PART1「釜の底」はこちら。
(2月)1日の日曜日、我が家の食卓に1人分のお箸が追加された。後藤健二さんの分だ。20年前、20代だった後藤さんは私のアシスタントディレクターを務めてくれた。いつも笑顔で、スタッフから「ゴトケン」と可愛がられた。
テレビの取材で軍事政権下のミャンマーに入った。工事現場で小学生くらいの子どもたちが働いていた。女の子にゴトケンが年齢を尋ねた。「18歳」と答える。ゴトケンは「ウソだろ、10歳以下だろ」とつぶやいた。
口紅を塗り、年齢を偽って子どもたちは働く。たった一椀(わん)のカレーを囲む家族の暮らしを支えている。帰国の日、ゴトケンは仲良くなった子どもたちの手を握って約束した。
「きっと戻ってくる」
後に数々の紛争地を取材し、ビデオを見せに来てくれた。戦争で苦しむ人々の姿が濃厚に収録されていた。だが、どこの場所かなど説明的シーンがほとんど無い。正義感と情熱がそうさせるのか。試写のたびに撮影の下手さを叱り、一度も褒めてあげなかった。
帰ってこいよ、ゴトケン。今度だけはしっかり褒めてやるから。おまえの人生を。
テレビプロデューサー 関根輝水(東京都 62)
……2月7日付朝日新聞の読者投稿欄「声」によせられたもの。すでにネット上で評判になっています。凡百の自己責任論や、前号の鴻池某の発言と比べてもらえれば、人間の出来が違うことに思い至る。世界には貧困があふれていることを、政治的主張よりもまず現実として知らしめたいと考えた後藤氏の気持ち。受け取る人間によってこうも解釈がちがうものなのだろうか。
為政者にとって都合のいい情報だけを国民は受け取っていればいいと考える、そんな政治家が誰のためにどんな政治を行っているか。人質のことなどほとんど顧慮しない声明を発した首相、その首相がヨルダン国王に頭を下げたなどと大嘘の報道をした大新聞……後藤氏の死は、少なくともこれらの現実をあからさまにした。
そしてもうひとり、後藤氏の死に正当な評価を与えた人がいる。以下次号。