運「幸運は呼び寄せるもの?」
●私にとっての運
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ(夏目漱石)」
「よい機会に恵まれぬ者はいない。ただそれをとらえられなかった
だけなのだ」(鉄鋼王カーネギー)
冒頭から引用になりました。
確かに、運(命)は、そんなものかもしれませんし、そんなものと考えておくのが無難なところかもしれません。したがって、こんなところで取り上げることはないのかもしれません。
しかし、それにしては、運は、個人的にも、心理学研究者としても、なにかと気にはなります。漱石のように達観できないところがあります。
まず、個人的なほうから言うなら、古希も過ぎたこの年、つくづく、運がよかったなー、としきりに思います。
あのときあーなっていたらどうなっただろう、としきりに考えます。そして、ぞっとすることもあります。挙げればきりがありませんが、一つだけ挙げよと言われれば、「東京教育大学に入れたこと」かなー?。本当は実力、いや努力のたまもの(笑)かもしれませんが、試験ですから、いくぶんかの、いやかなりの運は働いていると確信してます!。
それまでのとんでもない崩壊家庭のしがらみから抜け出て、自分の人生を自分で作り上げる転機になった7年間の大学、大学院生活がおくれたからです。もっとも、その7年間にも、もしあーなっていたら、どうなったか、が沸々とそして、ものによってはぞっとする気持ちと一緒に頭に浮かんできます。
いずれにしても、運の良さをしきりに実感する今日この頃です。
●運の心理学
もう一つは、心理学研究者としての運です。
原因帰属理論という大変魅惑的な理論があります。人間は、失敗や成功をすると、それが何によってそうなったかを自分なりにーー客観的ではなくーー説明する心性があって、しかも、個人によって一定の傾向があるとする理論です。
そこで運が出てくるのです。先ほどの自分の例で言うなら、「今こうして幸せなのは、運がよかったから」というような自分なりのーーひとりよがりのーー説明です。ただ説明だけの問題ではなく、その説明の仕方によって、気持ちも世の中の見方も変わってしまうのです。たとえば、成功を「運がよかった」という説明をする(原因帰属する)ことで、自分の実力や努力を過大視する傲慢さはなくなり、人生や周りに対して謙虚になれます。
●心を元気にするために運とつきあうコツ
①ときおり運を楽しむ
運は確かに自分ではコントロールできません。しかし、振り返って今のこの幸せな自分はその時の幸運のおかげと考えてみるのは、気持ちが元気になります。また、今のこの不幸せな自分はその時の不運のためと考えてみるのは、落ち込みを下支えしてくれます。
いずれも、いつもいつも運を持ち出してばかりは絶対にだめです。人生はギャンブルではありませんから。
人生は、自分の努力と才覚で切り開いていくのが王道です。ただそればかりだと疲れてしまうこともあります。そんな時には、運に助けてもらって、気楽になるのです。
もっとも、幸運と同じくらいの確率で不運も訪れます。この時、これも運命と思って、しっかりと受け止められることも必要です。
②くじは買わなければ当たらない
年末ジャンボ宝くじ。かつて何度が買った記憶があります。そして、いつも、買わなければ1億円は当たらない、といいつつ買った記憶があります。(もちろん、一回も当たりませんでした。念のため)
「引き寄せの法則」というのがあります。関連ブログもたくさんありますので一度,覗いてみてください。「望めばかなう」という話です。ネットで偶然見つけたーーこれも引き寄せの法則!――浅見帆子『あなたは絶対!運がいい』 の前書きを紹介しておきます。
「自分の心の持ち方一つで、思い通りに人生は変えられる、変わっていく」
「自分の精神レベルが上がると、欲しいものが向こうから近づいてくる」
「心の底から思っている理想は、どんな大きいことでも実現する」
「だれでも運のいい人になれる」
その背景の理論になると、宇宙の力がでてきたりで、サイエンスとしての心理学ではついていけないのですが、ここでの運の話のヒントにはなります。
つまり、何しないよりも、運を信じて行動するほうが、幸運にぶち当たる可能性は高くなるということです。当たり前ですね。
・よき伴侶に出会えるかもとの期待が、合コンへと導きます。そしてその機会を高めます