少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

アレニウスの式

2005-02-17 22:31:36 | 哲学
今この式のことで頭の中が一杯になっている。アレニウスというのハッセルのふるさとスウェーデンが生んだノーベル賞科学者だ。化学反応の温度依存性に関するアレニウスの式を提出したことで有名だ。

ウィキぺディア百科事典によれば、この式は化学反応だけではなく、部品の寿命予測などのにおいても広く使われている。が、その式の根拠は未だにはっきりしないのだという。つまり、アレニウスは、この式を何か基本的な物理法則から導出したのではなく、パッと机の中から出して、化学反応に当てはめたら上手くいった、と言ったにすぎないのだ。

これにはちょっと驚いたが、量子力学のシュレジンガー方程式も証明はないし、もっとポピュラーなところではニュートンの万有引力の法則だって、その式の証明は「それでいろんな現象が上手く説明できる」ということだけだ。ニュートンの法則に証明はない。その意味ではアレニウスの式も証明がないからといって責められる筋合いはない。

今、僕はこの式で何かの寿命予測をしようなどとは思っていない。そうではなくて、非常にノイズの多い情報の中から温度あるいは活性化エネルギーという形の意味を抽出するツールとしてこの式が適用できないかと考えている。まだ、きっちりとした形にはなっていないが、直感がそれを支持ししている。それは複雑さの程度やエントロピーの概念とも関連していると思う。このきわめて単純な指数関数の意味を朝から晩まで考えている。面白くてやめられない。

感動

2005-02-17 22:18:35 | 哲学
会社の工場を訪問したお礼に、その時撮った写真を送った。工場長から受け取った旨のメールを受け取った。写真を送るとも言っていなかったので、ずいぶん驚かれたようだったが、とにかく喜んでもらえた。

感動や喜びというのは、予想していないことが起こったときに爆発的に発生する。予想していたことが起こってもうれしいことはうれしいだろうが、それと予想外のことが起こる時のそれは大きく違うだろう。

感動を引き起こすためには、今自分が何を知らないかということを知らなくてはいけない。なんだか込み入った言い方だが、要するに自分が何を知っていて何を知らないかの区別(境界)をはっきり持たない人には、喜びや感動はボヤーとしか訪れないということだ。逆に、自分が知らないことを明確に持っている人には、すごい感動がいつも訪れる。毎日の経験は、未知との遭遇の連続に違いない。

一体知ることとは何か。それは、意味を見出すことだ。混沌の中に意味を見出すこと、それが知るということだ。意味があることは知ることが出来るし、意味がないことを知ることは出来ない。だってそれは無意味だから。

それでは意味とは何か。意味とは類似性だと思う。二つの事柄が同じか似ているといことを見出すことが何かに意味を見出すことだと思う。と、そこまで考えておかしいことに気がついた。だって、感動するためには何か異質なことが起こることによってもたらされるのに、それを突き詰めるとそれは同質なものを見つけることだということになってしまった。異質と同質が同じ???

世の中は矛盾に満ちている。それだけは言える。間違いなく。