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交通安全祈願

2019-01-04 | 心の体験的日記
この神社だけは、まじめに初詣する。
それでも混雑はごめん。
4日(今日)なら、もう御用はじめだし、
すいているだろうとの予測で、出かけた。
ところが同じことを考えている人々でいっぱい。
それでも、きっちりと、交通安全のお札を収め、新規に購入した。

交通安全!!

まだ運転、あきらめない自分にやや自分でもあきれ気味。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

2019-01-04 | Weblog
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激動の1年、スタート

2019-01-04 | 社会
今年気になること(自分編)
・転移肝臓癌の全面撤去が成功するか
・ブログ、TV、読書、散歩以外の退屈しのぎが見つかるか
・ブログ更新継続365日ができるか
・とりあえず、縮小家族ではあるが、なんとか1年越せるか

よくよく考えると、たいしたことないなー
これで生き延びても、たいしたことないなー
でもともかくがんばります。



人助け「情けは人のためならず」周りを元気にするキーワード解説その23

2019-01-04 | ポジティブ心理学
人助け「情けは人のためならず」

●人助け
 「助け、助けられ」あるいは「与える、もらう」は社会的な営みのごく基本です。
それがはっきりとした形で現れる場面もありますが、見えない場面のほうが圧倒的に多いので、この基本、意外に見逃されがちです。
見える時は、助けて気持ちよかった、助けられたから感謝となりますが、見えない時は、そうした心が湧いてきません。そこで、あえて、たとえば、食事の時には、「いただきます」と手を合わせることで、「助け、助けられる」関係を意識化することになります。
いずれにしても、この人助け、社会を成り立たせている基本となる営みだと思いますが、意外に面倒なところがあります。
助けることも、助けられることにも、お互いの心が元気になるためには、それなりに配慮が必要のようです。

● 人助けの心理
まず、助ける側の心理から。
人が困っているをみて何もしないのは、かなり心痛みます。それでも、スムーズに助ける行為ができない心理的な障壁がいくつかあります。
なにより、面倒なことにはかかわりたくない気持ちが一つあります。これに、よく知られている責任の社会的分散ということもあります。自分があえてしなくとも周りの誰かが助けるだろうからというものです。
これはかなり高い障壁です。とりわけ、不特定多数の集まっているところでは、この心理的な障壁は高くなります。
もう一つは、自分には助ける手段や能力がないという認識です。
 胸をかかえてひっくり返っている人の介護は、素人には無理です。
 やくざにからまれている人をたすけるのも、か弱い人には無理です。
もっとも、いずれも、消防や警察に連絡するといった間接的な助けはできるとは思いますが。
助けられる側の心理的障壁もあります。
ここ一番の危機一髪のときの助けは、誰しも感謝感激です。しかし、つまずいてひっくりかえってズボンをぬらしてしまったようなときに、かいがいしく助けてくれる人がいたらどうでしょうか。ありがた迷惑に思うかもしれませんね。
 これは、助けられる状況によって、助けてほしい気持ちに違いがあることを示していますが、これ以外にも、誰に助けてもらうかによって、気持ちに違いがあります。見知らぬ人と仲間とでは、同じ状況でも、違いますね。
 それに、助けてもらう人の性格や経験によっても、違いがあります。気持ちがポジティブに外に向いている人は、助けを快く受け入れますが、攻撃的な人や優越意識の強い人は、ひどい時には、助けようとすると、怒り出す人さえいます。たとえば、座席を譲られるときにも、その受け入れ方は、本当に人さまざまです。

●人助けで周りを元気にするコツ
①一日一善を心がける
道徳の授業のようになりますが、一日一善を信条にしてしまえば、あれこれ考えることもなく、自然に人助けができます。相手にどう思われるかなんて気にせずに、ともかく、助けをすることにしてしまうのです。そして、自己満足してしまうのです。
やがてそれが習慣になります。習慣になれば、スムーズに自然に善ができます。それによって、それが相手には受け入れやすい状況を作り出せますし、それが相手に負担感を与えないことにもなります。
さらに、一日一善が習慣のようになってしまえば、自分の気持ちに関係なく人助けができてしまいます。普通は、自分の気持ちがネガティブの時は、人を助ける気持ちにはなれませんが、習慣なら気持ちに関係なくできます。さらに、助けることで、気持ちがポジティブに変わることさえ期待できます。

②身の回りの人への「助け、助けられ」は、慎重に
助けられる人にとって、善はどうしても施し、あるいは「恩着せがましい」の色合いを帯びてしまいます。お互いに知り合いどうしだと、心苦しくなるようなところがあります。ここが難しいところです。
助けるほうと助けられるほうとが、普段は、持ちつ持たれつの関係にあるのが望ましいことになります。これなら、いつも一方的に助けられるだけという関係にはならないからです。
そこで、助け上手だけではなく、助けられ上手にもなるのです。こんな配慮です。
・ 気楽に?、助けてほしいという声をあげる
・ 助けてもらったら、感謝をはっきりと表明する
・ 助けられたことを借りとして記憶しておいて、何かのときにお返しをする


思い出の教科書(再掲)

2019-01-04 | Weblog
思い出の教科書

海保博之 (筑波大学人間総合科学研究科(心理学専攻)教授)

 大学生だったのは44年前。その時使った教科書を思い出してみた。思い出せたのは、高木貞治編『心理学』(1956年、東大出版会)と岩原信九郎著『教育と心理のための推計学』(1957年、日本文化科学社)の2冊だけであった。

 なぜこの2冊の教科書が思い出せたのかというと、1つには、要するによく使いこんだからである。授業の際はもとより、大学院入試の受験勉強のとき、教員になってからも、授業の下調べや原稿書きなどで折に触れて参照してきた。まさに座右の書であった。思い出せたもう1つの理由は、やはり、その教科書を使った先生(いずれも故人)の思い出があるからである。

 高木・心理学を教科書に使ったのは、小笠原慈英先生。教科書そのものにまつわる思い出はないが、授業の随所で自作のデモ教材を使って授業の工夫をされていたのを思い出す。(なお、東大出版会ニュース(NO.75)によると、高木・心理学の改訂三版は小笠原先生が編者だったらしい。)

 一方、岩原先生は、東京教育大学においでになってまもなくの頃で、当然、自著を使われてのアメリカン・スタイルの熱烈講義であった。宿題、クイズ、黒板での問題解きなどをまじえての授業、さらに厳格な試験は、当時の大学の授業では新鮮であった。大学ではみずから勉強した授業もいくつかあるが、岩原・統計学の授業は、唯一、勉強を「させられた」授業だった。余談だが、家内は、大学の成績で唯一「C」をつけられたのが岩原先生の統計学だけだったといって、今でも悔しがっている。
 
 両方の教科書ともさすがに最近は手にとったことはなかった。あらためて研究室の書棚から引き出してみると、古色蒼然としている。中を開くと、下線があちこちに引かれてあり、書き込みもある。使い込んだことがよくわかる。
(注)高木・心理学は鹿取・杉本編の改訂版として、また、岩原・推計学はほぼ初版のままの形で、共に今でも脈々と使われ続けている。