少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

何かが上手くいくこと

2005-02-13 17:10:06 | 哲学
何かが上手くいくこと。

それは、もしかするとそれ以上の理解を神様が望んでいないということではないだろうか。

何かが上手くいくということ。それは人々に満足感を与える。

いや、満足感を得ることが上手くいくことの定義といってっもいい。

神様は人に満足感を与えることによって、それより先に続く道を霧の中に閉じ込めてしまう。

小さな満足なら、人はそれを乗り越えていけるかもしれない。

でも、その満足が大きくなればなるほど、それを乗り越えて貪欲に進むことは難しくなる。

何かが上手くいかないとき。あなたはまだだ大丈夫。

何かが上手くいったとき。そのときこそ、よく考えることだ。

でも、なんでそこまでして神様にさからうのだろうか?

多分私たちはそういうふうに作られているのだろう。神様によって。


カメラについて

2005-02-13 15:27:29 | 写真
カメラには二つの使い方ががある。

一つは思い出を作るための道具。楽しかったこと、感動したこと、悲しかったこと、驚いたこと。

いろんな気持ちを残しておくために。

気持ちは一瞬である。全く同じ気持ちが、二度と繰り返されることはない。

だから、一瞬を捉える機敏さがカメラには必要だ。

露出やシャッタースピードなんて考えている暇はない。パッと撮る、立て続けに撮る。

今までも、そんな気持ちになって3,4枚をパッパッととった写真はまず間違いなくいい。そこには気持ちが現れている。

それは、永遠の時間の中のほんの一瞬のできごとに集中することだ。

カメラのもうひとつの使い方は、言うなれば心を探すための道具。

対象をじっくり観察する。ディテールをしっかり見つめる。すると、心の中が見えてくる。いままで見えてなかった心の中の何かが次第に姿を現す。

そこには時間の概念はない。時間も因果律も越えた何かがそこにはある。

露出やフォーカス、シャッタースピード、もちろんフレーミングも大切だ。レンズのチョイスもあるだろう。全てのディテールに集中することが心を見つけるためには必要だ。

ハッセルとクラッセ、僕にとってそれは上の二つの目的のための道具だった。

クラッセは露出の調節やシャッタースピードのマニュアル設定とかがあったが、ほとんど使うことはなかった。友達やふっとした町の風景を撮るのに使ったのはオートモードだけ。ひょいとかばんから出してスナップした。楽しかった。

ハッセルはもちろん、電池も入っていないカメラである。自分では何もやってはくれない。全てを自分で決める必要がある。時々あのカメラをかばんに入れて町を歩いた。とにかく重い。引っ張り出すのでさえ大変だ。手で持って撮影するのは相当の体力と技量を必要とする。三脚の上に座った方があのカメラは心地よさそうだ。

カメラの2つの使い方。たぶんそれはどこかでつながっていると思う。スナップショットを撮るときも撮影条件はもちろん大切だし、広大な風景をじっくり撮る時だって時間ごとに変わっていく光線の状況に気をくばって、瞬間を大切にしなければならないのだから。

カメラの二つの使い方。それは本当は使う本人の問題なのだ。

ハッセルのようなカメラを使いこなしたかったらクラッセのようなカメラを使いこなすことが必要だし、クラッセのようなスナップカメラを使いこなしたかったらハッセルのようなマニュアルカメラを使いこなす必要がある。

フジのNATURAのモニターに応募した。あのカメラ使ってみたいなあ。

ハッセルを使いこなすための秘密がそこに隠されているような気がしてならない。