近隣スーパーで、レジ係りから、「カードは?」といつも聞かれ、
しかも、その言い方になんとなく申し訳なく感じさせられるものがあり、
とうとう作った。
2,3回利用したが、
思った通り、とても面倒。
もっていくのを忘れる>>常時、持参のカード入れには入れてない
もっていってもレジで出すタイミングを間違う>>冒頭にレジにださないとだめ
これでどんな特典があるか不明
などなど
ポイントサービスはどうでもいい。
絶対に撤退しないでくださいねー
時間帯によっては、ポイントサービスに関係しているのだと
思うが、お年寄りのものすごいレジ待ち行列に出くわすことがあるので、
まだまだ撤退はないと思うが、心配ではある。
しかも、その言い方になんとなく申し訳なく感じさせられるものがあり、
とうとう作った。
2,3回利用したが、
思った通り、とても面倒。
もっていくのを忘れる>>常時、持参のカード入れには入れてない
もっていってもレジで出すタイミングを間違う>>冒頭にレジにださないとだめ
これでどんな特典があるか不明
などなど
ポイントサービスはどうでもいい。
絶対に撤退しないでくださいねー
時間帯によっては、ポイントサービスに関係しているのだと
思うが、お年寄りのものすごいレジ待ち行列に出くわすことがあるので、
まだまだ撤退はないと思うが、心配ではある。
「西暦がページ数だとすれば、元号は章」タモリさんが西暦と元号の違いを一言で表現した例えがわかりやすいと話題に!
フジテレビで4月30日に放送された『FNN報道スペシャル 平成の“大晦日” 令和につなぐテレビ』で総合視界のタモリさんがエンディングでコメントを求められて言った「西暦と元号の違い」がとてもわかりやすいと話題になっています。
(こぐま速報」より)
@@
見事なたとえだなー
一級の表現者は、たとえがうまい!!!
フジテレビで4月30日に放送された『FNN報道スペシャル 平成の“大晦日” 令和につなぐテレビ』で総合視界のタモリさんがエンディングでコメントを求められて言った「西暦と元号の違い」がとてもわかりやすいと話題になっています。
(こぐま速報」より)
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見事なたとえだなー
一級の表現者は、たとえがうまい!!!
ポストモダンによって、マルクス主義といった理想、
つまり「大きな物語」が解体されました。しかし、
人間は「物語をつくる動物」。
何らかの物語を必要とする。
この間隙に入り込んできたのが、---
拝金主義や排外主義的ナショナリズムといった
質の悪い「物語」です。
(佐藤優)文芸春秋
@@
物語「人は誰もが物語好き」
● ネガティブ物語こそ物語の真髄?
生誕100年とあってか松本清張ものの本、TVドラマが目立ちます。かつて、若い頃は、時代の流れもあって、どれほど読んだり、見たりしたことか。実は、最近、本屋であまり目に付くので1冊、短編集を買ってきてしまいました。そして、読みました。
話の作り方の巧みさ、日本社会のエリート層の影の部分を描き出す筆致には感嘆させられます。
でも、徹底して暗いですね。
読み終えるとずっしりと疲れます。あれこれ考えさせられます。頭に残ります。だからこその名作なのですね。
そういえば、夏目漱石にも、「坊っちゃん」はさておいても、人間の心の深奥のダークサイドを描いたものがたくさありますね。
不思議と、というより、当然かもしれませんが、古今東西、名作といわれるものには、暗い物語のほうが圧倒的に多いようです。ここには、ネガティブなほうがより深い認識ができる、したがって、読者の共感も呼べる面があるからだからかもしれません。
本稿にはまったくのふさわしくない、しかし、恐い引用を一つ。こんなところにも、物語の活躍する場があるということで引用しておきます。
厚生労働省局長の冤罪事件に関連して、(週刊朝日2011.2.4号より)
「この国の捜査機関は、ストーリーを完成させるためなら、手段を選ばすである。その手段の前には「人権」などという言葉は虫けらのように扱われる。巨大な権力の前に抵抗するのをやめ、泣き寝入り人たちは数多くいたはずだ。」
●ポジティブ物語ってどんなもの
では、ポジティブ物語ってどんなものでしょうか。
物語をポジティブ対ネガティブに分けてしまうのは、単純すぎますが、心を元気にしたければ、やはり、ポジティブ物語のほうがいいですね。
ところで、「YESMAN」という映画を先日、見てきました。
なんでもYESといえば、人生変わるというセミナーに参加して洗脳されたしがない銀行員。以後、どんな融資依頼話にもYES,YES,を連発することで確かに人生がポジティブな方向へと変化はするものの、最後は、「あなたのYESは、主義からなの? 本音なの?」と彼女から問い詰められて窮地に陥ってしまいます。まー最後は、なんとかハッピーエンドにこぎつけました。
ストーリは単純でしたが、心を元気にして劇場を後にすることができました。
こうしたポジティブ物語には、次のようないくつかの共通点があります。
一つは、はらはらどきどきの後、終わりよし(ハッピーエンド)のパターンです。はらはらどきどきで、見ているものを感情的にネガティブなほうに巻き込みます。涙さえ流させます。それを最後に一気に「あーよかった」まで引き上げます。
この感情的なアップダウンは、聴衆、読者を巻き込むのには必須のお膳立てです。
その具体的な内容(筋書き)はさまざまですが、問題解決、成功、結果として、主人公の喜び、幸福、安寧をもたらすようなものになります。
2つは、登場人物への感情的移入の仕掛けがあります。
シンデレラ、マッチ売りの少女、極貧イケメンを登場させる一方は、見るからに憎らしい、反発を買うような悪役も必要です。この両者が織りなすエピソードが、聴衆、読者をして主人公への感情移入を促します。
● 仮想物語と心内物語とリアル物語と
ここまでの物語は、小説や映画などの仮想物語の話でした。これに加えて、人は自分の心の中にも物語を持っています。
「4」という数字。これを見て、「死」を思う。
「大木」をみて、子どもがこのようにすくすくと育ってほしいと願う。
見るもの、聞くものにそれなりの意味を読み取る。これが人間です。この規模が大きくなったものが心の中の物語です。使命感にかられての人生なら、壮大で強力な心内物語ができているはずです。
仮想物語と心内物語とは、内外の違いだけで、基本的には同じ、だからこそ「人は物語が好き」なのだと思います。
さらにもう一つ、リアル物語の現場もあります。
たとえば、ハレ(晴)とケ(褻)。ハレは非日常、ケは日常。私たちは、ケの大切さは重々知りながらもそこだけにいると退屈します。心平安でも何か物足りなくなります。そこでハレの世界に浸ることを折にふれて求めます。
ハレの世界。実に多彩です。お祭り、さまざまな儀式、飲み会、芝居という具合です。多彩ですが、共通して、そこには、物語があります。あるいは、ケの世界では味わうことのできない物語、しかも突飛で心おどるような物語をハレの世界に求めます。
仮想物語、心内物語、そして、リアル物語の3つの物語をうまく共振させることが、心を元気にするポイントになります。
●物語で頭を元気にするコツ
①道具立てとコンテンツを豊富にしておく
昔、研究者仲間が、その時の気分によって読む本を選べるシステムを作って話題になりました。
中身は忘れましたが、たとえば、気分が落ち込んでいる、あるいは高揚しているときは、ネガティブ小説がいいのか、ポジティブ小説がいいのか、確かに知りたいところですが、どうでしょうか。常識的には、どっちもあり、というよりそんなに簡単には指針は出せないのではないでしょうか。
成り行きまかせでいいのだと思います。感情は、無意識的にその時その場での妥当な選択をガイドするからです。
ただ、道具立てとコンテンツ(情報)は用意万端怠りなくあらかじめ豊富にしておくことは必要だと思います。
「気分が沈んでいるから元気になれるドラマを」あるいは「ちょっとテンションが高くなりすぎているようなのでリラックス系の映画を」と思ったら、それが利用できる環境をあらかじめ作っておくことは、必要です。
幸いなことに、今はウエッブでたいていのことができます。あまり大げさな道具立てが不要になりました。検索すれば、コンテンツもよりどりみどりです。ありがたいことです。
さらに、なじみの本屋や映画館も作っておくとなおよいですね。場所が変わると気分も変わりますから。
そして、リアル物語の現場があれば言うことなしです。
昔、徳島大学に赴任したとき、阿波踊りの「連」に誘われて踊りました。実に楽しかった記憶があります。
②ハレの世界で心、生き生き
ハレ(晴)とケ(褻)。ハレは非日常、ケは日常。私たちは、ケの大切さは重々知りながらもそこだけにいると退屈します。心平安でも何か物足りなくなります。そこでハレの世界を時折求めます。
ハレの世界。実に多彩です。お祭り、儀式あり、飲み会、芝居という具合です。多彩ですが、共通して、そこには、物語があります。あるいは、ケの世界では味わうことのできない物語、しかも突飛で心おどるような物語をハレの世界に求めます。
時には、小説や映画などの仮想物語世界から飛び出て、リアル物語世界で心踊る体験をしてみるのも、心を元気で生き生きしたものにできます。
それが心内物語をポジティブなものにすることにもなります。
つまり「大きな物語」が解体されました。しかし、
人間は「物語をつくる動物」。
何らかの物語を必要とする。
この間隙に入り込んできたのが、---
拝金主義や排外主義的ナショナリズムといった
質の悪い「物語」です。
(佐藤優)文芸春秋
@@
物語「人は誰もが物語好き」
● ネガティブ物語こそ物語の真髄?
生誕100年とあってか松本清張ものの本、TVドラマが目立ちます。かつて、若い頃は、時代の流れもあって、どれほど読んだり、見たりしたことか。実は、最近、本屋であまり目に付くので1冊、短編集を買ってきてしまいました。そして、読みました。
話の作り方の巧みさ、日本社会のエリート層の影の部分を描き出す筆致には感嘆させられます。
でも、徹底して暗いですね。
読み終えるとずっしりと疲れます。あれこれ考えさせられます。頭に残ります。だからこその名作なのですね。
そういえば、夏目漱石にも、「坊っちゃん」はさておいても、人間の心の深奥のダークサイドを描いたものがたくさありますね。
不思議と、というより、当然かもしれませんが、古今東西、名作といわれるものには、暗い物語のほうが圧倒的に多いようです。ここには、ネガティブなほうがより深い認識ができる、したがって、読者の共感も呼べる面があるからだからかもしれません。
本稿にはまったくのふさわしくない、しかし、恐い引用を一つ。こんなところにも、物語の活躍する場があるということで引用しておきます。
厚生労働省局長の冤罪事件に関連して、(週刊朝日2011.2.4号より)
「この国の捜査機関は、ストーリーを完成させるためなら、手段を選ばすである。その手段の前には「人権」などという言葉は虫けらのように扱われる。巨大な権力の前に抵抗するのをやめ、泣き寝入り人たちは数多くいたはずだ。」
●ポジティブ物語ってどんなもの
では、ポジティブ物語ってどんなものでしょうか。
物語をポジティブ対ネガティブに分けてしまうのは、単純すぎますが、心を元気にしたければ、やはり、ポジティブ物語のほうがいいですね。
ところで、「YESMAN」という映画を先日、見てきました。
なんでもYESといえば、人生変わるというセミナーに参加して洗脳されたしがない銀行員。以後、どんな融資依頼話にもYES,YES,を連発することで確かに人生がポジティブな方向へと変化はするものの、最後は、「あなたのYESは、主義からなの? 本音なの?」と彼女から問い詰められて窮地に陥ってしまいます。まー最後は、なんとかハッピーエンドにこぎつけました。
ストーリは単純でしたが、心を元気にして劇場を後にすることができました。
こうしたポジティブ物語には、次のようないくつかの共通点があります。
一つは、はらはらどきどきの後、終わりよし(ハッピーエンド)のパターンです。はらはらどきどきで、見ているものを感情的にネガティブなほうに巻き込みます。涙さえ流させます。それを最後に一気に「あーよかった」まで引き上げます。
この感情的なアップダウンは、聴衆、読者を巻き込むのには必須のお膳立てです。
その具体的な内容(筋書き)はさまざまですが、問題解決、成功、結果として、主人公の喜び、幸福、安寧をもたらすようなものになります。
2つは、登場人物への感情的移入の仕掛けがあります。
シンデレラ、マッチ売りの少女、極貧イケメンを登場させる一方は、見るからに憎らしい、反発を買うような悪役も必要です。この両者が織りなすエピソードが、聴衆、読者をして主人公への感情移入を促します。
● 仮想物語と心内物語とリアル物語と
ここまでの物語は、小説や映画などの仮想物語の話でした。これに加えて、人は自分の心の中にも物語を持っています。
「4」という数字。これを見て、「死」を思う。
「大木」をみて、子どもがこのようにすくすくと育ってほしいと願う。
見るもの、聞くものにそれなりの意味を読み取る。これが人間です。この規模が大きくなったものが心の中の物語です。使命感にかられての人生なら、壮大で強力な心内物語ができているはずです。
仮想物語と心内物語とは、内外の違いだけで、基本的には同じ、だからこそ「人は物語が好き」なのだと思います。
さらにもう一つ、リアル物語の現場もあります。
たとえば、ハレ(晴)とケ(褻)。ハレは非日常、ケは日常。私たちは、ケの大切さは重々知りながらもそこだけにいると退屈します。心平安でも何か物足りなくなります。そこでハレの世界に浸ることを折にふれて求めます。
ハレの世界。実に多彩です。お祭り、さまざまな儀式、飲み会、芝居という具合です。多彩ですが、共通して、そこには、物語があります。あるいは、ケの世界では味わうことのできない物語、しかも突飛で心おどるような物語をハレの世界に求めます。
仮想物語、心内物語、そして、リアル物語の3つの物語をうまく共振させることが、心を元気にするポイントになります。
●物語で頭を元気にするコツ
①道具立てとコンテンツを豊富にしておく
昔、研究者仲間が、その時の気分によって読む本を選べるシステムを作って話題になりました。
中身は忘れましたが、たとえば、気分が落ち込んでいる、あるいは高揚しているときは、ネガティブ小説がいいのか、ポジティブ小説がいいのか、確かに知りたいところですが、どうでしょうか。常識的には、どっちもあり、というよりそんなに簡単には指針は出せないのではないでしょうか。
成り行きまかせでいいのだと思います。感情は、無意識的にその時その場での妥当な選択をガイドするからです。
ただ、道具立てとコンテンツ(情報)は用意万端怠りなくあらかじめ豊富にしておくことは必要だと思います。
「気分が沈んでいるから元気になれるドラマを」あるいは「ちょっとテンションが高くなりすぎているようなのでリラックス系の映画を」と思ったら、それが利用できる環境をあらかじめ作っておくことは、必要です。
幸いなことに、今はウエッブでたいていのことができます。あまり大げさな道具立てが不要になりました。検索すれば、コンテンツもよりどりみどりです。ありがたいことです。
さらに、なじみの本屋や映画館も作っておくとなおよいですね。場所が変わると気分も変わりますから。
そして、リアル物語の現場があれば言うことなしです。
昔、徳島大学に赴任したとき、阿波踊りの「連」に誘われて踊りました。実に楽しかった記憶があります。
②ハレの世界で心、生き生き
ハレ(晴)とケ(褻)。ハレは非日常、ケは日常。私たちは、ケの大切さは重々知りながらもそこだけにいると退屈します。心平安でも何か物足りなくなります。そこでハレの世界を時折求めます。
ハレの世界。実に多彩です。お祭り、儀式あり、飲み会、芝居という具合です。多彩ですが、共通して、そこには、物語があります。あるいは、ケの世界では味わうことのできない物語、しかも突飛で心おどるような物語をハレの世界に求めます。
時には、小説や映画などの仮想物語世界から飛び出て、リアル物語世界で心踊る体験をしてみるのも、心を元気で生き生きしたものにできます。
それが心内物語をポジティブなものにすることにもなります。