今日発売になった文芸春秋3月号の村上春樹の短編小説、「独立器官」を読んでいたら(この短編小説は毎月掲載されていて、最近では中頓別町ではたばこ吸い殻ポイ捨てが日常、と描写して物議をかもしたが)、主人公の52歳の医師が恋患いの末に絶食して餓死するあたりでつい、ラファイエット夫人作の「クレーヴの奥方」の夫であるクレーヴ殿が妻の不貞への嫉妬で憤死するストーリーと重なってしまった。
中年にもなってこんなに深刻な恋患いに陥るものか、いささか現実味はないけれども(自分の周囲を見渡してもそのような人間は見たことがない)、クレーヴ殿のように、あるいはこの村上小説の主人公のように、ある種の男にとっては、結局自分は愛されていなかったということを知らされることほど残酷な話はないのだろう。こういったストーリーは19世紀から2百年経っても小説の題材として生き続けているし、また、それなりに読者を引き込む力があるのだと思う。
もっとも、クレーヴの奥方は夫の死後、紆余曲折はあるものの、亡き夫への貞淑一途で余生を全うするが、「独立器官」の相手方女性はどうもそのような人物ではなさそうだ。