© 東洋経済オンライン 経営者の考えを社員に伝えるにはどうすればいいか?
江口克彦氏の『経営秘伝――ある経営者から聞いた言葉』。松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助の語り口そのままに軽妙な大阪弁で経営の奥義について語った著書で、1992年の刊行後、20万部を売り上げるヒットになった。本連載は、この『経営秘伝』に加筆をしたもの。「経営の神様」が問わず語りに語るキーワードは、多くのビジネスパーソンにとって参考になるに違いない。
100伝えるためには、1000の思いを込める
きみが聞きたいのは、「経営者はどうやって自分の考え方を社員に浸透させていくのか」ということか? そやな、その時、経営者にとって大事なことは、訴えることやな。
社員の人たちに経営者自身が考えていること、思っていること、そういうことを話し、説明せんといかん。自分たちの大将がいま、どんなことを考えているか、社員のみんなに知らせる、そういう努力を責任者はやらんといかんということやな。
そのとき、よう心掛けておかんといかんことは、その訴える内容について、責任者がどれほどの思いを込めておるかということやね。まあ、重要なことだから、一応みんなに話しておこうか、という程度ではだめやな。そんな気持ちであれば、部下の人たちに伝わるとしても、その真意の一割も伝わらんやろう。うん、重要やと。相当心を入れて話すと。かりに100伝えるために、100の思いを込めて話をすると。しかし、その程度の思いではあかんのやな、思いがまだ足りんわけや。部下に伝わっていくうちに、しまいには10ほどになってしまう。
100を部下の人たちに伝えようとするならば、そのことに責任者は10倍の1000の思いを込めんといかん。もうあふれるような思いで訴えんといかん。そういう姿でないと、責任者の真意は伝わらんものや。
それはけしからんというても、それが実際の姿やな。それよりも、責任者が、それほどの思いを掛けておらんということのほうが問題やな。社員が自分の話を十分に理解せんという経営者がおるけど、経営者自身が十分な熱意、思いを、そや、1000の思いやね、それを込めて社員の人たちに訴えておるかどうかということを、よう反省せんといかんわね。
思いつきで考えたこと、チョッと考えてええと思ったこと、人に聞いて感心したこと、そんなことぐらいで、社員や部下の人たちに話ししておったら、みんなえらい迷惑やで。きみ、そう思えへんか。経営で、たいがい悪いのは、経営者のほうやで。
それからね、くり返し話をする、くり返し訴えていくということも大事やね。うん、繰り返すということやな。それが経営者の考えを浸透させることになるな。
年1回、十分に話ししたから大丈夫や。あるいは書類を回しておいたから、理解してるはずだとか、そう考える責任者は、いないかもしれんが、そういう程度で、社員の人たちに周知徹底することは不可能やわね。いや、自分は3回も4回も話をしました、それでもうちの社員はあきませんという経営者の人もおるやろうけど、それであかんかったら10回も20回も繰り返したらええんや。
経営者は勉強し続けなければならない
わしは若い頃、3年近く、毎日のように朝会で、わしの考えを話したことがあるんや。10分か15分程やけど、繰り返し繰り返し自分の考えを訴えた。うん、もちろん同じ話はせえへんで。いろいろな話をする。自分の経験したこと、昨日体験したこと、まあ、いろいろ話しをするけれど、しかし、究極、言わんとすることは同じや。究極同じことを言うておるんやけど、話はいろいろな話をする。これが毎日や。結構苦労したで。きょうはどんな話をしようかと。
けど、ここが大事やな。よう社員には勉強せえ、考えろというけど、それならば、経営者も勉強し考えんといかん。自分はそういうことはせんといて、部下には勉強せよ、考えろと言う人がおるけど、こっけいな経営者やな、そういう人は。
とにかく、わしは毎日、話をした。そうすると、社員諸君は、はじめはただ、へえ、そうですか、ということやな。けど、だんだんと、繰り返し話をしておると、なるほど、そうかと。そりゃ自分たちもやらんといかんですな、ということになる。やがてしばらくすると、社員のほうが一生懸命になって、大将、なに言うてまんねん、そんな、なまぬるいことではあきません。わたしらについてきなさい。
ほんまにそやで。繰り返し話をすることによって、自分たちの大将がいまなにを考えておるのか、いま一番関心をもっておるのはなにか、なにに取り組まんといかんのか、どういう方向で努力をしていったらええのか、ようわかってくるわけや。なかなか、経営者の真意は社員には伝わらんわな。けど、自分の考えが社員に伝わらんというなら、伝わるような努力をしておるかどうか考えてみんといかんな。社員は大将の考えが理解できたら、よう働くもんやで。
エッ? 朝会か? うん、これからの経営において、ますます必要になるやろうな。このごろはこういう朝会は前近代的だという人もたくさんいるようだけど、そういう人は、ほんとうの経営というか、実際の経営というものを知らん人やろうな。
そんな朝会はいらんということであれば、むしろ今までのほうが、いらんと言える。というのはね、朝会というのは意思を疎通させるとか、みんなの気持ちをひとつにするとか、あるいは会社の進んで行く方向を周知させるとか、いろいろな効果を生み出すわけや。
また交代で社員の人が話をする。これもお互いに、ああ、あの人は、ああいう考え方をしているのか、ということもわかるし、またその場を活用して、自分はこういう考えを持っていますと発表することもできる。
このごろは、考え方がさまざまな時代になってきたわね。うん? 価値観多様化の時代というんか? まあ、そういうことになれば、一人ひとりがそれぞれに自分の考え方を持って、そして、それに基づいて行動をする。結構な時代だと言えるわね。それはそれでええけれど、しかし、会社全体の方向に沿って、あるいは会社発展の方向で努力してもらわんといかん。そやろ。そうでなければ、会社として組織をつくる必要もない。
価値観多様化か、そういうばらばらであればあるほど、一方で共通のものが必要だし、また社員の人たちも責任者の考え方とか、いま会社でなにが起こっているのかわかっておらんと困るわけや。
なんか知らんけど、与えられた仕事だけやると。やっておると。そういうことでは、かなわんということになる。昔のように基本の考え方がひとつかふたつだと、むしろ話ししたり、連絡したりせんかて、まあ、だいたいお互いの言うこと、やることはわかるけどな。これからはそうはいかん。とすればやな、朝会とか夕会とかは前近代的であると。そういう考え方をするのはあんまり賢い人ではないな。外国が近代的で、日本がすべて前近代的と言えるんかどうか、わしにはわからんが、大事なことは経営に、あるいは、仕事にどれだけ有効かどうかということや。まあ、経営の実際を知らん人が言う場合は仕方ないけど、経営者が同じように思い考えるとするならば、つまらん経営者やね。経営がほんとうはわかっておらん人やろうな。
朝会でお互いに確認できるのもええわね。
ああ、あの人、見えんけど、休んでおるのかな、もしそうであれば、病気であろうか、大丈夫かな、というふうにな。あの人は元気そうで結構や、あの人は少し元気ないな、あとで声を掛けて励ましてあげよう、ということになる。みんながいろいろな考え方をする、これからの時代は朝会とか夕会とか、あるいはそれに類するものをやらんといかんね。やらんと会社の基本のところで、ばらばらになってしまって、どうにもならんくなるわ。
「なぜ」を説明することが必要
話をもとに戻すけどな、経営者が自分の考え方を社員に浸透させるためには、あとひとつ、なぜ、ということを話さんといかんということやな。
社員に訴える、話をするのにただ要件だけ、結論だけ言うと。言いたいことだけを言うと。そういうことではあかんのや。話をする、訴えるからには、なぜ、自分がそういう話をするのか、なぜ、そういうことを訴えるのかを、キチッと説明せんといかんし、説明できんといかんわな。
説明せんと。そんなことでは社員はわからんわけや。責任者がなぜを説明することによって、その言わんとする全体を理解することができる。責任者はその、なぜが説明できるほどに考えんといかんわな。考えもせんと社員に話をする。考え抜きもせんで訴えるということでは、社員はその責任者についてこんで。きみ、ええか、自分の考えを部下の人たちに伝えようとするならば、燃える思いで訴える、繰り返し訴える、なぜ訴えるのかを説明する、こういう3つのことを忘れたらあかん。
江口克彦氏の『経営秘伝――ある経営者から聞いた言葉』。松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助の語り口そのままに軽妙な大阪弁で経営の奥義について語った著書で、1992年の刊行後、20万部を売り上げるヒットになった。本連載は、この『経営秘伝』に加筆をしたもの。「経営の神様」が問わず語りに語るキーワードは、多くのビジネスパーソンにとって参考になるに違いない。
100伝えるためには、1000の思いを込める
きみが聞きたいのは、「経営者はどうやって自分の考え方を社員に浸透させていくのか」ということか? そやな、その時、経営者にとって大事なことは、訴えることやな。
社員の人たちに経営者自身が考えていること、思っていること、そういうことを話し、説明せんといかん。自分たちの大将がいま、どんなことを考えているか、社員のみんなに知らせる、そういう努力を責任者はやらんといかんということやな。
そのとき、よう心掛けておかんといかんことは、その訴える内容について、責任者がどれほどの思いを込めておるかということやね。まあ、重要なことだから、一応みんなに話しておこうか、という程度ではだめやな。そんな気持ちであれば、部下の人たちに伝わるとしても、その真意の一割も伝わらんやろう。うん、重要やと。相当心を入れて話すと。かりに100伝えるために、100の思いを込めて話をすると。しかし、その程度の思いではあかんのやな、思いがまだ足りんわけや。部下に伝わっていくうちに、しまいには10ほどになってしまう。
100を部下の人たちに伝えようとするならば、そのことに責任者は10倍の1000の思いを込めんといかん。もうあふれるような思いで訴えんといかん。そういう姿でないと、責任者の真意は伝わらんものや。
それはけしからんというても、それが実際の姿やな。それよりも、責任者が、それほどの思いを掛けておらんということのほうが問題やな。社員が自分の話を十分に理解せんという経営者がおるけど、経営者自身が十分な熱意、思いを、そや、1000の思いやね、それを込めて社員の人たちに訴えておるかどうかということを、よう反省せんといかんわね。
思いつきで考えたこと、チョッと考えてええと思ったこと、人に聞いて感心したこと、そんなことぐらいで、社員や部下の人たちに話ししておったら、みんなえらい迷惑やで。きみ、そう思えへんか。経営で、たいがい悪いのは、経営者のほうやで。
それからね、くり返し話をする、くり返し訴えていくということも大事やね。うん、繰り返すということやな。それが経営者の考えを浸透させることになるな。
年1回、十分に話ししたから大丈夫や。あるいは書類を回しておいたから、理解してるはずだとか、そう考える責任者は、いないかもしれんが、そういう程度で、社員の人たちに周知徹底することは不可能やわね。いや、自分は3回も4回も話をしました、それでもうちの社員はあきませんという経営者の人もおるやろうけど、それであかんかったら10回も20回も繰り返したらええんや。
経営者は勉強し続けなければならない
わしは若い頃、3年近く、毎日のように朝会で、わしの考えを話したことがあるんや。10分か15分程やけど、繰り返し繰り返し自分の考えを訴えた。うん、もちろん同じ話はせえへんで。いろいろな話をする。自分の経験したこと、昨日体験したこと、まあ、いろいろ話しをするけれど、しかし、究極、言わんとすることは同じや。究極同じことを言うておるんやけど、話はいろいろな話をする。これが毎日や。結構苦労したで。きょうはどんな話をしようかと。
けど、ここが大事やな。よう社員には勉強せえ、考えろというけど、それならば、経営者も勉強し考えんといかん。自分はそういうことはせんといて、部下には勉強せよ、考えろと言う人がおるけど、こっけいな経営者やな、そういう人は。
とにかく、わしは毎日、話をした。そうすると、社員諸君は、はじめはただ、へえ、そうですか、ということやな。けど、だんだんと、繰り返し話をしておると、なるほど、そうかと。そりゃ自分たちもやらんといかんですな、ということになる。やがてしばらくすると、社員のほうが一生懸命になって、大将、なに言うてまんねん、そんな、なまぬるいことではあきません。わたしらについてきなさい。
ほんまにそやで。繰り返し話をすることによって、自分たちの大将がいまなにを考えておるのか、いま一番関心をもっておるのはなにか、なにに取り組まんといかんのか、どういう方向で努力をしていったらええのか、ようわかってくるわけや。なかなか、経営者の真意は社員には伝わらんわな。けど、自分の考えが社員に伝わらんというなら、伝わるような努力をしておるかどうか考えてみんといかんな。社員は大将の考えが理解できたら、よう働くもんやで。
エッ? 朝会か? うん、これからの経営において、ますます必要になるやろうな。このごろはこういう朝会は前近代的だという人もたくさんいるようだけど、そういう人は、ほんとうの経営というか、実際の経営というものを知らん人やろうな。
そんな朝会はいらんということであれば、むしろ今までのほうが、いらんと言える。というのはね、朝会というのは意思を疎通させるとか、みんなの気持ちをひとつにするとか、あるいは会社の進んで行く方向を周知させるとか、いろいろな効果を生み出すわけや。
また交代で社員の人が話をする。これもお互いに、ああ、あの人は、ああいう考え方をしているのか、ということもわかるし、またその場を活用して、自分はこういう考えを持っていますと発表することもできる。
このごろは、考え方がさまざまな時代になってきたわね。うん? 価値観多様化の時代というんか? まあ、そういうことになれば、一人ひとりがそれぞれに自分の考え方を持って、そして、それに基づいて行動をする。結構な時代だと言えるわね。それはそれでええけれど、しかし、会社全体の方向に沿って、あるいは会社発展の方向で努力してもらわんといかん。そやろ。そうでなければ、会社として組織をつくる必要もない。
価値観多様化か、そういうばらばらであればあるほど、一方で共通のものが必要だし、また社員の人たちも責任者の考え方とか、いま会社でなにが起こっているのかわかっておらんと困るわけや。
なんか知らんけど、与えられた仕事だけやると。やっておると。そういうことでは、かなわんということになる。昔のように基本の考え方がひとつかふたつだと、むしろ話ししたり、連絡したりせんかて、まあ、だいたいお互いの言うこと、やることはわかるけどな。これからはそうはいかん。とすればやな、朝会とか夕会とかは前近代的であると。そういう考え方をするのはあんまり賢い人ではないな。外国が近代的で、日本がすべて前近代的と言えるんかどうか、わしにはわからんが、大事なことは経営に、あるいは、仕事にどれだけ有効かどうかということや。まあ、経営の実際を知らん人が言う場合は仕方ないけど、経営者が同じように思い考えるとするならば、つまらん経営者やね。経営がほんとうはわかっておらん人やろうな。
朝会でお互いに確認できるのもええわね。
ああ、あの人、見えんけど、休んでおるのかな、もしそうであれば、病気であろうか、大丈夫かな、というふうにな。あの人は元気そうで結構や、あの人は少し元気ないな、あとで声を掛けて励ましてあげよう、ということになる。みんながいろいろな考え方をする、これからの時代は朝会とか夕会とか、あるいはそれに類するものをやらんといかんね。やらんと会社の基本のところで、ばらばらになってしまって、どうにもならんくなるわ。
「なぜ」を説明することが必要
話をもとに戻すけどな、経営者が自分の考え方を社員に浸透させるためには、あとひとつ、なぜ、ということを話さんといかんということやな。
社員に訴える、話をするのにただ要件だけ、結論だけ言うと。言いたいことだけを言うと。そういうことではあかんのや。話をする、訴えるからには、なぜ、自分がそういう話をするのか、なぜ、そういうことを訴えるのかを、キチッと説明せんといかんし、説明できんといかんわな。
説明せんと。そんなことでは社員はわからんわけや。責任者がなぜを説明することによって、その言わんとする全体を理解することができる。責任者はその、なぜが説明できるほどに考えんといかんわな。考えもせんと社員に話をする。考え抜きもせんで訴えるということでは、社員はその責任者についてこんで。きみ、ええか、自分の考えを部下の人たちに伝えようとするならば、燃える思いで訴える、繰り返し訴える、なぜ訴えるのかを説明する、こういう3つのことを忘れたらあかん。