隠蔽―――隠せるものなら隠したい
●ひき逃げが増加
佐賀県唐津市で起こった、小学5年生が車に轢かれて、さらに森に運ばれて放置され犯人が逃走(後日、逮捕)してしまった事件はまだ我々の記憶に新しい。これほどひどいケースではないが、最近、ひき逃げが増加していることが事件の統計からわかる。***注1
事故、それも人身事故を起こしてしまった時の当事者の気持ちの動転ぶりは想像できる。しかし、だからといって、「被害者を放置したまま現場から逃げてしまうなんて、なんと人倫にもとることをするのか」というのがおおかたの部外者の気持ちであろう。
これほどのミスの隠蔽工作の背景には、どんな心理が働いているのであろうか。なお、隠蔽には、組織がおこなうさまざまな隠蔽工作があるが、それについては、本書のいくつの項目で触れているので、ここでは取り上げない。
● 隠蔽のさまざま
ミスの程度によって、隠蔽のありさまも変わってくる。
自分でミスをしてしまってその結果が自分にだけ及ぶとき、最初に考えるのは、誰か見ていないかであろう。たとえば、つまずいて転んだとき、足の痛さよりも先に周囲を見回して誰か見ていないかどうかを確かめるはずである。ミスを自分の弱さの現われと考えて、それが知られるのを恐れる。これが、たわいないミス隠蔽のひとつのありさまである。
ミスが周囲の人々や物に損害を与えてしまうことがある。このときには、まず、事の限定化による隠蔽が起こる。事を大げさにせずに、とりわけ、警察沙汰にせずに、その時その場で事の解決を図ろうとする心理である。事がマイナーなとき、かつ相手が納得してくれたときは、これが最適な解決であるが、マイナーかどうかの状況認識を誤ると、「もみ消し」としてさらに批判にさらされることもある。
3つ目は、限定化処理が難しいときである。被害が大きく、相手が人であれば、救急措置が必要といった事態である。こんな事態での隠蔽は犯罪になってしまう。気持ちが動転しているだけに、最初に挙げたひき逃げ事件のように、とんでもない方策を考え出してしまうこともある。ここで、道理に従った判断、処理ができるようにすることがまともな社会人なのだが、それを難しくするものが、こうしたミスの現場にはある。
●気持ち動転時に人はどうする
気持ちが動転しているときには、我々はどのような思考と行動をするのであろうか。
表1は、スミスら***注3の情動の評価機能と各種情動との対応を示したものである。
表1 第1次評価、第2次評価の内容と情動
第1次評価とは、気持ちが動転したその瞬間に頭の中で自動的に発生する最小かつ高速の情報処理(評価)である。ここで注目されるのは、その情報処理が、自分の利害関心に関係しているかどうかを主な目的にしているところである。そして、この評価は、おおむね妥当なものである。
第2次評価とは、気持ちがやや落ち着いてきた後におこなわれる情報処理である。ここで、状況改善の可能性、責任の所在、将来どうなるかが慎重に判断される。相手に大怪我をさせてしまった交通事故を例にとれば、状況改善の見通しがなく、責任が脇見運転による自分にあることは明白で、もしかすると職を失う可能性もある、というような評価を下し、それに対応するネガティブな情動を強く体験する。ただし、この段階での評価は、熟慮的ではあるが、情動主導なので、しばしば、状況評価が限定的で論理性に欠ける。注4***
●第3次評価がありそう
第1次評価の段階では、情報処理が自動的に発生するので、隠蔽といった複雑な処理は起こらない。第2次評価の段階でも、評価の誤りはしばしば発生するが、隠蔽にまでは頭が回らない。
隠蔽は、この2段階の処理のあと、いわば、第3次評価の段階で発生するようだ。
ひき逃げを例にとれば、この事態は自分の利害関心に沿わないことが発生してしまった(第1次評価)、かなりの重傷らしい、飲酒運転がまずかった、解雇されるかも(第2次評価)。だとするなら、とりあえず、飲酒運転だけを隠蔽するために、一時的に現場から逃げて時間稼ぎをしよう(第3次評価)となるのではないか。
問題は、この第3次評価である。自分に責任ありと評価したすべての人々が、隠蔽工作に走ってしまうわけではない。ここで、しっかりと人の道にかなった判断、行動をする人が大部分である。緊急措置をし、警察などしかるべきところに連絡をし、事故、災害の連鎖を防ぐ措置をする、あるいはできる人々が大部分である。
そうさせるものは、ややあいまいであるが道徳心、そして事態対処にかかわる知識、さらにはその時の状況である。道徳心と知識は、教育によって身に付けることになるが、その際、あまりに厳罰を強調すると、隠蔽につながる恐れがあるので要注意である。(K)
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注1 警視庁の統計(HPによる)によると、ひき逃げ件数は、平成12年には755件だったのが、14年には2326件と激増し、以後、2000軒台で推移している。
注2 「A mistake has been made.」と「I made a mistake.」との違いはおわかりであろうか。アメリカ人は、後者の言い方はほとんどしないそうである。(湯澤淳「ワシントンレポート」HPより)
注3 Smith,C,A,,ら(1993) In serach of the hot cognitions:Attributions,appraisals,and their relation to emotion. Journal of Personality and Social Psychology,65,916-929
注4 認知現象には、計算や論理判断などの「冷たい認知現象」、穏やかな感情が絡んだ「温かい認知現象」、そして、本稿で取り上げているような、強い情動が関与している「暑い認知」の3領域がある。