KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

魅力ある街

2023年01月22日 | 俳句
天気 晴

写真は公園にそろそろ咲いているかもしれない薩摩紅梅。梅の花とはいえ、この花は華やかで梅の雰囲気があまりない。カメラを構えていると「桜ですか」とか「何の花ですか」とよく訊かれたものだ。
ついでに、寒の花・寒牡丹。


ニューヨークタイムスがSNSを元に調査して「2023年に行くべき所」を52ヶ所選んだ。
その中で2位になったのが盛岡市だという。1位はロンドン、なのだからびっくり仰天したのは盛岡の人ではないだろうか。
解る気がする。私が二度目に行ったのはもう40年以上も前なのだが、もし、あの当時と変わらないとしたら、落ち着いた街の風景はかなり魅力的。またゆっくりと行きたい、と思わせた街だった。朝のNHKのニュースで今の街並の映像が流れた。私が行った頃とたいした違いはないように思えた。市内を流れる川(名前は忘れた)は澄み切っていて、橋から眺める岩手山の山容は堂々としていて、何十階建てというような高層マンションなんか相変わらず見えないみたいだし。市内を散策して歴史や見栄えのする風景に出逢える、というのが、ちょうど良い街の大きさなのだろう。派手ではないが、観光資源もある。南部鉄器の工房があり、わんこ蕎麦屋があり、啄木ゆかりの城跡があり、明治の洋風建物が残っているし。
盛岡の詳細のもろもろは、私がここで書くよりもネットで調べてもらった方が良いと思うので省略。

最初に行ったのは45年くらい前、今なら日帰りになるだろうが、仕事で行き1泊した。東北新幹線のない頃で、上野を物凄く早い時間に発ち、夜はホテルに籠ってその日のうちに仕事は済ませた。そして、二日目は平泉まで行って金色堂を見物したり。呑気な時代だった。そんな訳で盛岡市内を散策していないので、何年かあとの夏休みの東北旅行のときに1泊して寄ってみたのだ。

当時、盛岡で仕事の手助けの相手になったのは大学を出て2.3年目の若い男性だった。東京の大学を出たと言い、私よりも綺麗な標準語を使った。
大学へ入った時は、次男でもあるし東京で就職するつもりだったという。
彼を今も忘れないのは
「大学2年くらいで、もう東京がイヤになったのですよ。人が多い、川は汚い・・」それで、盛岡へ帰る決心をしたのだそうだ。そんな話のあとで「あ、ごめんなさい。東京の人の前で東京を悪く言って」と付け足した。
「いえいえ、私も田舎者ですから。今住んでいる所は、富士山も見えますし奥多摩の山並も見えて、東京といっても田舎です」というような話をした覚えがある。そりゃ、盛岡に暮していたら東京なんて住めません。当時は本当に都心は工事中だらけ、川は汚いし空気も汚れていた。地方の県庁所在地の街の方がはるかに魅力的だった。それも、元城下町が良い。暮らしの中にも歴史と伝統が残っている。私も、高校生の頃に四国の県庁所在地の街に少しだけ住んだことがあるので、とても解る。城跡があって、川はなかったけれど瀬戸内海に面していて風光明媚、食べ物は美味しいし、歴史に関係する話もあるし・・

ニューヨークタイムズ紙の影響力はさすが凄い。その記事をネットで見て訪れた外国人観光客がもう、何人も居るのだという。そうした人たちが又、SNSで盛岡を絶賛すると、観光客が増えていく。でも、それもほどほどが一番だろう。京都はそのせいで観光客が溢れて、コロナ前には困った町になってしまった。さて、コロナ禍の過ぎた今年からはなどうるのだろう?

旧正の街を異国語声高に  KUMI
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早く捕まえないと | トップ | 寒波待ち »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小父さん、昔は呑気に仕事していました (KUMI)
2023-01-23 18:37:31
たいした職場ではありません、でも昔は呑気でした。
出張しても日程の半分はあそべましたし・・
小父さんにも覚えはあったかも、です。
今は、とんでもない、の時代でしょう。

盛岡くらいの規模の自治体が、一番住みやすいかもしれません。
少しは経済も回る地域でなければ・・南部鉄器は、今も伝統産業として成り立っているのでしょう。
輸出品として珍重される技術、という話もテレビで見ました。

東京はオリンピック後もどんどん新しく変わっていきました。
落ち着いた美しい街、として観光客に評価されるのはこの10年くらいかもしれません。
もう、日本は清潔と治安の良さを売り物の観光地としてしか、生きていけないかも、です。
これからの若者の考えることですが・・
返信する
ふきのとうさん、駅周辺は疲れます (KUMI)
2023-01-23 18:25:17
町田も、昔、結婚する前に小田急沿線の世田谷区に住んでいた頃はそれこそ田舎でしたけど。大きな町になってしまい、駅周辺は賑やかで疲れるかもしれません。もう疲れる所に行けない私には懐かしい「人ごみ」です。盛岡はゆったりした町でした。
今は、新幹線もゆったり座れて昔と違います。懐かしいけれど、疲れる列車の旅でしたね。
返信する
Unknown (小父さんK)
2023-01-23 14:27:09
>カメラを構えていると「桜ですか」とか「何の花ですか」とよく訊かれたものだ。

ほんと、そんな感じでね。
寒牡丹は艶やかです。

「2023年に行くべき所」を52ヶ所で盛岡がロンドンに次いでの2位とは誇らしいですね。
と言っても盛岡のことは、全く知りません。

盛岡市のプロモーション動画を観てみました。
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=fKVMS0LqmE8

山があり、川が流れ、日本の伝統文化が残っているそんなイメージがわきました。

ああ遠くに望む山のは岩手山って言うんですか!

>何十階建てというような高層マンションなんか相変わらず見えないみたいだし。

これけっして発展した街とは思えませんね!

古くはニューヨークの摩天楼の話を聞き、近年では新宿の副都心を観てみたいなんて思ったこともありましたが、長兄に馬鹿にされ、現在の東京他を観て何って光景だと醜く思うようになりました(笑)

南部鉄器の工房があり、わんこ蕎麦屋があり、啄木の石碑がプロモーション動画に出てきましたね。

>今なら日帰りになるだろうが、仕事で行き1泊した。

福岡にも出張されたことを以前に拝見しましたが、大きな仕事に従事されていたんですね!

>二日目は平泉まで行って金色堂を見物したり。呑気な時代だった。

うわっ、とんぼ返りではないのですね、いいな~!

>・・・私よりも綺麗な標準語を使った。

はっはっは、私が面白いと思うのは全国のほとんどの人が、標準語とその土地の方言を使いこなせますね。
ところが、関西だけは、関西訛りが抜けないようなので、あるとき「小学校の先生も朗読する時、そんなイントネーションで読むのか?」と女子社員に聞くと「そうです」という答えで納得したものです。

>・・・もう東京がイヤになったのですよ。人が多い、川は汚い・・」

はっはっは、東京に暮らしてその便利さから抜けきれない派と故郷に帰りたい派に分かれるでしょうね。

私は明石の不便さから抜けきれなくて、福岡のテンポゆるさ的田舎には帰りたくない派ですが(笑)

>当時は本当に都心は工事中だらけ、

1964年のオリンピック前は街中掘り返していましたね。
都市高速もほとんど無かったような・・・。
タクシーは小型車が多かったと思います。
オリンピック後は皆中型車に変わったというのが私の印象でした。

>でも、それもほどほどが一番だろう。

そうですよね。
観光地に行ったら日本人を探すのが大変なんて、まるで海外旅行をしているみたいで・・・(笑)

「旧正の街を異国語声高に」
国の経済は観光しかないのかい?外国人が日本人の足は人力車だったなんて帰国して話さないでしょうね?(笑)

有難うございました。
返信する
人に酔うむ (ふきのとう)
2023-01-23 10:06:18
昨日、町田市まで出掛けましたが、田舎暮しの私は人に酔って帰宅しました。日曜日でも電車は込んでいて。盛岡は私も好きな街です。上野から花巻まで9時間を要した時代から今では3時世間の時代となりました。向かい合わせに座る座席、膝頭が向かいの方に当たらぬよう気を使ったものでした。
返信する

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事