PART4「冬の色」はこちら。
百恵の最初の主演作「伊豆の踊子」の製作状況は、まことに劣悪なものだったようだ。
(伊豆の踊子の)百恵版が撮られた1970年代中ごろには、撮影所体制が崩壊を余儀なくされ、映画はもはやスターにとって中心的な活動領域とはいえなくなっていた。西河(克巳監督)が百恵を伊豆半島に連れ出すことができたのは、たった一泊二日にすぎない。撮影期間は全体でわずか22日、しかも百恵がこのフィルムのために割いた日数はわずか7日だった。残余のロングショットや顔の写らない場面ではスタンドインを起用することで処理された。
西河本人が述懐するところによれば、最初このフィルムは「映画産業の端境期で一種の捨て番組のようなもの」であり、「当時の東宝作品としては、最低の製作費」であったという。
「女優・山口百恵」四方田犬彦編
見ましたよわたしも百恵版「伊豆の踊子」。主役はどう考えても百恵ではなく、踊子の兄を演じた中山仁に思えるのもこの事情を考えれば理解できる。主演女優を一週間しか拘束できないとなれば、監督も頭をかかえたことだろう。
しかし、吉永小百合バージョンも監督した西河はすばらしい仕事をしてみせる。明るい青春映画の体裁をまもっていた吉永版とは違い、川端康成の原作以上に差別の問題をあからさまにしているのだ。これはまことに意外だった。これが……アイドル映画なのか?ととまどうぐらい。
原作は、家庭的に恵まれなかった学生(要するに川端自身)が、その精神的不安定さを踊子一家との交流の中で(ほんの少し)癒される過程を描いたものだが、百恵版は、戦前の日本において芸人がどれだけ差別され、忌避される存在だったかをむき出しにしている。
もちろん原作にも隠れた仕掛けがほどこしてあり、兄夫婦は梅毒を患っているのではないか、学生が心を寄せたのは踊子ではなくてむしろ兄の方だったのではないかという議論もある。
それはともかく、虐げられる存在としての踊子に、山口百恵ははまりまくりだ。そしてのちの彼女にとって大きかったのは、無垢で純真な学生役に、まったく無名だった三浦友和が起用されたことだった……以下次号。
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