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人にやさしい文書とは

2009-03-22 | Weblog
人にやさしい文書とは  

人にやさしい文書とはどんなものかを考えるには、少なくとも、次の3点を念頭におく必要がある。

 一つは、読み手意識である。どんな読み手がどんな状況でその文書を読むかについて、はっきりと意識して文書が作られていることが、人にやさしい文書ということになる。  

 2つは、読み手に過度の認知的な負担をかけない配慮である。文書の内容を理解するには、関連知識や注意などの認知資源が必要である。できるだけ少ない認知資源の投入で読めてわかるような工夫をすることが、人にやさしい文書ということになる。  これを実現するためには、一つには、想定される読み手に文書を読んでもらう、ユーザビリティテストをおこなうのが最も有効な方策である。国際標準化機構による インタフェースにかかわる標準規格ISO13407の義務づけが2000年頃から日本でもはじまって以来、マニュアルのユーザビリティテストは避けて通れなくなってきている。  

 3つ目に、書き手(作り手)を誰にするかも極めて大事となる。  説明する内容を知悉している人が書き手として、必ずしもふさわしいわけではない。彼等にそもそも文書作成の能力がないということもあるが、さらに、ユーザの知識や状況に配慮した説明をするのが不得意ということもある。マニュアル制作で言えば、最近では、技術の設計者とユーザとの間を介在する形でテクニカル・ライターが、書き手なることが多い。

都市交通の安全へのヒューマンエラーの観点からの提言

2009-03-22 | ヒューマンエラー
30文字/1行  
400字 25枚で10000字  333行  8.8枚
「都市問題研究」05年12月号原稿

筑波大学心理学系 海保博之
「都市交通の安全へのヒューマンエラーの観点からの提言」

はじめに
タイトルにある「ヒューマンエラーの観点から」はやや違和感のある表現かもしれない。別の用語を使うなら、「人の心と行為の特性という観点から」になる。「To  err is human」とも言われるように、人の心と行為には、エラーが構造的に組み込まれていて、それが時折安全を脅かすので、あえて、この表現を使ってみた。
そして、本稿では、「運転者・乗客のこんなヒューマンエラーが都市交通の安全を脅かしているから、安全管理者はこんな施策をとったらどうですか」という提言をしてみるつもりである。
話しの大枠としては、図に示すような「使命ム計画・実行・評価サイクル」のそれぞれの段階で発生する4つのタイプのヒューマンエラーを想定して、それを低減させる、あるいはそれを事故につなげない方策を提言してみる。

図1 使命ム計画・実行・評価サイクルとヒューマンエラー
ppt

 なお、4つのタイプのエラーとは、次のようなものである。
○使命の取り違えエラー
 組織や個人が設定した安全第一という使命が、定時運行や競争勝利や顧客満足などの仕事上の使命を優先したために起こるエラーである。
○思い込みエラー
 誤った状況認識によって誤った計画(目標)を立ててしまいそれを忠実に実行してしまうエラーである。
○うっかりミス
 実行段階で計画とは違った行為をしてしまうエラーである。(なお、エラーとミスは本稿では区別しない) 
○確認ミス
 行為をしたときに、それが計画と一致しているかどうかをチェックすることを怠ってしまうミスである。
  
提言その1 定時運転の呪縛を緩めるーー安全より定時を優先してしまう使命の取り違えエラー

●日本の鉄道はなぜ世界でも最も正確なのか 
この小見出しは、「定刻発車」(三戸祐子著、新潮文庫)の副題である。江戸時代の参勤交代にまでさかのぼっての定刻通り遵守の交通文化の起源、それを保証するための人(乗客も含む)もその一部に取り込んだ精緻な管理システム構築の現実を余すところなく書き込んだ好著である。
これを読むと、列車の2,3分の遅れくらいどうということはない、とは安直には言えなくなる。それくらい定刻発車は日本の鉄道に構造的に作り込まれたシステム文化なのである。

●それでも定時運転の呪縛は安全の大敵
時間は誰しもがそれなりに利用している。時間のおかげで社会生活が円滑に営まれている。時間は、目に見えない重要な社会的インフラの一つである。そのインフラが至る所で極めて強固に構築されている日本において、定時運転が乗客のみならずシステム運行管理者から強く期待されるの当然である。
しかし、事が安全に関わるときは、定時の呪縛はネガティブな面をみせる。定時を遵守する以上に大事な安全がそのために犠牲にされてしまうことになるからである。

●状況と人の変化が定時を許さない
現場は時々刻々変化し多彩である。いつもと同じ状況で同じ心理状態で仕事ができることはまれである。
ホームの混雑や交通渋滞に巻き込まれるかもしれない。人間である限り、気になることが突然脳裏をよぎり運転に集中できないといった個人的な事情も発生するかもしれない。そんな中でも動かさなければいけないのが公共交通の仕事である。
そこに、さらに定時運転の呪縛がのしかかってくれば、運転者のストレスは、想像を絶するものがある。安全運転の制約をはみ出てしまう運転が発生しても不思議ではない。
このことの認識が、乗客も含めてすべての関連する人々の間で共有されることがまずは必要である。
 
●運行の現状と予測情報を提供する
その認識を共有した上で、定時からはずれた運行が発生していることを知らせる情報システムを用意する。
たとえば、公共バスでは、運転側も乗客側も定時運転の呪縛からすでに解き放されているようにみえる。それほど都市部では交通渋滞が慢性化してしまったからである。それでも乗客がバスをそれなりに利用しているのは、主要路線の一部ではあるが、運行状況を知ることのできる情報が提供されているからである。あと何分待てばよいかがわかれば、それなりの心理的準備も対応も取れる。
これがまた運転者から定時の呪縛を幾分なりとも解き放すことに役立っている。

●それでも安全第一で
現場には「安全第一」を「安全第二、第三」にさせるものがたくさんある。定時運行はその一つに過ぎない。
たとえば、バスのブレーキの効きが悪くなった。運行をストップするかどうか。駅まではあとわずか。ここで運行中止を決断するか(安全第一)、それともここで止まってしまえば乗客に不便をかけるのでなんとか駅まで走るか(乗客満足優先)。
こんな判断はごく日常的に発生している。安全運行規定マニュアルを整備しておいても、それが活かされないほど厳しく多彩な現実が現場には絶えず発生している。さらに、想定外の状況も発生する。
そんな時にでも、ともかく「安全第一」の判断させるには、組織としてきちんと安全第一の使命を掲げ、さらに、それが現場で活かされるように、絶えずその使命を明示し、さらにそれが現場で活かせるような具体的な方策を提供しかなければならない。

提言その2 わかりやすい情報を提供するーー誤った知識を使ってしまい思い込みエラー

●駅を通過してしまった
コンピュータ化のお陰ではないかと思うが、特急、急行、準急、普通と、実にさまざまな列車が同じ線路上を走っている。そして、停車駅のすっとばしやオーバーラン、原因は「急行だと思った」との運転手の勘違い、という定型ニュースを時折、見聞きする。
作業内容の変更、システム更新、配置転換などが、こうした勘違い、思い込みエラーを誘発する強い誘因となる。
勘違いや思い込みは、頭の中にある知識が引き起こす悪さである。状況は同じあるいは類似、そのために旧知識を使って誤った状況認識をしてしまい、その状況には不適切な行為をしてしまったものである。
これを防ぐには、こうした誘因を排除すればよいのだが、人員配置計画や労務管理上だけでなく、仕事の効率化やモラールの上でも難しいこともある。となると、旧知識をつい使ってしまうようなことにならないような工夫が必要となる。
長期間にわたる仕事から新しい仕事への変更時、逆に頻繁な変更が発生するような時には、変更に応じて状況をがらっと変えることで「変更」についての適切な状況認識ができるように支援する必要がある。
たとえば、急行と鈍行では運転室の照明やレイアウト、さらに運行表の体裁を変えるのである。

●乗客も思い込みエラーをする
人は誰しもがそれなりの地図を頭の中に持って動く。認知地図という。たとえば、地下鉄を利用するために地下に入ると、いつのまにか、方向感覚が狂ってくるが、それでも自分なりの認知地図に頼って動いてしまい、逆方向の電車に乗ってしまう、とんでもない出口から出てしまうなどなどの失敗をおかしてしまう。これも思い込みエラーの典型である。
乗客管理の上で、こうした思い込みエラーはできるだけ未然に防ぐ手立てを講じておいたほうがよい。緊急時などに役立つからである。
対策の王道は、地上でも同じであるが、通路をシンプルな構造にして認知地図との照合がしやすくすることである。4回右に曲がれば、元に戻れるようにする。人の出入りの激しいところでは、こうした配慮が設計段階からなされるようになってほしいものである。
次は案内表示である。
案内表示には、ルートマップ方式とサーベイマップ方式とがある。前者は、あっちへ行くとどこ、どこそこへ行くにはこっちといった方式、後者は鳥瞰図的なマップである。
認知地図は、サーベイマップ形式であるので、それに照合しやすい表示が有効であるが、その時一回限りの案内表示には、ルートマップ方式のほうが便利で有効である。その案内の具体的な表示の仕方にまでは、ここでは立ち入らないが、図に一例を示すように、そこにも、人の知覚特性にかなった表示のリテラシーがあることは知っておいてよい。

図2 案内表示の例 pptすみ


提言その3 スピードと利便性の折り合いをつけるーー速さはうっかりミスの大敵

●スピードギャップが問題
移動物体の時速60キロは、1分で1キロ、1秒で17メートルになる。たった1秒間のぼんやり、脇見でも、17メートルも動いてしまう。その間に魔の一瞬がおとずれるのである。
しかも、人の側での一瞬への対応スピード(行為の時定数)もたかだか200ミリ秒である。その間に時速60キロの移動物体は3.4メートルも進んでしまう。しかも、慣性も働くので、この何倍もの距離を移動してしまう。
人と移動物体のこうしたスピードギャップが、事故の強い誘因になっている。

●速すぎて事故
 多くのついうっかりは、その行為が起こった瞬間に気がつく。
したがって、訂正行為ができる。しかし、この間にも数秒の時間がかかる。移動物体のスピードが速いと、この数秒が命取りになってしまう。
 スピードが速くなることは、利便性と直結する。したがって、利用者は歓迎する。しかし、ひとたび、不具合が発生すれば、
その影響するところは、スピードに比例して大きくなる。
 リスクとリターンの折り合いは、永遠の課題である。これは、
その領域内では解決不可能である。最近、あちこちで話題になっている環境リスクーー車公害もその一つーーというような別領域からの観点を導入してみるのが良さそうではある。
 しかし、個人使用が圧倒的に多い車のような場合は、かなりのところまで個人的な努力に期待せざるをえない。それも、注意の自己管理という極めて扱いの難しい問題に直面することになる。


提言その4 ワンマン運転の支援体制を整えるーー注意管理不全でうっかりミス
 
●車掌がいなくなる
バスや市電から車掌がいなくなったのは、いつ頃からであろうか。名古屋市営バスでは昭和26年にすでにワンマンに踏みきったらしい。最近開通したつくばエキスプレスは、6両編成の電車で車掌なしである。
車掌の仕事の一部は、機械化されたものの、残りは運転手が抱え込むことになった。このことによって、事故が増えたというようなデータの存在は、寡聞にして知らないが、しかし、ワンマン運転は、安全の制約ぎりぎりのところでの仕事であると思う。一つの事例研究のつもりで、その危険性と対処を考えてみることにする。

●あれもこれも一緒には危ない
同時にいくつもの事をするのを多重課題と呼ぶ。歩きながら物を食べる、運転しながらラジオを聞くなどなど。我々は日常的に多重課題をなんなくこなしている。
多重課題がこなせるには、2つの条件を満たす必要がある。
一つは、いずれかの課題が、努力なく自動的におこなえること。たとえば、歩く、運転するのは(ただし、習熟している人が普通の状況で運転しているとき)、ほとんどそれに注意をさく必要がないので、もう一つ別のことができることになる。たとえそれが、多少は意識的な努力を必要とするものであっても。
もう一つの条件は、課題の処理に使う心身機能が異なっていること。カーナビの音声指示に従いながらの運転はできるが、地図を見ながらは無理。運転と地図は視覚モードを共に使うからである。
ワンマン運転では実にたくさんの課題を一人でこなしている。その中には多重課題になっているものもある。運転しながらの案内や乗客対応など。
多重課題をこなせるのは有能さの証のようなところがある。しかし、多くの多重課題の処理事態では、注意資源を目一杯使っている状態なので、さらに注意を注がないと課題の解決ができなかったり、もう一つ注意を必要とする課題が割り込んでくるととたんに注意管理がうまくいかなくなって、ミスが起こりがちになる。
一瞬の不注意が事故に直結してしまうような運転作業の場では、多重課題はできるだけ避けたいが、現実にはそれでは仕事にならない。
そこで、多数の課題が並列にならないように系列化してそれに習熟しておく、さらには、乗客からの運転手への不意の割り込み質問などを禁止するような措置もあってよい。
さらにこれは一つの思いつきに過ぎないし、すでにどこかで実施されているかもしれないが、車内案内ボランティアを募るような方策も一考に値する。元気な高齢者が増えてきた。ボランティア募集には苦労なしであろし、高齢者の乗客にとって何かと助かる。運転者にとっても、運転により集中できることになる。一石三鳥の効果を期待できる。

●自己管理の難しさ
組織の一員として仕事をしている時は、ワンマン運転のように一人で仕事をしてはいても、それを支える多くの人々がいる。しかし、長時間のワンマン状態での仕事は、自分で自分の心身を管理する努力を要求することになる。
心身の自己管理には、自分自身の今現在の心身の状態をきちんと把握すること(モニタリングすること)と、それにふさわしい行為ができるように自己コントロールすることの2つがある。たとえば、疲れを自覚したら、休憩をするようにするのが適切な自己管理である。
こうした適切な自己管理のすべを、知識として持つこと、そしてそれを使いこなすことを、安全研修などで伝え、訓練しておく必要がある。
それに加えて、「情報的に」ワンマンにしない工夫も必要である。情報ヘッドクオータとのコミュニケーションがいつでも取れるようにしておく。親密度を高めるコミュニケーションでもよい。ちょっとしたヒヤリハット体験の連絡でもよい。ともかく、「ワンマン」ではないことを実感できるコミュニケーション環境を作り込むことが必要である。


提言その5 ついうっかりを事故につなげないーー確認行為が形骸化してしまい確認ミス

●ついうっかりが一番多い
エラーにはいろいろあるが、事の大小を問わなければ、うっかりミスの発生頻度が最も高い。そして、その多くは、おかした瞬間に気がつくので、訂正行為をすることで事なきをえる。
なぜおかしたとたん気がつくかというと、行為をするときに、その目標を意識していることが多いからである。速度を緩めるという目標を実行するためにブレーキを踏むという行為をする。その時、アクセルをついうっかり踏んでしまいスピードが出てしまえば、すぐにしまったとなり、ブレーキを踏み直す。その間、幸運にも何もなければ、ヒヤリハット体験くらいで済む。
なお、思い込みエラーは、確認をすり抜けてしまう。自分では正しいと思っている目標に従った行為をしているからである。
思い込みエラーは、外部からのチェックによってしか見つけることができない。

●確認を確実にするには
したがって、うっかりミスを防ぐには、一つ一つの行為の目標をしっかりと意識することがまず大事となる。これがうっかりミスを防ぐ入り口対策。漫然といつもの通りのことをしていると、うっかりミスをしても自己確認ができないで見逃してしまうことになる。
ところが、これが意外に難しい。目標の自己管理が難しいからである。
図に示すように、行為の目標は階層構造をなしている。その時々で意識している水準は異なる。行為をきちんとコントロールするには、目標は具体的なほうがよい。漫然と「安全第一」では具体的な一つ一つの行為を意識的にコントロールすることはできない。「制限速度遵守」なら具体的に行為をコントロールできる。
 目標構造を単純にして状況に応じて上下移動できるようにすることである。危険一杯の状況では具体的レベルに目標を落とす。安全環境では、目標を上に設定する。


図3 目標の階層構造


 もう一つは、うっかりミスを防ぐ出口対策。それは、確認行為を確実におこなうことである。
目標がはっきりと意識していても、確認という行為そのものが不完全であれば、うっかりミスを見逃してしまう
確認をしないのは論外。面倒なのは、確認行為はしているのだが、実質を伴っていない確認不全である。確認行為の形骸化と呼ばれている。
確認行為の形骸化は、一つには、馴れによって起こる。いつもいつも確認をすると、いつもいつも異常なし。これが続くと、つい今回も異常なしだろうとなりがちである。
確認行為の形骸化をもたらすもう一つは、確認も含めた一連の行為系列のマクロ化である。マクロ化とは、一連の行為系列が、意識の上で「一連」ではなく「一つ」の行為になってしまうことである。習熟に伴っておこる認知的な節約現象なので、ポジティブなところもあるのだが、確認が絶対に必要な段階では、確認行為が「意識的には」おこなわれないので、確認ミスが発生しがちになる。

図4 一連の行為のマクロ化の過程


こうした確認行為の形骸化を防ぐには、確認行為だけが際だつようにすることにつきる。確認すべきところでは指さし呼称を実施する、行為を強制的に中断させるなど。さらには、可能なら、一人だけの確認ではなく、複数が独立に確認する。

終わりにーーヒューマンエラーと都市交通の安全
運転業務はむろんのこと、施設・機械、システム、組織すべてに人がそれになりにかかわっている。それらの中で一人でも安全管理を怠ると不具合や事故になってしまう。だからヒューマンエラーの観点は大事、という話しをしてきたつもりである。
しかし、最後に付け加えておかなくてはならないのは、このことは、不具合や事故の責任者を探しだして罰すこととはまったく違う、ということである。あくまで、次なる不具合や事故を未然に防ぐためである。
安易な人為ミス説は百害あって一利なしである。蛇足になるが、付け加えておく。

参考文献
海保博之 2005 「ミスに強くなる! 安全に役立つミスの心理学」 中災防新書
海保博之・田辺文也 1996 「ワードマップ ヒューマンエラー 誤りからみる人と社会の深層」 新曜社





●良い熱中と悪い熱中

2009-03-22 | 健康・スポーツ心理学
● 良い熱中と悪い熱中
 誰もがそれなりに熱中することがあるのはわかったと思います。
 でも気がついたと思いますが、問題があります。それは、熱中には、悪い熱中もあることです。良い熱中でないと、心もからだもやられてしまいます。
 良い熱中と悪い熱中。どこがどうちがうのか、ゲームへの熱中を例にとって考えてみます。
 ゲームや映画、TVなどは、人を熱中させる仕掛けをふんだんに組み込んであります。たとえば、
・ 大音響やけばけばしい色彩
・ 頻繁な場面転換
・ 魅力的な登場人物
・ 奇想天外なトリック
 こうした仕掛けを見せられれば、誰もが熱中してしまいます。こうした熱中は、いわば、みずからする熱中ではなく、外から強いられる熱中です。いわば、受動的熱中です。
 こういう熱中、ただちに悪い熱中というわけではありません。
・ 日常のつらさを忘れたい
・ ストレスを発散したい
・ 気持ちを高めたい
といったときには、実に有効です。だからこそ、これほど人々を引き付けることになります。
 しかし、こうした受動的熱中が、四六時中続いたらどうでしょうか。しょせん、強いられた熱中ですから、疲れてきます。飽きてもきます。それに、自分を高めるものが何もないそんなものに浸っている自分に嫌気もさしてきます。
 これに対して、同じゲームに熱中するにしても、ゲームそのものではなく、ゲームを作っている仕掛けのほうに興味をもった人はどうでしょうか。
・ どんな仕掛けで、こんな動きが作り出せるのだろうか
・ どんな仕掛けで、こんなおもしろいプロットが生み出せるのだろうか
・ どんな人たちが、どのようにしてこのゲームをつくっているだろうか
などなど、興味はつきません。そして、その興味に駆られて、たとえば、コンピュータ・グラフィックスにたどり着き、その仕掛けの解明にのめりこんでいくとなれば、これは、すばらしいことです。
 これが良い熱中です。良い熱中とは、もう少し細かく言うと次のようなことになります。
① 熱中したことによって、それ以前よりも心身がより高いところに到達していること
スポーツでも勉強でもそうですが、だらだらいやいややるのと、熱中してやるのとでは、進歩の度合いも質もちがったものになります。
② 持続的な努力が伴うこと
  熱中しているときには、努力しているという自覚はありませんが、外からみると、大変な努力をしていることがたちどころにわかります。
③ 知的好奇心に駆られたものであること
 スポーツに熱中する場合でも、ただ身体だけを闇雲に長時間動かしていればよいというものではありません。そこには、知性も投入する必要があります。その一部は、コーチや仲間が果たしてくれますが、最後は自分の知性が試されます。


◆人間性心理学◆トランスパーソナル心理学

2009-03-22 | 心理学辞典
◆人間性心理学(humanistic psychology)〔1995年版 心理学〕
科学的であろうとするあまり、心理学は、人間の心にまつわる現象や体験の多くを研究の対象から切り捨ててきた。その反省から、一九六〇年代に生まれたのが、心理学の「第三勢力」とも称される人間性心理学である(なお、心理学の第一勢力は精神分析、第二勢力は行動主義)。愛、創造性、自己、自己実現、価値、存在、自律性、勇気等々を、既存の心理学が依存している科学的な方法論にこだわらずに研究し、「新しい普遍的・包括的な生の哲学」を構築しようとする。そこでは、機械的・要素的な人間観に変わって、人生の意味を積極的に見いだそうとしてもがいている実存的人間観が採用されている。
◆トランスパーソナル心理学(transpersonal psychology)〔1995年版 心理学〕
個人を超えた心理学の意。個人主義と理性中心主義の西洋的知性ではとらえることのできない、人間の普遍的な(自己超越的な)側面に関心を向ける。S・フロイト、C・G・ユングの無意識の概念を超えて、東洋的な知性の典型である禅の悟り体験、ヨーガの修行体験のなかに、一つの理想的な形を想定する。A・マスローは、心理学の「第四勢力」と位置づけ、至高経験をさらに超えたものを探し求めて、トランスパーソナル心理学の構築をめざした。

株屋は信用おけない

2009-03-22 | 心の体験的日記
あっはっは
またまた麻生首相がやってしまった
「庶民感覚ではその通り、でもねーー」発言のたぐいを首相が言ってしまってはおしまい
定額給付金での「さもしい」発言もおなじ類

首相は、庶民のレベルまで降りてしまってはだめ
でも、親しみはわく
本気で応援したくなる素養はある
でも、オバマさんとどうしても比較してしまう
時期が悪い
でも、首相本、買っちゃいました