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体験的データ解析小史

2006-10-27 | 教育
体験的データ解析小史
   海保博之

 懐古談をする年ではまだない。しかし、データ解析、コンピュータに関しては、すでに懐古談をしてもよい状況にはある。こ領域での新しい進歩に追いついて行けないという主観的感じを持つからである。
 このことを痛切に実感したのは、61年3月に発売される「心理・教育データの解析法10講(応用偏)」(福村出版)の編集作業を通じてであった。そのなかの何講かは自分が一度は使ってみたいと常に思っていた手法であったので、原稿をいただくのを心待ちにしていた。しかし原稿を読んでみると、どうしてもわからない。著者との何度かのやりとりのうちに、結局は自分の方が″頭が悪い″ことに気づいた次第である。
 「データ解析の手法についての知識は大学院時代のままでストップする」と言われている。専門家は別として、おもしろい手法があったら使ってみよう程度の研究者の場合には、確かに、この通りだと思う。
 閑話休題。データ解析に触れたのは、今も昔も心理学専攻の学生の誰でもがそうであるように、心理統計の授業であった。昭和38年、東教大で故岩原先生のしごきにきたえられた。その時に使った教科書「心理と教育のための推計学」(日本文化科学社)がボロボロになってまだ本棚にある。いまの多くの学生諸君と同じように、統計が科学的推論の唯一の道具であるかの如く錯覚し、ともかくよく勉強した。
 大学院修士課程に入ってすぐ、因子分析の勉強をしたのを覚えている。手回し計算機を脇に置いてサーストンの重因子法を解いた。同時に応用数学科が管理していたHIPAC(HITACか?忘れた)というコンピュータのところにかよい、なんとか因子分析のプログラムを作ろうと大変な苦労をした。
 なぜ苦労したか。いい教科書がない、相談できる人がいない、数学的知識がない、の「ない、ない」づくしだったからである。こうした状況を救ってくれたのが、42年度に開講された故水野先生(統数研)の「多変量解析」の講義であった。まさに、頭にしみ込む講義であった。そのまま本として出版されても通用する内容であった。先生にもそのお気持ちがおありであったようだが、確かその年の秋頃かと思うが、芝先生の「相関分析法」(東大出版)が出版されてしまい、「遅かりし」ということになった。
 43年4月から徳島大学に赴任した。紙テープ入力のTOSBACを使いまくった。その残骸をつい最近思い切ってすてた。もっぱら、水野先生のノートと芝先生の本に頼って、多変量解析の手法をパターン認識の実験データの解析に使った。
 49年頃かと思うが、水野先生を通して、SPSSの移植のための科研のグループに入れていただいた。時々京大での講習会、研究会などに参加したが、まだそのすごさは実感できなかった。
 50年に筑波に移った。TSSに驚かされ、パッケージプログラムに衝撃を受けた。SPSSにのめり込むまで時間はかからなかった。知ったかぶりで、全学の先生方対象の講習会の講師までするほどの熱の入れようだった。それに比例して、フォートランを使ってプログラムを書くことをほとんどしなくなってしまった。ここから力の衰えが始まった気がする。結果の解釈、そしてそれのみをわかり易く説明することがまわりから期待されるようになてきた。それに合わせているうちに確実に力が落ちてきた。
 いまやSPSS、SASのいずれにも、ほとんどふれることのない日々を送っている。こんな人間が、データ解析の本を編み、そして61年度はなんと、8年ぶりのデータ解析の授業をする。さていかなることになるか。不安ながらも楽しみにしている。
                           昭和61年1月29日


手数料

2006-10-27 | 心の体験的日記
ある銀行のe-バンクを開設した
手引き書をみると、最初の3か月は無料
その後、年2千円の手数料をとるとある
この前、ガソリン専用のカードを作ったら、
それもよくよくみると、1年後から会費2千円とある
いずれも、入会勧誘のパンフにはその旨、書かれていない
いるのかも知れないがまず目立つようには書かれていない

こうした手数料がつもると馬鹿にならない額になる

目下、カードは一枚、e-bankは一つの銀行のみに
と整理中


学力低下問題

2006-10-27 | 教育
04/4/5海保
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20文字40行 800文字
「指導と評価」臨時増刊号 図書文化社

筑波大学心理学系教授・海保博之
「学力低下論争の背景にあるもの」

 昨今の学力低下論争は、「ゆとり教育」を標榜する新しい学習指導要領に対して、
「大学生の理数能力の低下」
「大学受験での学力低下」
「社会階層による学力2極分化」
という3つの視点から挙げられた反対から始まった(市川伸一)。
 いずれも、三者三様のデータに基づいた主張なだけに、それになりに説得力はあるが、不幸なことに、それが「論争」になってしまうのは、いくつかの理由がある。

 最大の理由は、学力の定義が異なるからである。読み書きそろばん能力を最右翼とすれば、最左翼には問題解決能力がある。どのあたりを学力の定義に採用するかで、低下か否かが分かれる。
 学力の定義が異なれば、学力を計測する検査問題も異なってくる。みずからの主張を支える学力データを提出しても、たちどころに定義問題で反論される。仮に定義問題を克服できたとしても、検査問題の妥当性や信頼性といった技術的な論争にさらされることもある。
 さらに、論争に拍車をかける理由として、学力のアカデミックな定義問題と微妙に関係はしているが、産業界や学界などから期待される学力像が異なることを挙げることができる。
 たとえば、産業界では「コミュニケーション能力」をトップに挙げるのに対して、理工系の学界では、基礎基本となる知識や技能を要求する。どんな学力像をイメージするかで、現状認識も改革の方向も異なってくる。
 そしてとどめは、「政治不信と政治的閉塞状況が、常に、学力低下論争に火をつけてきた」(加藤幸次)ということもある。確かに、学力低下論争は、今回だけではない。十年ごとの学習指導要領の改訂をねらっての政治的な動きがあったことも周知の通りである。

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02/10/23海保
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21字 71行 1500字
市川伸一「学力低下論争」ちくま新書

 本書の特徴を、本のカバー裏の惹句用に書くとすると、次のようになる。 
「硬いドグマが対立する論争の世界に、やわらかいドグマを持って乗り込み、丁々発止とやりあい、もみくちゃにされながらも、「みのりある教育」のための「構造化された折衷論」を提案できた、健全な知性を持った教育心理学者・市川氏の奮闘ぶりと主張を描き切った好著」
 これを解きほぐす形で、以下、本書の書評をしてみる。
●硬いドグマが対立する論争
 学力低下論争は、「ゆとり教育」を標榜する新しい学習指導要領に対して、「大学生の理数能力の低下」「大学受験での学力低下」「社会階層による学力2極分化」という3つの側面から挙げられた反対から始まった。市川氏は、これらの論争「者」を、「学力低下に楽観・悲観」「文科省の教育改革に賛成・反対」の2軸で整理してみせる。なお、「硬いドグマ」とは、悲観・反対を意味する。
●やわらかいドグマをもって丁々発止とやりあい、もみくちゃにされながらも
 市川氏は、「学力低下には憂慮・教育改革には賛成」の立場である。対立軸によっては、あちらについたりこちらについたりにみえてしまう。両派から、この「やわらかさ」をつつかれながらも、書き物による論争はもとより、インターネット討論、雑誌対談、TV討論、さらには、文科省の各種会議などでの場で、リアルな論争を繰り返しながら自説を主張している。これがめっぽうおもしろい。
●「みのりある教育」のための「構造化された折衷論」
 市川氏の自説は、「知識の有用性が子どもにも感じられるような、リアリティのある学習環境つくり」(p79)である。総合的な学習などを通しての実践こそ、「みのりある教育」になるとの市川氏の主張は説得的である。この説は、「知識軽視・ゆとり大切」と「知識重視・ゆとり批判」とを足して2で割ったものではない。認知教育心理学の主潮をべースにした「構造化した折衷論」なのだ。これが、本書を、論争の表面的な解説書ではなく、学力論の本に仕立て上げさせている。
●健全な知性を持った教育心理学者・市川氏
 論争は、極端なドグマを抱えた論者が対立するほどおもしろい。しかし、心理学者は人間への観察眼が鋭いためか?、自分がドグマを持つよりことより、ドグマを持った人を観察するほうに興味を抱いてしまう。なぜ、そんなドグマを持つのか、利害、信念、体験、いずれに因があるのかに興味を抱いてしまう。市川氏も「学力低下論者の心理を探る論考」(p186)を用意し、遠慮がちにではあるが、おもしろ話しを披露している。もっとも、これを、健全というかどうかは実は評者にも自信がない。なお、市川氏の知性の健全さは、ぶれそうでぶれない主張、データの読みの深さ、文献と資料の引用の豊富さと巧みさのほうにこそ充分に発揮されているだが。

 本書は、論争の内容を通して、学力とは何か、子どもに学力をつけさせるとはどういうことかを自然に考えさせてくれる好著である。
 さらに、実は、学力低下論争は、今にはじまったものではない。「政治不信と政治的閉塞状況が、常に、学力低下論争に火をつけてきた」(加藤幸次ら、本書より)ような面がある。政治・官僚主導による猛烈かつ性急な教育改革?が進行している今、これをより「みのりある改革」につなげるにはどうしたらよいかについても、本書を読みながら、自然に思いがいく。
***本文71行 
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