事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「行きずりの街」 志水辰夫著 新潮文庫

2011-05-31 | ミステリ

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行きずりの街 (新潮文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:1994-01
教え子との愛をひそかに育んだ高校教師が、そのために職を追われて故郷に帰る。ひさしぶりに訪れた東京はどこかよそよそしく、しかし彼の心を激しく揺さぶる。

行きずりの街のはずなのに、別れざるをえなかった妻への未練と、かつて自分を退職に追いやった勢力への復讐のために彼は東京と切り結ぶ。

はるか昔の「このミス」ベストワンであり、新潮文庫がそのことで大宣伝を仕掛けたらベストセラーになったいわくつきの作品。

ハードボイルドの意匠をはぎとったら、これはハーレクインもかくやと思われるような純愛ストーリー。あ、ハードボイルドとは最初からそのようなものだったでしょうか。

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「捜索者」 The Searchers (1956 WB)

2011-05-30 | 港座

Searchersimg01 南軍の敗北に終わった南北戦争終結から数年。テキサスの荒野を、騎乗した大男が進む。戦後に行方しれずだった彼は、兄の家族のもとへ帰るのである。しかしどことなくもの憂げに見えるし、迎えた兄夫婦も(こどもたちほどには)歓待するふうでもない。

「どうして、ウチを出て行ったんだ」

兄は本気でわからないようだが、家族を見つめる牧師(警備隊の隊長でもある)の目は、なにやら察しているようだ。

観客も、大男イーサンと兄嫁のあいだに何かあったのだろうと感づくことになる。あのジョン・ウェインを使って、こんな小津安二郎みたいなドラマを構築するとは。

イーサンはインディアンの事情に明るく、同時に激しく憎んでいる。牛泥棒があらわれたと聞くや「コマンチに違いない」と志願して追跡するが、それはコマンチの罠で、逆に兄の家族は(娘たちをのぞいて)皆殺しにされてしまう。もちろん、兄嫁も。

「駅馬車」「荒野の決闘」のように、底にどこか楽天性があった名作と違い、この映画には、なんというか屈託みたいなものがぎっしりつまっている。

明確には描かれないけれど、イーサンはインディアンの死体の両目を撃ち抜くし、兄夫婦の家に残されていたのは、頭の皮をはがれた(と同時にレイプもされていたかもしれない)遺骸だ。

イーサンとともに、“拉致された”末娘をさがすのはインディアンとの混血の青年であり、見つけたその娘はほとんどコマンチに同化しているという……なんというかどこかで聞いたことのあるようなお話。

刹那の物語であることが多い西部劇なのに、捜索者たちの旅は数年に及び、積雪をかきわけて進む馬、雪解け水あふれる河をわたる警備隊……およそ西部劇のイメージとはかけはなれたシーンも数多い。いったいなんだろうこの作品は。

確かにみごとな映画だし、傑作であることを認めよう。でも、どこかに薄ら寒くなるような部分が見え隠れするのはなぜだ……。ヴェラ・マイルズは美しいしナタリー・ウッドは可憐だ。でも、でもとにかく、この映画ってどっか変だよ!

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「幸福の黄色いハンカチ」 (1977 松竹)

2011-05-29 | 港座

Yellowhandkerchiefimg01_2 この映画を語るとき、笑っちゃうくらい多くの人が

「マツダの」

「ファミリアのね」

と形容する。初めて劇場で拝見して、それも無理ないな、と痛感。なにしろオープニングからして武田鉄矢がファミリアを試乗し、営業店で現金(退職金)を持ち出す場面なのである。ストーリーは

「赤いファミリア(4代目。まだFRの時代)が釧路港から夕張に向かうまでのお話」

と要約できるくらい、ファミリアファミリアファミリアな画面がつづく。70年代当時のマツダはいつ倒産してもおかしくなかったのに、かなり作品にも出資したのだろう、トヨタ車を軽く追い越すなんて場面まである。三十年以上たってもみんなが「幸福の~」=ファミリアと連想してくれるのだから、この出資は正しかったろうし、あの山田洋次も(内心はどうあれ)CMのような画面を淡々とつないでいる。

もとになったのはピート・ハミルの短篇だけど、わたしの世代にとってはドーンの「幸せの黄色いリボン」でおなじみ。だから山田洋次の新作が「幸福の黄色いハンカチ」というタイトルだときいて「うわははは。だっせー」と苦笑してました。

北海道の地元バンド(だろう)が「銀座カンカン娘」を歌っている意味不明な場面もあって、その圧倒的な古くささに唖然。

でもね、これって今見ると、じゃなくて当時から古くさかったはず。寅さん映画に笑いながら、オレってこのベタな展開で笑っていいのかな、と不安になるように、古くさいベタさは山田洋次の持ち味で、説教くさくならない限りは娯楽映画作家として正解かも(気をつかった表現)。

「オレは、人殺しだからな」

という健さんの重みを感じさせ、同時にベタさ回避の機能は桃井かおりが果たしている。

「(あの人は)仕事さがすの、大変だろうね」

というセリフは、優等生な女優が語ったのでは陳腐なだけだったろう。

ひねくれた観客(わたし)は「どうせハンカチが満艦飾にはためくんだよな」と斜に構えて見ていたんだけれど、倍賞千恵子のあの泣き方にはまいった。さくら役をやらせることで、恋愛の演技を封じてしまった罪ほろぼしを山田洋次はここでやっている。ラストだけでも一見の価値あり。

というか、あまりにもファミリアが前面に出ているので、テレビでオンエアできない事情もあるでしょうから(笑)、DVDでどうぞ。

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「リリー・フランキーの人生相談」 集英社

2011-05-28 | 本と雑誌

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リリー・フランキーの人生相談
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2009-10-26
「ホットドッグプレス」では北方謙三が相談者に

「ソープに行け!」

が決まり文句。週刊プレイボーイでリリー・フランキーが何をかましていたかというと、男女問わず

「オナニーをしろ!」

世の中の大半のことはそれで解決(笑)、という金言はそれなりに重みがある。

回答者の方が相談者よりもよほど奇矯な性格をしているあたり、人生相談の本道はこちらだという気がしてくるから不思議。声をあげて笑いたいなら、まちがいなくこの本をおすすめする。

他人の不幸を笑うというよりも、その不幸にリリーが同化してしまうあたりで爆笑できます。相談相手として、リリーは完璧。

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「こめぐら」 倉知淳著 東京創元社

2011-05-27 | ミステリ

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こめぐら (倉知淳作品集)
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2010-09-29
公立中学校の学校事務職員が名探偵となる「Aカップの男たち」は必読。密室の中で消え失せた鍵の行方は……まあ、その鍵がなんのためのもので、登場人物たちがどんな趣味をもっているか(題名をよく考えて)で大笑いなんだけれど。

東川篤哉の人気を考えても、ほのぼのとしたミステリをみんなが今もとめているんだと思う。学習雑誌の付録についているような、殺人はあっても悪意がない……

おなじみ、猫丸先輩シリーズも一編はいっていてお得な一冊。

なかでも、どうぶつの森でおこる殺人(獣)事件には笑わせていただきました。大いなる先達へのオマージュ。

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ご神体 その4

2011-05-26 | まち歩き

Shintoimg01 PART3はこちら

儀式が終わり、神主さんをかこんで氏子たちは(その瞬間から仮殿となった)公会堂で宴会。

「ご神体って、なんだろのー」

結局わたしたちはそのご神体を拝見することはできなかったので。

「なんだんがなあ(なんなのかなあ)」

だろ?」とわたし。

「鏡ぃ?オレはだど思う」

でねーがなー」

わたしたちは三種の神器か何かと混同している。

「なんだよおめーら見たことないのか」近所のおっさんは自慢げ。

「あるわげねーじゃん。……あんな?」

「子どものころ、ちょっと開けで見だ」罰当たりだなー。

「で、なんだったな」

「人形だっけ。細身の。ほれ、オークニヌシノミコトみでーだ格好の」

「へー」

基本的に、ご神体を拝めるのは神主さんと氏子総代だけなんだとか。その、神主さんととっぷし話すことができたのでご紹介。この人、実はわたしの親戚なのである。

「ご神体ってのはね、その神社の成り立ちでそれぞれ違うんだ。それに、分かれたり統合したりするもんだから、すごいのになると三つもご神体があるところも。」

へー。

「伊勢神宮が二十年ごとに建て替えるのってのもさ、確かに金のかかる話だけど、そうしないと宮大工の技術が継承できないってこともあるんだよ」

なるほど。わたしたちは数世代に一度遭遇するだけの神社の建て替えも、神道という業界にとってはルーティンなわけだ。お勉強になるなあ。

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ご神体 その3

2011-05-25 | まち歩き

1 PART2はこちら

さて日も暮れた。いよいよ儀式開始。公会堂の小会議室にはすでに祭壇が用意されている。氏子総代などのえらい人たちだけがその会議室に入り、しもじもは廊下にすわって二礼二拍手一礼。

ほら、ここでまたわからないことが。何でしょうあの二礼二拍手一礼って。

まず、軽く礼……これは45度身体を折り、頭を下げる深揖(しんゆう)というもので、これからお参りさせていただきますという気持ちを表す。

直立の姿勢から深々と90度に身体を折り、頭を下げる。これを二回。つまり、二礼。

次に拍手(かしわで……柏手とも書く)をパンパンと二回打つ。このとき、両手を胸の高さで合わせ、右手を少し引いて拍手を打ち、再び合わせる。これが、二拍手。

直後に、両手を下ろしてもう一回深々と90度に頭を下げる。これが一拝。

軽く45度の礼をして終わる。

……めんどくせー。っていうかなぜ二回礼をする?調べてみると、人に対しても礼はするわけだし、相手はなにしろ神様なんだからもう一回やるのだ、という説がある。嘘くさいなあ。それに、右手をずらすのってみなさんやってますか?民謡の拍子とってんじゃないんだからよ。

つづいて祝詞をいただいてから神社に移動。黒服軍団がキチキチにすわり、また祝詞。そしていよいよご神体の移動にかかる。例のバリケードを持ち出し、電気も消す。ご神体を抱いた神主さんを囲み、しずしずと行列。住民は沿道でお祈り。

なんかすごい。わたしが子どもだったらトラウマになっちゃうような光景。完全に隠されているとはいえ、そこに『神』がいるのだ。ひー。さて、そのご神体とは……

(ほんと、画像がブレブレですみません。別に神様がバイブレーションしていたわけでは)

PART4につづく

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ご神体 その2

2011-05-24 | まち歩き

2 PART1はこちら

積立も目標額にほぼ達し、さあそろそろ建て替えるべ、となった途端にあの震災。鳥居が傾いてしまったので、業者をよんでわざと倒壊させている。こうなるともう待ったなし。

神道に暗い人間にとって、神社の建て替えがどんな経緯をたどるのかはもちろんさっぱりわからない。これは大方の人がそうだろうと思う。伊勢神宮のように20年ごとに建て替える場合はおなじみのことだろう。でも、田舎の小さな社の場合は数世代に一回経験するにすぎないわけで

「いい経験だ」

という年長者のつぶやきも、まるっきりギャグというわけでもないのだ。
 で、今月の初めにこんな文書が。

【仮殿遷座祭のお願いとご案内】

かりどのせんざさい?なんだそりゃ。意味するところは、神社の「御」を仮殿に奉安する儀式。この場合の「御」は稲荷神社のご神体をさし、暫定的な移設先である仮殿は自治会の公会堂。そのお引っ越しのときに、村の中を氏子が行列するんですって。

それはまあ、なにかの儀式はあるだろうと思ったが、行列とは意表をつかれた。しかも服装は礼服指定。おお、黒ネクタイ以外で礼服を着るのって久しぶりだなあ。

ということで当日、公会堂集合は午後6時。日曜日なのにどうしてもっと早めに集めないのかな……すぐに判明。ご神体は暗くならないと外に出ないそうなのである。へー。しかも、行列の際には、ご神体を抱いた神主さんの四方を布でできたバリケードみたいなので完全遮蔽するのだ。

中心にあるものを秘匿することで畏怖させる……これが神道の極意みたい。

当日の進行表がまた趣深い。とにかくなじみのない単語がいっぱい。

『氏子奉仕員』
『修祓』
『参進』
『奉戴』
『遷御』
『大麻
(たいまじゃないよ)
『絹垣』
『召立』

……うわーわからない。そして「わからないこと」が即ち「ありがたいこと」につながるのは、あらゆる宗教に共通してもいるんだろう。以下次号

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ご神体

2011-05-23 | まち歩き

2 ついに「事務職員へのこの1冊」も、日本の禁忌であるディープなネタに挑戦。相手はなんと国家神道!……冗談です。近所の神社が建て替えられるだけのお話。

その、近所の神社はお稲荷さん。狐の像が建っているので。じゃあその稲荷神社ってなんだ。いやー神道についてはまったくものを知らないことを思い知らされる。ウィキペディアによれば……

稲荷神を祀る神社を稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっている。 稲荷と表記するのが基本だが、稲生や稲成とする神社も存在する。稲荷神を祀る、赤い鳥居と白い狐がシンボルとなっている神社として、広く知られている。

……知られてないぞ。少なくともオレは知らなかった。するとあれですか?お稲荷さん以外は赤い鳥居じゃないの?他の神様の場合は狐じゃないのかよ。さっそく調べてみよう。

稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたため、これが鳥居にも影響しているとされる。

稲荷神社の前には狛犬の代わりに宝玉をくわえた狐の像が置かれる例が多い。他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を稲荷と称するようになった。

……知らなかったー。親父が氏子総代だったのに、息子がこれほど神道に暗くていいものかしら。すると神社の集まりなんかのとき、油揚げで清酒を飲むのはお稲荷さんだからなのかな。

まあそれはともかく、おそらくは終戦直後に建てられた神社はさすがに老朽化。建て替えのために自治会で長いこと積立をやってきたのだった。以下次号

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「テルマエ・ロマエ」 ヤマザキマリ著 BEAM COMIX

2011-05-22 | アニメ・コミック・ゲーム

Thermaeromaeimg01_2 ハドリアヌス時代の古代ローマと現代日本を「お風呂」というキーワードで強引につなげる……こんなネタで掲載させようとした編集者がまず偉い。ひょっとしてお風呂好きだっただけかもしれないけれど。

主人公のお風呂設計技師ルシウスが、謙虚ではあるけれどもローマ人らしくプライドありありなのが笑わせてくれる。ローマ市民にくらべれば、ゲルマンや奴隷上がりはやはり下品なのであり、ましてや平たい顔族(日本人)など……。

作者がコメントするように、大浴場という発想は当時のローマと今の日本にしか存在しないのかも。そう言われると、ルシウスとは逆に、蛮習なのかなって気もして反省(笑)

震災後、被災者たちが温泉に何よりも喜んでいる映像を見ると、いやいややっぱりお風呂はいいですわね。
もうひとつの「ローマ人の物語」として、面白いっす。

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