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佐渡鉱山で朝鮮人はどんな待遇を受けていた?=韓国ネット「想像だけで痛い」「なぜ日本に免罪符?」

2023年01月21日 08時01分15秒 | 歴史問題

2023年1月17日、韓国・KBSは「戦時中の朝鮮半島出身者の強制労働問題をめぐる韓国政府の解決案に被害者から反発の声が相次ぐ中、もう一つの強制労働の現場である佐渡鉱山(新潟県)で朝鮮半島出身者らがどんな待遇を受けていたかが分かる記録を入手した」と伝えた。

 

記事は、第2次世界戦中に佐渡鉱山労務課の職員だった杉本奏二さんが日本の歴史学者に送った28枚の手紙を紹介。「強制動員の凄惨(せいさん)な現実がつづられている」とし、「仕事のできない朝鮮人を連れ出して暴行した」「とても見ていられない暴力だった」「弾圧と粗末な食事に耐えられず集団で逃走した」「契約が終了しても帰れない朝鮮人らは自暴自棄状態だった」などの内容だとしている。

 

また「実際に朝鮮民族に対する差別は事業場の方針だった」と指摘。1940年の日本鉱山協会の朝鮮半島人労務者に関する調査報告書には、「想像以上に低い知能理解度、半島人特有のずる賢さや付和雷同性が労働争議の原因」だとして「朝鮮人は手綱を緩めて管理してはならない」と記されているという。

 

虐待や差別に耐えられず逃走した朝鮮人は犯罪者の身分となった。樺太で発見された警察の指名手配書には、逃げた人の日本式名や本籍、人相や身なりまで詳細に記録されているという。

 

さらに記事は「強制動員を自由契約による募集だったとする日本側の主張に反し、戦犯企業が要請し、当時の日本内務省が承認した『朝鮮人動員許可記録』も発見された」と伝え、最後に「佐渡鉱山での強制動員問題はいまだに解明するべき点が多いが、日本政府が数十日後に佐渡鉱山を世界遺産候補に推薦することは確実視されている」と懸念を示している。

 

この記事を見た韓国のネットユーザーからは「こういう記事を見るたびに過去の日本の悪辣(あくらつ)さに身震いする」「想像するだけでも痛々しい」など驚く声が上がっている。

 

また「だから日本の政治家は嫌いだ。全く反省せず許しを請わないことが本当に疎ましい」「こんな状況なのになぜ韓国の財団が日本企業の賠償金を肩代わりしなくてはならない?」「日本企業が強制動員を謝罪し賠償するべきなのに、韓国企業に賠償せよという韓国政府は親日を超えて日本人だ」「現実と歴史が『強制動員はあった』と言っているのに、韓国の大統領は日本に免罪符と正当性を与えようと必死だ」「尹大統領が国益より日本の利益のために働く理由が知りたい」「日本の心からの謝罪なくして関係改善は難しい」など、日韓政府への不満の声も多数寄せられている。(翻訳・編集/堂本

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「従軍慰安婦」「強制連行」5社が教科書訂正 政府答弁受け

2021年09月09日 05時32分02秒 | 歴史問題
 「従軍慰安婦」という用語について「誤解を招く恐れがある」などとする答弁書を政府が閣議決定したことを受け、中学社会、高校地理歴史、公民科の教科書を発行する3社から教科書計10点の記述計11カ所について訂正申請があり、承認したと文部科学省が8日発表した。「従軍」の記述を削除する社や、記述は残したまま政府見解を併記する社など、対応は分かれた。

 政府は4月27日、「『従軍慰安婦』または『いわゆる従軍慰安婦』ではなく、単に『慰安婦』という用語を用いることが適切」との答弁書を閣議決定。一方、「いわゆる従軍慰安婦」という用語を使った1993年の河野洋平官房長官談話は「継承」する立場も記した。これを受け文科省は5月、教科書会社20社近くを対象に説明会を開き、訂正申請は「6月末まで」と示すなどしていた。関係者によると、これまで出たことがない訂正勧告の可能性にも触れたという。

 文科省によると、「従軍慰安婦」の記述については、山川出版社、実教出版、清水書院の3社から6月末に訂正申請があり、萩生田光一文科相が8日承認した。山川出版社は、現在使われている中学社会科や高校の日本史の教科書にある「いわゆる従軍慰安婦」という記述をなくしたり「従軍」を削ったりした。一方、清水書院は来年度から高校で使われる「歴史総合」の教科書で、「いわゆる従軍慰安婦」の記述は残したまま、注釈に「日本政府は、『慰安婦』という語を用いることが適切であるとしている」との政府見解を付記した。

 また、戦時中に朝鮮半島の人々を日本で働かせたことを「強制連行」と表現することについても、政府が「適切でない」との答弁書を4月27日に閣議決定しており、これらの3社と東京書籍、帝国書院の計5社が、「徴用」「動員」などと計28点で計53カ所の記述を訂正した。

 中学の社会科や高校の地理歴史、公民科の教科書は、2014年の検定基準改正で「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」をすることが定められた。(伊藤和行)
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「日本軍慰安所マップ」を公開 女たちの戦争と平和資料館

2020年01月17日 06時53分25秒 | 歴史問題
 日本軍の慰安婦制度に関する資料を収集、展示しているアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam、東京都新宿区)は15日までに、戦時中に日本軍が設置した慰安所の所在地を示す「日本軍慰安所マップ」を、インターネット上で公開した。2009年に作製したものを改訂して新たな情報を追加し、証言や各国の公文書などの裏付けとなる資料も一目で分かるように掲載した。wamは「すべての世代の日本人にマップを見て事実を知ってほしい」と話している。
 マップでは、調査が行われたり、被害者が名乗り出たりしたアジア太平洋の23の国・地域について、日本軍が慰安所を置いた地点を表記。また、各地点について、根拠を示す資料とその記述を分かりやすく掲載した。掲載された資料は、慰安婦にされた女性の被害証言や兵士の回想録、目撃証言のほか、日本軍や政府関係の資料、連合軍作成資料、被害国の実態調査といった公文書で構成され、データ数は数千に上る。
 慰安所が設置された地域は日本をはじめ、ロシア、中国、パプアニューギニア、インドネシアなど日本が侵略、占領したアジア太平洋全域に広がる。wamの渡辺美奈館長は「慰安所の被害形態は、現地の戦場の状況などでも違っている。マップを手掛かりに、wamにもぜひ足を運んで『慰安婦』制度を知ってほしい」と話す。マップは学生などによる研究にも役立ててほしいとしている。
 wamは、市民らが調べていた情報をまとめ、旧版の慰安所マップを作製した。その後、新たな証言が出てきたほか、公文書なども見つかったため、そうした根拠資料とひも付けたマップをインターネットに公開しようと、およそ3年半かけて取り組んだ。「日本軍が設置・運営した『慰安所』こそが軍による組織的な性奴隷制であり、諸外国での戦時性暴力とは異なる日本軍の犯罪の特徴」であるとして、旧版に含んでいた日本兵による強姦(ごうかん)事件の発生場所や企業慰安所の場所を外したという。
 日本軍慰安所マップのウェブサイトはhttps://wam-peace.org/ianjo/
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慰安婦「兵70人に1人」と記述 外務省文書、軍関与を補強

2019年12月07日 08時04分58秒 | 歴史問題
「陸軍側は兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」との記述がある青島総領事の報告書
 旧日本軍の従軍慰安婦問題を巡り、関連する公文書の収集を続ける内閣官房が2017、18年度、新たに計23件を集めたことが6日、分かった。うち、在中国の日本領事館の報告書には「陸軍側は兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」「軍用車に便乗南下したる特殊婦女」などの記述があった。「酌婦・特殊婦女」は別の報告書内で「娼妓と同様」「醜業を強いられ」と説明され、慰安婦を指している。専門家は「軍と外務省が国家ぐるみで慰安婦を送り込んでいたことがはっきり分かる」と指摘する。

 1993年の河野洋平官房長官談話が認定した「軍の関与」を補強する資料と位置付けられそうだ。
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陸軍文書、焼かれたはずが 天皇印や「原子爆弾」の記載

2018年08月15日 10時15分43秒 | 歴史問題
 黒い灰が空に舞っている。……東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという。作家高見順が、1945年8月16日付の「敗戦日記」にそう記している。45年8月15日の終戦前後、植民地も含めた日本の各地で、大量の公文書が燃やされた。東京・市ケ谷台(現防衛省)にあった陸軍省や参謀本部は、その象徴的場所だ。その地中から戦後50年以上を経て、焼却されたはずの文書が、焦げ痕がついた状態で発見された。
 その一つ。焼け残った部分からは「昭和19年3月」「陸軍大臣東条英機」の文字と、天皇の「可」の印がみえる。最高責任者である天皇の決裁をあおいだ「御裁可書」だ。45年8月の「特別緊急電報」では「廣島」「調査団ヨリ」「原子爆弾ノ爆発中心ニ於ケル放射能」の文字がよみとれる。
 防衛省防衛研究所などによると、これらの文書は、96年4月末、自衛隊市ケ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、簡易防空壕(ごう)と推定される壕の地下約2メートルから発見した。大半は焼損し、半世紀にわたって湿気を帯びた状態だったため、劣化は著しく、ページを開くこともできない状態だったという。
 当時研究所にいた軍事史家の原剛さん(80)は史料の仕分けを担当した。「腐った臭いがした」と振り返り、「灰になるまで見届けずに砂をかけてしまったのだろう」と終戦時の慌てふためく様子を想像したという。

© 朝日新聞 戦中に陸軍省、参謀本部などがあった東京都新宿区の現・防衛省敷地内の地中から1996年に焼け残った状態で発見され、修復された「御裁可書」。陸軍大臣東条英機の名前の上には「可」の天皇の印がある=防衛省防衛研究所所蔵「市ケ谷台史料」
 原さんらは専門家の意見を聞き、腐食を防ぐためにマイナス20度以下の保管場所をさがして一時収容。史料価値の高いものなどを選び、修復作業を進めた。
 「市ケ谷台史料」と名付けられた史料群は、主に陸軍参謀本部第三課が保管していた文書で、編成・動員などに関する御裁可書、編制表、電報綴などで、現在は101番まで番号が付けられて公開されている。
 原さんは「敗戦時の焼却処分で、陸海軍の歴史研究に必要な基本的史料が欠落し、歴史の空白やなぞが解明されない部分がある。市ケ谷台史料は、陸軍の戦争指導、作戦指揮について、関係者の証言を裏付けるもの」とその意義を語る。また、「機密文書が大量に焼かれてしまった一方、隠匿されて残れされた重要な公文書もあり、歴史の大切さを私たちに教えてくれる」と話している。(木村司)
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