愚法愚法の嵐でへきえきした方、お待たせしました。
本当にお久しぶりです。
当ブログ名物・ムカデシリーズです!
前回では、太平記の俵藤太ムカデ退治伝説においてのムカデの役割は、下図のように平将門と呉王夫差(呉公)という官軍に退治されるおろか者を結ぶことであると言及しました。
将門(俵藤太に矢で退治される)--ムカデ(俵藤太に矢で退治される)(漢字は「呉公」)
--呉王夫差(呉の「王・きみ」で呉公)
今回は、太平記に所収された物語ではなく、その舞台となった滋賀県に伝わる伝説を考えていきます。退治されたムカデの末路についての伝説です。
その伝説とは以下のようなものです。
俵藤太に矢を射られたムカデは、苦しみながら現在の滋賀県野洲市に位置する三上山(近江富士)に七巻半巻きついて息絶えた。
三上山は、近江国の富士山といわれるだけあって、非常に美しい円錐形の形をなしています。古来より日本では、円錐形の山を神が宿る神体山としてあがめる信仰がありました。三上山もその一つで頂上には龍神社、その付近にはムカデが息絶えたと伝わる岩が、その伝説を反映するように残っています。
さらに興味深いのが、今は、江戸時代の灯篭だけがその名残を残す「妙見宮(寺)」です。妙見とはご存知の通り、北斗七星の神様であるといわれています。北斗七星は七つの星と小さな一つの輔星からなりますが、それは、ムカデの末路である「七巻と半分」に通じます。
一方、龍神のもともとの住処である瀬田唐橋付近にも、妙見菩薩が祭られているお寺さん(名前忘れた(TT)があるのも興味深いことです。
一方、そのムカデが象徴すると考えられる将門も、北斗七星の信仰として捉えられています。千葉市の千葉大学構内には、七塚と呼ばれる平将門を祭る塚があります。また、七人の影武者伝説、江戸の将門関連神社の北斗七星配置など、将門と北斗七星信仰を結ぶものはたくさん残っています。
将門を象徴する、ムカデにも北斗七星信仰の形跡が残っているのも納得がいきます。
実は、これと同様に道真の北斗七星信仰があり、将門の北斗七星信仰と密接に結びついている可能性があると示した論文を僕は書いています。興味ある方は、hol_my_ow@yahoo.co.jpまでご一報ください。
本当にお久しぶりです。
当ブログ名物・ムカデシリーズです!
前回では、太平記の俵藤太ムカデ退治伝説においてのムカデの役割は、下図のように平将門と呉王夫差(呉公)という官軍に退治されるおろか者を結ぶことであると言及しました。
将門(俵藤太に矢で退治される)--ムカデ(俵藤太に矢で退治される)(漢字は「呉公」)
--呉王夫差(呉の「王・きみ」で呉公)
今回は、太平記に所収された物語ではなく、その舞台となった滋賀県に伝わる伝説を考えていきます。退治されたムカデの末路についての伝説です。
その伝説とは以下のようなものです。
俵藤太に矢を射られたムカデは、苦しみながら現在の滋賀県野洲市に位置する三上山(近江富士)に七巻半巻きついて息絶えた。
三上山は、近江国の富士山といわれるだけあって、非常に美しい円錐形の形をなしています。古来より日本では、円錐形の山を神が宿る神体山としてあがめる信仰がありました。三上山もその一つで頂上には龍神社、その付近にはムカデが息絶えたと伝わる岩が、その伝説を反映するように残っています。
さらに興味深いのが、今は、江戸時代の灯篭だけがその名残を残す「妙見宮(寺)」です。妙見とはご存知の通り、北斗七星の神様であるといわれています。北斗七星は七つの星と小さな一つの輔星からなりますが、それは、ムカデの末路である「七巻と半分」に通じます。
一方、龍神のもともとの住処である瀬田唐橋付近にも、妙見菩薩が祭られているお寺さん(名前忘れた(TT)があるのも興味深いことです。
一方、そのムカデが象徴すると考えられる将門も、北斗七星の信仰として捉えられています。千葉市の千葉大学構内には、七塚と呼ばれる平将門を祭る塚があります。また、七人の影武者伝説、江戸の将門関連神社の北斗七星配置など、将門と北斗七星信仰を結ぶものはたくさん残っています。
将門を象徴する、ムカデにも北斗七星信仰の形跡が残っているのも納得がいきます。
実は、これと同様に道真の北斗七星信仰があり、将門の北斗七星信仰と密接に結びついている可能性があると示した論文を僕は書いています。興味ある方は、hol_my_ow@yahoo.co.jpまでご一報ください。
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