しばらく天気が悪く観測できなかったが、久しぶりに満月に近い月を観測した。今日見たのはバイイという南東部にある大きなクレーター。海と言ってもいいくらいの立派な大きさだ。
スケッチをするときに今日考えたことは「認識」について。
望遠鏡でクレーターをスケッチするときの仕方には2種類あるような気がする。一つは機械的に見えた構造を書き写していく作業。もう一つは見た図形を解釈して3次元の地形として認識してから描いていく方法。
前者の描き方は、ちょっと見るときちんと書き写して行くから間違いがないように思えるが、実際のところ大局的なバランスがだんだん崩れて最終的にはおかしなスケッチになってしまうような気がする。後者はちょっと時間はかかるけど出来上がりはこっちが数段いい。
目に入ってきた情報を出来るだけ先入観を捨てて描いていく。丸いクレーターも良く見るとちょっといびつになっていたり、一部に切れ間があったりする。ちょっと気を抜くと頭は「あっ、それは丸いクレーターね」見たいな認識をしてそれ以上の情報の取り込みをやめてしまう。丸いと思った外輪山にも良く見ると細かい構造が見えてくるのだ。中途半端に認識して言葉に置き換えてはいけない。どこまでも小さい構造に意識を向ける。
対象を3次元的に認識してから描くことと、どこまでもディテールまで観察して描くことはお互いに矛盾した話だ。地形を地形として認識した瞬間に、それ以上の詮索は行われなくなるからだ。どこまでもどこまでも観察を続け、どうにもならなくなったところで認識を行う。そういうプロセスを進めていく。
でも、全体のバランスいうか大きな構造の形も実は大切だ。部品の寄せ集めではいいスケッチにはならない。少なくとも後で「いいなあ」と思えるスケッチにはならない。
たかがスケッチ、されどスケッチ。なかなか難しいけど、楽しいね。
スケッチをするときに今日考えたことは「認識」について。
望遠鏡でクレーターをスケッチするときの仕方には2種類あるような気がする。一つは機械的に見えた構造を書き写していく作業。もう一つは見た図形を解釈して3次元の地形として認識してから描いていく方法。
前者の描き方は、ちょっと見るときちんと書き写して行くから間違いがないように思えるが、実際のところ大局的なバランスがだんだん崩れて最終的にはおかしなスケッチになってしまうような気がする。後者はちょっと時間はかかるけど出来上がりはこっちが数段いい。
目に入ってきた情報を出来るだけ先入観を捨てて描いていく。丸いクレーターも良く見るとちょっといびつになっていたり、一部に切れ間があったりする。ちょっと気を抜くと頭は「あっ、それは丸いクレーターね」見たいな認識をしてそれ以上の情報の取り込みをやめてしまう。丸いと思った外輪山にも良く見ると細かい構造が見えてくるのだ。中途半端に認識して言葉に置き換えてはいけない。どこまでも小さい構造に意識を向ける。
対象を3次元的に認識してから描くことと、どこまでもディテールまで観察して描くことはお互いに矛盾した話だ。地形を地形として認識した瞬間に、それ以上の詮索は行われなくなるからだ。どこまでもどこまでも観察を続け、どうにもならなくなったところで認識を行う。そういうプロセスを進めていく。
でも、全体のバランスいうか大きな構造の形も実は大切だ。部品の寄せ集めではいいスケッチにはならない。少なくとも後で「いいなあ」と思えるスケッチにはならない。
たかがスケッチ、されどスケッチ。なかなか難しいけど、楽しいね。