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茨城県は、東京圏だと思っていたが、--

2020-03-28 | Weblog
今回の首都圏知事会議には、茨城県知事は呼ばれなかった。
あれれ、と思って地図をよくみると、千葉県の流山と野田が間に入っているため
隣接県ではなかった。
でもねー、常磐線は上野まで、つくばエキスプレスは秋葉原まで乗り入れている。
名実ともにとは言わないが、「実」では首都圏ではないかなー

無理して食べれば、元気になる

2020-03-28 | 
いつもの点滴後遺症。
食欲なしで下痢気味。
昨晩は夕食抜き。
昼もまったく食欲なしだったが、
インスタントラーメンに挑戦。
これが餃子とぴったりあって、完食。
みるみる生きる意欲が出てきた。
さっそく散歩。3千歩。

なぜ漢字のど忘れは起こるのか

2020-03-28 | 認知心理学

なぜ漢字のど忘れは起こるのか
2010-03-18 | 認知心理学

なぜ漢字のど忘れは起こるのか
「培風館」認知と学習の心理学 所収

30文字x27行x15p(図表を増やしたので、3p分になる)
06/1/10海保
111112222233333444445555566666「なぜ漢字の“ど忘れ”は起こるのかーーー漢字と記憶」

   海保博之 筑波大学心理学系


●はじめに---漢字形のど忘れ体験記
 50歳あたりからであろうか、大学で講義をしていて困ってしまうことの一つが漢字「形」のど忘れである。黒板に漢字を書こうとしても書けないということが1回の授業で1回くらいは起こってしまうのである。
 しかもいらいらさせられるのは、その漢字形を今は書けないが、いつもはなんなく書けていたという確かな感覚、そして今すぐにも書けそうな感じがあることである。知らないから書けないなら当たり前、しかし、知っているはずなのに書けないのであるから、いらいらさせられることおびただしい。品のないたとえであるが、残尿感にも似た感覚を持たされてしまう。
 これは「舌の先まで出かかる現象;tip of tangue;TOT」(日本では「喉まで出かかる現象」)ならぬ、漢字の書字に特有の「手の先まで出かかった現象」とでもいうべき現象である。
さらに気分が悪いことに、その漢字のおおよその形(概形特徴)、あるいは、部首などの一部だけは思い出せる、いわば「漢字形の部分再生現象」が発生することである。

別添手書き
図1 漢字の部分再生現象の例(最近、筆者で発生したもの。?の部分が出てこない)

なお、個人的な体験だけでは、心許ないので、雑誌「しにか」(2003年9月号)でおこなったアンケートの自由記述から2つ。一つは、若い方のもの。漢字のど忘れが、ワープロの普及で、高齢者だけに発生する事象ではない事情がよくわかる。
「漢字は日本の文化なので、ある程度は覚えておかなければいけないと思います。最近は、PCを使うので、直接ペンや筆で字を書かなくなってしまい、いざ書くときになるとど忘れしてしまうことがあるので、定期的に文章を書くことを意識しないとこれからの時代は駄目だなと感じました。」(25歳以下)
「ワープロを打っているときは、ソフトがカバーしてくれます。しかし、常に文書をワープロで作成することはできず、恥ずかしい思いをしなくても良いように、書き取りの練習が必要と感じています。この前、孫の期末試験準備に付き合いましたが、子どものほうが、漢字を良く知っており、また書けることに愕然としました。」(66歳以上)
さて、なぜこんなことになるのか、それを克服する方策はあるのかを、認知心理学の知見をベースに考えてみるのが、本章の趣旨である。

●ど忘れの発生しやすい状況
ど忘れは、誰にでも発生するが、高齢になるほど頻発する。それについては、次項で詳しく考えてみる。その前に、一般的にはどんな時にど忘れが発生しやすいのかについて簡単に述べておく。
まず第1は、時間切迫である。その時その場ですぐに思いださなくてはいけないとの思いが、ど忘れを発生させる。たとえば、
・試験で歴史上の人物名を書こうとしたとたん
・目の前の知人の名前を言おうとしたとたん
・電話で地名を教えようとしたとたん
・店員にブランド名を言おうとしたとたん
第2は、準備不足。講義でのど忘れの話をしたが、生半可な準備で場当たり的に話そうとすると、ど忘れが発生しがちである。よく知っている人名を口に出したはいいが、板書しようとすると一部しか書けない。

●加齢とど忘れ
 加齢による記憶能力の低下は、頭の内部で使われる認知資源が多い課題(意識的な処理負荷が大きい課題)ほど顕著に現れてくる。なお、認知資源とは、頭の中にある知識と注意とからなる。
たとえば、頭の中にある情報の検索において、検索するものの候補を見せられてそこから選ぶ課題(再認課題)より、手がかりなしに思い出す課題(再生課題)のほうが認知資源を使わなくてすむ。ワープロの漢字候補から1字を選ぶほうが、その漢字1字を書くよりはるかに楽なのである。加齢の影響は、再生課題において大きいことが知られている。
逆に、以前に見たもの、聞いたものの影響が潜在的に(無意識的に)効果を持つ潜在記憶課題では、加齢の影響はほとんどないことも知られている(アイゼンク、1990を参考)。これは、知識や経験に基づいた結晶性知能は、課題解決に使う流動性知能より、加齢の影響を受けないということ軌を一にしたものである。
 こうした知見を踏まえると、加齢に伴う漢字形のど忘れの増加現象は納得がいく。
表音文字の場合は、音韻の内部手がかりがほぼそのまま文字列の書字につながっている。しかし、漢字の書字の場合は、音韻・意味の内部手がかりと漢字形イメージとの間の関係が複雑なため、両者の対応づけのためには、かなりの認知資源の投入が要求される。


図2 漢字形と意味と音との関係
pptに


 音と訓があり、同音類義語がありで、音韻・意味の内部手がかりが漢字の書字には直結しない。さらに、漢字は形としても複雑なため、内部でのイメージイング(成形)にも、また、それを正しく書き出す運筆作業にもかなりの認知資源が要求される。
かくして、高齢者にとって漢字を書くことは、かなりしんどい認知的な課題になる。その中で起こるのが、ど忘れである。
ここで、漢字が書かれるまでの認知過程を考えてみる。図3は、そのマクロモデルを示したものである。

図3 意図から漢字表記まで
pptに

ある漢字を書こうとの意図が発生する。それは、意味<salt>をイメージしてその漢字を書こうとすることもあるし、音/シオ/や/エン/を手がかりにして書こうとすることもある。
その意図が形生成器に送り込まれて、知識の中にある、意味・音と形との対応規則に従って漢字形が生成される。その形を頭の中でイメージングして書けそうなら書いてみる。書かれた漢字形を見て、それが意図した漢字かどうかのテストを、これも知識として貯蔵されている視覚的再認情報に基づいておこない、適切でなければ、再度、形生成器に戻り、同じ過程を繰り返す。
この過程で言うと、漢字形のど忘れは、形生成器と試みの書記あたりで発生していることになる。準備不足の影響がもろにこの段階で出てくる。
前述したように、その時その場で正解をという状況では、テスト段階での機能低下はほとんどないと考えて良いので、不適切な漢字を書いてしまった、あるいは、十分な漢字形になっていない、といったことの自覚はしっかりとある。これが、ど忘れのしゃくなところである。もっともこの自覚がなくなったら、完全なボケ段階に入ることになる。
  
漢字パズル1「同音漢字が多い」******
次の音(おん)の漢字を書き出してみよ。括弧内は常用漢字の数で、その数の多いほうから3つ挙げてみた。(解答なし、辞書チェックをされたい)
/コウ/(64)−>
/ショウ/(64)ム>
/シ/(48)ム>
******************************

●漢字は読めるが書けない
 データを持ち出すまでもないが、漢字の読みの成績と書きの成績との間には、かなり大きな乖離がある。これは、グラフにも見られるように、読み書き一体で指導されている小学生レベルからすでに始まっている。高校生くらいになると、読めるだけの漢字が増えてくるので、読めるが書けないという読み書きの乖離はもっとはなはだしくなってくる。
 この乖離が、漢字書字のど忘れのベースにある。
5  図4 小学生、中学生の漢字の読み書きの成績(海保。1983)
6 

情報処理という観点からすると、漢字は見せられたときには実に豊富な処理のための手がかりが得られる。読み方を示す音符も、意味を暗示する意符もある。時にはものにかたどった象形さえある。漢字を読むにも意味を理解するにもほとんど苦労しなくてすむ。

図5 音符と意符の例

 しかし、いざ漢字を書くとなると、この豊富な手がかりはあまり書字には貢献しない。高々、ど忘れ時に「よく知っているはずなのに書けない」という既知感といらいら感をもたらすくらいか、あるいは、漢字の概形か一部の部首の想起に役立つくらいである。

コラム2漢字パズル「漢字迷路」************
進む方向に2字の熟語になるようにゴールまでいく。○には自分で漢字を入れても良い。
スタートー>漢ム字ム体−育
      明ム説ム○ム士
      解ム○ム申ム告ムム>ゴール

******************************

●漢字で書かなければいけない
 さらに、漢字書字のど忘れに関係するもう一つの漢字の表記事情について、かつておこなった簡単な調査を紹介してみる。
 小中高大学生に文章を聴写させた後、漢字で書かなかったところでも対応する漢字があると思うところすべてに下線を引かせ、さらに、「しかし普通は漢字では書かない」ところにはマークするように指示する。
 これは、漢字存在感覚と漢字表記規範感覚とを調べる目的でおこなった調査である。
 小学校4年くらいからすでに漢字存在感覚はあること、しかし、漢字表記規範感覚は、高校生くらいにならないとみられないことがわかった。
漢字書字のど忘れが発生するのは、書字しようとする語彙に対応する漢字があることの認識があって、さらに、それを漢字で表記するのがふさわしいとの判断があってのことである。もし、対応する漢字はあっても、それはかなで表記してよい、あるいはすべしとの判断があれば、ど忘れの発生とは無縁である。


図6 漢字がかかれるまでの心的過程  別添



 逆の言い方をするなら、漢字存在感覚、漢字表記規範感覚の鋭い人ほど、ど忘れに過敏になるとも言える。ここでも、加齢の影響が強く出てくる。


図7 漢字のど忘れをもたらすもの  別添

漢字パズル4「漢字書字感覚」****************
次の文章の中で、漢字で書けるところはすべて漢字で書いてみよ。その後で、しかし、普通は、漢字では書かないところに×を入れて見よ。(末尾に解答あり)

「きしゃのきしゃは、おてらにきしゃしてから、きしゃにのってきしゃしました。」
「きこうがすきできこうのおおいきこうのことだから、こんなにきこうのよいところにきこうしないはずはない。」
******************************

●漢字のど忘れの位置づけ
 ど忘れは、主観的には、発生してほしくない。知力の衰えを実感させられるし、知的行為の不全感に悩まされるのもストレスになる。
 しかし、ワープロが開発されてほぼ30年。日本語の書字環境は激変した。欧米ではすでに1世紀以上も前から当たり前であったキーボードによる文字入力が、日本語で誰でもができるようになったのである。(ちなみに、邦文タイプライターの発明は1915年。これはエキスパート仕様であった。)この現実を踏まえると、漢字のど忘れも、その意味/位置づけがかつてとは異なる様相を呈する。
 筆者の場合、1日のうち、漢字を「まともに」書く機会は、講義での板書のとき以外はちょとしたメモくらいで、ほとんどない。もっぱら、キーボードからローマ字漢字変換で漢字を「書いている」。大学生のレポートも2年生くらいになるとほとんどワープロ書き、卒論に至っては100%がワープロ書きである。講義ではワープロを持ち込んでのノート取りも散見されるようになってきた。
 このような日本語表記事情は、一方では、ど忘れとは無縁な環境を作り出しつつあるが、一方では、数少ない手書きの機会でのど忘れを増加させることになっている。
義務教育の終りまでは、苦労して漢字を手で書いて覚える。試験に出るからである。結果として、漢字を思い出せないと、指先で空に書いてみる空書という現象が見られるほどである(佐々木・渡辺、1984)。

漢字パズル4「空書を体験する」********
次の漢字を書いてみよ。ただし、紙には書かないこと。

①カタカナのイとカタカナの二で出来ている漢字は?
②漢数字の十とカタカナのロ2つでで出来ている漢字は?
****************************

 しかし、高校教育を終えると、もはや漢字を手書きする環境は激減してくる、という現実は、「計算は計算機で」よりも、事が認知機能の中では、特権的な役割を果たしている言語にかかわるだけに、もっと強力な負のインパクトを与えているように思う。
 そのインパクトの一つは、漢字を書く訓練の動機づけの低下である。先々役立つからこその今の苦労、というところが教育にはあるのだが、それがなくなるのは教育者にとってはしんどい。筆者は、学生には、就職試験や大学院入試のために、できるだけ手書きの機会も増やすように、折に触れて忠告はしているが、現状がこうなってしまうとあまり迫力のある忠告とはならない。
 もう一つのインパクトは、漢字知識の劣化と活用性能の低下の懸念である。一般に、長期間にわたり身体(手)で覚えた知識(手続的知識)は、永続的に記憶され機能している。ひとたび自転車に乗れるようになれば、ほぼ一生大丈夫である。漢字の書字に関する知識も義務教育での成果のおかげで手続的知識になっている。それでも、それを使う機会が少なければ、その手続的知識の活用性能は落ちてくる。日常的な頻繁な活用こそ、さらなる上達へとつながる。

 こうしたことを認識した上で、それでも、試験時などのように、辞書が使えない、人に尋ねられない状況で発生してしまうど忘れをなんとかしたいとの思いを解決する方策のいくつかを次に考えてみる。
なお、メモ取りなどの事態でのど忘れは、時間が許せばただちに辞書検索や人に尋ねることになる。携帯電話に今は辞書が入っている時代である。切迫しているときは、ひらがなで書いておいて後で調べばよい。そうした外的など忘れ対策もきちんとすることが王道である。

●漢字ど忘れ対策
「ど忘れ状態に陥ったときの対策」
○ど忘れ状態になったら、思い出せることをあれこれと書き出してから一時的に思い出すのをやめる。
 漢字書字に限らない。人名や固有名詞のど忘れでも同じであるが、焦れば焦るほど思い出したい情報はブロックされていまうのが、ど忘れの特徴である。しかも、思い出すべきものの部分的、周辺的な情報だけが湧き水のごとく出てきて、ますます混乱してしまう。これが状況をますます悪くさせる。
 そこで、ど忘れ状態に入ってしまったら、思い出せることをひらがなや漢字の一部だけでも書いておいて、しばらくほっておく。試験の時なら、それが試験終了までに思い出せたら、ラッキーくらいの開き直った気持ちになると、逆に、うまく思い出せることがある。
 想起は、ストレス、とりわけ、時間切迫に弱いところがある。
余談になるが、小論文などの採点で、誤字脱字はたちどころに減点の対象になる。本当は、何がかかれているかのほうが大事、したがって減点はしないとの主張をかつてしてみたことがある。しかし、「漢字くらいまともに書けないで、何が論文か」との主張に負けてしまった。かくして採点では、誤字脱字はしっかりと減点対象にされてしまう。
○周囲の人に助けてもらう
よくある笑い話に、目の前にいる人の名前が出てこないとき、「お名前はえーと?」とやる。「カイホです」との答えを引き出したら、「いやー、下の名字のほうが思い出せなくて!」とやる。すると、
「ヒロユキです」という答えが返ってきて、自分も相手も傷がつかずに一件落着。
ど忘れ対策には、状況が許されるなら、周辺にいる人をうまく使うことである。
そのためには、ど忘れは誰にでもおこる普通の現象であることの認識を持つこと、したがって、お互いさまであることをお互いが認めるようにすることである。そうすれば、気楽に、ど忘れを解消することができてハッピーな認知的生活を送れる。
我が家ではこれを実践している。ひどいときは?、お互い、電話でやることもある。昨日は、家内からの電話「蒸気で身体を暖める風呂はなんて言うの?」。筆者の回答は「蒸し風呂、というより、サウナかな」。家内「そうそう、サウナ!!」。
部分的な手がかりを口に出すこと(外化)の効果もある。口にだしたとたん、正解に気がつくこともある。
 
「日常的など忘れ対策」
 図7に示したのは、漢字の書きの成績を規定する諸特性の因果モデルである。


図7 漢字の書きの成績を規定する諸特性の因果モデル。訓主率とは、野村幸正氏によるもので、漢字の全使用頻度のうち、訓で使用されている頻度の割合。(海保、1983より)

 書きの成績とど忘れとは直結はしないが、無関係ではない。このモデルを念頭において、覚えるときと思い出すときについて、漢字のど忘れが発生しないようにするための日常的な対策のいくつかを提案してみる。
○画数の多い漢字は細部まで正確に書いて覚える
数が多くて不規則な漢字(「潔」「厳」など)は、成形に一層の認知資源が必要のためか、ど忘れが多いように思う。こうした漢字には出会うたびに、細部まで注意を払って手書き練習をするのがよいと思う。
なお、漢字には、表に示すような10個の形態的な特徴があることも知っておくと何かの時に役立つかもしれない(海保ら、1982)。

表1 漢字の形態的な特徴とその典型例

別添


○熟語で覚える
図7の因果モデルに示すように、熟語数の多い漢字はよく書ける。これは形音義一体での記憶の強力さを反映している。書けない漢字だけを取り出して反復書字をするよりも、熟語全体の反復書字のほうが形音義一体の利点を活かせる。
その点で、学習漢字の学年別配当は、漢字知識の獲得には不利な状況を作り出している。「成4功5」「耕5作2」「雑5誌6」(数字は配当学年)となると、「せい功」「こう作」「ざっ誌」で一時期を我慢しなければならない。せめてルビを活用して、このような不利な状況の改善をしてほしいものである。

図7 漢字字種制限のさまざま p125

○手書きの機会を増やす
前述したように、ワープロ書字べったりでは、漢字書字の知識は貧弱になる一方なので、機会をみつけては手書きをしてみる必要がある。とりわけ、使用頻度の低い漢字は、見かけるたびに手書きをしてみる。これは、学校教育の場で習得した、書いて覚えた知識(手続的知識)を想起することにもなる。
 漢字検定が大変な数の受験者にのぼっている。HPによると、200万人以上の人々が、いくつかの階級に挑戦している。結構なことである。かつて、明治期からの新聞の漢字使用率を分析した人がいる。図に示すように、時代と共に逓減傾向がはっきりと読みとれる。外挿してみると、2006年の今、漢字使用率はゼロになるはずであるが、そんなことにはなっていない。
 日本文化の中心としての漢字の位置は揺るぎない。とするなら、漢字との付き合い方を今一度考え直してみることもあってよい。

図9 新聞の漢字使用率の時代的変化


引用・参考文献
アイゼンク、M.W.編 1990(野島久雄ら訳)「認知心理学事典」新曜社、p67ー72)
海保博之・野村幸正 1983 「漢字情報処理の心理学」 教育出版
海保博之 1983 「漢字の諸特性に関する標準化データの吟味と読み書き成績との関係」 計量国語学、13、 336ー345
佐々木正人・渡辺章 1984 「空書行動の主手限と機能ム表象の運動感覚的な成分について」 教育心理学研究、32,273−282
柴田武 1975 「言葉と文字・音韻」「日本語の文字」  (学生社)所収
シャクター、D.L.(春日井晶子訳)「なぜ、「あれ」が
思い出せなくなるのか---記憶と脳の7つの謎」日本経済新聞社
Simon,D.P. & Simon,H.A. 1973 Alternative uses of phonetic inforamtion in spelling. Review of Educational Research,43,115-137
(本稿は、大修館「しにか」03/9月号に大幅に加筆したものである。転載許可に対して感謝します。)
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「パズルの解答」
○パズル2解答
漢字体力説説明解答申告

○パズル4?の解答
①仁 ②固  空書は、構成要素が多く、組み合わせが難しくなると、手のひらなどに候補漢字を書いてみる現象である。日本人に特有の現象らしい。

○パズル4?  
「貴社の記者は、汽車に乗って帰社した。」
「気功が好きで奇行の多い貴公の事(x)だから、こんなに気候の良い所に寄港しない筈(x)は無い(x)。」