事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

今上。

2008-05-31 | 社会・経済

Akihito02  またしても森達也。この人は本当にわたしのツボをうまく突く。今回は今上天皇について。わたしが、前から不思議に思っていたことを森は冷静に解説してくれる。今上天皇が「君が代」を歌わない(昭和天皇は歌っていたらしい)文脈のなかで森は述懐する。

2001年の天皇誕生日直前に、ワールドカップ日韓共催について触れながら天皇は、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と記者会見で公式に発言した。天皇陵が一般公開されない理由などをめぐって、メディアだけでなく一般の人たちも、声を潜めてタブーらしいよと囁き合っていた天皇家と朝鮮半島との関係について、天皇自らがあっさりとカミングアウトしたわけだ。しかし当時のメディアは相変わらず及び腰だった。翌日の朝日新聞の見出しは「天皇陛下きょう六十八歳 W杯で韓国との交流に期待」。読売は「天皇陛下、きょう六十八歳 愛子さま誕生『家族で成長見守りたい』」。毎日は「天皇陛下きょう六十八歳 愛子さま誕生『うれしく思う』」。産経は「天皇陛下六十八歳に 愛子さま、健やかな様子安堵」。
 何だこれ。ニューズウィークや東亜日報など外国のメディアは、ほとんどが大きく「韓国とのゆかり」発言を伝えたのに、朝日以外は全部孫娘の話題で逃げたし、朝日だって見方によればいちばん狡猾だ。翌日の新聞紙面を手に、天皇が洩らす溜息が聞こえてきそうだ。
世界が完全に思考停止する前に】角川文庫

 そうなのだ。わたしもあの日、この記事を読んで「え?どうしてこんな重大な発言を天皇自身がしているのに、ちっちゃなベタ記事あつかいなの?」と思ったのだ。おそらくは相当な覚悟で、しかも宮内庁の意に反して(あるいは何も予告しないで)発した確信犯的コメントなのだろうに。その後彼は、皇居の外へ独りで出歩くという、考えてみれば若い頃に銀座へ学友たちとくりだした「銀ブラ事件」以上に不可解な行動をとったりしている。クェーカー教徒であるヴァイニング夫人のリベラルそのものの教育をうけた明仁と、宮内庁のそりが合うはずもないのだが。

 きっと彼は、いらついているのだ。

 長男の嫁を鬱に追いこみ、自らの行動を曲解させようとする宮内庁に。あるいは大帝と呼ばれた父親の「人間宣言」の真の意味を理解しようともせず、相変わらず王政復古を願うような国民に。加えて、自らが天皇であることに。

 そしてわたしは、こんな“自らが何ものなのかに困惑している”タイプの人物が、少なくとも自分自身をまったく疑問視しない人物よりも、はるかに、はるかに好きなのだ。

次号も今上特集。

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「TVドラマが好きだった」岡田惠和著 岩波書店

2008-05-31 | テレビ番組

Bpbookcoverimage 「イグアナの娘」「南くんの恋人」などの脚本家が描くテレビドラマの歴史。「ちゅらさん」を書いた経験が笑わせる。

NHKの朝の連続テレビ小説に、どうして近頃魅力的なヒロインが出てこないのか不思議だったのだけれど、「視聴者が応援したくなる女優」でなければならないとのこと。最初からこなれた(笑)女優では反感を集めてしまうというわけだ。国仲涼子も立場ないなこりゃ。

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「ドキュメンタリーは嘘をつく」「悪役レスラーは笑う」森達也

2008-05-31 | 本と雑誌

06  すでに「放送禁止歌」やオウム真理教の「A」、「下山事件」そして「職業欄はエスパー」でとりあげた森の新作。

マイケル・ムーアが端緒となったドキュメンタリーブーム(そんなものがあるはずは無いのだが)を冷静に描く「~嘘をつく」と、謎の多いグレート東郷を中心に、プロレスという存在がいかにナショナリティと無縁でいられないかを“政治的に”活写した「悪役~」。森はほんとうにいいところを突く。岩波新書でプロレスがとりあげられるのって初めてじゃないか。

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「覇王の家」「殉死」司馬遼太郎

2008-05-31 | 本と雑誌

Haohnoie  なんでまた今ごろ司馬遼太郎か。実は何年かに一度、わたしは妙に司馬を読みたくなるのだ。そりゃー結果論だろうと突っこみたくなる司馬史観だが、神の目線で歴史を眺めることって、誰かが確実にやらなければならないはず。「殉死」は、神となった乃木希典の無能ぶりを「坂の上の雲」以上に冷徹に描いている。

で、問題は「覇王の家」なんだけど、家康という存在をわたしはけっこう好きなんだと再認識。カリスマ性のある秀吉と違い、ある時は逃げまくり、ある時は狼狽しつつ、それでも行政者として鉄壁の幕府をつくりあげる過程は面白い。頼朝やアウグストゥス好きのわたしだけかもしれないけれど。

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斉藤由貴

2008-05-31 | 芸能ネタ

Saitohyuki01  いったい何を考えてこんな企画が通ったのだろう。言うまでもなく、TBS昼の帯ドラマ「吾輩は主婦である」のことだ。磯山晶P+宮藤官九郎脚本のおなじみコンビがなぜに昼ドラ?しかも“普通の主婦になぜか文豪夏目漱石が乗りうつる”シチュエーションコメディ?前衛すら感じさせるトンデモドラマ。時間帯が時間帯だけに「この1冊」読者の多数を占めるサラリーマンにはつらいかなあ、と思っていたら「見てます?」と3名の読者からつっこまれた。

 もちろんですとも!

 放映開始前から「どうやって見ようか。HDDレコーダーはないし、不登校児に録画を頼むのもなあ」と困っていたら、妻がとっくに実家のお母さんにお願いしていたのでした(笑)。

 そしてこの、ほとんど前衛劇のヒロインが斉藤由貴。おそらく、他の女優では成立しなかったドラマではないか。それほどにすばらしいのだ。

 ミス・マガジンコンテスト(だったと思う)でデビューしたころの彼女はほんとうに可愛かった。つぶらな瞳、水蜜桃のような頬(ところで、水蜜桃ってどんな桃?)……「雪の断章~情熱」(相米慎二)は当時の彼女の代表作。佐々木丸美のドロドロ小説を、不良映画中年たちがよってたかってメチャクチャにした作品。だからこそ傑作なのでぜひ。

 しかしその後「モルモン教」「川崎麻世」「尾崎豊」などのキーワードがひとり歩きして低迷。要するに、思いこんだら一直線の人なのだろう。モルモン教の根底には一夫多妻制があるので不倫に対する障壁も低いのかも知れない(マジで言ってます)。そして今回のドラマで一気に復調。育児も一段落してふっきれたのだろうか。

内心、日本一のコメディエンヌだと考えている彼女の復活は日本の芸能界にとって(というよりわたしにとって)またとない朗報だ。次回作をわたしはウキウキしながら待ち望んでいる。もっとも、モルモン教のもうひとつの教義は「産めよ増やせよ」だからまた育休をとるのかなあ。

※「雪の断章-情熱-
今となっては信じられないかもしれないが、日本一セーラー服が似合うアイドルでもあった彼女の問題作。孤児の斉藤由貴を榎木孝明と世良公則が奪い合う話と形容したらその異常さがわかってもらえますか。

コメント (3)
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原田知世

2008-05-31 | 芸能ネタ

Tomoyo01 原田知世は、日本の芸能界において特別な位置を占めている。近年、1~2年に一本のペースの映画出演しか活動がない割には現役感バリバリだ。AGFなどのCM出演も、身過ぎ世過ぎのために、といった感じはなくて、むしろ『出てくれている』というありがた感があるのだ。まあこれはわたしが彼女のファンであることが大きいのだろうけれど、少なくとも彼女が“うまく年齢を重ねている”ことにはファンならずとも賛成していただけるのではないだろうか。杉村春子、山田五十鈴、吉永小百合、森光子の四人をわたしは【年齢を感じさせない四天王】だと勝手に断定しているが、知世はあんな化け物たち(笑)ほどではないにしろ、知世は知世のままで美しくあり続けている。

 ご存じのように彼女のデビューは角川関連。名作「時をかける少女」(大林宣彦)で人気が爆発。それまで大作路線を突っ走っていた角川春樹はあの愚作「復活の日」(深作欣二)で大赤字を出し、路線をアイドル映画に切りかえた初戦が「探偵物語」(根岸吉太郎)と「時かけ」二本立てだったのだ。製作費が安いところへもってきて28億もの配給収入。今の興行収入換算だと60億近い大ヒット。のちのビデオ、DVD等の売り上げを考えれば、これは本当にうまい商売だった。

 以降、角川の自前のアイドルである知世は、角川春樹のために出演を続ける。春樹の気持ちの中に、彼女にたいする何らかの思いがあったのではないかとの噂は前からあったけれど(実はオーディションでは知世は落選していて、それを強引に特別賞扱いしたのは角川春樹だった)、ファンとしては「春樹、お前もか」と正直思う。永遠の“妹”である彼女には、何かしら庇護したいと思わせる部分が確かにある。世間ではそれをロリコンと呼んだりするんだけれどね。

 でもそういう欲求と無縁な人、たとえば漫画家のいしかわじゅんなど「(知世は)鼻の大きな子どもにしか見えない」と作品(「フロムK」)で語ったりしている。ファンであるわたしは怒るより先に「あ、そういう見方って確かにあるよな」と感心。つまり知世のファンは内心「オレだけが彼女の魅力に気づいている」とみんなが思っているのであり、そんなファンがこれだけ長いこと支持し続けていることこそが最大の特徴なのだと思う。彼女にとっては、いい迷惑な話であろう(* ̄▽ ̄*)/。

※今回は映画の話ばかりになったけれど、彼女はシンガーとしても最高。「雨のプラネタリウム」「彼と彼女のソネット」は必聴。泣けます。

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原節子

2008-05-30 | 芸能ネタ

Harasetsuko  果たして本当に原節子は美人なんだろうか。

 よーく顔の造作を見てほしい。パーツのバランスがあまりとれていないことに気づくはずだ。“鼻筋がとおっている”以上に彼女の鼻は少し大きすぎるし、“西洋人を思わせる瞳”も、鼻との兼ね合いでかろうじて顔の中におさまっていると言いたくなる。肢体も意外なほどに大きく、確かに日本人離れしている。

 その、西洋人云々には諸説ある。妻の読んでいた写真家の秋山庄太郎のエッセイでは「(原節子には)ヨーロッパの血が入っている」と断言されていて、彼女の全盛期においてはそう信じる人も多かったと聞く。しかし彼女は純然たる佐賀県人の父母の娘なのだ。それがなぜ混血であると流布されることになったか。ここに、わたしにとっては彼女の突然の引退、遁世よりも大きな謎が潜んでいる。

 実は彼女がブレイクしたきっかけは、後の名コンビ、小津安二郎の作品ではなく、ドイツ人監督アーノルド・ファンクによるものだった。「新しき土」と題されたその合作映画は、日独の同盟を背景にナチズムを賞揚する内容だったらしい(おかげで現在ではほとんど顧みられることもなくなっている)。そしてこの映画のプロモーションのために原は義兄である映画監督の熊谷久虎と渡独し、彼らは圧倒的にナチズムに傾倒する。

 後年、「青い山脈」(今井正)「わが青春に悔いなし」(黒澤明)などで民主主義讃歌をうたいあげた原節子は、なんと戦前はファシストだったのである。だから言いがかりのようだけれど、彼女の“西洋人っぽさ”は、ナチズムを心の中で何らかの方法でねじふせた陰影が、屈託をかかえた戦後の高地ドイツ人のような風貌と共通させる結果になったとも言えるのではないだろうか。強引だけどね。

Ozandhara  今も存命している彼女が(今年で88才である)、毎日をどんな思いで過ごしているかは誰も知らない。ごく普通に鎌倉で買い物をしている姿も目撃されているようだが、オフィシャルな場に彼女が最後に登場したのは、小津安二郎の葬儀の日。遺体の前で号泣する姿だったという。原節子が本当に小津を愛していたのかという謎とともに、おそらくはどんな解答もしめさないまま彼女は死んでいくのだ。彼女の笑みは多くの謎を呑み込んで、だからこそ美しいのだと知れる。

                                                   【参考『日本の女優』四方田犬彦

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年度末年度始 最終日「初期化」

2008-05-29 | 学校事務職員

Ohnukitaeko 21日目「斜度」はこちら。

 ふう。ようやくこの長大なシリーズも最終日です。最終回向けにこのネタはとっておいたの。

Mail03f 今回の異動でいろいろ考えさせられています。ほかの仕事(PTA会計や学校徴収金の監査、それに引き継ぎなど)が忙しくて、転出書類は31日になんとか届くようにするのが精一杯でした(不良事務職員の堀さんに負けたのはショックでした)。確かに配達記録で郵送したら結構な金額になってしまい、引き継ぎに行く時に持っていってもらえばそんな経費も必要なかったとは思いますが、とても無理でした。

 毎日サボっているわけでもないのに、異動のための事務量は膨大なもので、毎日遅くまで仕事をしていましたが、なんだかおかしいですよね。仕事が多すぎるのか、抱え込み過ぎているのか、親切すぎるのか……。一人職だから前任者がどういう仕事をしていたのかが後任者にすごく影響を与えたり、それぞれの価値観によって微妙に仕事の仕方が違っていたり……。(いい意味でも悪い意味でもそれぞれの仕事が問われるというか、評価されるというか。言いたいことわかっていただけます?)〝学校事務〟という仕事の範囲とかをわかりにくくしているのは実は私たち自身なのではないかとも思えてきます。

 長くなってすみません。後任者から電話があると内容を聞くより早く「ごめんなさい。」と言っている私です。

……どうせ不良ですよ。さて、事務職員がなんでまたこんなに年度末年度始に忙しいのか。上のレスに顕著だ。“他の事務職員の仕事を直接に見る最大の機会”が転出書類で、だからみんな無駄に意地をはってるんじゃねーの、とか。

少数職種の異動は、要するにひとつのセクションが総がわりするようなもんだから、実はそのたびに弱体化、初期化される。仕事が属人的に過ぎる弊害がこんなところにも。だから何らかの共同作業がバックボーンにあれば(あるいはバックボーンがある、と事務職員自身が意識すれば)、“過剰な”仕事からは少なくとも解放されるのではないだろうか。共同実施にそのすべてを期待するのは無理だとしても、そんなメリットを意識することだけで、変わってくる何かがあるような気がするのだ。甘い?

【年度末年度始シリーズ・おしまい】
画像はまもなく特集する大貫妙子。この人は、あらゆる意味で“強い”んだと思う。

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「嫌われ松子の一生」('06 東宝)中島哲也監督

2008-05-29 | 邦画

「嫌われ松子の一生」がメジャーで映画化されるということ自体、不思議ではないだろうか。この、徹底して救いのない原作は、版元の幻冬舎お得意の「感動の嵐!大ベストセラー!」的な大宣伝で話題にはなっていたものの、それを「下妻物語」という、いわば小品でヒットを飛ばしたに過ぎない中島哲也に撮らせようというのは、こりゃやっぱり大冒険のはず。製作費も大幅に増額したと聞くし。
ラストのグライダーを使ったシーンには驚愕。土屋アンナにひとこともセリフを与えなかったあたりのおしゃれ技も中島ならではだ。

 東宝はしかしたまにこんな冒険をやる。「ALWAYS 三丁目の夕日」にしても、山崎貴という特撮オタクに西岸良平の原作を撮らせようなんざ、狂気の沙汰ではないか。でもこれは東宝という会社が昔から外部プロデューサーの権限が強く、自前の映画製作をいちばん最初にギブアップした経緯が影響していると思う。もちろん物事には善し悪しがあって、安易に素人監督をひっぱってきて失敗した例も多い。特に名は秘すが桑田佳祐とか小田和正とか松本隆とか(笑)。

 逆に大ホームランとなったのがCM界では巨匠として有名だった(だから中島哲也と同じような経緯)大林宣彦。メジャーデビュー作「HOUSE」(’77)の衝撃は地元酒田の映画館でたっぷり味わうことができた。池上季実子のヌードも嬉しかったっす。

……こんなことを書き連ねているのは、「嫌われ~」とほぼ同時期に対照的な映画が封切られたからだ。名を「バルトの楽園(がくえん)」こちらは東映作品。東映は東宝とは逆に、撮影所システムが未だに強く、外部の才能を容れがたい体質と聞く。だからこそ生まれる傑作も数多いわけだが、近年のこの会社はひどい。「デビルマン」騒ぎをひくまでもなく、映画製作だけでは完全に立ち行かない状況になっている。

わたしは断言するけれど、数多くの要因があるとはいえ、その最大のものは現在の社長、元俳優の岡田裕介だ。はっきり言ってこの人は製作者としてのセンスはゼロに近い。あまりのひどさに伝説となった「北京原人」を製作したことだけでも罪深いぞ。それに吉永小百合の近年の作品は岡田のコントロール下にあるようだが、「北の零年」で行定勲を起用したのをのぞけば、監督はほぼ出目昌伸。彼は岡田と何度も何度もコンビを組んで、そして何度も何度も失敗しているのだ。そんな出目を今年の勝負作に起用したことで、おそらく現場の意気は上がらないだろうし、キャンペーンソングは「マツケンのAWA踊り」……ひょっとして傑作になってたらごめん。ブルーノ・ガンツも出ているしね(なんで出たんだ?)。でもわたしは会社の勢いの差がどうしてもにじんでしまう予感がする。いくら創価学会がバックにあろうが、団体動員に頼っているようでは「嫌われ~」に遠く及ぶまい。どこへ行く東映。そしてどこまで好調が続くんだ東宝……。

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「コーヒー&シガレッツ」COFFEE AND CIGARETTES(’03)

2008-05-28 | 洋画

Coffeeandcigarettes  いきなりジム・ジャームッシュ。渋い。インディーズとはいえ、アメリカ映画とは思えないぐらいタイトルどおりスクリーンの中で紫煙がたちこめる。共通項はテーブルの上から撮ったコーヒーと灰皿の映像だけの11篇のエピソード集。18年もかけて少しずつ撮影されている。映画というより、ジャームッシュのコンセプトアルバムか。ケイト・ブランシェット(一人二役を喜々として演じている)やロベルト・ベニーニなど、ジャームッシュが気に入っている役者をピックアップしている。ロックファンとしてうれしいのは、イギー・ポップとトム・ウェイツが話し込むうちに険悪になる挿話。パブリックイメージとは逆に、トムの方がイギーをいじめているのが笑える。

※ケイト・ブランシェットの新作「アイム・ノット・ゼア」で彼女が演ずるのはなんとボブ・ディラン。有能な映画監督たちは、ケイトのような存在を前にすると何ごとかかましたくなるのだろう。

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