少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

似ているモノ

2005-02-11 21:22:09 | 哲学
ちょっとクラッセショックからまだ立ち直っていないのだけれど、そういってもしかたがないので気持ちを入れ替えて、最近考えていることを書くことにしよう。

最近僕の頭の中で、もうちょっとでくっつきそうなものがいくつかある。それは対数正規分布というなんだか難しそうな話と関係する。

対数正規分布というのは、数値のばらつき具合がその値に比例すると仮定したときの分布の形だ。たとえば来年の収入の振れ幅は、今年の収入の大きさに比例する場合などがあげられる。この分布は、よく知られている釣鐘型の正規分布を少し右側にひずませたような形をしてる。
もうちょっと詳しくは、たとえばhttp://www.scej.org/kakoushi-sp/SQC/sqc04/SQC04c.pdf

値がゼロのところには全く値は振れない。反対に無限に大きい値のときの振れ幅も無限になる。まさに混沌と秩序という自然のスペクトラムそのものだ。

全くの混沌(ランダム)も完全な秩序も、そこにはなんの面白さも美しさもない。自然は、その両極端の間に全て含まれている。複雑さ、美しさ、意味、全ては混沌と秩序の間に存在する。

ビジネスでも同じようなことが言えそうだ。それはベンチャー企業と大企業の関係だ。ベンチャー企業というのはそれぞれの粒がとても小さい。まさに混沌と言う言葉がピッタリだ。それに対して大企業は、秩序そのものである。秩序が作り出す効率性が生産コストを下げマスプロダクションを可能にする。

でも、完全な秩序や完全な混沌も面白くないように、ベンチャーも大企業も、それほど面白いものではない。ベンチャーの不安定性や信用の欠如は、ビジネスにおいては致命的だし、大企業の反動的な体質は時代の変化からとりのこされてしまう。面白い企業と言うのは、必ずその中間にポジショニングをとっている。たとえば、ホンダのような天才的な技術者と現実的な財務担当者の組み合わせだ。

研究活動でも同じことが言えると思う。理論も何もないテーマではどうにもならないが、あまりに教科書どおりのデータが出ても、それはまたつまらないだろう。面白い研究と言うのは、知っていることと知らないことの境目あたりにフワフワと存在している。

写真だっておなじではないだろうか。ぐちゃぐちゃの構図も何もない写真というのは、文字通り意味不明である。でもあまりに整然と画面を分割してしまうような写真と言うのも”だめな”写真の典型だ。基本的な構図の中にランダムな意外性を取り入れること、それが写真に”味”を加えていく。

ね、みんな似ているでしょう。どう思います?

クラッセ紛失

2005-02-11 18:46:27 | 写真
用があって出かけた東京国際フォーラムでクラッセをなくしてしまった。
ハッセルと両方持っていったのだが、あわてて何枚か写真を撮ったときどっかにおいてきてしまったらしい。ちょっとショックである。

あのカメラは、フジのサイトで景品としてもらったものなのだが、僕にアナログ写真の面白さを教えてくれた大切なカメラだった。

もちろんハッセルとは比べようもないのだが、フジらしい派手さはないが落ち着いたフォルムで僕はとても気に入っていた。リバーサルを入れて何本のフィルムを撮っただろう。たくさんの思い出があのレンズを通してフィルムに刻み込まれていったのに。

なんだか、まだひょこっと出てきそうな気もするのだが、現実には厳しいなあ。

モノへの思い、それは人への思いとなんら変わるものではない。あー、今日午前中までは僕のかばんの中にはいっていたのに。

さようなら、そしてたくさんの思い出をありがとう。