるのだろうけれど・・・、ここは。

 だから・・・10時前に病院を出たが・・・こんな時間にはおうどん屋さんは開いていない・・・。そこで・・・処方箋をFAX送信した薬局に寄りぃぃの、郵便局で年賀はがきを買いぃぃの・・・。

 

 今年は喪中欠礼状が多かったこともあるし、東北大震災の影響もあるし・・・ということで、いつもの半分の100枚にしたが、それでも多かったかしらん・・・。

 

 一応・・・案はできてはいるのだけれど、「新年おめでとう」はやめて・・・「お元気でしょうか」に変更した・・。で、年賀状ソフトの一覧表を打ち出して・・・チェックするつもりだが・・・明日になるかな・・。

 

 で・・・、あそこはまだ。ここはお休み・・・ということで、今日のお昼はこのお店になった。うどん県木田郡三木町鹿伏(ししぶせ)にある「讃岐うどん寒川」はセルフのお店。こののれんをくぐって入った奥が受け付け・・・。そこでうどんを注文する。

 

 ここのしっぽくうどんは・・・オーソドックスなもの・・。というても、どういうものが・・「オーソドックス」なのかはわからんのだけれど・・・。お肉は・・・鶏肉ではなくて豚肉のような記憶が残る・・・。これで・・・320円だった・・。ここは・・・香川県東部でも有名店で、麺は温めても冷やしてもおいしい・・・。お出汁もまた・・・おいしいと思った・・・。

 

 で、今夜の食材とか缶ビール(もどき)を買ったりして・・・午前中はおしまい・・・。

 午後からは・・・HP用のデーター投入とか資料整理とかの細々としたことで・・・あっという間に日が暮れる。秋の日は・・・釣瓶落とし・・・(というても若い人にはわからんのだろうけれど・・)。冬の日もまた・・釣瓶落としですぐに暗くなる・・・。

 

 これ・・・。この時期に何なのぉ~・・・というように梅の花。そして・・・・。

 

 菜の花に・・・桜が満開・・・。大丈夫かな、この地球・・・。

 

 ま、暖かいって事はいいことやがねぇ・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


どっぷりと その日その日の 寒椿

2011年12月14日 | たまには真剣な研究なども

 今日は穏やかな初冬の「小春日和」のような天候・・。お布団は昨日、干したし、掃除も昨日にやったし・・。

 

 で・・、ここのブログの読者の士官レキファンさんのコメントを読んでいて・・・。

 「やっぱり・・ブログもいいが、HPに載せないと・・・」ということで、午前中は・・・悪戦苦闘・・。

 

 若い頃にみたいに・・・画面設計とか・・ページレイアウトとか考えずに、とにかく・・「暫定版」を作ってみた・・・。だから、今は・・・画面表示がおかしいし、レイアウトの統制もとれていない・・。とにかく・・・やっつけ仕事の「暫定版:ベーター・バージョン」を立ち上げた。

http://www3.ocn.ne.jp/~h-kimm/

 画面右側の中程に・・・「英国士官レキの墓研究会」というバナーを置いた。ここから・・総合サブメニューに飛んで、今度は・・・左側中程に・・・ずらりと・・・「NEW」というバナーが点滅しているのですぐにわかるはず。興味のある方はどうぞ・・・。

 

 で、今日のお昼は・・・ここになった。さぬき市長尾西にある「いこい食堂」・・・。

 

 昭和の35年創業と言うから・・・私が中学生の頃からやってる食堂・・・。昔は・・・長尾町の商店街の中にあった・・・。その頃は・・・あ、今でもだが・・・「どじょううどん」で有名なお店。

 

 このメニューの・・どじょううどんは定番。その左の「うちこみうどん」にもどじょうが入る・・・。どじょうころあげ、どじょうからあげ・・・と、どじょうメニューが並んでいる。

 

 で、肝心のおうどんは・・・私のマイブームの・・・「しっぽくうどん小」。これでも、しっぽくうどん。豆腐入り、ネギが変わっている・・。ダイコン・ニンジン、油揚げは定番だけれど・・、なんというか・・・鍋風・・・みたいに思うおうどんだった・・・。これまた・・・一風、変わった・・・しっぽくうどんであった・・・。

 

 お店の前に咲いていた花・・・。これが今年の流行というか・・ブームになった・・・「なでしこ」だと思うけれど、それでいいのかな・・・。

 午後からは・・・けいこばぁのご用で、病院のさっちゃんの様子を見に行ったり、銀行とか農協さんとかで、預金を出したり、入れたりして・・・。ようやくに、この家のローンを精算した・・。けいこばぁも今月末で退職するもので・・・全てのローンは片付けておかねば・・みたいなことで。

 

 これは・・・我が家周辺で居座ってるボス猿だ・・。もう、我が家に来ても・・・何もないぞ・・・。

 その後も・・・作業を続けて・・・ホームページは一応の暫定版で動くようになった。

 

 明日は・・・県立病院に行かなければならんし、年金の振り込み日だし・・・。わくわく・・。

 

 今日は・・・12月14日・・・。義士祭らしいが、それよりも・・・年賀状がまだだ・・・。明日にでも年賀状だけでも用意しておこうかと考えている。「しわく丸」は就航するんだろうか・・。「咸臨丸塩飽本島寄港150周年」のイベントはあるのだろうか・・。それによって、年賀状の中身が変わってしまう・・・。それだし・・さっちゃんの容態もねぇ・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


歴史書の 重さしみじみ 十二月

2011年12月13日 | たまには真剣な研究なども

 今日は少し冬もゆるんで、堪えられない冷たさでもなく肌寒さでもなく・・・過ごしやすい一日になった・・・。

 

 で、いつまでもしつこく・・・「英国士官レキ墓問題」だ・・。先日に・・・読者の方、「士官レキファン」さんからのご指導があって、明治元年に、十九才の士官候補生が亡くなって広島に埋葬された・・・という情報があった・・。「これは・・・いいぞ!」と思った。レキのお墓には・・「明治元年11月7日」と刻まれている。普通は、亡くなった年月日を刻むからだ・・・。

 

 ところがだ・・・。資料を整理してみると・・・。

 

 これが・・・いわゆる・・シルビア号のジョン艦長からの感謝状だが、最後の所に、「 in 1866」と書いてある。つまりは・・「1866年(慶応二年)、この地に葬られた英国海軍将校の墓を・・・云々・・」と書いてある。明治元年は・・・1868年である・・。

 ということで、久々に町に出た・・・。

 

 アキニレの並木が続く・・香川県立図書館・・・。ここにやってきた。

 

 ここで・・・塩飽に関する本を調べようとやってきたのだが・・・案外と・・郷土資料というのは少ないし、江戸時代以前からも・・・塩飽の島々は「天領」ということで、丸亀藩にも属さず、高松藩にも属さなかったので、記録的なものはほとんどない・・・。

 

 こういうコーナーには誰も居ない・・・。仕方がないので、適当に五冊ほどの本を借りてきたが、英国士官に関する記述などどこにもない・・・。

 

  で、今日のお昼はここになった・・・。高松市新田町にある「久米池うどん」という一般店だった・・・。ここも何度も来たことのあるお店だ。

 

 で、注文したのが・・・毎度おなじみの「しっぽくうどん小」で。470円。ダイコン・ニンジン・里芋などの野菜は舌先でとろけてしまうくらいに煮込んである・・。油揚げとか鶏肉はそれなりでしっかりとしている。お出汁がたっぷりと入っていて・・・野菜煮込み汁みたいなおうどんだった。

 

 昭和からやっているような雰囲気のお店だが・・・平成になってからの営業らしい・・・。でも、なんとなく風格のある食堂風のお店のような気がした・・・。

 午後からは・・・というても、12時前からだが・・・お布団を干しぃの・・・おこたを片付けぇ~のして大掃除・・。今日は・・・事始めなんだそうだ・・・。取り立てて・・お正月の準備ってことではないが、誰もいない今日あたりに・・二階部分を大掃除しておこうと思って・・・。

 

 掃除が終われば・・・ここにまた・・おこたを置いて、パソコンを乗せて・・・お布団は寝室に片付けて・・・普通の部屋に戻ってしまう・・・。

 

 これが・・・今日、借りてきた本。これで二週間はお勉強できる・・・。これらを元にして・・・。

 

 データーを投入していく・・・。しかしのかかし・・・、だんだんと、情報量が多くなってくると・・・話がややこしくなってきて、英国士官レキの姿がかすんでしまう・・・。まるで・・・迷路・魔宮に踏み込んだ旅人みたくなってきたぞ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


行く年に 騒ぐことなく 寒椿 

2011年12月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

  今日はまぁ・・穏やかな冬の日になった。空気は冷たくて肌を刺すようだけれど、気温は10度を超えていた・・・。

 

  この時期からお正月ごろになると、このあたりでは・・・「ぶくがかかっとるけん・・」という言葉が多く聞かれるようになる。昨日も神社からの「おふだ」を持って行ったら・・「うちはぶくがかかっとるけん、そんなものにはさわれん・・・」とかと断られた・・・。

 で、グーグルで調べたら・・そんな言葉は出てこない。ということは、このあたりでの「方言」なのか・・・。あるいは・・・「専門用語」か「特殊な言葉」なのだろうか・・・。

 

 私らは・・・浄土真宗だから迷信や祈祷や忌み事はしないものだから、深く考えたこともなかったのだけれど、昨日、神社でいただいてきた「神社報」を見ると・・・。

 

 1 忌(き)は死穢(しえ)に触れることを忌み慎む期間。この間(50日程度)は神祭りや神社参拝は遠慮しなければならないとされている。

 2 服(ぶく)は謹慎の意を表す期間で、神祭りや神社参拝は差し支えないとされている。

 と、あるではないか・・。それならば、「ぶくがかかって」も、お札や神社参拝は差し支えないではないか・・・。

 

 さらに調べてみた・・・。

 「服(ぶく)」とは、忌の期間が終わった後も引き続き故人への哀悼の気持ちを表す期間のことであるが、哀悼の気持ちを表すとはいっても、ただ悲しみに暮れるだけではなく、「服」とは死別の悲しみの中にあってもその気持ちを乗り越えて、除々に日常の生活に立ち返るように努める期間でもある。

 だから、服の期間中は、神社に参拝したり神棚のおまつりをすることは構わないし、地域の祭礼行事への参加も差し支えないが、いつもよりは慎んだ生活を心掛け、正月も、神社に初詣の参拝に行ったり、神社から新しい神札を受けてくるのは構わないが、賑やかな飾り物や松飾りなどは遠慮するように。

 服の期間は、一般的には、一親等の場合は1年、二親等の場合は100日、三親等の場合は50日といわれており、それ以外については特に定めはない。喪家では、その年は年賀状を含む年賀の挨拶なども遠慮する。

 

 これとは別に「忌(き)」があるが、これはまた機会があれば・・・。

 確かに・・・島では・・お正月には「ぶくがかかっとるけん・・」と、神社境内にも入らない人がいたし、そういうこともあってか、今年のお正月の神事が取りやめになった。来年のお正月の案内もないことだから、「百々手(ももて)神事」という弓を射る儀式も行われないらしい・・・。

 

 信じるということも大切だけれど、その本当の意味を知ってこそ、信じる意味があるように思う・・・。やみくもに周りがそういうからそうする・・・というのはなんだかなぁと思ったりする昨今。

 

 さっちゃんのお見舞いに行ったら・・・、今日は先生の回診がないというので、来なくても言われた・・・。元気そうに昼食を食べていたので、安心して・・・私もおうどんを探して走った・・。細かなことは・・・けいこばぁが介護士としてついているので安心だ・・・。

 

 で、この・・・「こがね製麺所・空港通り店」に寄ったが、その・・・製麺所チェーン店でもここだけではないのかと思うようなメニューがこれ。白味噌仕立てのしっぽくうどん・・・。志度店にはなかったし、善通寺本店のメニューにもなかった筈。これで・・・390円だった。不思議な味やったなぁ~。

 

 普通・・・さぬきうどんを食べる場合に、チェーン店というのは度外視するもの。でも、この・・こがね製麺所は・・・それぞれに別のお店っていう感じで・・名前はにているが、メニューも麺もお出汁も似て非なるもの・・・。それでも・・チェーン店っていうんかいね。

 

 午後からは・・・先日に・・「士官レキのファン」さんから頂いた長文のコメントを読み解いていた・・・。その方は・・・ウェブ上で調べた事柄を英文込みで教えてくださったが、あいにくと、私は・・その英文が読めない・・。ただ、添えられていた和文から・・おおよその内容は理解できたし、紹介してくださった・・・「お雇い外国人の見た近代日本」という本もアマゾンで注文した。

 

 それらのことを年表で整理してみて・・・おおよその意味は理解できた。塩飽広島に残された・・・「英国士官レキの墓」・・。少しずつ・・・その姿が見えてきたように思う・・・。その姿と、今まで言い伝えられてきた伝承とを、いかにうまくマッチングさせるかが・・・大問題だな・・・。

 

 今年の漢字「一文字」が、漢字の日の今日に発表されたらしい・・。たぶん・・・「絆」だろうと思う・・・。今年はこれしかあるまいね・・・。違っていたらごめんなさいだな。

 とある場所で、私の今年の一文字を調べるソフトがあった。おもしろ半分でやってみたら・・・。

 「罠」・・・・だった。

 今年は・・・自分で突っ走っていると思っていたのだが・・・「FaceBook」という罠に捕まってしまったのかも知れない・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


寒椿 ねぼけまなこの 今日である

2011年12月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 まずは・・・昨夜の皆既月食のことから・・・。

 ホントは・・九時になったら寝るつもりだった・・・。ところが・・・・なんとかというドラマを見ている間に引き込まれてしまって・・・10時過ぎになって・・・。こうなったら・・・つきあってみるべぇか・・・と。母のさっちゃんはいないし、けいこばぁも夜勤でお泊まりだし・・・。

 

 あいにくと・・雲が流れてきて・・・お月さんも見えたり・・見なくなったり・・・。

 

 これが・・月に写った・・・地球の影らしい・・・。左から右にどんどんと進んでいく・・・。ま、じっとして、カメラを構えている訳じゃなくて・・・寒いもんだで・・写しては引っ込み、写しては引っ込み・・。その間にブログをチェックしぃ・・の。FB(FaceBook)に書き込んだりしながら・・・。

 

 これは・・・23時前あたりだったか・・。この頃になると・・雲も出てきたし、雨もぱらついてきて・・・。それだし・・空気が冷たくて・・・足先がじんじんとしてくる・・。

 

 これが・・・皆既月食・・・。23時15分くらいだっただろうか・・・。寒いっていうんじゃなくて・・・指先が冷たいっていう感じ・・・。両手の指先の感覚もなくなってしまうほど・・・。

 カメラの電池(単3*4)が切れて・・・撮影不能に・・・。仕方なく・・その頃になって撤退。お休みモードに入った・・・。足が冷たくて・・・。

 

 で、朝は定時の6時半に起きるのだから不思議なもんだ・・・。ぽちの散歩、雨戸を開けたり、洗濯物を干したりして・・・9時半には我が家を出た・・・。今日は・・・神社の寄り合いがあって・・・。その前に・・・朝昼兼用のおうどんを食べねば・・・と。

 

 さぬき市長尾東の「笠堂や」に寄ってみた。ここは・・・朝の6時半から16時までやってるという奇特なお店・・・。讃岐うどんのセルフ店の中では珍しい存在・・・。ありがたいねぇ・・・。

 

 で、いつも・・しっぽくうどん小。これで350円だった。最近は・・・いなり寿司も、おでんも・・天ぷらなどのサイドメニューは選ばない・・・。全くのうどん一玉のみ・・・。小食やなぁ~・・。

 

 朝の9時半過ぎだから・・・お店には若者が三人だけ・・・。彼らも・・朝昼兼用なのかも・・。モーニングうどんみたいなもんだな・・・。

 

 で、10時過ぎには・・・「郷社・富田八幡神社」に入る・・・。新年用の「おふだ」の頒布式があるのだという・・。で、各地・各自治会のお世話役なんぞが集まって・・・神事をするらしい・・。

 

 神社には神社の論理っていうものがあって、いろいろなお作法とか、意味とかをお話してくれた。昔の人たちはそれが当たり前だったんだろうけれど、私ら世代は・・・中途半端。神社でのお作法なぞ知らない人が多い・・。

 

 ま、そういうことを・・・「禰宜:ねぎ」さんが説明したり、解釈したりして、少しでも多くの「おふだ」を頒布しなければ・・・みたいなことをお話されていた。神職さんも過疎化・高齢化・少子化という問題の前ではじっとしてはいけないんだろうなぁと思ったことだった。

 注*神社の長は「宮司」。その下に「権宮司:ごんぐうじ」、「禰宜:ねぎ」、「権禰宜:ごんねぎ」という位があるらしい・・・。

 

 午後からは・・・いただいてきたおふだを・・・それぞれの家庭に配って歩いた。預かった物は早めに分配しておかねば・・・私自身が忘れてしまう恐れがあって・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね.


木枯らしに 挨拶のことば 奪われる

2011年12月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 いよいよ・・今年も20日を残すばかりになった。あっという間の一年であった・・・。と、言うてもあと20日でこの世が終わりになるわけでもないので大騒ぎするほどのことでもない・・・。

 

 昨日と同じような画像に見えるが、今日は雨が降っていた・・・。冷たく肌寒い朝になった。我が家の迷犬ごんは・・・雨だろうと風だろうと・・・雨具も傘もいらないで走り回る・・・。この時期でも芝生の上で寝転んで眠る。健康優良児だ・・・。

 

 今日は奥方のけいこばぁが病院に行ってくれたので、その間に朝の散歩に出た・・・。この頃には雨も上がって晴れ間がのぞくようになった・・・。それでも空気は冷たくて・・・6度とか7度とかという程度・・・。

 今年のお仕事は片付けたつもりなので・・・今月中は雑用ばかり・・・。

 

 明日の午前中は氏神さまに集まって、神棚に納める「お札:神宮大麻など」を戸数分いただいて帰って、各家庭に配って歩く・・・。強制でもないがなかば習慣的で、しかも有料・・・。

 20日にはさぬき市の広報なんぞが送られてくるので、それを各家庭へ配布して自治会費を集金する・・。それを・・・翌日にはJAさんに入金する。それで公的お仕事はおしまい。22日には県立病院での予約診察日。お薬を調薬してもらうのが主な目的。それと、今月は心電図検査と、血液検査があるらしい・・・。

 

 年賀状はまだだけれど・・けいこばぁもさっちゃんも意欲がないみたい・・。私もどうしようかなぁと・・・。とくに年賀状でご挨拶をするような人もいなくなったし・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった・・・。木田郡三木町上高岡にある・・「うどん・そば 鴻ノ池」というセルフのお店。それも・・・へんぴな場所にあるお店・・・。

 

 この・・・総合運動公園内のすぐ脇にあるお店で・・・山の中・・・、隣は田んぼ・・・というような場所にある。常連さんで持ってるみたいなお店だろうかね・・。

 

 で、一般的に・・・「しっぽくうどん」っていうと、具材が盛り上がっているようなものなんだが、ここは・・・ここは・・・・どんぶりが見えている・・・。具材も・・・ダイコンとニンジンと。油揚げと鶏肉と・・・が少しばかり・・・。

 

 これでは・・もう一軒、別なお店に行かなければ・・・と思ったが、食べている間におなかがふくれてきた・・・。どんぶりが深い・・・ってことらしい・・。これで・・350円っだった・・・。麺は少し餅っぽい粘りのある麺だったが、出汁とかはおいしくて、最後まで飲んでしまった・・・。血圧上がるかなぁ・・・。

 お昼過ぎからはまた・・雨になった・・・。だから・・・山手に行くと雪になったようで・・・。

 

 その雪の上に・・・鳥の足跡が・・・カラスだろうかねぇ・・・。ま、北海道の方からすれば・・・こんなのは雪のうちには入らないのだろうけれど、南国四国では・・・珍しい・・・雪なんだ。

 

 今日の掲示板は・・・雨のせいでくもっているが・・・文字は読めると思う・・・。ま、説明も解釈もいらないと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ぼんやりを 叩き起こして 初あられ

2011年12月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今朝も6時半に起きてもまだまだ暗かった・・・。7時半にならないと明るくならない・・・。曇っていたせいもあったのだろうし、雨も降ったみたいだし・・・。

 

 迷犬ごんの散歩が8時半から、お掃除が9時から・・・。病院へは10時過ぎに着いたが・・駐車場がいっぱい・・・。空きスペースを探すのに一苦労・・・。ようやく車を止めて、頼まれていたミカンやバナナなんぞを提げて病室に行くと。もう、10時半・・・・。

 

 最近の時計は早く回るように思う・・・。「まだ、何もしてくれん・・・」というのも無理もない。受付にも廊下にも階段にまで患者さんが順番を待っている・・・。すごい病院やねぇ・・。これでは・・一日がかりやねぇ・・。外来が終わらないと入院患者は診てもらえないんだろうね・・・。

 

 で、病院を出たら・・・11時過ぎ。そこで・・近くの「讃岐うどん・みさと」に寄ってみた・・。ここは青果市場の敷地内にあって、仲買人さんらがお食事をするお店みたい・・。だから、朝早くからやってるみたい。市場の終わったお昼前は・・お店も休憩時間みたい・・・。

 

 さぬき市長尾西の東部流通センター内にあるお店で、たまにここに来るが・・・そういう時間差に来るもので、しばらく待たされることがしばしば・・・。

 

 ここでも・・・「しっぽくうどん小」を注文したが、10分ほどは待たされた。これで・・400円だった。具材は・・・ダイコン・里芋・ニンジン・油揚げに豚肉・・・。麺は少し柔らかいけれど・・・小麦臭ささはない・・・。汗がにじむくらい温まったところでお店を出たら・・・そこは冬の寒空・・・。空気が突き刺すように冷たい・・・。

 

 今日も・・・五冊ほどの著作を各地に送ったら・・・もう、15時。最近の時計はおかしいのじゃないのかと思うけれど、それが・・・腕時計だけじゃなくて、携帯もPCも壁掛け時計もテレビの時計も同じように進むのだから・・・私のところだけじゃないのだ・・・。

 

 夕方のごんの散歩を済ませたら・・・もう、洗濯物の片付けからお風呂の準備と忙しい・・。さっちゃんがいない分、私が動かなければならないのは仕方のないこと・・・。まるで・・「主夫」だねぇ~・・・。

 

 ま、今日も生かされているのだからおかげさま・・・。雨が降ってもおかげさま。北風が吹き荒れてもおかげさま・・・。

 

 そんなんで、今日も郵便物も来ないし、メールも届かないし、携帯電話も、固定電話も全く鳴らなかった・・・・。おかげさまやねぇ・・・とは言うものの、何か忘れているような気分・・・。

 

 夕方には・・・珍しく・・・あられが降った・・・。そろそろ・・・南国四国でも雪になるのじゃろうかね・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


冬うらら 病院の窓 曇り空

2011年12月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日も冬めいた朝で、小雨も降っているようなぐずついた朝だったが、我が家の庭を・・・親子ザルが走り回って騒いでいるが・・・迷犬ごんは犬小屋の中で知らんぷり・・・・。

 

 おさるさんもこれからの時期に備えてエサも確保せんならんわなぁ~。だから・・そのあたりにはおさるのフンがいっぱい・・・。

 

 そんな朝に・・・けいこばぁが呼ぶ声・・・。「早く早く・・・・」

 昨日まで元気で歩いていた・・・母のさっちゃんが動けないのだと・・・。それを動かそうとしても・・・意外と重い・・・。二人がかりでないと動かせない・・・。足が痛いとかと言うのだけれど・・・。

 けいこばぁは・・・とりあえず・・・お仕事に出かけて行ったが・・・。「お医者さんで、安定剤をもらってきて欲しい・・」というものだから、掛かり付けの町医者に行って、ドクターに相談をしたら・・・「スタッフを出して・・・点滴をしますから・・・」というのでお願いした・・・。

 

 けいこばぁに頼まれていた・・・図書館への本の返却を済ませ、近くにあった・・・セルフうどんのお店でお昼にした・・・。

 

 木田郡三木町鹿伏(ししふせ)にある・・・「讃岐うどん処・麺喰(めんくい)」。大型商業施設「ベル・シティ」の敷地内にあるお店。

 

 で、最近のマイブームになっている・・・「しっぽくうどん小」をお願いした。四百十円だったと思う。なんか・・中途半端な金額だなぁと言う印象しか残っていない。

 で、野菜はダイコンとニンジンしかない。あと、油揚げくらいなものか。それでも味はしっかりとしていて、麺もそれになじんでおいしかった・・・・。

 

 その後・・・近くのスーパーで・・・今夜の食材を買って我が家に戻ると・・・看護師さんからの電話・・・。我が家にやってきて・・・栄養補給用の点滴をしようとしたら・・・・。

 

 足の関節が大きく腫れていて、これはすぐに病院に連れて行かなければダメだという・・・。で、看護師さんは・・・今の点滴では用をなさないので帰りますとのこと。で、介護タクシーを頼んで市民病院に行ってください・・・と・・・。

 「介護タクシー???」そんなもん、どこにあるんじゃろうか・・・。その看護師さんに教えてもらって電話をしたら・・「本日は出払っていて、今日はお迎えには行けません・・・」っていう・・。

 

 ところが・・・私一人では・・・どうにもこうにもさっちゃんを動かせない。動かすと・・「痛い・・・」というし、「足が・・・。足が・・・」というものでどうにもならん・・・。雨の中を無理矢理引きずり出して・・・病院まで連れて行ったら・・・大汗の雨の中で・・・ずぶぬれ・・・。

 

 今日は整形の先生の診察時間は終わったので、明日のことにしなければならぬとのことで、一泊させてもらうことにした・・・。今夜は栄養分とか痛み止めの点滴で、明日、関節にたまっている「水」を抜くと・・・たぶん、歩けるようにはなると思う・・・。

 

 まぁ・・・バタバタとした・・・ことだった。

 三時半からはごんさまのお散歩・・・。四時からはお風呂タイム。五時からは夕食。六時からはブログの更新・・・。七時に奥様がお帰り。あと・・どうするんかなぁ・・。

 お風呂・夕食・・・病院かな? 明日も日勤だからねぇ~。

じゃぁ、また、明日、元気で会えるといいね。


十二月 うどん屋におれば 爺である

2011年12月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今朝も明るくなったのは午前七半時過ぎだった・・・。

 島の家で一人きりで寝るのが嬉しかったこともあったし、楽しかったこともあったが、最近は・・少しずつ・・・怖くなってきたなぁと思う・・。風の音、船の汽笛、なにやら鳴き叫ぶ鳥の声なんぞ・・・。屋根の上を歩く物音・・・、壁を叩く不思議な物音・・・。

 

 朝の八時半から・・・帰宅前にゴミを片付けることもあって、「燃えるゴミ」と、「空き缶ゴミ」を持って出かけた・・・。それらを所定に場所に置いてから・・・カメラを構えての朝の散歩になった・・・。

 

 これはアロエの花らしい・・・。いかにも自己主張してる華だなぁと感心した。花の形にはそれぞれの種の存続を託された形があるのだと聞いた。この花の形も、それなりの意味があるのだなぁと思ったことだった・・・。

 

 さて・・・。今日の午前中には帰る予定なんだけれど、少しばかり・・・弓のトレーニングしてみるかと、広島神社に出かけてみた・・・。例年、ここで、「百々手神事」という・・・弓射神事が行われてきた。

 

 向こうに見えるのが射場の的場だ・・・。距離は・・・28mだと聞いたが、ずいぶんと遠いと思う・・・。

 

 久々だったからか、まぐれ当たりかも・・・。ま、いい所に当たっているなぁと思った。この後、調子に乗ると・・・悲惨な結果になってしまう。集中力と筋力の低下が激しくなってしまう・・・。だから、そのあたりでやめておいた。

 生ゴミはコンポストに、燃えるゴミは・・集積場に、空き缶は・・公民館に運んで・・・、片付けが出来た頃に・・・自治会長さんがやってきて・・・。

 

 「丸亀まで送るでぇ~。今日は凪やからなぁ・・・」と仰る。ま、そこまでせんでもええとは思うのだが、好意に甘えて送ってもらうことになった・・・。

 

 島のフューリー乗り場にはこんなものが張ってあった。例の文化祭に使った資料の縮小版の広報誌。模造紙二枚のものが、こういうA3版ほどの大きさに縮小されて掲示してあった。これは丸亀のフェリー乗り場にも張ってあった。ありがたいねぇ~。

 

 さらには、こうした・・・A4版両面印刷版の資料も置いてあった・・・。支所長さんもやるもんだね・・・。あんな大きな物を縮小印刷してもまるでそのまんま・・・おなじものだ・・・。不思議だなぁ~。さすが、業務用のコピー機械はすごいなぁと思った・・・。

  

 いまだに就航し続けている・・・「びさん2」を横目に見て・・・江の浦港を出港・・・。

 

 島の人の感覚で言う「凪」だけれど、私にすれば・・・嵐みたいな海を突っ切って・・・塩飽広島江の浦港から・・・丸亀港まで・・・十数分・・・。私はいつ・・海に落ちるのかなぁと思うような揺れよう・・・。必死で船にしがみついておったなぁ・・・。

 

 で、今日のお昼は・・・丸亀市北平山町の「麺処・綿谷:わたや」になった・・・。丸亀港からは車で数分の所・・・。

 

 で、今日は・・・オーソドックスな「かけうどん小(190)」+「生玉子(50)」=240円という節約バージョン。でもねぇ・・、ここの小は・・・一玉半もある大きなもの・・・。普通のお店の「中」くらいありそうなボリューム。「大」を頼んだら・・・洗面器みたいな器が出てくるというお店・・・。

 

 だから・・お昼を過ぎても・・・若者達でいっぱい・・。働き盛りの若い衆にはうれしいお店らしい・・・。

 

 そんなこんなで、今日も一日が感動の連続だった・・・。ありがたいと思うばかりだった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。

 


冬うらら 中井の石碑に レキ墓に

2011年12月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今年の大きなお仕事は終わった・・・。今年は・・・讃岐広島お大師まいりの資料整理と例のベーハ小屋調査など。それをまとめて、島の文化祭に出展すること。その資料を印刷製本して記録として残すこと・・・。

 

 で、製本した資料を配付し終わって一段落・・・。ゆっくりとのびのびとする積もりで島に来た・・・。

 この・・さぬき広島の江の浦自治会の自治会長さんは・・・広島・手島・小手島合わせての連合自治会長さんでもある・・。ま、偉い方なんだが・・・、その方は・・・「讃岐広島」という名前が嫌いなんだそうだ。勝手に・・・郵政省が、本家広島県の広島と区別するために、「讃岐広島郵便局」と名付けたから・・・ここは、「さぬき広島」になっただけだという・・。ここは、塩飽諸島の広島なんだから、「塩飽広島」と呼ぶべきだとおっしゃる・・・。

 

 そうは言うてもJRの駅でも「讃岐津田」とか「讃岐府中」とかという駅名はあるし、NTTの交換所でも「讃岐三木交換所」とか「讃岐神山交換所」などといくらでもあるから、そんなことはどうでもいいのだけれど・・・。

 だから・・今回のお大師まいりの表紙でも、塩飽史談会の資料の表紙でも・・・「しわく広島」という表示になっている・・・。公的な名称ではないが、自治会長さんの好みなだけだ・・・。

 

 で、この山・・・。「王頭山:おうとうざん」という・・・。この山を・・・「しわく富士」と呼ぶ運動を始めるのだという・・・。しわくふじ・・・・。ま、言い出した者勝ちやけんどね・・・。

 さらに、四月八日九日を・・「し(4)わ(8)く(9)の日」にして、この日を挟む一週間を「しわく週間」と呼ぶようにするのだとか・・・。定着するやろうかね。

 

 それにまだ・・・尾を引いているのが・・「中井初次郎問題」。誰も・・・石巻市の洞仙寺復興の義援金を集めようとはしないのだとか。丸亀市長がぽつりと漏らした一言で・・・美談が生まれたかと思ったのだけれど・・・、現実は甘くないようだ。

 

 幕末の・・・慶応二年・・英国砲艦「サーペント号」に乗って瀬戸内海の測量中に士官の「レキ」が亡くなった。遺体はさぬき広島のはずれに埋葬された。それを見た庄屋さんが立派な墓を作り、「英国士官レキ之墓」とした。明治九年・・・、当時同僚だったジョンは英国測量船「シルビア号艦長」となってこの海域に入った。そこでお墓にお参りすると立派な石碑が建っており、きれいなお花が供えてあった。それに感動したジョン艦長は感謝状を贈った・・・・という国際美談。

 

 そんなやさしかった塩飽の人たちだのに・・・、中井初次郎を葬ってくれて、お墓を守ってくれた石巻のお寺に・・・少しでものお見舞いでもすればきれいなお話になるのになぁと思った。

 

 あ、話はころりと変わるのだけれど。島に唯一あったおうどん屋さん、「おかの食堂」が今年いっぱいで閉店するそうな・・・。

 

 諸事情で・・・とは書いてあったが、過疎化と高齢化でお客がいないのかねぇ・・・。ま、詳しいお話は聞いていないのだけれど・・・「諸事情」らしい・・・。

 

 こうなってくると、ますます・・・島も寂しくなってしまうなぁと思ったことだった。ま、クリーニング取り扱いとか、移動販売とかはやるんだろうと思うけれど・・・。ま、いろんな事情があるんだろうね。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ようやくに 荷物下ろして 柿もみじ

2011年12月05日 | 自然ありのままに

 今日は比較的暖かい一日になった・・・。

 私は朝から・・・さぬき広島に向かう予定だったのに、母のさっちゃんが・・・「点滴を受けたいけん、病院に連れて行ってほしい・・・」というので、やむなく・・・そうすることになった。

 

 9時から準備しても出かけるだけでも20分はかかる・・。病院に着いたのは・・9時半・・。それから1時間の点滴だったら・・10時半だなぁと思って、島行きの食材やらビールやらを買って準備して・・・。迎えに行ったら・・・まだだ・・というので・・・11時。しようがないよね・・・。私の母だもの。

 

 そそ・・・、今回のさぬき広島行きの目的はこれ・・・。

 

 来春のお大師参りの本を・・・関係するお寺さんに届けるのが目的・・・。おいしいご飯は炊きたてがうまい。おいしいお餅は打ち立てがいい・・。新しい情報は早いほうがおいしい・・・。

 

 とりあえず、注文を受けた部数を配達するためにお出かけした・・・。

 

 たまたま・・・通りかかった、このお店でお昼になった。いや、あそこは定休日、ここはまだ開店していない・・・。あそこは混むし・・・という選択肢の中から浮かび上がったお店だった。

 高松市西植田町の「麺通堂・西植田店」に寄ってみた。初めてのお店ではないし、何度も食べたお店で安心感は確かにあった・・・。

 

 で、今日は・・・「ガラムカレーうどん」というものを注文した。意味がわかっての注文じゃない。なんか、楽しそうな名前だなぁと思って。案の定・・・しばらく待たされた・・・。カレーを温めるためだという・・・。10分ほど待ったかな・・・。やってきたのがこれだった・・。

 一口食べて・・・「こりゃ・・すごい・・」と思った。こんな食感のうどんなんて初めてだ・・・。なめらかでやさしくて・・・固くなくて柔らかくなくて・・・どういう表現をすればいいものか・・・わからない。

 

 おそらく・・380円くらいのおうどん・・。でも、これは癖になりそうだなぁと思った・・・。

 で、話は飛んで・・・丸亀市・・・。丸亀市の商店街・・・「富屋町」にある・・・妙法寺さんに行った。

 

 与謝蕪村は明和3年(1766)の秋から明和5年(1768)の夏にかけて何度か讃岐を訪れたらしい・・・。蕪村の讃岐行脚の目的は画業にあったといわれる。画業において一応の地位を得、さらに俳諧も本格的に取り組んでいこうとする蕪村にとって讃岐への旅は、自分に課した再修業の意味があった。風景の美しさや、土地にまつわる数々の文学や歴史に触れながら、心ときめくものであったに違いない。

 俳人画家・与謝蕪村の讃岐時代に、蕪村が妙法寺に滞在して揮毫した「蘇鉄図」など大作6点があり、寺宝として大切に保存されている。妙法寺が一名「蕪村寺」といわれる所以である。ここの大岡さんに、お大師まいりの校正とか調査協力でお世話になった・・・。

 

 この妙法寺さんが、広島の・・「玉瀧寺:ぎょくりゅうじ」の住職を兼職している。

 

 その後、丸亀港から・・・いまだに「びさん2」が運行するフェリーに乗って、さぬき広島に入った・・・。

 

 昨日、渡った・・・瀬戸大橋横目に見る・・・というのもなんだかへんてこな気分だった。画像右手が・・・与島のフィッシャーマンズワーフのあった所。夢幻の跡だね・・・。

 

 茂浦集落にある「正福寺」の住職さんは、塩飽本島の「正覚院」の住職さんであるので、ここだけは郵送させてもらった・・・。わざわざ・・・ここだけに行くというのも大変だったから・・・。

 

 これが・・・さぬき広島の「地福寺」さん・・。あいにくと住職さんがお出かけの途中だったもので、資料はお寺に届けておいた。ここの住職さんが、立石の「神光寺」、青木の「長福寺」の住職も兼務している。これで、島に関わる三人のお坊様に資料を渡したことになる。

  あとは・・

 

 広島コミュニティーセンターの所長さんに資料と原紙を渡し、自治会長さんにも冊子を渡せば、今回の目的はおしまい・・・。ここの所長さんが、ここの機械でここの費用で・・・必要な部数を印刷して配布してくれれば・・・私にすればありがたい・・・。やれやれだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


落ち葉の中 故人の言葉 かみ締めている

2011年12月04日 | 時には日々是日

 ええ・・、連日・・・山の家にこもっているというのは何かがある証拠・・・。

 そ、今日は・・・岡山の叔父さんの四十九日法要の日。それだし、私らの仲人さんだったし・・。叔母さんは・・・一昨年だかに亡くなった。相次いで・・お二人は仲良くお浄土にお帰りになった・・・。

 

 で、従兄弟たちと待ち合わせて・・・七時半にさぬき市を出発した・・。高速道路経由で・・・瀬戸中央道の早島まで走る・・・。

 

 高松道から坂出ジャンクションに入って、瀬戸中央道に向かう・・・。

 

 日曜日だというのに、橋の上は静かなもの・・。例のどこまで行っても1000円・・・というのがなくなって・・・車の数がぐんと減ったらしい・・・。

 約・・・1時間半ほどで目的地に着いた。まだ・・・九時過ぎだった。

 

 ご法事は10時からだったので、そのあたりを歩いてみた。大安寺高校というのがすぐ裏にあった。そのまんま・・・あったが、周囲はすっかりと変わってしまって、水郷地帯、い草の栽培が盛んだった水田地帯が住宅地になり、新幹線が走る町に変貌していた・・・。

 

 おじさんの集めたお面が一室にずらりと・・・。なんでも集められるもんだね・・。お面の収集家か・・・。

  

 こんなものとか・・・

 

 この部屋に、夜間に入ったら驚くやろうね・・・。こんなものが部屋の四面にずらずらと並んでいるんだもの・・・。

 

 讃岐では、お坊さんのことを・・「おじゅっさん」というが、ここでは、「おしょうにんさん」と呼ぶ。まぁ、ここらは日蓮宗だから・・・そう、呼ぶのかも知れないのだけれど・・。ま、お作法が違うし、お経が違うし・・・、なんかへんてこりんな気分・・・。

 30分ほどの読経やらお説教があって、お墓に移動・・・。早々にお墓に納骨して・・読経とお焼香・・・。よその会社の朝礼に参加したみたいな気分か、よその国のお寺にお参りしたみたいな気分か・・・。

 

 その後は、近くの料亭に集合してのおとき。岡山ではどういうのか知らないけれど・・・。会食と言ってしまったら法要らしくはないしね・・・。

 

 ま、普通のお食事会ってことやねぇ。少し前みたいにしおらしく・・・精進料理を食べるという時代は終わったのかも知れない。昭和は遠くなりにけり・・・だね。

 

 それだし・・・、私よりも年上の方がいなくなって・・・若い方達ばかりになってしまうと・・誰が誰やらわからなくなり、誰とも会話することもなくなってしまう・・・。ますます・・昭和は遠くなってしまったことだった・・・。

 

 いとこの運転する車に乗せてもらって、13時には岡山を出て、早島から高速に入り、瀬戸大橋を通って、14時半にはさぬき市に戻ったことだった。

 で、明日には・・・讃岐広島に入って、お寺さんほかに、お大師参りの資料をお届けしたいもの・・・。それが終われば・・・水曜あたりには戻るつもり・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


このブログ これこそ自分史だと 舞う落ち葉

2011年12月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今朝も雨の暗い朝になって・・・、一日中・・・曇ったまんまの肌寒い天候のまま・・・。

 

 こんな日は・・・おうちで静かにお勉強だなぁとは思ったが・・・こういうお天気だから・・・気分が乗らない・・・。

 

 で、「エンディングノート」でも書いてみようかと・・・無料のものをダウンロードしたのだが・・・。とにかく・・・細々と書くところばかりで・・・これはダメだわ・・・と投げ出した・・・。

 遺言、感謝の言葉、介護・看病のこと、葬儀の希望・死に方について、埋葬方法、供養について、不動産、住居、預貯金、株式、年金・保険、損保、税金、ローン、クレジットカード、会員退会、車、ペット、形見分け、寄付、家系図、自分史、友人・知人リスト、関係団体、関係会社リスト・・。これは・・無理だな・・・と、思った。

 で、その中のほんの一部の・・・自分史でも作ってみようと・・・。

 

 というものをまねて作ろうとしたが・・・何の資料もない・・・。小学校にいつ入ったとか、いつ、就職したとかは分かるが・・・その間の毎日がない・・・。入社はいつで、いつ、どこへ転勤したかは分かっても・・・、その間が空白のまんま・・・。近年のダイアリーはあるが、それをずっと繰っても意味がないし・・・。

 

 というのも、昨日の数年の年賀状だけでもわからないのだから・・60余年の歴史なんぞ、まるで記憶がない・・・。そこで、自分史年表を作ろうとしたが・・・節目・節目は分かるのだが、その間が空白のまんま・・・。

 で、母のさっちゃん農園のたまねぎが大きくならないので、化成肥料を買いに出た。それが・・・昨日、おうどんを食べた「こがね製麺所」のすぐ近くだ・・・。なんたるこっちゃ~、サンタルチア~・・・。

 

 で、肥料を買って・・・その帰りにあった・・・「亀城庵:きじょうあん・志度店」に寄った・・・。さぬき市志度にあるセルフのお店だ。

 

 で、マイ・ブームになっている季節うどんの・・「しっぽくうどん」を注文した。もちろん・・「小」の一玉だ。これで・・350円は良心的・・・。

 

 ダイコン・ニンジン・あげ・里芋・こんにゃく・・・・まぁ、具材がもりもり・・・。具材だけでおなかがいっぱいになる感じ・・・。肝心のうどんは・・・少しばかりもてあまし気味だった・・・。

 

 で、午後からも・・・年表造りをやってみたが・・・クロスワード・パズルが埋まらない・・・。家系図というのは数年前に・・・役所から戸籍謄本を取り寄せたのでできているが、それも引っ張り出さなくては・・・。そうそう・・我が家のお仏壇の過去帳も・・・先の台風でわからなくなったから、これも作り直しだな・・・。

 

 そんなものからも・・・少しずつ記憶の糸が見つかるかも知れないし・・・。ま、この私の生きてきた歴史だけでも整理しておきたいなぁと思ったことだった・・・。エンディング・ノートは要らないな。そんな財産がある訳やないし、多くのみんなが・・、そんなものなしに・・・旅立って行くんだものねぇ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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