連帯感「あなたは一人でないから元気だそうよ」
●なつかし、連帯
1960年代、大学生の頃、学生運動がかなり盛んだった。デモにいかないと、仲間はずれの雰囲気だった。何度か日比谷公園近辺のデモに参加したこともあった。それにしても、最近、学生運動。まったく音沙汰なし。これも不気味。大学生は、鋭敏な社会センサー役を果たしているはずなのですが。
もっとも、去年のわが大学の学園祭が「絆」。そしかすると、若者にも、連帯への希求が芽生え始めたかも。
それはさておき、その当時、「連帯」はキーワードでした。
大学進学率も低く、したがって、大学生はエリート予備軍のようなところがありました。我々が先頭をきって日本社会を良くするために立ち上がらないでどうするという気概のようなものがありました。資本家に搾取される弱者や貧乏人と「連帯して」日本社会を変えていこう、ということでした。
今時、こんな話は回顧談にすぎません。資本家ってなーに?、搾取されるってどういうこと、なんて言われてしまいそうです。
でも、そうした時代背景はさておいて、連帯という言葉、心の元気という観点から今一度、考えてみるのもありかな、とふと思いついたのです。
ただ、「連帯」だと、こうした時代の垢がついてしまうので(自分だけかもしれませんが)、ここでは、「連帯感」で話を進めてみたいと思います。そうすれば、心理学的な世界になりますので。
なお、連帯感は、同じ組織に属するものが共通の目標の達成をめざして心理的に一体となってがんばることくらいのゆるい定義をしておきます。単なる、アットホームでフレンドリーな関係以上のものを含んでいます。
●なぜ、今、連帯感か
NHKで「近所の底力」という番組が放映されています。地域のトラブルを皆の力で解決する話です。
実は、自分も、昨年の4月から町内会の班長と福祉部の副部長をさせてもらい、はじめて地域デビューをしました。その中で、この団地での快適ライフが、こうした町内会の活動があってのものということを気がつかされました。
こんなこともあって、連帯感を思いついたのかもしれません。
いずれにしても、今の日本の社会全体に連帯感欠如、あるいは不足が目立ちます。
・人を蹴落としでも自分だけが這い上がるろうとする競争志向
・都会化による他人への無関心
・IT技術による仮想的な(擬似的な?)つながりへの傾斜
誰もが心に孤立しているさみしさをかかえながら表面、元気に生きていかざるをえないような状況がますます加速しているように思えます。
●「ほどほどの」連帯感を
連帯感を保つには、いつも仲間を意識しなければなりません。疲れます。周りうっとうしくなることもあります。邪魔になることさえあります。
ですから、連帯感を高めるといっても、「ほどほどの」が大事です。
「ほどほど」の連帯感がいいのはわかるのですが、あなたが周りのリーダー的存在ならともかく、多数のうちの1人となると、連帯感を自分で「ほどほど」にコントロールするのはかなり難しくなりますが、コツさえつかめば、ある程度までは可能だと思います。
連帯感を持つグループを一人の人がいくつも持っているのが普通です。それが近代人の特徴の一つです。家族は言うまでもなく、職場、趣味の集団などなど。そのすべてに強い連帯感は無理です。連帯感疲れで押しつぶされてしまいます。
そこで、まずは、連帯感を求める集団の自然淘汰にまかせるということがあります。
たとえば、青年期になると、家族の連帯感を断ち切ることが課題となります。仲間集団に連帯感を求めます。定年になる高齢者は、仕事組織の連帯感から、家族、近隣での連帯感を求めざるをえなくなります。
このように、自然にまかせるのも一つのコツです。無理しないことです。自分がそこで元気でいられるグループなら、積極的に連帯感をもとめればよいのです。無理しているようなら、遠ざかればよいのです。
さらに、生活まるごと連帯感ではなく、ほかでもおすすめしましたが、領域分けという手があります。趣味の世界での連帯感を楽しむ。あるいは、地域のボランティア活動での連帯感を強める。しかし、ひとたび、会社で仕事をするとなれば、業績志向で、あまりおすすめではありませんが、連帯感なぞくそくらえーでばりばり仕事して勝ち抜くのです。これなら、全体としては(平均すれば)、ほどほどの連帯感を持てることになります。
そして、連帯感のもとになっている集団の目標が達成されたり、消失してしまったりしたら、そこから離れることもありです。ぐずぐずと連帯感をあれこれ引きづらないのも、連帯感「ほどほど」を維持するためには考えてみてもよいかも思います。自分の同窓会嫌いの遠因でもあることに今気がつきました。
もう一つのおすすめは、仮想連帯感です。IT技術のお陰で、さまざまな形で電子的な連帯感のもてる場ができました。ゆるい連帯感をこうした領域に作っておくのもいいかもしれません。
AERA(2010年3月29日号)に、「読書会は新しい居場所」と題した記事が載っていました。mixiという電子サロンでつのったメンバーが読書会をするのがはやっているのだそうです。「勤め先では知らない、自分だけの世界を持っているのがうれしい」のだそうです。
次は、連帯感を作り出すための方策です。
仲間と、達成する目標を共有することがまず大事になりますので、グループの目的はなんなのかを自分なりに確認しておく必要があります。
たとえば、自分の趣味のテニスサークル。目標は、楽しむことです。練習より試合のほうを優先しますが、それも楽しむための道具立てにすぎません。テニス以外にも、お正月には餅つき、春は花見、合宿旅行です。
そして、連帯感を高め、維持するためには、目標達成以外で遊びを入れることです。テニスを楽しむだけでなく、そのメンバーであれこれの楽しみを一緒にやってみることです。飲み会は定番ですね。連帯感のためには、手軽で実に効果的な場だと思います。
さらに、そうした道具立て、場作りへの協力の程度を自分で「ほどほど」になるように自分なりにコントロールするのです。
連帯感を強めたいなら、あれこれの役を積極的に引き受ける、「ほどほど」でいくなら、社会的手抜き、つまり一歩も2歩も引いた関与をすることです。
こうしたずるさ、保護者会や町内会の役員決めでは普通に見られますね。これに似たことを、あちこちのグループでやることになります。ただし、いつもいつもどこでも社会的手抜きでは連帯感をもてる集団なしになってしまいますので、「ほどほど」精神が必要にはなります。