ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県潮来市、潮来「長勝寺のボダイジュ」(市指定)です!!

2024-12-18 18:52:43 | 文化財・樹木
 潮来地区は、潮来市役所の西南西約1kmのところ

 潮来市役所の南東側の国道51号線を南西へ進みます

 約1kmの「土木事務所入口」信号を左(南)へ入ると、右手に市営駐車場が有ります

 ここに車を止めさせて頂きました

 すぐ南側の道を西へ入って、直ぐ左(南)への道路を約100m進んで交差点を右(西)へ歩きます

 間も無く右手に長勝寺の参道入口です

 「長勝禅寺」寺号標です
 *臨済宗妙心寺派に属し、海雲山と号する古刹です

 参道を進みます

 山門です

 説明版です
   県指定有形文化財
     長勝寺山門
       昭和33年(1958年)3月12日指定
 この山門は普門院において、元禄6年から13年(1693~1700年)までかかって建立され、完成間近の同13年徳川光圀の命令によって長勝寺に移築されたものである。
 構造様式は三間一戸・二重二階門。屋根は上層を入母屋造り杮葺風銅版葺、下層も同じ杮葺風銅版葺である。
 軒は上層が二重扇棰、下層が二重平行棰を用い、さらに丸柱の根元に礎盤、上層の柱間装置に桟唐戸を用いた禅宗様式の建築である。
 全体には紅柄塗がほどこされ、優美な趣もうかがえる。
     平成24年4月      潮来市教育委員会

 さらに参道を進みます

 参道右手に「勢至堂」です 

 参道左手の墓地入口に目的の「ボダイジュ」です

 南側から

 「長勝寺のボダイジュ」の天然記念物標柱です

 東側から

 北東側から見ました

 すぐ北側には、梅の古木です

 古木然とした幹です

 まだまだ芽は堅いようです

 説明版です
   文治梅
  古野者那也 曾毛加摩久良能 鐘乃銘  鳳後
 長勝寺の鍾銘により右大将源頼朝を開基とする。
 公お手植え伝説もあり、寺の創建文治元年の年号に因んで、文治梅と称す。
 古木ながら花も禅寺の由緒に一段と香りを添える。

 *源頼朝公お手植えと伝えられる文治梅(ぶんじばい))、長勝寺創建の文治元年に因んで命名されています。 

 句碑です

* 三角形の句碑には俳人・伊能鳳後の句「古野者那也 曾毛加摩久良能 鐘乃銘」(このはなや そもかまくらの かねのめい)が刻字、文化11年(1814)建立されています。

 本堂の仏殿です

 説明版です
   県指定有形文化財 長勝寺本堂   昭和33年3月12日指定
 この本堂は方7間、一重入母屋造茅葺で棟上に源氏の定紋「笹りんどう」を配し、周囲は板葺「もこし」がある。
 内部天井は周囲を化粧屋根裏とし、中央に鏡天井が張られている。
 内部構造は唐様の手法になり、中央後方来迎壁前に高い唐様須弥壇が背面に突出して脇仏壇がある。
 外部の組物なども唐様で内外ともに一段基上に建つ堂々たる唐様建築である。
 建立年代は詳かでないが、軒廻りその他細部に桃山時代の様式手法がうかがわれる。
 規模雄大な建築で、禅宗建築として唐様様式の貴重な遺構である。
     平成24年4月     潮来市教育委員会

 復興資金寄付要請の説明版です

 鐘楼です

 銅鐘です

 説明版です
   国指定重要文化財  銅鍾(附鍾銘拓本)
            明治44年8月9日指定
 この銅鍾は、元徳2年(1330年)北条高時が下総国府城主千葉五郎禅門道暁との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝公の菩提の為に寄進したものであり、鍾銘並びに序文の作者は、鎌倉円覚寺16世清拙和尚(大鑑禅師)で、鋳物師は甲斐権守卜部助光である。
 法量は、総高115cm、身高84.8cm、笠形高5.4cm、竜頭高24.5cm、口径66.3cm、撞座中心高19.9cmの鋳銅、上下帯は無文で、乳は4段4列になっていて、撞座は2個正位置にあり、小型であるが鎌倉期の特徴を良く示し、まことに気品の高い形状をしている。銘文も刻字もすぐれ、名鍾にはじないものである。
 また銘文中に「客船夜泊常陸蘇城」とあり、当時の潮来の情景を知るうえからも貴重な資料である。
     平成24年4月      潮来市教育委員会

 客殿入口です、傍らのモミジは紅葉が半分終わって、紅葉の時期の終わりに近付いています

 説明版です
   海運山 長勝寺
 この寺は文治元年(1185)源頼朝の開基、寺号を長勝と名づけた臨済宗の妙心寺派の古刹である。
 元禄年間(1688~1704)伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀は堂宇を修復し、妙心寺の253世住持をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎えた。
 その後、徳川幕府から朱印十石並びに寺領地を与えられている。
 老杉林立する稲荷山を背景にした境内は参道も長く、阿弥陀三尊仏を本尊とする仏殿、山門はともに豊かな唐様建築の遺構で禅寺の風格を保ち、また中朱門の中の庫裡・書院等も元禄の建物で水戸家ゆかりの宝物を収蔵している。
 寺宝第一の古鍾は北条高塒の寄進、元徳2年(1330)の鋳造、中国から来朝して鎌倉円覚寺等に住した清拙正澄禅師が由来を記し、銘にある「客船夜泊常陸蘇城」の語は、中国蘇州を彷彿させる水郷潮来の景観を伝えている。
 境内には、頼朝創建の年号に因んだ文治梅と称する古木のほか、徘聖芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の一句を刻した時雨塚、鹿島記行で地元の自準亭松江との交流を示す連句の碑もあって一段と風趣を添える。
      記
 国指定重要文化財  工芸品   銅鍾(附・鍾銘拓本1巻)
 県指定文化財    仏殿・山門・方丈・書院・庫裡・玄関・隠寮
           絵画    源頼朝画像、太嶽大和尚頂相
           彫刻    木造阿弥陀如来像及び両脇侍像、摩訶迦葉尊者立像
           工芸品   高麗焼茶碗
 市指定文化財    絵画    滝見観音竜虎図(3幅)
           彫刻    毘沙門天立像
           書跡    豊太閤手翰
           天然記念物 菩提樹
       潮来市教育委員会

 では、次へ行きましょう




 2024・12・12・08・40
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県潮来市、辻「辻のアオガシ」(市指定)です!!

2024-12-18 06:31:15 | 巨樹・大木
 辻地区は、潮来市役所の有る地区です、市役所の北東約500mのところに「辻のアオガシ」があります

 潮来市役所を南東側へ出て、国道51号線(潮来バイパス)を北東へ進みます

 約450mでの感応式信号を右鋭角(南西)に入ると

 道路左手に大きな木が見えて来ました

 右手の墓地前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から見ました

 北西側から、アオガシの立つ高まりは古墳です

 西側から

 アオカシの立ている古墳は、「中辻古墳」です

 *円筒埴輪や土師器が見つかっている東西14m・南北17m・高さ約1.8mの方墳だそうです。

 「辻のアオガシ」の天然記念物標柱です

 南西側から

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・08・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県潮来市、新宮「延方公民館のクスノキ」(市指定)です!!

2024-12-17 06:36:24 | 巨樹・大木
 新宮地区は、潮来市役所の東北東約3kmのところ

 潮来市役所を南東側へ出て、国道51号線(潮来バイパス)を北東へ進みます

 約2.9kmの「延方西」信号を左(北)へ入り、すぐ先の丁字路を右(東)へ

 間も無く左手(道路北側)に「延方公民館」があります

 公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 駐車場の東側に目的のクスノキです

 「延方公民館のクスノキ」天然記念物標柱です、公民館の所在地はかつての「延方村役場跡」です

 *昭和30年(1955)2月11日に 延方村は潮来町・大生原村・津知村とともに合併し新「潮来町」が発足しました。

 西側から

 南側から、目通り幹囲約4.5m(目測)の大木です

 南東側から、公民館の職員の方が出勤してきました

 東側から

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・07・50

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県神栖市、息栖「息栖神社御神木のスギと宮桜・オガタマノキ」です!!

2024-12-16 18:31:02 | 巨樹・大木
 息栖神社の続きです、境内の木々を見て行きます
 

 東国三社息栖神社社號標です

 水郷筑波国定公園特別地域説明版です
 自然の景観と環境を保護するために、この区域は、自然公園法に基づく「特別地域」に指定されています。
 特別地域内で、工作物の設置や木竹の伐採、指定植物の採取など、景観や自然生態系に影響を与えるような行為を行う場合には、県知事の許可が必要となります。
 自然保護と環境美化のため、皆様のご協力をお願いいたします。
   水郷筑波国定公園指定植物一覧(34科124種)  昭和56年3月23日告示
     以下略ですが、ランなどの草本類が多数を占めています

 境内案内図です、社殿手前右側に「オガタマの木」左に「宮桜」、拝殿西側に「御神木」が表示されています

 神門です

 参道左側、ばしょうの注連縄の句碑の先に注連縄の巻かれたスギですが、目的の御神木ではありません

 参道右手の境内社の先にはオガタマノキ(招霊の木)です

 北側から、細い幹の木です

 東側から見ました

 参道左手の那岐(ナギ)の木です

 「宮桜」です、南東側から見ました

 拝殿です

 目的の御神木です、西側から

 南西側から

 南側から、手前には「宮杉」です

 ズームアップして見ました

 東側から見上げました


 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2024・12・12・07・20
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茨城県神栖市、息栖「東国三社・息栖神社」です!!

2024-12-16 06:30:37 | 文化財・寺社
 ここからは2024年12月12日の取材分です

 息栖地区は、神栖市役所の西約4kmのところ

 神栖市役所南側の国道124号線を西北西へ向かいます、約900mでガソリンスタンドの手前を左(南西)へ入ります

 約1.9kmの交差点を右(西北西)へ、約1.6kmで一時停止を斜め右(北西)へ、県道260号神栖外環道です

 約500mで左手に「東国三社 息栖神社」の案内板がありますので信号を左(南西)へ入ります

 左手は息栖神社の境内地です、約200mで左手の案内板を左に入ると「ニノ鳥居」前の駐車場です 

 参道のニノ鳥居です

 振り返ると道路の先に一の鳥居は常陸利根川に面して建っています

 東国三社息栖神社社號標です

 水郷筑波国定公園特別地域説明版です
 自然の景観と環境を保護するために、この区域は、自然公園法に基づく「特別地域」に指定されています。
 特別地域内で、工作物の設置や木竹の伐採、指定植物の採取など、景観や自然生態系に影響を与えるような行為を行う場合には、県知事の許可が必要となります。
 自然保護と環境美化のため、皆様のご協力をお願いいたします。
   水郷筑波国定公園指定植物一覧(34科124種)  昭和56年3月23日告示
     以下略ですが、ランなどの草本類が多数を占めています

 境内案内図です

 参道右手に昭和39年7月の息栖神社造営碑です

 説明版です
   息栖神社
 息栖神社は、古くは日川に鎮座していた祠を大同2年、右大臣藤原内麿の命に依り、現在地の息栖に遷座したと伝承されている。
 史書「三代実録」にある「仁和元年三月十日乙丑條、授常陸国 正六位上於岐都説神従五位下」の於岐都説神とは、息栖神社の事とされている。(古今類聚常陸国誌・新編常陸国誌)
 古来より鹿島・香取との関係は深く、鎌倉時代の鹿島神宮の社僧の記した「鹿島宮社例伝記」、室町時代の「鹿島宮年中行事」には祭例等で鹿島神宮と密接な関係にあった事が記されている。
 祭神は、現在岐神・天鳥船神・住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)とされ、海上守護・交通守護の守り神と奉られている。
 江戸時代には主神を気吹戸主神と記しているものもあり(木曽名所図会、新編常陸国誌)、さらには現在境内にある芭蕉の句碑「此里は気吹戸主の風寒し」は、その関蓮を物語っていると思われる。
 社殿は享保元年に建替えられたたが、それが昭和35年10月消失し、昭和38年5月に新たに完成した。
 末社(高房神社・伊邪那岐神社・鹿島神社・香取神社・奥宮・江神社・手子后神社・八龍神社・稲荷神社・若宮)
      中略
    令和5年3月  神栖市教育委員会

 鳥居を入ると左手には稲荷神社です

 石燈籠の並ぶ参道を進みます

 手水舎です

 説明版です
   息栖神社の由緒について
 息栖神社は岐神(くなどのかみ)を主神とし、天鳥船・住吉三神を相殿の神として祀られており、古くから国史にも見え(三代実録に書かれてある於岐都説神社)がいまの息栖神社です。
 鹿島・香取・両神宮と共に東国三社の一社として上下の信仰の篤い神社です。
 岐神(くなどの神)は厄除招福・交通守護の御麗格の高い神で、鹿島・香取の大神と共にその先頭に立たれ国土の経営にあたられた。
 天鳥船神(あめのとりふねの神)は航海・航空の守護の御霊格が高く、古事記に(天鳥船を建御雷神に副えて遣わす云々)とあり、鹿島の大神の御先導を務められた神であります。
 (住吉三神)は海上守護・漁業関係の御霊格が高い三柱の神様である。
 このように五柱の神々を祀られているので、古くは息栖五所明神とも称された。
    以下略

 神門です

 説明書きです
   おきすの津(港)と碇
  大船の香取の海に碇おろし いかなる人か物思わざらむ   (柿本人麿)
  今よりはぬさとりまつる船人の 香取の沖のに 風向うなり (藤原家隆)
 広大な内海であったために、香取の海といわれた古代の水郷の中で、おきすの社と呼ばれた水の神、息栖神社の所在する息栖の地は、おきすの津(港)とよばれて、周辺の陸地との交通上の船着場として、大きな港としての役割を果たしていた。
 徳川時代になると、幕府の拠点江戸と東北との交流が盛んになり、その水上輸送路は、江戸川・利根川・水郷地帯・銚子川口から鹿島灘といった航路が選ばれていた。
 これらの長距離輸送には、当然大型船舶が用いられ、その往復途上、息栖の津に立寄っては、息栖の神々に航路の安全と、家族の安泰とを祈願した。
 この碇はそうした祈りを込めて、息栖の神に献納された物であろうが、それが何船によってのことかさだかではない。
 けらども潮に晒され、鉄片のはがれ落ちた碇の姿から、道の奥(東北)と坂東(関東)との間にたって、物資輸送に励まれた船人の、遠い昔を偲ぶ手掛かりとなっている。
     *帆柱ぞみをつくしなる大船の かとりの浦の見るめからねど(利根川図誌より)
          神栖市教育委員会

 参道左には

 力石と

 芭蕉の句碑です

 参道右手に境内社(説明版の末社)が並んでいます、左に4社合祀(鹿嶋神社・伊邪那岐神社・高房神社・奥宮)と右に5社合祀(香取神社・手子后神社・八龍神社・江神社・若宮)で祀られています

 石碑が並びます、新し石碑には「鹿島潟沖洲の森のほととぎす船をとめてぞ初音ききつる 」の藤原時朝の歌です

 更に東側に歌碑です、右側に諦如法師、左に稱佛法師の歌が彫られています

 説明版です
   息栖ゆかりの歌碑
 鎌倉時代に編さんされた「新和歌集」(藤原為氏撰)の中には、息栖周辺を詠んだ歌が収められています。
 その歌の表題は、「藤原時朝、鹿島のおきす社にまいりて彼社僧に十首歌すヽめ待ちける」とあり、次の歌は、そのうちの一首です。
   *海原や沖つ潮合に立浪の鎮めがたきは心なりけり  理然法師(息栖神宮寺僧)
 なお「息栖の歌」とは別に「新和歌集」には、渡り鳥「ほととぎす」の歌があります。
 この三つの和歌は、藤原時朝が、鹿島詣での際、歌仲間と船中で十首詠んだうちの三首です。
   *鹿島潟沖洲の森のほととぎす船をとめてぞ初音ききつる         藤原時朝
   *われのみを待ちつる暮を郭公(ほととぎす)またたか為に鳴てすくらん  諦如法師
   *里とをき山のすそのヽほととぎすたか為になく初音成らむ        稱佛法師
 ☆新和歌集十巻
 和歌。鎌倉時代に藤原為氏の撰した私撰集。「新式和歌集」「宇都宮打聞新式和歌集」ともいわれ、正嘉2年(1258)11月1日から正元元年(1259)8月15日前後までの間に生立したといわれています。
 ☆藤原時朝(笠間時朝)
 鎌倉時代の歌人で、勅撰集にも選ばれており、三十三間堂をはじめ、各地の寺院に奉仏、納経をしています。
 また、常陸国笠間荘の領主となり笠間氏を称し、初代笠間城主となりました。
     平成15年3月   神栖市教育委員会・神栖市歴史民俗資料館

 拝殿です


 本殿です

 拝殿北側には、旧社殿で使われていた礎石です

 次は、境内の木々を見て行きましょう





 2024・12・12・07・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉県多古町、坂「坂日枝神社のスダジイとスギ・タブノキ」です!!

2024-12-15 19:43:49 | 文化財・樹木
 坂地区は、多古町役場の東北東約9kmのところ

 多古町役場北側の多古中央通りを東へ直ぐの信号を左(北)へ

 約300mで一時停止を右(東北東)へ、県道106号本町通りです

 約500mの三叉路は斜め左(北)へ、県道120号多古栗源線です

 道成に約3.2kmで信号を右(東南東)へ、栗山川大橋通りです

 道成に約2.0kmで一時停止を左(北東)へ、県道127号多古山田線です

 道成りに約1.9kmで斜め右(東南東)へ入り、 道成りに約1.8km山の端に沿う様に進み商店前の交差点を左(北東)へ

 約200mで三叉路を左へ進んで坂道を登って切通のところに

 左手に石段があります、坂日枝神社の入り口です

 少し北へ進んで、忠魂碑前に広場に車を止めさせて頂きました

 道路から境内に立つスギの大木を見ました

 すぐ南側に目的のスダジイ(幹は無くなっています)のヒコバエが見えます

 石段を上がると鳥居です、南向き(道路と平行)に立っています

 手水舎です

 南側から、スダジイの切株とスギです

 西側から、土手上に目通り幹囲5.2mの巨木です、切株ですが・・・

 北東側から

 スギの大木も土手上に生えています

 拝殿です

 本殿です

 本殿西側にも、タブノキの大木です

 北東側から、タブノキは二本立っています、手前が目通り幹囲3.8m、奥(西側)が3.2mの大木です

 北側から

 西側から見上げました

 車に戻ると、北側の畑にモミガラ蒔きをされていた方が、声を掛けて来ました

 車のナンバーを見て、気になったとのこと

 「私の親戚が、所沢市の安松に住んでいて、先日所沢まで行って来ました、帰りは牛久大仏を見ながら圏央道で帰って来ましたが便利になった」と、また、「日枝神社では、12月15日にお年寄りが集まって・なおらい・の行事が行われ、宮司さんは旭市の神社から来られる」と、「スギの大木には、子供の頃に先輩から海を見せてやる・と思ったら、無理やりスギの大木に登らされて、昔は先輩には逆らえなかった、でも太平洋は見えた」とのこと、忠魂碑には「自分の父親は戦時中の7月1日に、小笠原諸島の父島に向か途中で輸送船がアメリカ軍の雷撃で沈んでしまって、水死したのだろう、忠魂碑にも名前が記されています」とおっしゃっていました。
 12月8日は日米開戦から83年、終戦後、既に80年に成ろうとするということは、80歳を過ぎているのでしょう、良い話が聞けて、元気に農作業をされていることにも感動です

 では、次へ行きましょう






 2024・12・11・14・50
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉県佐倉市、先崎「鷲神社のケヤキ」(市指定)です!!

2024-12-15 06:31:25 | 巨樹・大木
  先崎地区は、佐倉市役所の西北西約9kmのところ
 
 佐倉市役所は、歴博や二度紹介させて頂いている佐倉城跡の東側です

 佐倉市役所東側の国道296号成田街道を北北西へ、佐倉城跡の台地を下ります

 約200mの「市役所下」信号を左(西)へ、道成りに進みます

 約2.6kmで国道は右へそれますが、そのまま直進し左へ大きくカーブして進みます

 約2.3kmで「八千代・印西・国道296号線⇒」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約600mの「臼井台」信号で、右からの国道296号に合流し、更に北西へ進みます

 約1.2kmの「上座」信号を右(北)へ、約1.9kmで三叉路は左(北西)へ

 約900mの称念寺前の三叉路を右(西)へ、約400mの先崎地蔵尊前で左(西)へ

 間も無く右手に鷲神社参道の案内板がありますので斜め右(北西)へ

 東向きの鷲神社境内入口です

 右手の道路を進んで、境内北側の道路脇の広場に車を止めさせて頂きました

 鷲神社社號標です

 鳥居です

 鳥居は佐倉市有形文化財指定されています、文面には・・・

 鷲神社の鳥居は、江戸時代中期の寛文13年(1673)に建立された石造の鳥居です。
 鷲神社別当正覚寺の住職・定宥が建立主となり、江戸深川の石屋五郎兵衛が製作しました。
 明神鳥居の形式を持つ鳥居の大きさは高さ388cm、横幅577cmを測り、市内にある石鳥居の中で最大級です。

 参道右手に境内社の祠が並びます

 保存樹林説明版です
   保存樹 佐倉市指定第17号  昭和48年3月1日
 区分   樹林
 名称   鷲神社境内木
 樹種   ケヤキ、イチョウ、モミ、アカガシ、スギ、スダジイ、ヤマザクラ
 所在地  先崎1580
 樹齢   ケヤキ約1000年(選定時)
      その他の木約300~400年(選定時)
 伝来等  承平7(937)年に安産の神を祀り神社が創立された。
      その際植えられたと推定されるケヤキの巨木を中心に、中世末期(戦国時代頃)に植えられた境内木と共に大切に管理保存されている。
 管理責任者 鷲神社氏子総代
     令和6年5月  佐倉市

 拝殿は、南向きに建っています


 立派な本殿です

 説明版です
   佐倉市指定文化財
     鷲神社の本殿・鳥居・ケヤキの大樹
 鷲神社の開創は「佐倉風土記」によると「承平7年(937)7月7日、慈恵僧正、朱雀帝の勅を奉じ、来りて此の神を祀る」とあります。
 本殿は、天保15年(1844)建立されたもので大工棟梁は立石菊右衛門藤原元隆(八千代市下高野)、柱や本殿四面の彫刻は星野理三郎政一(群馬県勢田)の手によるもので、大江山鬼退治を題材としています。
 建立にあたては、近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったもので、神社に対する信仰の広がりがうかがわれます。
 鳥居は、寛文13年(1673)定宥が建立したもので、作者は深川の石屋五郎兵衛です。
 鳥居の形式は明神式で、石造の鳥居としては市内では比類のない大きなものです。
 境内にあるケヤキ(二レ科)にお大樹(樹高16m、目通り幹囲6.3m)は、当社開創と共に植えられたものと考えられ、応永年間(1394ー1428)の神社の火災により被害を受けた形跡があります。
 市内においてはこのような古木は珍しく、学術上からも貴重な資料といえます。
     本殿・鳥居  昭和53年 7月26日指定
     ケヤキの大樹 昭和37年12月22日指定
   昭和63年3月31日   佐倉市教育委員会

 *表記の「群馬県勢田」は「勢多」だと思われます、現在の前橋市周辺の市町村ですね

 もう一枚の説明版は、佐倉市民文化資産「先崎鷲神社の神輿及び御輿渡御」です

 拝殿の南側に目的のケヤキの大樹です、南側から

 「御神木」石柱が根元にあります

 東側から

 北東側から

 佐倉市指定天然記念物 鷲神社のケヤキの大樹」の標柱です、側面の文面には説明版とほぼ同様の内容が記されています

 北側から

 北西側から、神社の火事による被害と思われる、幹の中央部が枯れています

 境内西端には石碑が並びます

 では、次へ行きましょう



 2024・12・11・13・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県矢板市、泉「矢板市立泉小学校・泉のえのき」(とちぎ名木百選・建指定)です!!

2024-12-14 18:40:40 | 巨樹・大木
 泉地区は、矢板市役所の北約4kmのところです

 矢板市役所東側の旧塩谷街道を北へ進みます

 約1.2kmで左からの建小津30号線に合流する様に信号を右(北)へ

 約1.3kmで県道左手に矢板市立泉小学校があります

 県道右側の泉郵便局の駐車場に車を止めさせて頂きました

 泉小学校校庭南東側の校門です

 校門前から校庭に立つ目的の「泉のえのき」です

 門扉のそば(南南西側)から見上げました

 説明版がります
   泉のエノキ
 このエノキは、樹齢推定300年、幹回り3.58m、樹高15.5m、枝張りは東西19m、南北21.5mという大きさです。
 泉城主の岡本氏が三島明神の参道に2本寄進したと伝えられています。
 その内の1本がこのエノキで(もう1本は、火災で枯れる。)、現在は泉小学校の校木として、愛称「甘実(あまみ)の木」と呼ばれ児童達をやさしく見守っています。
 また、このエノキは栃木県天然記念物に指定されているほか、県の名100選、市の名木10選のいずれにも選定されています。

 立派な泉小学校の校舎を見ました

*ちなみに「とちぎ名木100選」は下記の通りです
 県の「とちぎ100選」選定事業の一つとして、 県民と市町村から推薦された「名木」の中から、 「とちぎの名木100選選定委員会」において、市町村にも配慮して選定を行い、「とちぎの名木100選プラス1」を選び、 平成元年6月15日の県民の日に公表されたものです。
番号 名  称 所在地の地名
番号  名称         幹周  所在地             天然念物指定
1 那須のごようまつ      1.7 那須郡那須町湯本182
2 八幡のみねざくら      1.6 那須町大字湯本字八幡崎       県指定
3 芦野城址のこうやまき    5.4 那須町大字芦野(桜ヶ城址公園)   県指定
4 寺子のさくら        6.6 那須塩原市寺子
5 (×)赤坂のかしわ      2.9 那須塩原市越堀(熊田坂温泉神社)   県指定
6 木の俣地蔵のかつら    7 那須塩原市百村
7 逆杉(2本)       10.9 那須塩原市中塩原(塩原八幡宮)    国指定
           7.3
8 塩原八幡宮の大とち   4.9 那須塩原市中塩原11
9 塩原嶽山箒根神社の大すぎ  8.7 那須塩原市宇都野(嶽山箒根神社)
10 (×)雲照寺の大松      4.7 那須塩原市三区町(雲照寺)
11 成田山のゆずりは     3.2 大田原市本町1丁目(成田山)
12 高性寺のかや        3.9 大田原市薄葉1366
13 滝岡温泉神社のあかがし  5.8 大田原市滝岡宮内(滝岡温泉神社)
14 大野室のいちょう    6.5 大田原市寒井(三嶋神社)        県指定
15 磯上のやまざくら      4.3 大田原市両郷              県指定
16 西行桜         1.8 大田原市佐良土(法輪寺)
17 観音寺のしだれざくら   3.3 那珂川町吉田字寺屋敷(観音寺)
18 北向田のけやき     6 那珂川町北向田(向田神社)       県指定
19 馬頭院の枝垂栗      3.1 那須郡那珂川町馬頭188        県指定
20 戸隠神社のいちょう   5.9 那珂川町大内(戸隠神社)       県指定
21 鷲子山の千年杉    6.9 那珂川町矢又(鷲子山神社)
22 (×)観音寺のきゃらぼく 1.5 那須烏山市神長(観音寺)
23 太平寺のかや       3.5 那須烏山市滝395
24 八ヶ代西山辰街道の大ざくら 5.5 那須烏山市八ヶ代
25 八ヶ代菩提久保のボダイジュ 2.1 那須烏山市八ヶ代(地蔵堂)
26 白鬚神社の神木けやき    4.9 塩谷郡高根沢町宝積寺88
27 今宮明神のいちょう    4.6 さくら市馬場(今宮神社)
28 穂積小学校学校記念の松 2.6 さくら市穂積478
29 泉のえのき         3.6 矢板市泉378            県指定
30 塩田の笠松        2.8 矢板市塩田
31 荻野目のさいかち(2本) 2.9 塩谷町大字原荻野目
          2.9
32 船生のひいらぎ      3 塩谷町大字船生             県指定
33 長畑のひいらぎもくせい 2.8 日光市長畑522−2          県指定
34 法蔵寺のいとひば      3.4 日光市大桑町270
35 上三依観音堂の大いちょう 10.3 日光市上三依(観音堂)
36 熊野堂の大さわら      5.1 日光市上三依(熊野堂神社)
37 湯西川のねずこ大木     6.4 日光市湯西川字川戸(川戸氏神)
38 平家杉           7.2 日光市上栗山ネキシャ
39 日光のひめこまつ      3.2 日光市御幸町              県指定
40 日光太郎杉        5.6 日光市山内(日光東照宮)
41 金剛桜         4.1 日光市山内(輪王寺)           国指定
42 東照宮のこうやまき   4.4 日光市山内(日光東照宮)
43 中宮祠のいちい(2本)   4.2 日光市中宮祠(二荒山神社)      県指定
          3.7
44 磐裂神社御神木ひのき  3.1 日光市足尾町3−5430−2
45 粟野のかや         5.7 鹿沼市口粟野(稲荷神社)        県指定
46 寄居のえのき         4.6 鹿沼市久野
47 勝願寺の地蔵けやき    6.5 鹿沼市油殿(勝願寺)           県指定
48 加蘇山の千本かつら    8 鹿沼市上久我(加蘇山神社)        県指定
          6.6
49 喜久沢のつくばねがし  6 鹿沼市見野802 県指定
50 成就院のしだれあかしで    2.3 鹿沼市楡木町(成就院)       県指定
51 金剛定寺のかや      4.3 宇都宮市上桑島町1041        県指定
52 旭町の大いちょう      6 宇都宮市中央1丁目
53 新町のけやき         7.9 宇都宮市新町2丁目(八坂神社)      県指定
54 赤門のさくら         3.1 宇都宮市塙田1丁目(慈光院)
55 延命院のとちのき      3.4 宇都宮市泉町4−30
56 祥雲寺のしだれざくら 5 宇都宮市東戸祭1丁目(祥雲寺)      県指定
57 徳次郎のけやき(2本)    8 宇都宮市徳次郎町(智賀都神社)       県指定
            7.3
58 羽黒山神社の夫婦杉    4.5 上河内町大字今里字河内山(羽黒山神社)
59 下小倉下組大すぎ      3.8 宇都宮市下小倉町
60 下ヶ橋の三ッ股かや     5.1 宇都宮市河内町下ヶ橋          県指定
61 下高根沢安住神社のけやき 4.6 芳賀郡芳賀町下高根沢4079
62 日枝神社のすぎ       4.2 市貝町市塙(日枝神社)
63 九石のけやき         7.3 茂木町大字九石              県指定
64 小貫のいろはもみじ   3.5 茂木町大字小貫              県指定
65 西明寺のこうやまき    5.4 益子町大字益子(西明寺)        県指定
66 太子の笠松         1.4 真岡市亀山1丁目26−5         県指定
67 北中里のえのき       4 真岡市中
68 遍照寺のかや         6 真岡市中(遍照寺)            県指定
69 仏生寺のけやき(2本)    5.6 真岡市南高岡(仏生寺)           県指定
             5
70 沖のけやき       5.8 真岡市二宮町大字沖(大沖神社)        県指定
71 芳全寺のしだれざくら   2.7 真岡市二宮町大字久下田(芳全寺)
72 満願寺のかや         5.1 上三川町大字東汗(満願寺)
73 (×)石橋の大けやき   5.6 下野市下古山
74 (×)円宗寺のけやき    9.2 壬生町大字上稲葉(円宗寺)          県指定
75 西方のしだれざくら  3.4 栃木市西方町大字元
76 真上のけやき       8.1 栃木市西方町大字真名子
77 龍興寺のしだれざくら     3.2 栃木市都賀町大字大柿
78 家中小のナンキンハゼ    2 栃木市都賀町家中2740
79 大山寺のいわしだれざくら  2.5 栃木市平井町(大山寺)
80 (×)柴南薬師堂のもみ    4.4 下野市柴(柴南薬師堂)
81 龍興寺のしらかし    4.3 下野市薬師寺(龍興寺)
82 小宅八幡宮のかや    4.2 小山市小宅1289
83 城山公園のいちょう    6.1 小山市城山町1丁目(城山公園)
84 (×)胸形神社のえのき  5.8 小山市大字寒川(胸形神社)
85 野木神社のいちょう    9 野木町野木(野木神社)
86 雷電神社のしいのき    6.6 栃木市大平町大字富田字神ノ倉(雷電神社)
87 (×)千歳の松      1.9 栃木市岩舟町大字新里(新里不動堂)
88 (×)竜化の松      2.6 栃木市岩舟町大字下津原(高平寺)
89 藤岡神社のけやき(2本) 4.7 栃木市藤岡町藤岡(藤岡神社)
          5.7
90 植野小のスズカケ      4.5 佐野市植上町(植野小学校)
91 (×)佐野小のはくもくれん 1.7 佐野市金屋下町(佐野小学校)
92 東光寺のコウヨウザン    3.1 佐野市中町(東光寺)
93 出流原の「日の出」椿    2.1 佐野市流出原
94 鑁阿寺の大いちょう    9 足利市家富町(鑁阿寺)
95 足利学校跡のナンバンハゼ 2.5 足利市昌平町(足利学校跡)         県指定
96 竜泉寺のかや         8.1 足利市稲岡町(竜泉寺)
97 船越薬師堂のひいらぎ  2.2 佐野市船越町(薬師堂)     県指定
98 丸嶽山神社のけやき    7.6 佐野市多田町(丸嶽山神社)    県指定
99 葛生小の大けやき(2本) 4.4 佐野市葛生西1丁目(葛生小学校)
           4
100 宝出山のもみの木     4.8 佐野市秋山町(川野敏雄氏)
101 遊行柳           0.9 那須町大字芦野

*リストとしては101件が指定されていますが、既に枯れてしまったものが10件となっています
 今回の7件を含めて既に68件を投稿させて頂きました、残り22件の「とちぎ名木100選」が見られそうですので、ご期待ください
注:数値は選定時のものです。 *は訂正した数値(平成19年現在推定)です。名称欄の(×)は、枯損等により消滅したものです。

 今回はここまでにします、まもなく陽が暮れそうですので埼玉へ戻りましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県塩谷町、原荻野目「荻野目のさいかち(2本)」(とちぎ名木百選)です!!

2024-12-14 06:31:05 | 文化財・樹木
 原荻野目地区は、塩谷町役場の南約2kmのところ

 塩谷町役場の西側の県道63号線を南へ、約600mで信号を右(南西)へ、国道461号線玉生バイパスです

 約500mの「玉生」信号を左(南東)へ、また県道63号線です

 約1.5kmの「原荻生目」信号を右(西南西)へ、約800mで道路右手(北側)にサイカチの木が見えて来ます

 手前の道路北側に広い歩道(旧車道)がありますので車を止めさせて頂きました

 東側から

 南東側から、二本のサイカチの大きな木が並んでいます

 「とちぎ名木百選 荻野目のさいかち」の標柱です

 説明版です
   塩谷町指定天然記念物
     さいかち(二樹)
       昭和49年6月6日指定
   ■樹高      25m(二樹)
   ■目通り周囲 2.87m(東側)2.70m
   ■推定樹齢      430年
 慶長2年(1597)宇都宮氏の家臣であった川上家は、宇都宮氏の滅亡とともに帰農し、代々庄屋を勤めてきたが、宇都宮氏の再興を祈願し、慶長3年(1598)に”再び勝”という意味を込めて再勝(さいかち)を門前に植えたものであると伝えられている。
 一対のさいかちは、いずれも樹勢が旺盛で毎年開花するが、雄花のみのため結実はしない。
 代々庄屋をつとめた川上家を象徴するようなこの二樹のさいかちであるが、荷役の馬の出入りが多かった庄屋には、馬の病気の特効薬でもあったと伝えられるこのさいかちは、なくてはならないものであったようである。
    塩谷町大字原荻野目224番地 川上家所有
      塩谷町教育委員会建之(平成28年3月)

 道路南側から見ました、街道奥の家が川上家でしょうか

 右(東側)のサイカチです

 左(西側)のサイカチを南東側から見ました

 南西側から二本のサイカチです

 西側のサイカチの西根元に天然記念物石柱です

 更に西南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県日光市、大桑町「法蔵寺のいとひば」(とちぎ名木百選・市指定)です!!

2024-12-13 18:45:00 | 巨樹・大木
 大桑町は、日光市役所の北約5kmmのところ

 日光市役所の西側道路を北北東に出て、約100mで信号を左(西北西)へ、国道119号線です

 約1.2kmの「春日町」信号を右(北北東)へ、国道121号線です

 約2.8kmの「倉ヶ崎新田」信号を斜め左(北東)へ、旧道の国道121号線です

 約2.1kmで国道が右へ直角に曲がるカーブを左(西南西)へ入ると

 約100mで斜め左に入り法蔵寺参道入口です

 *一度本堂前まで参道左側の車道を上がって駐車場に入りました
 *このブログ 2020年04月14日で、2020年桜、栃木県日光市、大桑「法蔵寺のシダレザクラ」で一度紹介させて頂いております

 法蔵寺寺号標です

 参道石段をのぼって参道を進みます

 山門の赤門です、柱には徳川家菩提所、新田義貞公御令孫開創と書かれています

 説明版です
   徳川将軍御許  赤門
 江戸時代、当地には徳川御三家の本陣が置かれました。
 法蔵寺は、本陣防御と徳川家歴代尊位菩提のため、正保2年(1645年)法蔵寺第9代曄運上人の時、隣村より当地に移転。大規模増築がなされました。
 その際、徳川家菩提所として、将軍より赤門を冠する旨の御許が下りました。
 明治戊辰戦争の戦火の難を逃れた貴重な建造物です。

 参道右手南向きに六地蔵様です

 左手西向きに地蔵堂「子安子授延命地蔵尊」です

 右手に鐘楼です、どなたでも搗けるようです

 境内案内図に説明書きです
   徳川将軍より赤門を許された寺
     赤門の寺「法蔵寺」縁起
 法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といい。宗派は浄土宗です。
 南北朝時代、後醍醐天皇の朝廷(南朝)の総大将を務めた新田義貞公や新田家一族を弔うため、義貞公の孫にあたる良徳公により1389年(康応元年)に創建されました。
 江戸時代、日光東照宮へ全国の諸大名が参拝するようになると、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)本陣が、日光街道から少し奥まった当地「大桑宿」に置かれました。
 それに伴い法蔵寺は、本陣防衛と徳川家歴代尊位菩提のため隣邑より当地に移転。徳川家の多大な助力とご寄進により、法蔵寺は下寺約二十数ヶ寺を抱え、また伽藍が大増築され、名実ともに大規模寺院となりました。
 このとき将軍家から徳川家菩提所の証として「赤門」を冠することを許されました。
 明治に入り、法蔵寺は戊辰戦争(1868年)で新政府軍による計画的な焼き討ちにあい、「赤門」を残し灰燼に帰しました。
 現在、本堂横にある「カシノキ」にお焼けただれた木肌が、戦火の凄まじさを物語っています。
 法蔵寺のご本尊様は、女人守護・女人厄除に霊験のある「阿弥陀如来像」です。
 境内には、赤門をはじめ天然記念物・とちぎ名木百選「法蔵寺のいとひば」、地域最古の「庚申塔」、子育子授延命「地蔵尊」があるほか、多数の念佛講の碑が残されています。
 また、とげぬき観音「如意輪観音像(秘仏・1月ご開帳)」「徳川歴代将軍位牌」「地獄絵図十幅(十王絵図・8月公開)」「大涅槃図(2月公開)」など数多くの寺宝が伝わります。
 また、当寺は天皇勅許の十夜法要(11月開催)を古くから継承しており、その法要で鳴らされる「一子相伝 十日十夜双盤念佛」は全国的にも伝承が少なく、法蔵寺が念仏を柱とする信仰の拠点である由緒を知る貴重なものです。

 本堂です、目的のイトヒバの樹冠が見えています

 本堂前にも六地蔵様です

 本堂裏側に廻って来ました、寺務所の裏の位置に目的のイトヒバです

 西側から

 「とちぎ名木百選 法蔵寺のいとひば」の標柱です

 説明版ですが薄くなってしまって読めませんでした(ネットからの説明文です)
   日光市指定文化財
     法蔵寺のイトヒバ
 種類    天然記念物
 員数       1本
 樹高      24m
 目通幹囲  380cm
 枝張り   東5.0,西5.0、南5.0、北5.0m
 推定樹齢  約350年
 指定理由  由緒あるイトヒバの巨木
       法蔵寺はもと倉ヶ崎にあったが、江戸時代初頭の正保2年(1645年頃)現在地に移封した。
       この木はそのときに植栽されたものと考えられる。
       戊辰戦争の際、寺は焼けてしまったが、このイトヒバは焼けずに残った。
       とちぎの名木百選にも選ばれている。
   昭和41年3月22日指定    日光市教育委員会

 西南西側から

 南西側から

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県日光市、長畑「長畑のひいらぎもくせい」(とちぎ名木百選・県指定)です!!

2024-12-13 06:30:21 | 文化財・樹木
 長畑地区は、日光市役所(旧今市市役所)の南約6kmのところです

 *日光市は、平成18年(2006)3月20日に今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併して現在の日光市が発足しました。
 合併により面積は関東地方で最大、全国の市でも岐阜県高山市、静岡県浜松市に次いで全国第3位となり、栃木県全体の約22%を占めています。
 
 日光市役所西側の道路を南西へ、約200mで信号を左(南東)へ

 道成りに約1.2kmで東武鉄道日光線の踏切を渡ります

 約1.1kmの「鹿沼・土沢IC/国道121号線⇒」の標識に従って信号を右(南)へ

 約3.5kmで「長畑⇒」の標識に従って信号を右(西)へ

 約2.0kmで信号を左(南)へ入ると

 右側に「日光市立落合西小学校」の校庭が広がります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 校庭の東端(校庭東側入口そば)に目的のヒイラギモクセイです

 北側から

 北西側から

 説明版です
   栃木県指定天然記念物
     「長畑のヒイラギモクセイ」
    所有者    日光市
    樹高    5.0m
    枝張り 東西7.0m 
        南北6.0m
    推定樹齢  400年
 ヒイラギモクセイは、モクセイ科の亜高木で、ヒイラギとモクセイの雑種と考えられており、花は白色である。
 本県ではその数が少なく、日本の南部に多い木である。
 明治28年(1895年)、現在の落合小学校の開校を記念して、土地の人が寄付したもので、秋には多くの花を咲かせ、モクセイと同じ匂いを放つ。
 この樹種では、これ程の巨樹は稀であり、県内でも最大級である。
 *幹囲は根元近くで2.8mあるそうです。

 「とちぎ名木百選 長畑のひいらぎもくせい」の標柱です
 
 西側から

 南西側から

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県鹿沼市、見野「喜久沢神社・喜久沢のつくばねがし」(とちぎ名木百選・県指定)です!!

2024-12-12 19:38:22 | 巨樹・大木
 見野地区は、鹿沼市役所の北西約5kmのところ

 鹿沼市役所を東へ出て約150mで「市役所前」信号を左(北)へ、国道121号日光例幣使街道です

 約1.1kmの「御成橋西」信号で、国道121号線を右に分けて直進します

 道成に約4.3kmで「喜久沢神社」の社號標を斜め右(北)へ入ります

 赤い鳥居を潜り真っ直ぐに進みます

 道の奥に防獣柵が見えましたので、車を道路脇に止めて行きました

 社號標です、側面には「萬里小路中納言藤原藤房卿遺跡」と彫られています

 社務所の建物の後側にツクバネガシの樹冠が見えました

 喜久沢神社参道(南西側)から根元が見えました

 参道から少し上がって西側から目的のツクバネガシです

 「とちぎ名木百選 喜久沢のつくばねがし」の標柱です

 説明書きです
   栃木県指定 天然記念物
     喜久沢のツクバネガシ 1本
        所有者    喜久沢神社
        昭和56年12月2日指定
 樹高26m、胸高周囲6m、枝張り東西34m、枝張り南北33m、推定樹齢600年
 ツクバネガシは、ブナ科の常緑高木で、本州中部以南の山野に自生し、本県では県の南部の照葉樹林の中で少数見られます。
 枝の先の葉がやや輪状にならんで付くため、「つくばね」に見立てて、この名が付けられています。
 喜久沢のツクバネガシは、喜久沢神社の杉植生林の中で、周囲の杉と枝を接しながらも、その雄大な姿を見せています。
 地上約2mのところで3本の太い枝に分かれ、それがさらに傘を広げたように四方に枝を広げ、天を覆っています。
 その樹勢は、極めて旺盛です。
     栃木県教育委員会・鹿沼市教育委員会

 北西側から

 北側から、支柱に支えられています

 北東側から見上げました

 参道西側にはモミジと欅、杉の大木です

 参道を進みます

 参道石段です

 喜久沢神社碑です

 関東東北豪雨の記念碑です
   関東東北豪雨被災本殿等修繕復旧事業竣工記念碑
     聞が澤への想い  地域の和と絆をもって ここに築く
         平成31年(2019)4月吉日
 経過概要
 当神社は、地区内の守り神として、古く南北朝時代(1330年の頃)、後醍醐天皇の側近として活躍された万里小路藤原藤房卿が、この地に隠遁されていたことから、藤房卿を主祭神として弘化4年(1847年)に創建され、以来、菊沢地区をはじめ多くの方々により祀られてきた神社であります。
 地区名である「菊沢」の由来とされる当喜久澤神社が、平成27年(2015年)9月10日から11日にかけ、周辺地域にも甚大な被害をもたらした関東東北豪雨により、これまでに類のないほどの大きな被害を受けました。
 豪雨により流れ出た土砂・流木により本殿、拝殿が土砂に埋まり、また、本殿は流木により一部崩壊しました。
 さらに参道は、雨水流水により3m余の深さまで掘削され、その土砂は、参道入口付近の畑にまで達していました。
 その被災した本殿等の修繕復旧のため、総代会いおいて協議・検討し、地区自治会・各種団体等の協力を得て、平成28年7月3日に喜久澤神社本殿等修繕復旧事業推進委員会を設置しました。
 その後、度重なる会議にて修繕方法や寄進募集について協議を深め、一致団結のもとに寄進募集活動に取組み、多くの方々のご協力のもと目標額を達成することができ、本殿等の移動修復工事とともに境内等の整備を進めてまいりました。
 また、裏山の土砂流出への今後の対策として、県への要望を重ね、保安林の指定を受け、二段のコンクリート土止めの施工となりました。
 被災後3年7か月の期間を要しましたが、地区内外の多くの人々の温かな気持ち・和・絆をもって、ここに竣工の日を迎えることができました。
 これ偏に、地区内住民をはじめ、崇敬者皆様の深いご理解とご支援によるものと、厚くお礼を申し上げます。
 この後も末永く地域の安全と繁栄発展、さらに多くの皆様のご健勝を見守り下さるよう祈願を込め、ここに記念碑を建立いたします。

 イチョウの切株からはヒコバエが成長しています

 手水舎です

 再建なった拝殿です


 本殿です

 本殿裏側の沢奥にはコンクリート土止めが見えました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県栃木市、都賀町家中「家中小学校のナンキンハゼ」(とちぎ名木百選・市指定)です!!

2024-12-12 06:30:00 | 文化財・樹木
 都賀町家中地区は、栃木市役所の北北東約5km、東武鉄道日光線「家中(いえなか)」駅や駅前(東側)には栃木市都賀総合支所のあるところです

 栃木市都賀総合支所の東約1.0kmの所に「栃木市立家中小学校」がります

 栃木市都賀総合支所東側に県道3号線を北へ直ぐの「家中駅入口」信号を右(東)へ、県道296号線です

 約900mで「家中小学校⇐」の案内板を左(北北西)へ入ると

 まもなく右手に「家中小学校」が見えてきます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 校庭西側の入り口です、後方の建物は体育館です(校門はもう少し北側にあります)

 入口の直ぐ南側に目的の「ナンキンハゼ」です

 北西側から

 西側から

 説明版です
   栃木名木百選
   町指定天然記念物
     ナンキンハゼ(中国名 烏柏・ウキウ)トウダイグサ科シラキ属
    目通り     1.9m
    木の高さ   17.0m
    枝張り  東西10.0m
         南北12.0m
    樹齢      約80年
 ナンキンハゼは、中国原産で中国には千年の昔から栽培されていました。
 この木の実から油やロウを採っていた実用木です。
 今は秋の紅葉が美しいので観賞木として珍重されている。
 このナンキンハゼは、本校の校長である刑部真一先生が日露戦争の戦勝記念に植栽したと伝えられ、根張り樹相ともにこのようにみごとな老木は、珍しい。
    昭和57年1月11日   都賀町教育委員会

 *都賀町は、平成22年(2010)3月29日に、 栃木市、大平町、藤岡町と合併し、新・栃木市の一部となりました。

 南西側から

 南側から見上ました

 *道路と校庭の間はビオトープとなていた、鯉が泳ぎ、タニシやカワニナ等の貝類を見ることが出来ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木県佐野市、秋山町「宝出山のモミノキ」(とちぎ名木百選)です!!

2024-12-11 18:31:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年12月7日に墓参りの次いでに、「とちぎの名木百選」の取材出来ていなかった分の一部の取材をしてきました

 秋山地区は、佐野市役所の鉾北西約23km、佐野市役所葛生庁舎の北西約12kmのところ

 平成17年(2005)2月28日に(旧)佐野市・安蘇郡田沼町・葛生町が新設合併し新たに佐野市となりました、

 秋山地区は、旧葛生町の北西端の広い地区です、雪で峠路が閉ざされない内は林道大荷場木浦沢線で、鹿沼市上粕尾へ抜けることが出来、二輪車のツーリングコースとなっています

 佐野市役所葛生庁舎西側の国道293号線を北へ

 約300mで秋山川を葛生大橋で渡って直ぐの信号を左(北北西)へ、秋山川に沿う様に県道200号(正雲寺バイパス)を進みます

 約3.0kmで「⇙秋山、県道200号線」の標識に従って「仙波」信号を左(西北西)へ

 道成に約9.2km秋山川の谷を詰めて行くと

 「栃橋」の直ぐ先に

 「宝出山のもみのき⇒1.0km」の標柱があります

 ここを入りますが間も無く砂利の林道に変わります

 約800mで林道分岐に木材の集積所があります、ここは直進して右の林道に入りました、目的地までは150m程です

(ここに車を止めて歩いて行くことをおすすめします、右側に林道の奥は林道が崩壊していて約400mで通行止めでしたのでバックで戻って来ました)

 左手の斜面のスギ林の中に目的のモミノキが見えました

 すぐ先の林道脇に標柱が建っています

 「とちぎ名木百選 宝出山のもみの木」です

 すぐ脇を上がると杉に注連縄が渡してあります、奥に石祠が見えますので鳥居の代わりの結界となっているようです

 石祠です、お名前は分かりませんが山神様だと思われます

 モミノキを南側から見上げました

 南西側から、南側の太い根が斜面の重力を支えているようです

 南東側から、目通り幹囲4.8m、樹高38m、推定樹齢300年と大木です

 東側から、幹の北側の面にはマツ科らしい樹皮が見られました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県前橋市、西大室「大室古墳群・M-1号墳」です!!

2024-12-11 06:30:59 | 遺跡・史跡
 「大室古墳群・Mー4号墳と復元住居」を見て、公園の西端の流れ山と小二子古墳の間を北へ戻って来ました

 北駐車場側に大きなモニュメントがあります


 南側から見ず時計のオブジェです

 東側から

 説明プレートです
   水時計のオブジェ
 このモニュメントは、「時の広場」の中心に広場のランドマークとして造ったものです。
 モニュメントのテーマは、史跡の持つ長い時間の経過と市のキャッチフレーズである「水と緑と詩のまち」です。
 多くの人々に親しんでもらえる事を願い、親しみやすいオブジェと水の演出を組み合わせ、ユーモラスな動きを交えた詩情豊かなモニュメントとしてデザインしています。
          平成8年11月設置

 大室古墳群・M-1号墳は、北駐車場のすぐ東側です

 案内図です

 南側から見ました

 説明版ですが、表示内容が読めなくなっています 
   内堀遺跡群 Mー1号古墳 (帆立貝式古墳)
 公園整備に先立ち実施した発掘調査(昭和63年度)の結果に基づき、平成5年度に盛土と芝張りによって往時の姿を想像し再現したものです。
 二列の石張り(鉄平石)は周堀の範囲を表しています。また、この下には発掘調査の終わった古墳がそのままの形で保存されています。
 帆立貝の形をしたこの古墳は、発掘調査の結果、全長は周堀を含め約37m、幅は約39mであることがわかりました。
 墳丘の上部は後世の耕作によって削られていたので、高さや形ははっきりしませんが二段で造られていたようです。
 石室もすでに壊されていましたが、石の跡から両袖型の横穴式石室だったと思われます。
 墳丘からは円筒埴輪や人物、盾持ち人、馬、靫、鞆、鉾、帽子などの形象埴輪などが多数出土しました。
 前・中・後の三二子古墳(国指定史跡)と比べれば小規模ですが、墳丘に数々の埴輪を立ち並べ、威風を誇っていた当時の姿がしのばれます。
 墳丘の下の土や周堀を埋めて土の中の火山灰、また出土遺物等から、6世紀後半に造られたものと思われます。

 南西側から、復元した墳丘にはあちこちに登った跡が深い溝になってしまっています

 西側から

 西北西側から

 北側から、少し北側が高くなっているので、形が分かりやすく思います

 北東側から

 東側から、帆立貝の丸い形ですね

 南東側から見ました

 では、埼玉に戻りましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする