>私が猫を好きなのは この独特の距離感です
人の傍らに居ながら 踏み込ませ無い領域を心得ていると思います
人間はいつでも 自分達の都合に添うように 自然を矯正する事を好む傾向があります
それでも ネイティブ達のように 自然に対する畏敬の念があれば 踏み込んではいけない自然の領域をわきまえた 人間としての領分の中で生きていきますが
人は野心と欲望で その垣根を越えてしまいがちです
猫の持つ自由奔放なイメージは 独立した1個の種で在り続けるプライドです
なついて こびてもらう事を好む人には 理解できないでしょう
たまに 気が向いた時に 撫でさせてもらう
その距離感が何より大事だと 教えてくれているのです
■いつもコメントをありがとうございます。
土曜の夜の動物をテーマにしたバラエティー番組で、時々動物の心が分かる外国の女性のことを取り上げることがあるのですが、信じていた人間の家族から見放されたと思ったネコの怒りの凄まじさを見る機会があって、ネコを裏切る様なことは絶対にしてはいけないと強く思いながら、私に会いに来てくれるあのネコと付きあっています。
ネコは会うたびに私に食べるものを求めるように見えるのですが、忙しかったりしてネコの食べるものを全く何も持たずに出て来てしまうことがよくあります。
食べ物を与えることが出来ないのは、私のネコへの裏切りと受け取られないかと思っていたのですが、最近信頼関係はそんなところにあるのではないと分かるようになりました。
実はある時三回続けて食べ物を与える機会がなかったのですね。
もちろんネコはエサをもらえないと分かると何時の間にか姿を消してしまいますので、それが三回も続けばもう嫌われたかとか愛想を尽かされたかと思ってしまうのですが、三回連続の私のうっかりがあって、その次にもう会ってはもらえないと諦めていたその時に、いつもの通りネコはひょっこり現れてくれたのです。
ほんとうにいつもの通りなのですよ。
苦情も何も言わない。
いつもの通り会った最初に私の足元にまとわりついて頭をこすりつけてくれるのです。
私も謝ったりしませんけどね。
ネコと人間だからだと思うかも知れませんが、そうではないのですね。
本当の信頼があれば言い訳も苦情も必要が無いのです。
ちょっとネコに教えられた気がしました。
人の傍らに居ながら 踏み込ませ無い領域を心得ていると思います
人間はいつでも 自分達の都合に添うように 自然を矯正する事を好む傾向があります
それでも ネイティブ達のように 自然に対する畏敬の念があれば 踏み込んではいけない自然の領域をわきまえた 人間としての領分の中で生きていきますが
人は野心と欲望で その垣根を越えてしまいがちです
猫の持つ自由奔放なイメージは 独立した1個の種で在り続けるプライドです
なついて こびてもらう事を好む人には 理解できないでしょう
たまに 気が向いた時に 撫でさせてもらう
その距離感が何より大事だと 教えてくれているのです
■いつもコメントをありがとうございます。
土曜の夜の動物をテーマにしたバラエティー番組で、時々動物の心が分かる外国の女性のことを取り上げることがあるのですが、信じていた人間の家族から見放されたと思ったネコの怒りの凄まじさを見る機会があって、ネコを裏切る様なことは絶対にしてはいけないと強く思いながら、私に会いに来てくれるあのネコと付きあっています。
ネコは会うたびに私に食べるものを求めるように見えるのですが、忙しかったりしてネコの食べるものを全く何も持たずに出て来てしまうことがよくあります。
食べ物を与えることが出来ないのは、私のネコへの裏切りと受け取られないかと思っていたのですが、最近信頼関係はそんなところにあるのではないと分かるようになりました。
実はある時三回続けて食べ物を与える機会がなかったのですね。
もちろんネコはエサをもらえないと分かると何時の間にか姿を消してしまいますので、それが三回も続けばもう嫌われたかとか愛想を尽かされたかと思ってしまうのですが、三回連続の私のうっかりがあって、その次にもう会ってはもらえないと諦めていたその時に、いつもの通りネコはひょっこり現れてくれたのです。
ほんとうにいつもの通りなのですよ。
苦情も何も言わない。
いつもの通り会った最初に私の足元にまとわりついて頭をこすりつけてくれるのです。
私も謝ったりしませんけどね。
ネコと人間だからだと思うかも知れませんが、そうではないのですね。
本当の信頼があれば言い訳も苦情も必要が無いのです。
ちょっとネコに教えられた気がしました。