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なぜ日本の学校はつまらなくなったのか…ある日突然、娘が不登校になった親が明かす「人格無視の実態」

2024年11月04日 07時28分04秒 | 教育

「学校がつまらない」娘が不登校に…

「娘が『学校がつまらない』と言って、不登校になっています。ずっと理由が分かりませんでしたが、学校に行って『そういうことか』と思ったのです」

都内在住の川上宏美さん(仮名、40代)の娘は、公立小学校に通う小学5年生。3年生の時から登校を渋るようになり、不登校気味だった。5年生の2学期になると、好きな図工と家庭科がある日以外は学校に行かなくなった。

宏美さんが忘れ物を届けようと学校に行った時に低学年の教室の前を通りがかると、女性の教員がイライラした様子で「そこっ!〇〇さんと〇〇さんっ!おしゃべりしないで前を向きなさい」と怒鳴っている。宏美さんが見る限り、クラスメイト同士ちょっと顔を合わせて笑った程度だった。子どもたちに何か作業をさせている間、教員が児童の様子を見回るが、腕組をしながら上から目線。まるで工場で検品しているかのような厳しい態度で子どもたちをチェックしていた。

 
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〔PHOTO〕iStock© 現代ビジネス

高学年の教室がある廊下では、男性の教員が男子児童を教室から引きずり出して叱責していた。何か悪ふざけでもしていたのかもしれないが、宏美さんには「もっと違った指導ができないものか」と不快な気持ちが残った。

校庭でも教員が大声を張り上げて指示している。子どもたちが行進する姿や教員の号令によって一斉に動く姿は、まるで北朝鮮の軍隊のようだった。体操服はあっても赤白の体操帽子を忘れると、見学が強いられる。違うクラスの友達や、違う学年の兄弟姉妹に借りてはいけない学校内の「謎ルール」があり、この日も何人かが見学していた。

娘は胸の大きさが目立ってくると、体操服を着ることを嫌がり、体育を見学することが増えていた。白いシャツはズボンの中に入れて体育の授業を受けなければいけない。それも体型が目立つため嫌がり、体操服をズボンの外に出して授業を受けると教員から厳しく叱られ、体育を見学するよう命じられ、「反抗的だ」という烙印を押された。娘や同級生は腕や足の体毛が気になり始め、半ズボンへの抵抗感が強くなっていた。

宏美さんは体操服について学校と話し合い、学校指定以外の運動服や、胸や体型のラインが目立ちにくい紺色の体操服の着用を求めたが、「上着を巻き込んだら危険だ」「モラルが低下する」という理由で叶わず、納得がいかない。

「中学生なら長袖・長ズボンのジャージもある。大学生になれば市販の運動着でもいい。小学生だからといって、皆で同じ、昔ながらの白い半袖に紺の半ズボンを着る必要性が本当にあるのでしょうか。マット運動や鉄棒で服を巻き込む可能性があるのは分かります。そういう時だけズボンに入れれば済むのではないでしょうか。赤白帽子を忘れただけで見学というのは、教育を受ける権利を奪っているのではないか。友達同士で貸し借りして助け合ったり、代用を考えるというのも大事な教育なのではないか」

宏美さんには、そうした疑問が拭えない。「右へ倣え」の一斉指導が、子どもを息苦しくさせているとしか思えなかった。「だから、娘は学校に行きたがらないのだ」と。

筆者の取材からは、こうした教員の考える「枠」にあてはまらない子どもたちが排除され、傷つき、不登校になるケースが全国各地で散見される。教育現場が規格化・画一化されるあまり、子どもたちの人格が無視されてしまうのだ。

「不登校」は過去最多

文部科学省は10月31日、2023年度の不登校の子どもの人数を発表した。「2023年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」によれば、年間30日以上、小中学校に登校しなかった「長期欠席者」は49万3440人に上った。そのうち「不登校」は34万6482人(児童生徒全体の約3.7%)と過去最多で、11年連続での増加となった。

調査結果を詳しく見ると、小中学校の長期欠席者数は2022年度の46万648人から2023年度は49万3440人へと前年度よりも約3万3000人増えている。同様に不登校の人数は2022年度の29万9048人から2023年度は34万6482人へと約4万7000人の増加となっている。

小学生の不登校は13万370人で10年前と比べて5倍、中学生の不登校は21万6112人で10年間で2.2倍になっており、小学生の不登校が大幅に増加している。

今回発表された文科省の調査では、学校が把握している不登校になった理由のトップは「学校生活に対してやる気が出ない」(32.2%)、次に「不安・抑うつ」(23.1%)、「生活リズムの不調」(23%)となっている。

この「学校生活に対してやる気が出ない」のなかには、宏美さんの娘のように「右へ倣え」の一斉指導が影響しているケースもあるのではないか。一律・画一的な教育現場で少しの多様性や配慮が認められず、苦しむ子どもたちがいる。

さらに宏美さん親子を悩ませるのは、周囲の「中学受験熱」だ。首都圏で最大規模の中学受験向け公開模試を行う「首都圏模試センター」によれば、首都圏での2023年の私立・国立中学受験者数が過去最多の5万2600人で、受験率は過去最高の17.86%をつけた。宏美さんの娘が通う学校では約半数が中学受験をする予定で、受験しなくてもほとんどのクラスメイトが塾や習い事に通っている。

中学受験のために小学3~4年生から受験専門の塾に通う同級生は、既に6年生の分の勉強が終わっている。大量に出る塾の宿題は難解で、それを解くのに日々明け暮れるうち、「学校の宿題なんて簡単すぎてやる意味がない」「学校の授業なんてもう分かっている」と言って、児童らは学校の授業を軽視。保護者は学校に「塾で忙しいから宿題を出さないで」と注文をつけている。

塾の多くが毎月実施されるテストの成績順によってクラスが決まるため、教室での話題は塾の成績のことばかり。学年が上がるにつれ、子ども同士、親同士でマウントのとり合いが激しくなる。その雰囲気が、受験しないと決めている宏美さん親子にとっては辛い。受験勉強のストレスで教室は荒れ、教員が子どもたちを管理・統制するしかなくなる。だから、「右へ倣え」となっていく。

そして、そもそも教員は長時間労働によって疲弊している。人手不足で教員が精神的に追い込まれれば、一人ひとりを丁寧に見ることができず、子どもたちを従わせるようになることもある。教育の質の低下とともに指導がマニュアル化し、受験塾で機械的に答えていくことに慣れた子どもたちは、大人が望むことを子どもが答えるようになる。そうした教室が、学校が、楽しいと感じられるだろうか。

「学校がつまらない」「学校が嫌」——。そう言って不登校になるのは、子どもたちの精一杯の抵抗かもしれない。不登校の増加から、規格化・画一化された教育現場の実態に目を向けることが求められるのではないだろうか。

 
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なぜ日本の学校はつまらなくなったのか…ある日突然、娘が不登校になった親が明かす「人格無視の実態」© 現代ビジネス
 
小林 美希(ジャーナリスト)
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どうやって暮らせば?日本で子どもに生活費をあげない親が増加―華字メディア

2023年03月23日 07時02分03秒 | 教育

2023年3月17日、華字メディアの日本華僑報網は「どうやって暮らせば?日本で子どもに生活費をあげない親がますます増加」と題する文章を掲載、日本で大学に通うわが子に生活費を援助しない親が増えていると伝えた。

 

文章は、全国大学生活協同組合連合会が昨年、日本の国公立、私立大学の学部生約9000人を対象に実施した調査で、1カ月に家から支給される生活費が6万7650円となり、年々減少傾向が続いていることが明らかになったと紹介。1円ももらっていない学生も8.3%いたと伝えた。さらに、日本の大手就職情報サイトによると、アルバイトをしている大学生の割合は62.9%で、そのうち生活費を稼ぐ目的でアルバイトをしている学生が約4割を占めることを紹介した。

 

一方で、「生活が苦しい」と答える大学生は8.1%にとどまっているとし、「日本の大学生は家の援助から脱却し、徐々に経済的独立の方向に進んでいる」と指摘。日本では家賃、光熱費、生活費を学生が賄うことは「難しい問題ではない」とし、東京では最低時給が1072円で、週28時間の労働でも1カ月あたり12万円は稼げる上、人手不足によって待遇はさらに良くなっていると説明した。また、ディスカウントストアやセールをうまく利用することで食費を十分に抑えられるほか、飲食店でバイトすれば低コストで賄い飯を食べることができるなど、工夫のしどころが大いにあることを紹介している。

 

文章は「中国人留学生にとっては、両親からの援助が得られなくても、しっかり日本語を勉強し、バイトに勤しめば日常生活の費用を負担することが可能な上、いくらか貯金さえできる。そしてまた、アルバイトをすれば日本の社会に深く入り込むことができ、日本語やさまざまな技能を学ぶ助けにもなる」と伝えた。(翻訳・編集/川尻

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日本には「クソどうでもいい仕事」が多すぎる…もうすぐ韓国にも抜かれる日本のヤバい現実

2022年11月13日 09時10分44秒 | 教育

バラエティ番組『ホンマでっか!?TV』でもお馴染みの生物学者、池田清彦氏の新刊『バカにつける薬はない』が角川新書から刊行された。

綺麗ごとばかり並びたてる「愚か者」を軽快にぶった切っていく本書から、教育現場にはびこるブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に関する一節を紹介する。

© 現代ビジネス

嘘八百の美辞麗句

「政府は学習履歴などの個人の教育データについて、2025年頃までにデジタル化して一元化する仕組みを構築することになりました」というニュースを聞いて呆れてしまった。

「こうした教育データを学校や教育機関が共有して、教育の向上につなげたい」「子供たちの個性を伸ばすことができるよう、教育の現場でデジタル化の環境を整備し、具体的な政策として進めていきたい」ということらしいが、よくもまあ、嘘八百の美辞麗句を並べるよね。

Photo by iStock© 現代ビジネス Photo by iStock

そのうち、課外活動や塾や学校外の活動もデジタル化するつもりらしい。デジタル化すると言ってもオリジナルなデータを集めるのは現場の先生なので、今でさえ忙しい教育現場は、さらに忙しくなり、教育そのものにかける時間はさらに少なくなり、教育は悲惨なことになりそうだ。

現在でも、学校の先生の仕事の大半は教育の向上には全く役に立たない無駄仕事で、デジタル化はこれに拍車をかけるだろう。はっきり言って、志のある若者は政府に管理された学校の先生にはならない方がいいと思うよ。

「2030年頃までには、本人が閲覧できるようにして、生涯学習などに役立てたい」と、とてもいいことのように言っているけれども、余計なお世話だ。大体自分の過去の学習履歴などを参照して、将来の学習に役立てようなどという国民はまずいないだろう。こういう無駄なことに、エネルギーと金を使うので、日本はどんどんドツボにはまっていくのである。

私が現役の高校教諭だった頃も、指導要録というのがあって(今もあるけど)、成績や出欠、その他の素行などの「指導に関する記録」を記載して、5年間(「学籍に関する記録」は20年間)保管しておく決まりがあった。私は担任をしていたので、指導要録を書かされたが、成績と出欠だけ記載して、素行や行動の記録はすべて、特記事項なしというハンコを押して済ませていた。

入学、卒業、退学、転入、転学等の、学籍に関する記録は、本人が証書類を紛失した際に、卒業や在籍を証明する証拠となるため、20年間保管することに意味はあるが、指導に関する記録などは、書いて金庫に保管してから5年間、閲覧する人はほぼ皆無なので、事細かに記載しても時間の無駄なのだ。

だからこういうことにエネルギーと時間をかけるのは無駄仕事の最たるもので、児童生徒と遊んでいる方が余程有意義なのである。

個人の過去の学習履歴をデジタル化しても、本人はまず見ない。そもそも見るメリットがない。データが教育産業に流れて、金もうけの道具に使われるのが関の山だ。実はそのためにやっているのかもしれない。

適当な名目を付けて、税金を使って、私企業の利益に奉仕するといういつものパターンになるのは火を見るより明らかだろう。そのうち個人情報が漏れて、○○さんの中学時代はお勉強もできなくて欠席が多く素行も悪かったなどという情報が、いつの間にか第三者に渡るといったことも起こりそうだ。

Photo by iStock© 現代ビジネス Photo by iStock

おそらく政府の狙いは、児童生徒の政治的傾向をデジタル化して、政府の政策に反抗的な国民のリストを作って、国民を政権の管理下に置きたいということなのだろう。とりあえずお友達企業をもうけさせて、あわよくば、独裁政権の礎を築きたいということ以外に、こんなアホなことをする理由が思いつかない。

進士正憲さんという方がツイッター(Twitter)で述べていたように、国会議員の活動実績、国会・委員会の出席状況、発言履歴、歳費、交通費の収支明細を一元管理して、公表して、国民が必要に応じて閲覧できるようなデジタル化なら大いに意義があると思うけどね。

国民を統制することには熱心だが、自分たちはやりたい放題で、税金の使い道や、怠慢の記録は絶対に公表しないというのは、独裁への道だ。だんだん、現政権を支持する人々が嫌う、中国や北朝鮮の政権のやり方に近づいている。これらの人々が中国や北朝鮮が嫌いなのは、近親憎悪なのかもしれない。

スポーツが好きな人は勝手にやればよい

少し前に、スポーツ庁が、中学生の16%がスポーツ嫌いという調査結果を受けて、これを半減させたいという計画を掲げているという話を聞いた時も、アホかいなと思ったけれども、スポーツ庁とかデジタル庁とかは、本当にブルシット・ジョブで成り立っているような官庁で、国民一般はこんな官庁がなくても一向に困らず、税金の無駄遣いだ。

速やかに解体すれば、日本の凋落の速度は、多少は緩和されるだろう。

ブルシット・ジョブとは2018年出版のデヴィッド・グレーバーの著書の題名で、仕事をしている本人でさえ、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえあると認識しているが、組織の維持、あるいは自身の雇用を守るために、意味があるかのようにふるまわざるを得ない仕事を指す。

例えば、スポーツが好きな人は勝手にやればよくて、それに政府が介入する必要はない。スポーツ嫌いな中学生が16%から8%に減ったからといって経済が潤うわけでもない。スポーツで国威を発揚させて、国力の向上に役立てたいということかもしれないが、はっきり言ってこれは妄想だな。

Photo by iStock© 現代ビジネス Photo by iStock

冷戦の頃、旧ソ連や東ヨーロッパでは、国を挙げてオリンピックに勝つべくステートアマを養成したが、これらの社会主義国はほとんど崩壊してしまった。国威発揚は、国力の向上という観点からは、何の役にも立たなかったブルシット・ジョブだったのだ。独裁者の自己満足みたいなものだな。

プロのスポーツは金もうけのための手段だから、それを規制する必要も補助する必要もない。アマチュアのスポーツは趣味なのだから、好きにやらせておけばいいので、税金を使って振興するのは、スポーツは素晴らしいというイデオロギーのなせる業だ。

私は、自分ではスポーツはやらないし、ほとんど見ない。スポーツ振興に私の納めた税金を使わないでくれと言いたい。そういう人も多いだろう。

私は、時々釣りをするが、例えば調査の結果、釣り嫌いの中学生が50%いるとして、これを25%に下げるために、文科省と農林水産省が協力して釣り振興のために税金を使うと決めたら、おかしいと思う人が沢山いるだろう。スポーツも釣りも、個人の趣味なのだから、スポーツだけを優遇するのは間違っている。

スポーツも釣りも多少は経済振興に貢献するとは思うけれど、スポーツや釣りが盛んになったので、経済が発展したのではなく、経済が発展したので、スポーツや釣りをする余裕ができたのである。現代社会においては、経済を発展させ、国力を伸ばしたのは紛れもなく科学技術で、国は科学技術力を高めるために何をすべきかを第一義に考えるべきなのだ。

学習履歴をデジタル化するというのは、それ自体がブルシット・ジョブの最たるものだが、児童生徒を管理して、同調圧力に従わない個性的で我が強い人間を排除して、先生や上司の言うことを良く聞いて、ブルシット・ジョブもいとわない国民を作りたいという政権の意図が見え隠れする。

先生の仕事は大半がブルシット・ジョブ

日本は、高度成長期にみんなで一律の仕事をして、安価な製品を大量生産するというやり方で、経済成長を成し遂げた。

日本経済が絶頂だった1989年の株価時価総額の世界1位はNTTである。以下、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行が第5位までで、次にやっとIBMが入っている。トヨタ自動車は11位で、50位までに日本企業が32社入っている。それが、2022年のトップ5は、アップル、マイクロソフト、サウジアラムコ、アルファベット(グーグル)、アマゾンで次がテスラ。50位以内の日本企業はトヨタ自動車がかろうじて31位に入っているのみである。いかに日本の経済力が落ちたかがよく分かる。

ちなみに、台湾セミコンダクターは10位、韓国のサムスン電子は15位である。多くの日本人は日本の科学技術力は、台湾や韓国より上だと思っているようだが、これを見ると、少なくとも半導体や電子機器では太刀打ちできなくなっているのは瞭然だ。

台湾セミコンダクターの時価総額はトヨタ自動車の2.1倍、サムスン電子の時価総額は1.6倍である。1990年に一人当たりの名目GDPが世界8位だった日本は、2021年には28位に落ちた。韓国は30位、台湾は32位で、近い将来日本は追い抜かれるだろう。

経済が停滞した原因は、日本がかつての成功体験を忘れられずに、イノベーションを起こす人材を優遇せずに、安売り競争を続けたためだ。その間、世界はITに代表される新しい技術を開発して、価格が高くとも性能が飛躍的に良い製品開発にまい進していたのである。アメリカは1990年代になってから新興のIT産業が伸びて、あっという間に日本を抜き去ってしまった。

日本には、アップルやマイクロソフトの創業者であるスティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツのような人材が出なかったのだ。この二人は、同調圧力が強く、変わり者を冷遇する日本の教育システムでは育たなかっただろう。

何度も言うように、日本の学校や官庁や会社は、ブルシット・ジョブが多すぎて、新しいアイデアを考える暇がない。先生の仕事は大半がブルシット・ジョブ。児童生徒も与えられた課題をそつなくこなすことが過大に評価されて、自ら新しいアイデアを考えることは嫌われる。イノベーションを起こす可能性のある人材を潰すことに精を出しているとしか思われない。

Photo by iStock© 現代ビジネス Photo by iStock

そこを反転させて、先生には自主研修の時間を大幅に与え、児童生徒には学習の自由を大幅に認める教育制度に変えなければ、日本の科学技術は発展せず、どんどん後進国へ滑り落ちていくのは自明だ。ああそれなのに、学習履歴のデジタル化などといった時代錯誤な政策を打ち出すとは、日本の崩壊もいよいよ秒読みに入ったのかもしれない。

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庶民には読み書きそろばん以上の教育は不要…日本の指導者層が「あまりに高い大学費用」を放置する理由

2022年10月18日 06時40分06秒 | 教育

日本の大学の学費はなぜ高いのか。生物学者の池田清彦さんは「教養ある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないどころか、反政府分子になる恐れも強い。むしろ庶民は読み書きそろばんで十分――。そのように日本の指導者層が考えているからではないか」という――。

※本稿は、池田清彦『平等バカ』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

「富裕層の子ども」でなければ東大には合格できない

経済的な格差はあらゆる格差の元凶だが、とりわけ教育の格差に及ぼす影響は大きい。

教育社会学者の舞田(まいた)敏彦(としひこ)の調査によると、大学生のいる家庭の平均年収は私立が871万円、国立が854万円で、大学生の子がいる世代と想定される40代の世帯主家庭の平均である702万円や、50代の世帯主家庭の平均である782万円(「平成30年学生生活調査結果」日本学生支援機構、「平成30年国民生活基礎調査」厚生労働省の数字)と比較して、明らかに高くなっている。

また、学費が相対的に安い国立大生の家庭の年収のほうが高いのは、「国立大学は入試の難易度が高く、幼少期より多額の教育投資(塾通いなど)が求められるため」だと舞田は分析している。

つまり、ある程度以上の富裕層の子どもでなければ、国立行政法人の大学に入る学力をつけられないということだ。

東大生に限っていえば、その家庭の年収分布は40〜50代が世帯主の一般的な家庭のそれとは大きく異なっており、半数以上は世帯年収が950万円を超えているという(図表1)。

「受験は富裕層に有利」もはや当たり前に

ただし、これを意外な事実として受け取る人が果たしてどれくらいいるだろうか。

多くの人は、「それは当たり前だろう」と納得したに違いない。

もちろんダントツに勉強ができる子なら塾も家庭教師も必要ないだろうけど、それは極めてまれなケースであり、一般的にはどれくらい教育に投資したかが、その子の学力、ひいては学歴を左右するであろうことは、今の世の中を見ていれば誰だって容易に推察できる。

また、受験そのものも富裕層に有利にできている。

どこも受験料はバカにならないし、それを何度も払って何校も受験できる子のほうが、そうでない子に比べて大学に進学できる可能性は高いだろう。

学力以外の能力を測るとか、社会的な活動を評価するとかいう総合型選抜(旧AO入試)も、習い事や海外旅行などの豊かな経験を重ねているほうが明らかに有利なのだから、親の年収との関係は大アリだ。

大卒と高卒の格差は歴然

だからといって大学進学を諦めてしまうと、親と同様に経済的な弱者の道を歩むことになる可能性が高い。

大学進学率が50%を超えるような社会では、大卒であることの価値自体、実はあまり高くはない。

しかし、国民全体の学歴が底上げされたぶん、中卒や高卒では社会の低層に沈んだまま浮かび上がれない可能性が高い。

実際60歳までの生涯賃金(退職金を含めず)を大卒と高卒の場合で比較すると、男性の場合は約6000万円、女性の場合は7000万円も差のあることがわかっているのだ(『ユースフル労働統計‐労働統計加工指標集‐2020』)。

その差は歴然であり、結局それが我が子の学力の格差へとつながっていくだろう。

このような「格差の再生産」によって、埋めようのない格差は埋める術を持たぬまま、そのまま拡大していくのである。

「読み書きそろばん」以上を求めていない

だからやっぱり大学に行くしかないと奮起して、なんとか学力をつけて受験を突破したとしても、大学に入ったら入ったで授業料に頭を悩ますことになる。

私が東京教育大学(筑波大学の母体となった国立大学)に入学した1966年当時、国立大学の授業料は年間1万2000円だった。

当時の大卒の初任給はおよそ3万円だったが、現在は22万円ほどになっているので、それで換算しても年間9万円程度だから随分割安であったと思う。

しかし、1975(昭和50)年には3万6000円、1976(昭和51)年には9万6000円、1978(昭和53)年には14万4000円、1980(昭和55)年には18万円とうなぎのぼりに上昇していく(図表2)。

これは国家の指導層が、資本主義には読み書きそろばんと多少の事務処理ができる知的レベルがある労働者がたくさんいれば十分だと考え始めたせいだと私は思っている。

税金を使ってまで国立大学に通わせて、それなりの教養がある知識人を増やしたところで、資本主義にはたいして役に立たないばかりか、政府の政策にいちいち文句をつける、反政府分子になる恐れのほうが強い。

だったら授業料を高くして、貧乏人を遠ざけてしまおうという魂胆だったのだろう。

奨学金という名の立派な借金

しかし、当の一般大衆は、我が子には自分より多い収入を得させたいという夢を描いていた。そのためにはやはり大学には行かせなければと考えたので、授業料が上昇したにもかかわらず、大学進学率も同様に上昇していったのだ。

その後も財政悪化を理由に国から大学への補助金は年々引き下げられ、国立大学の授業料は2003(平成15)年には52万800円になっている。2004年に国立大学法人となって以降は53万5800円とされる標準額から一定範囲内なら独自の判断で授業料を増減できることになったため、例えば東京工業大学の2021年の年間授業料は63万5400円にまで膨(ふく)らんでいる。

授業料が高くても、奨学金などのケアがあれば公平なのだが、2020年に始まった国の修学支援制度は、住民税非課税世帯とそれに準じる所得の家庭に限られており、相対的な低所得層まで十分カバーされているとは言い難い。

奨学金の中には返済義務のあるものも多く、なかには有利子のものまで含まれるので、これはもう奨学金という名の立派な借金である。

大学に進学しても逆効果に

こうなると社会人生活とともに借金返済が始まることになり、頼らざるを得なかった奨学金によってマイナスからのスタートになってしまう。

大学を卒業したとしても、非正規社員などの不安定な職にしかつけなかった場合は、その借金のせいで生活はどんどん困窮していくかもしれない。

経済的弱者からの脱出を目指し、必死に努力して大学に進学したことがかえって逆効果になってしまうというのは、あまりにも気の毒な話である。

そういえば、私の若いころは、大学院の奨学金をもらえるかどうかは親の収入などとは関係なく、あくまでも成績順で決まっていたと記憶している。

大学院は純粋に学問をする場であることからしても、実にシンプルで理にかなったシステムだと当時は感じていたが、よくよく考えると、そのころは家庭の経済状況がいいあんばいに平等だったからこそ、それでよかったのだろう。

今も優秀な学生の授業料を免除するシステムはあるが、学力や体験の格差が、家庭の経済格差に左右される状況下では、そのような奨学金システムが果たして本当に公平なのかどうかは、なかなか悩ましい問題だね。

---------- 池田 清彦(いけだ・きよひこ) 生物学者、評論家 1947年、東京都生まれ。東京教育大学理学部生物学科卒。東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。専門は、理論生物学と構造主義生物学。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」への出演など、メディアでも活躍。『進化論の最前線』(集英社インターナショナル)、『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)、『自粛バカ』(宝島社)など著書多数。 ----------

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教員免許更新制が廃止へ 「儲かるからやっていた」との指摘も

2022年06月13日 06時13分22秒 | 教育

7月1日から教員免許更新制が解消される。公教育の質の向上を目指して、2009年4月1日から鳴り物入りで始まった同制度だが、あっけなく終了が決まった。俳人で著作家の日野百草氏が、免許更新制を教員はどのように考えて講習を受けていたのか聞いた。

【写真】教育再生会議の初会合

* * *

「時間も手間もとらせて自腹でした。それでお終い。ほんと、教免更新ってなんだったんですかね」

久方ぶりの再会に世間話がしばらく続き、やっと本題と饒舌になる筆者の知人の教師。教免更新とはもちろん「教員免許更新制」に基づく「教員免許状更新講習」(以下、教免更新)である。導入された2009年以降「10年ごとに30時間以上の免許状更新講習を受講し、修了すること」(資格取得時期、期限による)が求められてきた。2000年頃から生徒の学力低下が問題として取り上げられることが増えていたが、同時に教員の質も問われるようになり、教員の能力向上を目指して始まった制度だった。

制度の内訳の詳細はケースバイケースで事例も所属や地域、取得時期にもよる。各教員免許取得者それぞれの事情も異なるため一概には言えない上に一切必要のなくなった話なので割愛するが、これだけははっきりしている。2022年7月1日をもって廃止という性急ぶりも含め、最後まで迷惑な制度であった。これも個々の事情によるが、筆者の知る限り、教免講習は先生自身の自腹でもあった。数万円(多くは3万円程度、主幹教諭など一部は支給された場合も)とはいえ、交通費含め身銭を切るとなると進んで出したくはない金額だ。

「これ、上も下もみんなわかってたはずですよね。だから言い出しっぺが消えたら止めるって話で」

言い出しっぺ、とは安倍晋三元内閣総理大臣のことで、彼の肝いりで設置された「教育再生会議」のことだという。この名前を覚えている人がどれほどいるだろうか。第一次安倍内閣が2006年10月に設置した諮問機関であったが、その内閣が2007年9月退陣と短命に終わり民主党に政権交代してしまったため2年あまりで解散となった。しかしとんでもない置き土産だけは置いていった、それが2007年6月に導入された教育職員免許法改正による「教員免許更新制」である。諮問機関に決定権はないが、教育再生会議が2007年1月に提出した第一次報告があってこその法改正だった。その後、間を挟んで安倍内閣(第二次)が復活、「教育再生会議」も「教育再生実行会議」と名を変え復活、見直されることもなく、一貫して教免更新制度は続けられた。決定権がないとはいえ、いずれも現場の教員からすれば責任あるように見えてしまうのは仕方のない話かもしれない。

「従うしかないからこそ、理不尽だと思います」

 

教員免許状更新講習は、はっきり言ってムダだった

お上が決めれば従わざるをえない。とくに資格に基づく仕事となると、その資格が無ければ仕事ができない場合も多く、これまた仕方のない部分である。ちなみに筆者からすると教育再生会議は人気者を集めて話題になった記憶がある。浅利慶太(劇団四季創設メンバー)、海老名香葉子(初代林家三平の妻)、小谷実可子(シンクロ銅メダリスト)、渡邉美樹(居酒屋チェーン・ワタミ創業者)、張富士夫(トヨタ自動車会長・当時)など、座長はノーベル科学賞を受賞、のちに理化学研究所理事長となり小保方晴子らのSTAP細胞不正論文事件の渦中に退任した野依良治であった。(※敬称略)。

「いろんな意見を聞くつもりだったんでしょうけど、教免更新がそんな組織に決められたのは現場の当事者としては釈然としませんね」

繰り返しになるが、教育再生会議は単なる諮問機関であって、意見をとりまとめて内閣に提出しただけである。だが、提出した報告書が、前年に改定された教育基本法に愛国心に関する記述が明記されたことに続き、これまで教育現場に対して遠慮すべきとされてきたこと、教員免許の在り方に介入したい政府に利用された印象は否めない。現役の教師が「組織」だと受け取ってしまったのは、独立した機関に見えていなかったということだろうか。

彼だけでなく複数の教員、もしくは教員免許取得者の話も聞いているが、誰一人として、「教員免許更新制」が素晴らしかったなどと言っていない。導入のきっかけは「教員の質の低下」で当時の教員バッシングに乗った形だが、いまとなってはそのエビデンスはどこまでのものだったか。「教員免許状更新講習」の運営側にいた元スタッフまでもこのように語る。

「はっきり言ってムダです。意味なんかないことは百も承知で、儲かるからやってる組織でした。天下りはもちろん、教育コンサルとかIT屋まで入り込んで、一部は好き勝手でした」

教員が受ける講習は母校の大学を利用する人が大半だと思っていたが、どうやら教員免許更新を専門に扱う企業や団体があるようだ。振興財団、推進機構、セミナーハウスといった類で、大学の中にはそうした企業や団体に教免更新の講習を依託しているところもあるという。この元スタッフが所属していた団体もそうだと語る。

「元教育関係者はもちろん、教育関係の役人などが退職後に関わってました。理事クラスは文科省の天下りもいました」

元スタッフが講習に関わる仕事をしていた時期は、これまたみなさん覚えていない人も多いだろうが2017年に発覚した文部科学省による組織的な「天下りあっせん事件」より前である。当時はスキャンダルとして大きく取り上げられ、なんと事務次官自身が天下りあっせんはもちろん貧困女性の実態調査の名目で出会い系バーに通っていたことがバレて辞任、退職金約5610万円を貰って自己都合退職したことに非難が殺到した。

「終わった話とはいえ彼、SNSでけっこう人気でしょう。ほんと、みんな忘れっぽいんでしょうね」

うろ覚えだがその件、調査の場所が新宿の出会い系バー「ラブオンザビーチ」(当時の店はすでに閉店)だったことは妙に印象に残っている。それはともかく、その他にも東京国立博物館館長、日本宇宙フォーラム理事長、東京理科大学副学長、大学入試センター理事など(すべて当時)、天下りあっせんに関与したと文科省調査により認められた元役人たちがそれぞれ処分を受けた。

「みんなすぐ忘れちゃいますよね、そもそも教免更新自体、『すでにあるもの』として長く定着したわけで、教免捨てちゃった人(条件による)も多いでしょうね」

先に言っておくが、講習を受けずに教免が失効してしまった人もすべて救済されることとなった。つまり、現役の教員として更新した人以外で教免を失いたくないがために講習を受けた人には申し訳ないが、面倒だからいらないと講習を受けず失効した人も含めて遡って復活するため(旧免許は自動的に復活、新免許は再申請が必要。詳細は各自、所属および関係機関に確認を)、資格喪失の有無を伴う意味での免許更新に限ればすべて「無かったこと」になる。まあ、「教員としての再勉強になりました」という人もいるかもしれないが。

「いや、学校の手前そう報告するでしょうが、(先生方の)本音は違うでしょう」

 

いきなり「発展的解消」

教員、とくに小中学校の教員は激務とされる。子供たちひとりひとりの個性も学力も違えば生活環境、家庭環境も違う。部活も受け持てばさらに激務は増す。医療や福祉と同様、構造的な問題が労働環境を悪化させているが、多くの人間、まして子供を扱う仕事ともなれば責任も重大、杓子定規に時間を決めて仕事スタート、はい終わりといくわけもない。働き方改革はもっともだが教員としての熱意があるほどに、教員自身の人生そのものを削ることにもなるのが教育現場の現実だ。

「それに先生方だって研修は常にしていますからね、内容が伴っているかはともかく、そういった研修を上回る成果が(教免更新)講習にあったかといえばないですね。大学の先生やコンサルにいまさら教わることもねえ、という感じで」

教育に関する研修そのものは自治体や関係機関、自校内でも定期的に行われている。多くの先生方は研修そのものが嫌なのでなく、二度手間、かつ意味がよくわからない研修でしかない更新講習だから嫌なのだ。受講先にもよるのだろうが、小中高の実際の現場を知らない大学教員の古臭い講義をひたすら垂れ流すだけの大学もあったという。

「大学や大学教員のお小遣い稼ぎとしか思えませんでしたね。でも、いきなり『発展的解消』なんて言われて大学側も怒り心頭じゃないですか」

その『発展的解消』というのはいかにもで、かつての旧日本軍が敗北を伝えるときに使った『転進』みたいだ。

「懐の寂しい地方の零細大学や無名大学にとって、新しい収入源になっていたことは事実でしょう」

大学側には可哀想だが、簡便なオンデマンド講習でこれからも小銭を稼ごうとしていた大学の中には「詳細は文科省に聞け」とばかりにやけっぱちの終了宣言をサイトに貼り付けている大学もある。また「キャンセルは受け付けるが講習は開講する」という大学もある。急に止めるにも講習の講師やら諸々のスケジュールも押さえている手前、強行するしかないのだろう。もっとも、更新そのものが廃止のいま、わざわざ安くない授業料を払って必要なくなった講習を受ける教員も少ないだろうが。

「eラーニングには民間企業も食い込んでましたから、いろいろ影響あるんでしょう、システム構築に安くないお金を払ってたと思いますよ」

教員免許講習もまたコロナ禍でオンデマンドやライブ配信によるeラーニングが増え始め、大手企業傘下のシステム会社も多数請け負っていた。

「でも大学はまだマシですね。機構やら財団やら、もっともらしい名前で教免更新を運営していた連中が一番最悪だと思います。全部がそうとは言いませんが、あれこそ天下りのための組織ですよ」

あくまで彼の感想だが、その機構やら財団やらの中には早くもホームページを閉じて店じまいの団体もある。本当に教免更新とは何だったのか。当初の目的である、教員の質の向上とは何を目指していたのか。アフターケアがちゃんとしている仕事ならば、人気職業となってもよいはずなのだが、この間に生じた教員不足は深刻で、2021年度には全国の公立小中高校、特別支援学校で2558人の欠員が生じた。冒頭の教師が述懐する。

「私の時代は就職氷河期で教員採用試験は高倍率でした。それがいまや定員割れに近い地域もあります」

 

教員免許がなくても教職に就ける「特別免許制度」

1990年代から2000年代、教員採用試験の倍率は高かった。教員免許をとっても教員になれない教員志望者は多かった。2008年の大分県の小学校教員採用汚職事件では娘や息子が教員に採用されるために成績を改ざんした教育委員会の元幹部らが逮捕されたが、いまやその大分県も小学校の採用試験倍率は1.4倍(2022年度)、全国の採用倍率も過去最低を記録した。まさか教員が足りなくなるとは国も思わなかったのだろう。

「少子化ですし、新卒は売り手市場ですからね、教員は不人気商売です。だからといって教員免許がなくても教職に就けるようにする、なんてのはどうかと思いますが」

文科省が掲げた「教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」の達成も曖昧なまま廃止となる。制度が答申された当初の目的「不適格教員を排除する」も達成できたか不明なままだ。懲りずに文科省は「特別免許制度」の活用を通達、特別免許や臨時免許の緩和を図るとした。また東京都は教員免許がなくとも2年以内に取得することを条件に無免の教員志望者が教員採用試験を受験できるようにするという。

「そういうことじゃないんですけどね、教員不足は異常な労働環境がすべての原因です。それでもまあ、何の意味もない教免更新講習が無くなるのは本当によかった。導入に加担した連中は猛省すべきですよ」

話しているうちに感情的な本音が漏れたのか、手厳しい発言。しかし、残念ながらその導入に加担した連中の中にはすでに責任のある立場から去ったり、あるいは加担したことすら覚えていない人物も少なくなさそう。時の流れは早く、すでにお亡くなりになっている方もいる。それを逐一責めるのもあれだが、今回の件をただ「発展的解消」でお終いにするのではなく、教員不足や混乱を招いた反省と検証はすべきだろう。

ともあれ、7月1日から教員免許状更新講習制度は廃止。失効した方々の教員免許も復活する。教免更新は綺麗さっぱり「無かったこと」になる。

「お金返してとまでは言いませんけど、本当に何だったんですかね」

【プロフィール】

日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。

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