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年金6万円で暮らす日本人がかわいそう…海外メディアが報じる「死ぬまで働かされる国・ニッポン」の現実【2023上半期BEST5】

2023年08月27日 07時25分33秒 | 年金対策

2023年上半期(1月~6月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。老後部門の第4位は――。(初公開日:2023年4月11日)

NYタイムズ紙が報じた「ニッポンの高齢契約社員」

会社を定年退職して、大切な余生を満喫するかつての生き方は、日本では夢物語となってしまったのだろうか。

一昔前であれば、定年退職は60歳の還暦が一般的だった。いまや一部企業では65歳まで引き上げられ、2025年4月からすべての企業に「65歳定年制」が義務付けられる。さらに政府は68歳までの延長を検討している。

年を重ねても意欲的に働きたい気持ちがある人々には、頼りがいのある施策だ。だが、好むと好まざるとにかかわらず、全員が「働かざるを得ない」国へと日本は突き進んでいる。例えば、ニューヨーク・タイムズ紙は、契約社員として長年働いてきた男性の暮らしぶりを紹介している。年金は国民年金の月6万円のみだ。住む場所によっては、家賃にも満たないだろう。

なにか食べられる物を買うために、高齢になって体調を崩しても働かざるを得ない。そんな時代への入り口を、日本はゆっくりとくぐりつつあるのだろうか。

高齢者に労働を迫る日本の実態は、海外でも報じられるようになった。

月6万円の年金では暮らしていけない…米紙が報じた日本の実情

ニューヨーク・タイムズ紙は今年1月、日本の高齢化と退職年齢の延長に迫る記事を掲載している。「アジア社会で高齢化が進み、『退職』はさらに働くことを意味するようになった」との見出しだ。

記事は、東京の青果卸売会社で働く73歳の男性の日常に迫る。この男性は重い積み荷を運ぶ業務を日々こなしているが、経済的事情で当面引退できそうにないという。

男性は毎日1時半に起床し、車で1時間かけて湾岸エリアにある青果市場に通う。野菜が詰まったずっしりと重たい箱を都内の飲食店に配達して回っている。医師からは、重量のある荷物を運び続けたせいで、背骨の軟骨がすり減っていると告げられた。

それでも配送の仕事を休むことはできない。男性はこれまで、契約社員などとして各社を転々としてきた。もらえる年金は国民年金の基礎年金分に限られる。同紙に対し、月6万円だけでは生活を維持できないと打ち明けている。

「体が許す限り、働き続けなければならないんです」。忙しく人参の箱を引っかき回しながら、男性は続ける。「楽しくはない。それでも、生きるためにやっているんです」。

寿司職人から庭師になった高齢男性

高齢化の進む地方都市に着目した海外メディアもある。ドイツ国営の国際放送局であるドイチェ・ヴェレは2021年、「日本では70歳から人生が(また)始まる」との動画を公開している。

ドイチェ・ヴェレは、日本の高知県に住む当時70歳の元寿司職人の暮らしを追い、高齢になっても働き続ける日本人の姿を描いている。この男性は、以前は自身の店を持ち、付け場(調理場)で寿司を握る日々を送っていたという。

男性は10年前に店を畳むことにした。すでに高齢であり、これを機に引退後の自由な余生を歩み始めてもおかしくはないタイミングだ。

ところが男性は、再び働く道を選んだ。シルバー人材センターの扉を叩くと、それまで握っていた包丁を剪定(せんてい)ばさみに持ち替えた。現在は、各戸を回り庭の手入れをする植木職人として奮闘している。

男性はドイチェ・ヴェレの取材に明るく応じ、剪定の仕事は自身に合っているし運動にもなる、と笑顔を見せる。たが、働き続けた理由については「年金が少ないので……」と答えた。

数十年前から予見されていたのに…

高齢化は止まらない。総務省統計局によると昨年9月時点で、日本の65歳以上の高齢者人口は、過去最多の3627万人に達した。総人口に占める割合は29.1%と、こちらも過去最高を記録している。

このうち75歳以上の人々に焦点を絞ると、総人口に占める割合は初めて15%を超えた。団塊の世代が75歳を迎え始めたためだ、と統計局は分析している。

人口ピラミッドの異変は数十年前から予見されていたが、歯止めはかからなかった。東京在住のジャーナリストであるティサンカ・シリパラ氏は、政治外交専門誌の米ディプロマットへの寄稿を通じ、「日本では世界中のどの国よりも速く高齢化が進んでいる」と現状を報じている。

 

彼女は論じる。高齢者人口の比率が高まり、年金制度と医療制度に限界が来ていることで、高齢でも働き続けなければならない社会が到来した。そして、「日本では老後を生き抜くことが難しくなっている」と。

生き残るために低賃金の仕事を引き受ける

もっともシリパラ氏は、高齢者を一方的な弱者と見ているわけではない。アメリカでは9月の敬老の日(祖父母の日)が必ずしも定着していないなか、日本では国民の祝日になっており、高齢者に十分な敬意が払われているとの喜ばしい側面を紹介している。

だが、「しかし同時に、高齢者たちは『永遠に』働くための準備をしており、職場に戻ったり、生き残るために低賃金の仕事を引き受けたりしている」とも述べ、日本社会の現状に懸念を表明している。

厚生労働省が昨年7月に発表した「令和3年簡易生命表」によると、日本人の平均寿命は、女性が87.57歳、男性が81.47歳だった。ドイチェ・ヴェレは「医療の進歩により、多くの日本人がこれまで以上に長生きできるようになっている」と指摘する。だが、社会制度がこれに追いついていない側面があることも確かだ。

高齢者人口が拡大する一方、昨年11月までの過去1年間の出生数は、厚労省の速報値によると80万4000人台にまで落ち込んだ。第2次大戦以降、最低の水準だ。ドイチェ・ヴェレは、寿命向上と出生率低下の両輪により、日本の医療・年金制度は変革を迫られていると指摘する。

妻は「働きながら死ぬなんて、とても悲しい」と語った

シリパラ氏はディプロマット誌への寄稿のなかで、高齢社会白書のデータを引いている。各国の60歳以上の人に、今後、収入を伴う仕事をしたいか尋ねた結果、「収入の伴う仕事をしたい(続けたい)」と答えた人の割合が40.2%に上っている。アメリカの29.9%、ドイツの28.1%と比較し、日本人の労働意欲は高い。

ただし見方を変えれば、高齢になっても働きたいというデータは、働かなければ暮らせないという事実の裏返しでもある。年金だけでは生活を維持できないという、過酷な現実がそこにはある。

前掲のガス会社男性の妻は、働きに出る夫への謝意を示しつつ、ニューヨーク・タイムズ紙に対して胸中の迷いを打ち明けている。「働きながら死ぬなんて、とても悲しいことです。そんなふうに最期まで働いてはいけないんです」

だが、働かなければ収入は途絶える。財務省の財政制度等審議会は、68歳への定年引き上げにあわせ、年金の受給開始年齢も同年齢からとする案を検討している。

現在は65歳から受給可能だが、引き上げられた場合、退職から受給開始までに空白の3年間が生じる。手持ちの預金を切り崩しながら耐えられる人ばかりではないだろう。

もっとも海外の報道は、悲壮な日本の未来ばかりを語っているわけではない。ニューヨーク・タイムズ紙はガス管会社の男性について、働きがいが伴っているとも報じている。

男性は定年後に、同じ会社に再雇用された。現在は工事の事前説明など、人と話す仕事を多くこなしている。新しい人と出会うのが好きだというこの男性は、今の仕事に喜びを感じているという。毎日ゴルフをしているよりもずっといい、と語っている。

高齢者が働き手として求められている一面も

仕事を続けたおかげで、夫婦仲も良好だ。この男性の妻は、「(働くということは)私たちの両方が『自分時間』を持てるということです」とニューヨーク・タイムズ紙に語り、適度な距離感が円満に一役買っていると明かした。

また、高齢になっても従来とまったく同じ労働をこなすことを求められるわけではない。

同じ会社に継続雇用される場合でも、異なる会社に再就職する場合でも、肉体的な負担に配慮した業務が割り当てられることがある。

ガス管会社に再雇用された前掲の69歳男性は、以前のような施工業務を離れ、いまは同社による工事の事前説明を担当している。現場付近の住宅を訪問してチラシを配り、住民の理解を得るのが仕事だ。雇用形態は契約社員となり、実入りも減ったが、以前のように肉体労働をこなす必要はなくなった。

日本のある派遣会社の社長はニューヨーク・タイムズ紙に対し、労働市場において高齢者への需要が高い分野が存在すると説明している。例えば、電気やガスなどの工事会社が顧客宅で修理作業を行っているあいだ、社用車の運転席で待機している人材が求められているのだという。

運転席に人がいることで、必要なときにいつでも車を動かせる状態となり、駐車違反を避けることができるのだと同社長は説明している。

自治体によるお見合いパーティーに冷たい視線を送る米メディア

とはいえ、60歳や70歳を過ぎても働かざるを得ない社会は、決して人間らしい老後を安心して送れる社会ではない。年金改革や少子化対策に期待したいところではあるが、国や地方自治体の施策がどこまで当てにできるかは不明だ。

少なくとも一部の施策は、迷走気味だ。東京、宮城、愛知などでは、政府や公的機関が少子化対策を兼ね、お見合いパーティーの支援に乗り出している。

若者にロマンスの場を与え、長期的には若年人口の増加に寄与したい考えだが、米CBSニュースは冷めた視線を送る。同記事は、「この国の長老政治の指導者たちは、結婚を増やすことが解決策になると信じ込んでいるのだ」と厳しい。

同紙の指摘によると、根本的には若者の経済力を底上げするような政策が提示されない限り、結婚し子供を育てようという意思は生まれにくい。

中央大学の山田昌弘教授(社会学)は同局の取材に応じ、少子化はお見合いイベントで解決できる問題ではないと明言している。収入が不安定な男性が増えており、こうした人々が結婚よりも親との同居を選んでいることが課題なのだと教授は指摘する。

老後生活は自助努力に委ねられている

こうした海外報道は、日本の年金制度の問題を的確に突いている。それは、厚生年金の加入者がいる元会社員世帯と国民年金のみ加入の個人事業主世帯では、受け取れる年金月額には大きな差が生じている点だ。

厚生労働省の2019(令和元)年財政検証結果レポートによると、国民年金(基礎年金)の第1号被保険者は約1500万人に上る。そのうち老後も継続収入が見込める自営業者は2割弱にすぎず、大半が短時間労働者や無職なのが現状だ。

ニューヨーク・タイムズ紙が指摘するように、アメリカで401Kと呼ばれる個人型確定拠出年金(個人で積み立てる私的年金)は日本では広く普及しておらず、公的年金だけでは生活費をカバーできないまま、自助努力に委ねられているのだ。

いつになっても労働を求められる日本の老後のあり方は、海外でも注目されるほどの大きな問題となっている。

---------- 青葉 やまと(あおば・やまと) フリーライター・翻訳者 1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。 ----------

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経産省が出てきた時点でアウト…日立の元技術者が「日本の半導体の凋落原因」として国会で陳述したこと【2023上半期BEST5】

2023年08月18日 08時29分40秒 | 日本の衰退
※写真はイメージです
※写真はイメージです© PRESIDENT Online

2023年上半期(1月~6月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。国際・政治経済部門の第3位は――。(初公開日:2023年5月15日)なぜ日本の半導体産業は凋落してしまったのか。半導体産業コンサルタントの湯之上隆さんは「『技術で勝って、ビジネスで負けた』と理解されることがあるが、それは間違っている。端的に技術で敗北したのだ」という――。

※本稿は、湯之上隆『半導体有事』(文春新書)の一部を再編集したものです。

日本の半導体メモリは韓国企業に駆逐された

2021年6月1日午前9時、筆者は、衆議院の分館4階第18委員室の参考人席に着席していた。衆議院の「科学技術・イノベーション推進特別委員会」から、半導体の専門家として参考人招致を受け、「日本半導体産業の過去を振り返り、分析、反省し、その上で将来どうしたらいいか?」について、意見陳述を行うよう要請されたからだ。

 

筆者は20分強の意見陳述で、主として次の3点を論じた。

①日本のDRAM産業は、安く大量生産する韓国の破壊的技術に駆逐された

②日本半導体産業の政策については、経済産業省、産業革新機構、日本政策投資銀行が出てきた時点でアウトとなった

③日本は、競争力の高い製造装置や材料を、より強くする政策を掲げるべきである

以下では、これらの要点について説明する。この意見陳述は、衆議院が作成した動画をYouTubeにアップしている。

筆者は、意見陳述のタイトルを、『日本半導体産業をどうするべきか? ――希望は製造装置(と部品)&材料――』として、自己紹介から話を始めた(図表1)。

筆者は、日本がDRAMで約80%の世界シェアを独占していた頃の1987年に、日立製作所に入社して半導体技術者となった。その後、DRAMのシェアの低下とともに技術者人生を送ってしまい、日本がDRAMから撤退すると同時に、早期退職勧告を受けて、本当に辞めざるを得ない事態に至った。

しかし、転職先探しに時間がかかってしまい、辞表を出しに行ったときには早期退職制度が終わって1週間ほど経っていた頃で、部長から「撤回はなしだよ」と辞表をもぎ取られ、自己都合退職となってしまい、早期退職金3000万円はもらえず、退職金はたったの100万円になった。

1980年には世界シェアの80%を独占したが…

日立を辞めた後、紆余(うよ)曲折の末、辿り着いたところは、経営学研究センターが新設された同志社大学だった。今でいうところの特任教授(当時は専任フェローと呼んだ)のポストに就き、約5年間の任期で、「なぜ、日本のDRAM産業が凋落したのか?」を研究した。その分析結果を要約すると、次のようになる。

日本が強かった1980年代半ば頃、そのDRAMはメインフレーム(汎用(はんよう)の大型コンピュータ)用に使われていた。その時、メインフレームメーカーは、「壊れないDRAM」として25年の長期保証を要求した。驚くことに、日本のDRAMメーカー各社は、本当に25年壊れない超高品質DRAMをつくってしまったのである。それで、世界を席巻し、1980年の中期には世界シェアの80%を独占した。これは、技術の勝利だった。

ところが、1990年代にコンピュータ業界にパラダイムシフトが起き、メインフレームの時代は終焉(しゅうえん)を迎え、パーソナル・コンピュータ(PC)の時代がやってきた。そのPCの出荷額の増大とともに、韓国のサムスンがDRAMのシェアで急成長してきた。

この時、サムスンは、「PC用に25年保証は必要ない。5年も持てばいい。それよりも、PC用DRAMは安価でなければならない。その上、PCの出荷台数が桁違いに多いから、そのDRAMは安価に大量生産しなければならない」という方針でDRAMを製造し、日本を抜き去ってシェア1位に躍り出た。

ビジネスだけでなく、技術面でも負けてしまった

この時、筆者は日立の半導体工場でDRAMの生産技術に関わっていたが、筆者も、日立も、日本の他のDRAMメーカーも、誰もがPCの出荷額が増大していること、サムスンのDRAMのシェアが急成長していることを知っていた。

しかし、そうであるにもかかわらず、相変わらず日本のDRAMメーカーは25年壊れない超高品質をつくり続けてしまっていた。その結果、サムスンの安く大量生産する破壊的技術に駆逐されたのである。

日本のDRAM敗戦について、「技術で勝って、ビジネスで負けた」という人がいるが、それは間違っている。日本は、韓国に、技術でもビジネスでも負けたのである。もっと言うと、技術で負けた要因が大きい。

それは、日本が撤退する直前の64メガDRAMのマスク枚数を見てみれば、一目瞭然である。おおむね微細加工の回数を表しているマスク枚数を比較すると、日立29枚、東芝28枚、NEC26枚だったのに対して、韓国勢は20枚くらい、米マイクロンに至っては約半分の15枚でPC用DRAMをつくってしまった。

当然マスク枚数が多いほど、工程数も多くなり、高額な微細加工装置の台数も多くなる。それ故、製造装置の原価がかさみ利益が出ない。その結果、日本のDRAMメーカー各社は大赤字を計上し、撤退に追い込まれていったのである。これは、明らかに、技術の敗北である。

 

意味なく「超高品質」を目指してしまった

日本の半導体産業は、1980年代に、メインフレーム用に超高品質DRAMを製造して世界シェアの80%を独占した。この時、DRAMメーカー各社の開発センターや工場に、極限技術を追求し、極限品質をつくる技術文化が定着した。1980年代には、それが正義だったため、日本は世界を制覇できたわけだ。

ところが、1990年代になると、コンピュータ業界が、メインフレームからPCへパラダイムシフトした。DRAMの競争力は、「超高品質」から「安価」であることに変わった。しかし、ここで日本は、DRAMのつくり方を変えることができなかった。結果として、過剰技術で過剰品質をつくることになり、大赤字を計上し、撤退するに至った(図表2)。

さらに、1社残った日立とNECの合弁会社のエルピーダは、この高品質病がもっとひどくなり(2005年頃には、マスク枚数は50枚を超えていた)、2012年にあっけなく倒産してしまった。

一方、サムスンはPC用に、適正品質のDRAMを安価に大量生産することに成功し、シェア1位となった。これは、ハーバード・ビジネススクール教授だったクリステンセンが言うところの「イノベーションのジレンマ」の典型例である。超高品質で世界一になった日本が、そこから自らを変えることができなかったため、それより信頼性が劣るサムスンのDRAMに駆逐されていったからだ。

なぜ日本の半導体産業は凋落したのか

問題は、日本がDRAMから撤退し、大規模なロジック半導体(SOC)へ舵を切っても、この高品質病は治らず、より悪化し、重篤化していったことにある(図表3)。DRAMを含む日本のすべての半導体のシェアは、1980年代半ばに約50%でピークアウトして、凋落の一途を辿った。

そのシェアの低下を食い止めようと、主として経産省が主導し、国家プロジェクト、コンソーシアム(共同企業体)、エルピーダやルネサスなどの合弁会社を設立したが、全て失敗した。何一つ、シェアの低下を食い止めることはできなかった。

それはなぜか? その主たる原因は、診断が間違っていたことにある。人は、「咳が出る、熱がある、身体がだるい」という症状が出たら、病院に行って医師の診察を受ける。昨今なら、コロナなのか、インフルエンザか、単なる風邪か、という診断を受け、それをもとに処方箋を出してもらう。

日本の半導体産業も、各社のトップ、産業界、経産省、政府などが、病気の診断を行い、それに基づいて処方箋を作成し、実際に処方した。しかし、全て失敗した。その理由は、診断が間違っていたからである。そのため、その処方箋も的を射ていなかったわけだ。

「過剰技術・過剰品質」にこだわり過ぎてしまった

日本の病気の本質は「過剰技術で過剰品質をつくってしまう」ことにあった。しかも、時代が変わっているにもかかわらず、過去の成功体験を引きずり、「今でも自分たちの技術が世界一」と己惚(うぬぼ)れていた。

誰もこの病気に気がつかなかったばかりか、より過剰技術で過剰品質をつくることに、各社、産業界、経産省、政府が注力した。その結果、病気は治らずより悪化し、エルピーダなど死者もでた。そして、SOCビジネスも壊滅的になってしまった。

日本の半導体産業は挽回不能である。特に、TSMCが世界を席巻しているロジック半導体については、日本のメーカーは2010年頃の40nmあたりで止まり、脱落してしまった。いったん、微細化競争から脱落すると、インテルの例でわかるように、先頭に追い付くのはほとんど不可能である。

したがって、日本がいまさら、最先端の7~5nmを製造することなど(まして2nmなど)、逆立ちしたって無理である。ここに税金を注ぎ込むのは無駄である。歴史的に見ても、経産省、産業革新機構、政策銀行が乗り出してきた時点でアウトなのだ。

半導体材料や製造装置には希望がある

では、日本に希望の光はないのかというと、まだ、ある。それは次の3点である。

①ウエハ、レジスト、スラリ(研磨剤)、薬液など、半導体材料は、日本が相当に強力である

②前工程で十数種類ある製造装置のうち、5~7種類において、日本がトップシェアである

③欧米製の製造装置であっても、数千~十万点の部品のうち、6~8割が日本製である

つまり、半導体デバイスそのものには期待できないが、各種の半導体材料、前工程の5~7種類の製造装置、そして、装置が欧米製であっても各装置を構成する数千点の部品の内の6~8割が日本製であり、ここに日本は高い競争力を持っている。

アジアを俯瞰(ふかん)すると、明確な役割分担が見えてくる(図表4)。

「強いものをより強くすること」が重要

サムスンとSKハイニックスを擁する韓国は、メモリ大国となった。台湾には言うまでもなくTSMCがある。ファウンドリーで世界シェア1位、微細化でもぶっちぎりのトップを独走する、世界の半導体のインフラだ。中国には、ホンハイの大工場群があり、世界の半導体の35%以上を吸収し、各種電子機器を組み立てる世界の工場となった。

これに対して、日本は、韓国にも、台湾にも、そして欧米にも、半導体製造装置(およびその部品)と半導体材料を供給している。装置、部品、材料、その中の一つでも供給が止まれば、韓国も、台湾も、欧米も、半導体を製造できない。そのような重要な役割を日本は担っている。

世界中のファブレスが殺到するTSMCが注目されている。しかし、そのTSMCといえども、日本製の装置(とその部品)や材料なくして、最先端プロセスで半導体を製造することはできない。その装置の半分弱が日本製であり(部品レベルでは6~8割が日本製)、材料の7~8割が日本製なのだ。

したがって「強いものをより強くすること」を第1の政策に掲げるべきである。これが、日本半導体産業に対する筆者の提言である。

意見陳述は政策にまったく生かされなかった

意見陳述の時間は15分だったが、筆者は5分以上超過してしまった。しかし、筆者の意見陳述を止めるものは誰もいなかった。衆議院議員からは、大ブーイングが来ることを覚悟していた。これまでの政府および経産省の政策を全否定したからである。

ところが、意外なことに拍手喝采を受けてしまった。そのため、意見陳述の後に、不思議な気持ちになるとともに、もしかしたら、筆者の主張が議員の胸に届いたのかもしれないという実感も湧いた。

しかし、残念なことに、筆者のこの意見陳述が、その後の半導体政策に生かされることは、全くなかったのである。それどころか、日本半導体産業は問題だらけで、無謀かつ無意味な方向へと突き進み始めていった。

---------- 湯之上 隆(ゆのがみ・たかし) 半導体産業コンサルタント、ジャーナリスト 1961年生まれ。静岡県出身。1987年に京大原子核工学修士課程を卒業後、日立製作所、エルピーダメモリ、半導体先端テクノロジーズにて16年半、半導体の微細加工技術開発に従事。日立を退職後、長岡技術科学大学客員教授を兼任しながら同志社大学の専任フェローとして、日本半導体産業が凋落した原因について研究した。現在は、微細加工研究所の所長として、コンサルタントおよび新聞・雑誌記事の執筆を行っている。工学博士。著書に『日本「半導体」敗戦』(光文社)、『電機半導体大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北』『半導体有事』(ともに文春新書)がある。 ----------

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大富豪と3度の結婚・離婚を経て“億り人”になった女性が説く「本物のお金持ちの投資行動」の破壊力

2023年08月15日 08時04分45秒 | お金持ちの思考
資産家と3回結婚し、3回離婚したのちに、億り人になったという戸塚真由子さん
資産家と3回結婚し、3回離婚したのちに、億り人になったという戸塚真由子さん© マネーポストWEB 提供

 投資ではさまざまなトレンドが現れては消え、めまぐるしい変化を見せている。そんな中で、意外な角度から「お金を増やす方法」を提唱しているのはの著者、戸塚真由子さん。それは「本物の大富豪」が持っているマインドセットを完全に真似して、「億り人」を目指すというものだという。戸塚さんが、月収800万円の生活を捨てることで自身も億り人になった経験を交えながら、億り人の思考法について解説する。

 

「お金の呪い」に振り回された女の半生

「いつか絶対に、お金持ちになってやる」。それが、超ど貧乏な家庭で育った私の、たったひとつの夢でした。

 現在、私はコンサルタントとして顧客や生徒さんの資産構築をお手伝いしています。それ以前は、世界38カ国を渡り歩いて、「本物の大富豪」100人以上と会ってきました。

 なかには文字どおり、資産のケタが違うお金持ちが大勢いました。女性の大富豪とも会いました。そして彼らに「あなたのような大富豪になるには、どうしたらいいのですか?」と、直接教えを請うてきたのです。

 意外かもしれませんが、大富豪たちは相手が信頼できる人間だと判断すると、「お金持ちしか知らない真理」を、惜しげもなく披露してくれました。そうして彼らの生態を直接学びながら、大富豪に共通する思考や習慣を習得してきました。

 そんな私ですが、社会人になったばかりのころは、昼は真面目に働きながら、夜は水商売をしてたくさん稼いでいました。その後、転職して営業職として働いていたときには、歩合制でトップセールスになり月収800万円だった時期もあります。

 その頃の生活は荒れ果てていました。お金を必死に稼ぐことでストレスが溜まり続けて、お金があればあるだけ浪費してしまっていたのです。「お金持ちになりたい」「お金をたくさん使いたい」というコンプレックスに振り回され、心身ともにボロボロの状態でした。

 そうして、自ら稼ぐことをいったんやめて、大富豪との婚活に精を出していた時期もあります。大富豪のなかには実際に交際した人もいますし、なかには結婚まで至った人もいます。その結果、私は資産家と3回結婚し、3回離婚しました。

 そもそも玉の輿が目的でしたので、結婚生活は大変なことの連続でした。けれどおかげで、資産家たちが「お金を増やす極意」を間近で見られました。また、2回目の結婚相手はアメリカ人だったので、アメリカの大富豪ともたくさん接する機会を得られたのです。

「本物のお金持ち」が絶対にしないこと

 みなさんは、「本物のお金持ち」といえる存在に、どれくらい会ったことがあるでしょうか?

「私は年収3000万円もらっている」

「うちの会社は年商10億円も稼いでいる」

 そんな発言で、やんわりとマウンティングしてくる自称・お金持ちに出会ったことはありませんか?

 断言しますが、そんな人は決して「本物のお金持ち」ではありません。なぜなら“本物”は、「自分がいくら稼いでいるか」なんて絶対に公言しないからです。そもそも、「高収入=お金持ち」という感覚こそ、まさに日本人ならではのマネーリテラシー。お金についての教育が、世界標準から遅れていることの証左です。

 

 大富豪たちを見ていて気付いたのは、単に収入が多い人を「お金持ち」とは言わないことです。本物のお金持ちというのは、「働かなくても収入を得られる仕組み」を持っている人のこと。彼らの言葉で例えるなら、「金の卵を産む金のニワトリ」を飼っている人こそが、お金持ちなのです。

「軍資金を稼ごう」とするのは貧者の発想

 それだけでなく、大富豪と私たちとでは、「お金を増やすための発想」がまったく違います。

 一般的に言われている資産構築では、お金を「まずは稼ぐ、その次に増やす」という順番になっています。はじめに元手となる軍資金を稼いでから、それを投資や運用によって増やしていくというわけです。それがごくごく一般的な常識でしょう。

 しかし大富豪は、そうは考えません。「どうやって元手を稼ごうか」なんて、1ミリも考えていないのです。

 では、彼らは何を考えているか。「どうやって元手を集めようか」「どうやって借りようか」と考えるのです。つまり、資産構築をするための元手は、働いて稼ぐのではなく、「集める、借りる」という発想になるわけです。

 私も最初は半信半疑でした。しかし、彼らと長く接して「大富豪になるほど、お金を外から集めている」という光景を目撃するうちに、考えを改めました。

 不動産のデベロッパーとして知られた、地元のある大富豪が言っていました。「お金があったとしても、私は“借金”をします。たとえば100億円自分が持っていたとしても、100億円の借金をするのです。安い金利で借りられるし、信用を積み重ねることで、もっと借りられるようになりますから」

 大富豪や資産家ほど、大きなお金を持っているほうが人生は有利に働くことを知っているのです。

 経営に詳しい人ならわかるかもしれませんが、企業で言う「バランスシート(貸借対照表)」で考えると、納得がいきます。たとえば銀行から1000万円を「借金(負債)」したとしても、バランスシート上ではその1000万円は「資産」としてカウントされます。

 ですから、お金を持っている大富豪が、あえて借金をして、さらに大きな利益を生み出すのです。

お金持ちだけが知っている「現物投資」の破壊力

 では、彼ら大富豪が実際にやっていた投資は、どんなものだったのでしょうか。株? FX? 仮想通貨? いえ、そのようなギャンブル性の高い投資に手を出していた大富豪は、ほとんどいませんでした。そういった、ゼロか100かのスリリングなものは「投機」であって、不確実性の高い投資です。

 では、私が見てきた大富豪たちのお金づくりはどんなものかというと、「現物投資」という、シンプルにしてとんでもない破壊力を持った投資法です。

「現物投資」とは、実際に「ブツ(実物)」が存在していて、そのブツを売買する投資のこと。安く買って、高く売る。その売買で得られる「売却益(キャピタルゲイン)」が1回のケースもあれば、「定期的な利益(インカムゲイン)」が得られるケースもあります。中身は多様で、決まったやり方というのはありません。

 唯一の絶対的なルールは「ブツが存在する」ということだけ。決まりはないので、アイデア次第では、今日いきなり「現物投資」を始めることだって夢ではないのです。

 本物のブツがある投資がなぜ良いかと言えば、ずばり、元本を毀損しにくいからです。それが株式やFX、仮想通貨といった投資と全く異なる点です。株価や為替は、景気や予測できない事態に左右されます。元本を大きく毀損して破滅の道をたどった人は少なくありません。

 一方、「現物投資」はその危険が少ないのです。代表的な「不動産」や「超高級腕時計」をイメージしてみましょう。不動産は、家賃収入がいきなり暴落して0円になるような事態はありませんし、ブツがあるから不動産価値が極端に減ることも少ないのです。超高級腕時計も、基本的には値段は下がらず、ほとんどの場合はプレミアが付いて上がっていくのです。

億り人になるには「現物投資1年」で十分

「現物投資」は主に富裕層がやっているため、それほど世の中に知られてはいません。書店に並んでいる投資の本をいくつも確認しましたが、「現物投資」の本質について触れているものはほぼ見かけませんでした。それだけ大富豪たちが口外してこなかったという証でもあり、秘密のままにしておきたいわけです。

 私自身、現在の投資の師匠・オリバーに出会うまで、「現物投資」を知ってはいても、その本当の破壊力を知りませんでした。師匠のオリバーは資産数億ドル、世界でも指折りの「ケタ違いの資産家」です。彼の「現物投資」の教えを素直に実行していっただけで、私の人生は激変しました。

 資産が1億円を超え、わずか3カ月であっという間にFIRE(ファイア/経済的自立と早期リタイア)を達成できたのです。

 ですから、「億り人」を真剣に目指す人ならば、1 年以内に資産を「億」にすることは、まったく夢なんかではありません。まずは頭のなかの「常識」や「先入観」という固定観念のリミッターを外してみましょう。この世には見たことがない資産構築の世界も、たくさんあるのですから。

【プロフィール】

戸塚真由子(とつか・まゆこ)/資産構築コンサルタント。超倹約家の家庭で育った反動で、「お金持ちになる」が小さい時からの夢になる。公務員として勤務した後、民間に転職し、月収800万円を稼ぐ凄腕営業となる。その後、婚活もかねて世界38カ国を行き来し、世界中の大富豪やVIPとの太いパイプを作る。現在の投資の師匠に出会い、資産・収入ゼロから3ヶ月でFIRE達成、4ヶ月で資産1億円になる。2022年末に発売された、著書(サンマーク出版)は13万部を突破するベストセラーに。

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