その頃の私とて、ビートルズと全く無縁だったわけではなく、リーダーの時間、英文和訳を命じられた私は、問題の“I go abroad”(外国へ行く)を、「私はアビーロード(※)に行く」と訳してしまい、授業後「堀、お前面白すぎるよ(笑)」と妙なほめられ方をしたこともあった程だ。
※ アビーロード……ビートルズがレコーディングをしていたスタジオのある場所。アルバム名にもなっている。
関係ないけどもうひとつ私は壮絶な誤訳をしたことがあった。“I was watching boxing match on TV .”『私はテレビでボクシングの試合を見ていた』を、「私は……えーと…テレビの上で…マッチを箱につめていた?」と訳して教室の爆笑を誘ったのだった。なんで英文科に進んだかなあしかし。
で、「THE BEATLES 1」である。ビートルズの№1ヒットだけを27曲、1枚のCDにブチこんだ超豪華盤。御商売の極致。例によってウチの職場でも学生協経由で1枚売れたし(今度は教務)、妻のリクエストで去年のクリスマスプレゼントはこれだった。そりゃあ売れるだろう、Love Me DoからThe Long And Winding Roadまで、誰もが1度は聴いたことがある名曲のてんこ盛り。音楽のバリューセットだ。ビートルズを知らない世代はもちろん、ビートルズエイジはかの赤盤や青盤に加えて、数年前のアンソロジーまで揃えた人だってお得だと思って買った人もいたはずだ。
実際聴いてみて、思った以上にこのヒット曲の連続には感動した。ポップチューンの底力を思い知らされる。ライナーも技術論に徹しているのは好感がもてる。今さら思い入れたっぷりな感情論をつづられてもつらいだけだし。
知らないことって結構たくさんあったことにも気づかされた。バンド名が本来のBeetle(かぶと虫)ではないのはBEATをもじったものだったとか、初期や中期はジョンがピアノを弾いていたとか、ジョンとポールの友情の証しとして、どちらか一方が作った曲でも、レノン=マッカートニーとクレジットする約束を交わしていた(ええ話や)とか。ん?そんなこと常識?そんなこと言うからビートルズフリークは狭量だというのだ。
そういえば、ジョンとポールのあまりに完璧なハーモニー(まさしく、ビートルズの声)に幻惑されがちだが、曲を書いた方がメインボーカルをとる傾向があるとか。この曲はどっちが書いたんだろう、と類推する楽しみもあったのか。でもよく聞き分けられないから(笑)ライナーをもとに色分けすると……
マッカートニー⇒『Yesterday』『Eleanor Rigby』『Hey Jude』『Let It Be』
レノン⇒『Help!』『Day Tripper』『All You Need Is Love』『Come Together』
……のようになる。このアルバムで私が一番好きなのはポールの「恋を抱きしめよう」We Can Work It Outだが、27曲の他に、一番のお気に入り「イン・マイ・ライフ」や「ノルウェーの森」を始めとして、呆れる程の名曲の数々があるわけで、いやはやもの凄いソングライティングチームだ。
でも、この豪華なラインナップを誇るよりも、ローリングストーン誌のインタビューで「俺たちは、とにかくいいライブバンドだったんだ」と呟くレノンの言葉を読むと、1966年6月に、日本武道館の観客席にいた連中のことが、とにかく妬ましい。《乗り遅れた》ことが、ひたすら悔しいのだ。
不世出の天才が二人、ともに寂しい家庭環境の中で、ご近所に住んでいたという気の遠くなるような偶然の結果が、この20世紀最大のバンドを生んだと言えるだろうか。その偶然を生んだ神に、やはり感謝しなければ……いけね、こっちまでお祈り系になってきた。