またしても森達也。この人は本当にわたしのツボをうまく突く。今回は今上天皇について。わたしが、前から不思議に思っていたことを森は冷静に解説してくれる。今上天皇が「君が代」を歌わない(昭和天皇は歌っていたらしい)文脈のなかで森は述懐する。
2001年の天皇誕生日直前に、ワールドカップ日韓共催について触れながら天皇は、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と記者会見で公式に発言した。天皇陵が一般公開されない理由などをめぐって、メディアだけでなく一般の人たちも、声を潜めてタブーらしいよと囁き合っていた天皇家と朝鮮半島との関係について、天皇自らがあっさりとカミングアウトしたわけだ。しかし当時のメディアは相変わらず及び腰だった。翌日の朝日新聞の見出しは「天皇陛下きょう六十八歳 W杯で韓国との交流に期待」。読売は「天皇陛下、きょう六十八歳 愛子さま誕生『家族で成長見守りたい』」。毎日は「天皇陛下きょう六十八歳 愛子さま誕生『うれしく思う』」。産経は「天皇陛下六十八歳に 愛子さま、健やかな様子安堵」。
何だこれ。ニューズウィークや東亜日報など外国のメディアは、ほとんどが大きく「韓国とのゆかり」発言を伝えたのに、朝日以外は全部孫娘の話題で逃げたし、朝日だって見方によればいちばん狡猾だ。翌日の新聞紙面を手に、天皇が洩らす溜息が聞こえてきそうだ。
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そうなのだ。わたしもあの日、この記事を読んで「え?どうしてこんな重大な発言を天皇自身がしているのに、ちっちゃなベタ記事あつかいなの?」と思ったのだ。おそらくは相当な覚悟で、しかも宮内庁の意に反して(あるいは何も予告しないで)発した確信犯的コメントなのだろうに。その後彼は、皇居の外へ独りで出歩くという、考えてみれば若い頃に銀座へ学友たちとくりだした「銀ブラ事件」以上に不可解な行動をとったりしている。クェーカー教徒であるヴァイニング夫人のリベラルそのものの教育をうけた明仁と、宮内庁のそりが合うはずもないのだが。
きっと彼は、いらついているのだ。
長男の嫁を鬱に追いこみ、自らの行動を曲解させようとする宮内庁に。あるいは大帝と呼ばれた父親の「人間宣言」の真の意味を理解しようともせず、相変わらず王政復古を願うような国民に。加えて、自らが天皇であることに。
そしてわたしは、こんな“自らが何ものなのかに困惑している”タイプの人物が、少なくとも自分自身をまったく疑問視しない人物よりも、はるかに、はるかに好きなのだ。
次号も今上特集。