ソチ五輪男子滑降はオーストリアのマイヤーが金メダルを獲得した。わずかの差でイタリア選手をかわしての金メダル獲得はよほど嬉しかったのだろう。マイヤーの顔には喜びが爆発していた。この、岩山のがけ下を縫うように設定された男子滑降のコースは極めて難度の高いものだが、設計が1972年の札幌五輪滑降の優勝者、スイスのルッシによるものだという。42年前の2月に開催された札幌五輪には自分も通訳として参加したから大変懐かしい思いがした。この大会では通訳には五輪マークが縫い込まれた白いコートが配給され、当時はまだ珍しかった身分証明書をつけて担当の競技会場に派遣されたものだ。
ルッシの優勝の瞬間は記憶していないが、それ以上に、当時、男子回転の第一人者だったオーストリアのカール・シュランツが、当時のIOCブランデージ会長の主張する「アマチュア精神」に違反(スポンサーからの報酬受領)したとして大会直前に五輪から追放されたことの方が記憶に残っている。今では信じがたいことだが、当時は、五輪競技において宣伝などの商業行為が厳に禁じられていた(もっとも、アマチュア至上主義という精神論は金持ちのブランデージ会長の個人的な嗜好によるものであり、当時から現実との二重基準あるいは共産国における国家育成との整合性について大いに議論があった)。
マイヤーは札幌五輪のシュランツ事件の時はまだ生まれてもいないが、今回、オーストリア選手が金メダルを獲得したのにはある種の感慨を覚えざるを得ない。そして、もはや商業面を抜きには語れなくなった現在の五輪を思うと、この42年間で五輪と商業主義の関係ほど劇的に変化したものはないと思われる。