少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

理解すること

2005-02-09 23:47:56 | 哲学
何かを理解するってどういうことだろう。

教科書に書いてあることを覚えること? それで済めばいいんだけど。そんなに話は簡単ではないでしょう。

僕は物事を本質的に(いや完全に)理解することなんて出来ないと思う。

だって、ある言葉の定義は、言葉でなされるしかないのだけれど、定義に使われている言葉さえもまた別の言葉で定義されているに過ぎないのだから。この話は、どこまでいってもきりがない。どこまで行ってもこれでゴールはない。どこまで行っても言葉があるだけであり、その言葉にはまた定義が必要だ。

とすると、一体何かを理解するってどういうことなのだろう。僕たちは直感的に何かを理解しているという状態と、まだわからないという2つの明らかに違う状態があることを知っている。少なくとも僕はわかる。

僕は、何かを理解するというのは、さっきの言葉の定義の連鎖が輪を作ったとき、人はそれを理解したと感じるのではないかと思うのだ。そして、その言葉の連鎖の長さが長くなれば長くなるほど、その概念に関する理解が深まるのではないかと思うのだ。

トートロジーというのは、何も言っていない同じことである。でも、実は何かを理解することはトートロジーだったのだ。無意味と意味、その両極端はここにつながった輪に組み込まれてしまったのだ。なんちゃって。