事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「八つ墓村」がわからないPART10

2012-05-31 | 映画

PART9はこちら

Yatsuhakamuraimg10 さて、これだけ長いことやってきて、犯人の目当てはみなさんついていることと思う。現実の事件と違って、映画にはキャスティングというヒントがあるからね。

「八つ墓村」の基本線は、辰弥の姉である春代(山本陽子)と事件の解説者である未亡人美也子(小川真由美)の、辰弥をめぐる争奪戦なのだ。春代は辰弥が実は弟ではないことを知っている。

「お前が生まれたのは、竜のアギトというところよ」という母の言葉は、鍾乳洞で美也子によって解読される。母はアギトで小学校の代用教員と密会を重ねており、その結果生まれたのが辰弥だったのだ。

母を演じたのが中野良子。そして、ほとんど顔も映らないけれど本当の父を演じたのは、当時まったく無名の風間杜夫だったのである。

ベッドシーンの相手に風間を指名したのは中野良子自身だったという。さすがですね。何がさすがだかよくわからないけど。

弟ではない辰弥を春代が愛した設定は少し無理があっても、そこは萩原健一。数々の女優をこましてきた(すいません下品な表現で)経緯を当時の観客はよく知っているので納得できます。

その春代が、鍾乳洞のなかで犯人に襲われ(ここで犯人がわからない人はどうかしている)絶命寸前に辰弥にこう告げる。

「犯人の、指を噛んだの。きっと怪我をしているはずよ」

思えば春代は薄幸な女性である。村人を殺しまくった狂気の男の娘として生まれ、心臓が弱いために婚家を出され、実家では不気味な双子の叔母たちに縛りつけられ……不幸な出自がいっしょであり、同時に外の空気をまとっている辰弥に恋したのは無理からぬところだろうか。彼女は七番目の被害者となる。

観客みんながあの人が犯人だと感づいているのに、辰弥はまだそのことを知らない。そのうえ、金田一はなにを思ったか「鍾乳洞に隠れていなさい」と命ずるのだ。え?以下次号

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「八つ墓村」がわからないPART9

2012-05-30 | 映画

PART8はこちら

Yatsuhakamuraimg09 辰弥は村人の怨嗟の的となり、行動の自由がうばわれる。そしてお膳の料理を自宅で食べた濃茶の尼(くどいようだけどすばらしい名前だなあ)がまたしても毒殺される。これで、四人目の犠牲者。

つづいて、薬の出所だった久野医師(藤岡琢也)が失踪し、事件は混迷を極める。主犯だと(観客は誰もそう思っていないけれど)警察がにらんでいた容疑者がいなくなったので。

さらに洞窟に犯人によって拉致された小梅が絞殺、久野も死体で発見されたことで、殺人は計6件。タイトルからもわかるように、これで殺人がおさまるはずがない。あと二人の被害者が出ると指折り数えた観客はみんな思っている。

問題は、はたして犯人は誰なのか。なんのために連続殺人を行っているのか……

ここでいろいろと整理してみましょう。わたしもこんがらがってきた。

・なぜ双子のうち、小梅だけが殺されて小竹は生き残っているのか

・久弥、久野、小梅は多治見の家の者たちだが、工藤校長と濃茶の尼が殺された理由は何か

・辰弥は殺害候補に入っていないのか。

・多治見家を根絶やしにするのが目的なら、なぜ一気に大量殺人をしかけないのか。その機会は何度かあったはずなのに。

・金田一はなにをやっているのか。

……まあ、最後のふたつは小説や映画を面白くするためにしかたないですけど。

錯綜したこれらの疑問に、原作はもちろん(ある程度)答えている。そしてリメイクされた東宝版もミステリとしてちゃんと情報を提供している。ところが、松竹版はある理由のためにそのあたりをすっ飛ばしているんですな。

たとえば、小梅が殺害された件では、東宝版においては犯人は小竹と小梅の区別がつかないシーンが最初の方にちゃんと用意されている(松竹版にもちびっとはあるけれど)。あるいは濃茶の尼の狂気には裏があったことも説明されている。

でも、だからといって東宝版の方が面白いとはいかないのが映画の不思議。次回からはネタバレ全開です。

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「八つ墓村」がわからないPART8

2012-05-29 | 映画

PART7はこちら

Yatsuhakamuraimg07 辰弥だって好きでこの村にとどまっていたわけではなくて、亡くなった母親が子どものころに語っていた

「お前が生まれたところはね、竜の咢(あぎと)ってところよ」

という言葉が気にかかっていたから。自分の父親ははたして狂気の男なのか。

ここでいよいよ金田一耕助登場。渥美清である。

現代のお話だからという理屈もあるだろうが、はかま姿ではない金田一には批判集中。わたしも初見のときは違和感ありありだった。ところが、久しぶりに見直したらなかなかいいんですな。

得体のしれない私立探偵を渥美は飄々と演じていて好感が持てるし、怜悧な頭脳をもっていることもちゃんと表現できている。寅さんのときには封じられたクールな演技。渥美はこんな、ギラリとした脇役を切望していたらしいので満足だったはず。

金田一の探偵としての行動は

・久弥の解剖を主張

・地元の小学校の校長から、辰弥の父親が多治見要蔵ではなく、むかし代用教員をやっていた若者であることをさっそく聞きこむ

……など、(この時点では)精力的。

次の殺人はもっとも本格ミステリらしい。

久弥の葬儀のあと、列席者にお膳が運ばれる。小竹と小梅が給仕を差配し、辰弥・春代・美也子も配膳を手伝う。ランダムに置かれた膳を彼らは運び、辰弥は小学校の校長の前に置く。そして料理を口にした校長は例によって絶命するのだ(第三の殺人)。

・はたして犯人はどの時点で毒をしこんだのか

・辰弥がその膳を選ぶことは計算されていたのか

・校長がその膳の料理を(以下同文)

いずれにしろ、辰弥の立場は最悪のものとなった。以下次号

Yatsuhakamuraimg08_3

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「八つ墓村」がわからないPART7

2012-05-28 | 映画

PART6はこちら

Yamamotoyokoimg01 多治見家の屋敷で待ち受けていたのは不気味な双子の老婆たち、姉の春代、そしてもうひとり、病床に臥す兄の久弥。山崎努が要蔵と二役を演じている。弱っちい久弥と狂気の要蔵の両方を演じることができて山崎にとってはおいしい。

彼は辰弥を見るなり、多治見家にはめずらしくいい男だと満足げ(伏線)。咳き込んだので叔母に薬を強要し、久野医師が調合した粉薬を飲んだ途端、久弥は吐血し絶命する。第二の殺人である。またしても毒、またしてもいつ死んでもかまわない殺人。

奥の離れで休むことになった辰弥だが、なかなか寝つけない。外を見ると、小竹と小梅がろうそくを持って土蔵に入っていく。

このあたりも怖いです。腰の曲がったおばあさんが二人、縦列でヨタヨタと歩いていく姿はかなり不気味。原作を読んでいたときもかなり怖かった。でも辰弥までびびりまくりでは話がすすまないので、彼はばあさんたちの後をつける。すると、土蔵には鍾乳洞につづく通路があり、辰弥が進んでいくとなかにはなんと鎧武者がっ!

ネタバレになるけれど、この武者は行方不明になっていた要蔵が死蝋化したもの。つまりミイラなのだ。

横溝正史がつくづくうまいと思うのってこういうところ。じめついた鍾乳洞、不気味な双子の老婆、まるで生きているかのような鎧武者……怖い要素をてんこ盛りにつめこんであるし、映像化しやすい。

「本陣殺人事件」における密室トリック、「獄門島」での鐘の消失、「犬神家の一族」の佐清のゴムマスクなど、一度見たら観客は忘れられないはず。

金田一耕助シリーズが絶え間なく映画化、テレビドラマ化された理由がこんなところにも。まあ、よく考えると要蔵が鎧を着けなければならない理由はないのだが。

さて、なぜか都合よく辰弥のあとから鍾乳洞に入ってきた春代の解説が始まる。要蔵は三十二人を殺したあと、叔母たちを頼って家に戻り、鍾乳洞にかくまわれたのだろうと。しばらく生きていたのは、双子が食べ物を運んでいたからであり、死んだのは双子によって毒殺されたのではないか……

辰弥、いいかげんに気づけよ。この家はまともじゃないぞっ!以下次号

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「八つ墓村」がわからないPART6

2012-05-27 | 映画

PART5はこちら

Yatsuhakamuraimg06 さて、松竹版「八つ墓村」には、萩原健一以外にそれはそれは豪華な女優陣が。

未亡人美也子に小川真由美、姉春代に山本陽子、亡き母に中野良子である。若い観客にはおわかりにならないかもしれないが、70年代のこの三人といえば大女優である。

まあ、いまは小川は細川俊之との娘に宗教がらみのスキャンダルを暴露され、山本陽子は沖田浩之と……まあ、よけいなことです。

いかにも都会的な美也子と、旧家である多治見家になじんでいる病弱な春代。このふたりの対照と、その間をゆれ動く辰弥という存在のあやふやさがドラマの基本線。

実は原作や東宝版には里村典子という重要人物が出てくるし、遺産相続候補者で医師である久野がかなり大きな存在だけれど、そのあたりはバッサリ。そりゃま、ここまでの役者をそろえてコメディリリーフでもある藤岡琢也(久野)が犯人でしたでは客が納得しないもんね

映画的に絶妙だったのは「濃茶の尼(こいちゃのあま)」。すばらしいネーミングじゃないですか。こいちゃのあま。何度かつぶやいてみましたもの。原作では、盗癖があって事件のキーポイントになる尼僧だけれど、松竹版における最大の役割は、例の

「たたぁりぃじゃあああああ」

と叫ぶことね。彼女は要蔵によって夫と子どもを惨殺されていることもあって、血をひく辰弥を憎悪していて、丑松が死んだことも辰弥のせいだと村人を扇動している。

悪意と憎悪に囲まれながら辰弥は多治見家に入る。待っていたのは要蔵の叔母である双子の老婆、小竹と小梅。これもすばらしいネーミングじゃないですかっ。「犬神家の一族」の松子・竹子・梅子とタメをはってます(笑)。

小竹を演じたのは市原悦子。小梅は山口仁奈子というよくしらない女優さんで、ひょっとしたら市原とクリソツだったことが起用の決め手?以下次号

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「夜去り川」 志水辰夫著 文藝春秋

2012-05-26 | ミステリ

Yosari 「あきらめていただくしかありません。もともと通りすがりの人間です。お知り合いになれてこよなく仕合わせでしたが、わたしどもにその先はありません」

主人公は渡し船の船頭。しかしなにやらわけありの様子。何かを、待っているのだ。

彼がいったい何を待っているかは中盤まで明らかにされず、日々の生活の描写に終始する。ところが、これがいいんですなあ。

志水ハードボイルドのことだから当然主人公はやせ我慢をしている。しかし武家社会の終焉を予感するほどクレバーでもある。幕末という設定が絶妙。そのうえでなおかつ、上のようなセリフを吐くあたりの臭さが泣かせる。

もちろん奇跡のようにいい女たちが登場し、主人公は彼女たちのために意地を張り、何かを失い、そして何かを得る。渋い。

夜去り川 夜去り川
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「八つ墓村」がわからないPART5

2012-05-24 | 映画

PART4はこちら

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YouTube: 八つ墓村の殺戮シーン集

大阪にやってきて、辰弥を八つ墓村に連れて行く役目は、父方の親戚、未亡人の美也子(小川真由美)に引き継がれた。

ここで疑問も。

なぜ大阪府警は現場にいた“孫”を、しかも後に判明する『莫大な遺産を相続することになる男』を簡単に大阪から離れさせたか。まあ、要するにここまでがアバンタイトルみたいなものなので仕方ないか。

電車を乗り継ぎ、山道を歩いてふたりは岡山県の山村に到着する。美也子は田舎にいるのが不思議なほど都会的な美女で、事業家としても優秀。迷信深い八つ墓村にはおよそ似合わない存在だ。彼女は村を見下ろして、辰弥に村の現状と、忌まわしい名前の由来を解説する。

尼子の落ち武者をだまし討ちにした首謀者は、毛利から多額の恩賞を受け取る。山、である。その山林をもとに財を築いたのが辰弥の父方である多治見家。その多治見家は、落ち武者の呪いもあってか、数代ごとに不幸が訪れる。

落ち武者を狩った総代は、村人七人を斬り殺してみずからの首も切り落として自害(第二の八人殺し)。以降も多治見の総領には狂気が宿る傾向があった。その代表が辰弥の父親である要蔵(山崎努)。

要蔵は妻とのあいだに長男と長女をもうけながら、村の娘で、郵便局に勤める鶴子(中野良子)を拉致。離れに軟禁された鶴子は要蔵になぶられ、辰弥を出産する。しかし虐待に耐えかねた鶴子が辰弥を連れて家出したことで要蔵の狂気が爆発。村人32人を斬殺し、行方不明となっていた(第三の八人×4殺し)。

さあ、前半のクライマックスにして、大ブームをまきおこした大量殺人が描写される。

頭に懐中電灯を差し、日本刀と猟銃をかかえてスローモーションで走る山崎努はかなり怖い。しかも殺し方がかなり効率的で、射撃の腕も確か。悪鬼のような表情で村の中をひた走る要蔵から逃げる、あるいは隠れる村人を冷静に屠っていくこのくだりのおかげで「八つ墓村」は人々の記憶に残っているのだと断言できる。

あまりに激しいものだから、事件の様相などどうでもよくなってしまうという副産物もあったのだが。以下次号

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「八つ墓村」がわからないPART4

2012-05-23 | 映画

PART3はこちら

Shokenimg01 父親の虐待と母の夭逝など、身の不幸を嘆いてばかりいる気弱な主人公、寺田辰弥になんと萩原健一(東宝版は高橋和也)。これは意表をついたなあ。

ここでおさらいしておくと、原作と東宝版は終戦直後のできごとに設定されている→そのために大量殺人事件の時期も前倒しされている。

ところが松竹版は、舞台をいきなり現代にもってきた。そのためのショーケンの起用だろうし、職業を航空機の誘導員という、画的にど派手なものにしたのだろう。後半の鍾乳洞の暗さと、空港のまばゆさの対比は確かに効いている。

事件の発端は、新聞の尋ね人欄(現代、といっても昭和ですから)に辰弥が載ったこと。いぶかしむ辰弥は、上司のすすめもあって大阪の弁護士事務所を訪ねる。待っていたのは弁護士の諏訪(大滝秀治)と老人(加藤嘉)。身元について質問を重ねた諏訪は最後に

「裸になっていただけますか?」

と、とんでもないことを。気弱な辰弥(ショーケンだからとてもそうは見えないのだが)は渋々応じる。彼の身体には虐待された傷が大量に残っていたのだ。それまで無言をとおしていた老人がうめく。ここ、配役もあってほとんど「砂の器」そのまんまです(笑)。

彼は辰弥の母親の父、つまり祖父にあたる井川丑松だった。

「た、辰弥……」

ようやく孫を見つけた丑松は、しかし次の瞬間、血を吐いて昏倒する。

最初の殺人。

犯人が用いた方法は、丑松が常用している薬のなかに、毒がはいっているものを混入させるというものだった。つまり、どの時点で彼が死んでもかまわない殺人なのだが、辰弥と再会した場面だったことで、後の八つ墓村における辰弥の行動が制限される結果となる。

村人は丑松を辰弥が殺したに違いないと思いこんだのだ。以下次号

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「八つ墓村」がわからないPART3

2012-05-22 | 映画

PART2はこちら

Yatsuhakamuraimg04 「八つ墓村」にはもうひとつ忘れられない思い出が。高校生のころ、例の鍾乳洞の部分を読んでいるときだった。深夜にひとり布団のなかで手に汗握っていると

ドーン!!

と揺れが。地震だったのである。心臓がでんぐり返るかと思いました。その思い出と、映画化二作品がどうリンクするかというと……

松竹版のオープニングには、

「永禄九年(1566年)」

という字幕。要するに戦国時代である。血塗られたような紅葉のなか、八人の落ち武者たちが山中を進む。芥川也寸志のオーケストレーション+ひなびた山村とくれば、こりゃどう見ても「砂の器」である。落ち武者を演じるのは夏八木勲、田中邦衛、稲葉義男、佐藤蛾次郎などの豪華版。

もちろんこれには理由がある。落ち武者は尼子一族。彼らは毛利方に追われ、再起をはかるために財宝を抱えている。たどりついたのが炭焼きで生計を立てている小さな村。落ち武者たちと村人は良好な関係を築いていた。しかし毛利の探索が厳しくなり、同時に財宝にも目がくらんだ村人たちは、落ち武者たちをだまし討ちにする。首領の夏八木勲は

「末代まで祟ってやる!」

と叫んで絶命。ここはなかなかの演技でした。松竹版においてはこのセリフがキーポイント。殺人犯の動機にもからんでくるのでおぼえておいて。

その後この村には、予言通り不可思議な凶事がつづいたため、村人は落ち武者の八つの遺骸をていねいに埋葬し直す。そこでついた名前が「八つ墓村」だったのだ。

一転して場面は現代へ。この作品の主人公である寺田辰弥登場。

原作を読んだとき、わたしはいつものようにキャスティングまで夢想(悪い癖だ)。

・トラウマをかかえた気弱な青年→篠田三郎

・その青年をやさしく見守る姉→長山藍子

という具合に。ところが、この映画はその予想を激しく裏切るキャスティングを行ったのだった。以下次号

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「八つ墓村」がわからないPART2

2012-05-21 | 映画

Inugamikeimg01_2 PART1はこちら

横溝正史の原作を映像化したなかで、有名なのは77年の松竹版(野村芳太郎監督)と96年の東宝版(市川崑監督)のふたつ。他にも何度も何度もテレビドラマ化されているので、おおよそのストーリーはおなじみかと。

わたしが初めて「八つ墓村」に接したのは少年マガジンに連載された影丸譲也の劇画。

これが怖かったー。ニコニコ笑っている双子のばあさん(小竹と小梅)がなにしろ不気味。思えばこれが横溝正史初体験。つづいて例の角川書店の映画大攻勢が始まったわけ。

その1作目「犬神家の一族」(76年)が大ヒットしたので松竹もあとを追いかけたように時系列では見える。

でもこれは前にもふれたように、金田一耕助ものの代表作といえばやはり「犬神家~」よりも「八つ墓村」。角川春樹はまず松竹にこちらの映画化を持ちかけたのだ。

ところが、松竹がいつまでも動き出さないものだから(当時の映画会社は書店の若僧の売り込みを軽く見ていたわけ。今では信じられないことだけど)角川は激怒。意趣返しとばかりに東宝と組んで石坂浩二で金田一シリーズを製作して成功。

松竹がしかし「八つ墓村」でやりたかったことはどうも路線が違って、なにしろ金田一耕助が渥美清であることに象徴されるように、むしろ「砂の器」的な感動?大作に仕立てたのだ。わたしはこういう経緯から、どうも松竹はダメだなあ、石坂金田一が先行したのだから「八つ墓村」の興行は惨敗するに違いないと思っていた。

しかもテレビスポットが

「たぁたぁりぃじゃ~」

である。だっせー。

でも結果的にはこちらも大ヒットしたのだった。よくわからん。

そして96年の東宝版は、市川崑が“やり残した”横溝正史の代表作を、金田一耕助役に豊川悦司を配して敢行。鉄壁の布陣に見えたがこちらは惨敗。ほんとうに、映画興行というのはわからないものなのだった。以下次号

Yatsuhakamuraimg03

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