「タルト・タタンの夢」「ヴァン・ショーをあなたに」につづくビストロ・パ・マルのシリーズ3作目。軽い気持ちで読み始めたら最初の「コウノトリが運ぶもの」に泣かされてしまった。こりゃあ西島秀俊主演でドラマ化された「シェフは名探偵」を見なければ。
2023年6月号「表年、裏年」はこちら。
2024年問題……聞いたことのある人も多いと思います。間近に迫った物流危機のことです。発端は労働基準法の改正。2024年4月から、トラック運転手の残業時間が年960時間(これもすごい数字ですが)に規制されることになったのです。
長時間勤務が当たり前なのに収入がともなわず、そのために慢性的な人手不足である状況にこの規制。試算では2025年には全国の荷物のうち約28%、30年には約35%が運べなくなるとされています。整理すると
・長時間の残業が常態化していた
・そのため、トラック運転手の健康を守るために労働基準法が改正された
・人手不足のため、現状でもいっぱいいっぱいなのに、規制のために運べない荷物が出てくる
・日本の貨物輸送の9割が自動車運送。そのため鉄道などで代替するのにも限度がある
・ネット通販の普及によって宅配便の貨物量は増加の一途
・再配達などの負担も大きい
・運送会社は中小であることが多く、経営が脆弱
・ドライバーに荷積みさせるなどの旧弊な商慣行がまだ残っている
・必然的に料金は引き上げられる
・しかし値上げ分も燃料の高騰で相殺されてしまう
・そのため、賃金アップもおぼつかない
ということで人手不足がなお進むと予想されています。
……長々と2024年問題をあつかったのは、どうやらこちらの業界と似ていないかと思ったからです。
ブラックな環境がオモテに出て(それ自体はいいことなのですが)、業界全体が人手不足になってしまう。構成員が疲弊し、離職者が増え、そしてまた人手不足にあえぐ。この負のスパイラルをどう断ち切るか、物流の業界がどう対応するかに注目です。
連チャンなので申し訳ない。やはり今回は「怪物」を。
「怪物」(2023 東宝=ギャガ)
監督:是枝裕和 脚本:坂元裕二 音楽:坂本龍一 出演:安藤サクラ 永山瑛太 田中裕子
いくらカンヌで脚本賞をとったからといって、いじめ、謝罪、緊急保護者会……そんな映画観たくないじゃないですか。ところが、この映画はそのあたりをどんどんひっくり返してみせます。ラストに流れるのは坂本龍一の名曲「AQUA」。最後に彼への追悼の字幕が出ます。
2023年7月号「船中“九”策」につづく。
教室内のいじめ、教師の体罰、乗り込んでくる親、謝罪会見、緊急保護者会……この業界にいる人の、誰がこんな作品を観たいだろう。
実際、まわりの評判や、カンヌで脚本賞をとったというパッケージがなければ、おそらくスルーしていたことと思う。常に感服させてくれる是枝裕和監督作品であっても。
それに、是枝監督で安藤サクラが出ているとなれば、こういう言い方はなんだが、“読める”じゃないですか。おそらく子役やサクラの演技は例によって自然だろう、考えさせられる展開が待っているに違いない……
しかし是枝自身もその傾向を感じ取り、だから脚本を坂元裕二にゆだね、自分らしくない作品にしたかったのだと思う。そしてそれはみごとに成功している。
シングルマザーの早織(安藤サクラ)の視点、担任の保利(永山瑛太……彼はつねに××センセー、××センセーと呼ばれる。ドキドキする)の視点、そして早織の息子、湊(黒川想矢)の視点がからまりあい、次第に序盤とは違う実相が見えてくる。
かなり複雑な構成だけれども、ミステリ的に面白く観ることができる。時制が前後するので、観客はこれはどの時点のお話なのかと、たとえば少年の髪の長さ=彼はある時点で自分の髪を切っている=などで類推しながら観ることになる。
湊の同級生で、いじめられている依里(柊木陽太)の父親(中村獅童)は吐き捨てる。あいつは化け物なんだと。そして病気なのだと。
その病気とはなんなのか、が後半にならないとわからないようになっているあたりも周到だ。まったく表情を動かさない校長(田中裕子)が少年の嘘を許すのはなぜかという仕掛け。トロンボーンの音が怪物の咆哮に聞こえるあたりもすばらしい。
はたしてラストの少年ふたりの疾走は何を意味しているのか。そこへかぶさるのが坂本龍一の名曲「AQUA」なのが泣ける。さあ、怪物って、だーれだ。
第23話「瀬名、覚醒」はこちら。
オープニングのタイトル「どうする家康」のロゴに、ちょろちょろっと小さな影がかぶる。ねずみである。このドラマでねずみと言えば……
先週覚醒した瀬名(有村架純)は、ある覚悟を決めていて、夢の実現のために武田と組みながら動き出す。いくさのない世をつくると。
戦国時代に何を寝ぼけたことを、と思われるのも承知。お花畑と批判されることも承知で。
しかし男たちにまかせていてはいくさはなくならない。実は繊細な子である信康のために、この計画は秘密裡に進む。武田の諜報力があればこその展開。だって肝心の信康の嫁が信長の娘なのだから、もれないはずはない……
計画は経済協力を土台にしているあたりが周到。いまのEUのような形をめざしたわけだ。ECの時代から、あの組織は経済同盟である以上に不戦条約だったわけだし。だからイギリスの離脱はおとなのふるまいではなかった。
もっと小さな形の男と女の話もでてくる。服部半蔵(山田孝之)と大鼠(松本まりか)のやりとりが笑える。男の世話をやく暮らしはどうだと(つまりはおれの嫁になれと)半蔵は迫るが、大鼠は
「殺すぞ」
こっちは女の方が戦闘的です(笑)。さすが鼠。
今川や北条まで引き入れる瀬名の計画に驚く家康。しかし肝心の武田勝頼に夢は打ち砕かれる。今まで、誰よりも上から目線だった千代(古川琴音)の狼狽ぶりがいい。
次第に瀬名の、築山殿の悲劇が近づいている。
そうか築山というのは地名だったんだね。そこに屋敷を構えていたから築山殿。落語家の黒門町(桂文楽)、目白(柳家小さん)のように。
まあ、政治的な話だから目白といえばわたしは田中角栄を思い出すわけだけど。そういえば、高校の同級生は世田谷の野沢を歩いていたら、「どわ。ここ福田赳夫の家なの?」と驚いていました。野沢の人とか言われていたんだろうか。
第25回「はるかに遠い夢」につづく。
ファンタビ3作目。1作目はたいそう面白くて、主演のエディ・レッドメインの魅力もあって大好きな作品。ところが、2作目はどうしたことか陰惨なお話になってしまい、楽しむことができなかった。
さあ今回はどうだろう。ワーナーは気合いを入れて製作を開始したが、(結局は濡れ衣だったようだが)グリンデルワルド役のジョニー・デップがDV疑惑で降板。マッツ・ミケルセンを代役に仕立てて撮影のやり直し、完成してもコロナのために公開は延びに延び、ようやく公開されても興行収入は期待以下。そして観客や批評家の評価も高くなかった。
で、わたしはDVDで拝見。あれ?そんなに悪くないけどなあ。エディ・レッドメインはあいかわらずキュートだし、マッツ・ミケルセンも悪くない。ただ、ダンブルドアの“秘密”を、子どもたちはどう感じたのだろう。そこは気になるけどね。
大河ドラマでちょうど長篠の戦いをやっていたのでタイムリー。
戦国ものだと、ひとりの足軽が鉄砲を撃ち、次の足軽がやってきて……な連射を描くのが通例だが、実際には撃つのはひとりで、鉄砲が次々に渡されるのだそうだ。まあ、確かにそのほうが合理的。しかし鉄砲の熱で手が火ぶくれになるあたりもリアルだ。
わたしは信長嫌いだから、明智光秀がなぜ謀反を起こしたかに説得力があった。
最後のお話はもちろん本能寺だけれども、はるか前に、種子島に鉄砲が“伝来”する事情が語られていて勉強になった。日本は硝石がなく、中国は日本の銀がほしい。その仲立ちを南蛮人が……なるほどねえ。屋久島と種子島がもめていたという経緯もいい。さすが門井慶喜。
ゲームの映画化。わたしはこの高名らしいソフトの存在すら知らなかったが、オープニングの飛行機を利用したアクションシーンだけでも、どんなゲームかは容易に想像できる。面白そうだな。
主演はトム・ホランドとマーク・ウォルバーグ。彼らにアントニオ・バンデラスがからむ。
メジャーだ。
特筆すべきはヒロインのソフィア・アリの美しさで、さすがスタジオが本気を出すと女優の質もすごいんだなあ。
マリオのときもそうだったが、ゲームの映画化でだいじなのは、ゲームの世界観を変にいじるなということかな。マリオ映画は評論家には酷評されたけれども、ゲームそのまんまの在り方に観客は熱狂したわけで、この作品も同様の経緯だったようだ。これからこういうタイプの作品は増えてくるだろう。
となれば次はゼルダってことになる。ファイナルファンタジー映画の記録的な大コケから、ついにここまで来たか。
2023年5月号「夜回り先生」はこちら。
タイトルは「おもてどし、うらどし」と読みます。これは、特にミカンやタケノコなどに顕著なのですが、その年の気候の影響以外に、作物が豊作になるか不作になるかが一年おきにやってくることを指します。ある年、孟宗がたくさんとれたと喜んでいたら、その翌年はほとんどとれなくてがっかり、というパターン。
これは、その年の果実が翌年の花芽を邪魔してしまったり、落葉の量が変化することに影響されるとされています。ちなみに、うちの今年の孟宗は裏年でした。
◇
今年度末は、定年の引上げによって、定年退職者がひとりもいないことになります。まあそれでもある程度の退職者はいるでしょうから、採用は行われる。だけれども、その数は大幅に減るのではないか、と誰でも考えます。
さて、採用枠はどうなっているでしょう。県の HP でチェックしてみたら、昨年度とほぼ同程度の採用見込数となっています。
これはどういうことでしょうか。
先日、クミアイの大会に出席してきました。せっかくなのでいくつか発言。ひとつは
「ついに定年退職者がいない年度になりました。しかしこれは逆に教員不足を解消するいい機会でもあるのではないでしょうか。その意味で、県教委にしっかりと採用するようにはたらきかけてほしい」
志願者にとって、表年(低倍率の年)や裏年(高倍率の年)があってはならないのではないかと。
書記長の回答は意外なものでした。
「県教委もそのあたりはよくわかっていて、数を確保したいとしています。過員(定数以上に雇用すること)もある程度は仕方がないと思っているようです。」
なるほど。ちょっと安心。考えてみれば、暫定再任用者等も続々と退職していくわけですし。
しかし、ふたを開けてみたら志願者の減少が止まらず、全国平均を大きく下回る 2 倍強という結果に。特に小学校の低倍率は深刻。英語枠、講師等特別選考、元職教員特別選考などを含めてもです。
先生になりたくない、という世間のムードがそうさせているのは確実ですが、某市には技術専科の教員がひとりもいないとか、状況は悪化の一途です。なんとかしないと。
画像は村上春樹の「街とその不確かな壁」
職場にやってきた書店の外販に
「売れてる?村上春樹の新作」
「売れてるんですよー。書店にとって久々のいいニュース」
「へーえ、おれも買うけど、重版されるまで待つとするか」
「営業車に一冊だけ残ってます!」
この新作でうれしかったのは、比喩の多用という村上文学本来のありようがとても充実していたこと。ああおれは村上春樹を読んでいるという喜びが、この小説にはたっぷりとつまっていることでした。ああ読み終えてしまった…
2023年期末勤勉手当号「2024年問題」につづく。
菊池寛のお話。そして文藝春秋社のお話である。
ん?菊池寛……知ってますよね。「父帰る」ですよ(確実にわたし読んでないです)、「恩讐の彼方に」ですよ(ストーリーは知っていても、読んだかは判然としない)……ああ、あれがあった。東海テレビが横山めぐみ主演でドラマ化した「真珠夫人」は見た人が多いんじゃないかな。ちょっとしたブームになったし。
その菊池寛こそが文藝春秋社を立ち上げ、直木賞と芥川賞という、現在もつづく名企画を思いついた人なのである。
文藝春秋創立100周年記念作品なので文春から出るのは当然にしても、門井はしかしやりにくくはなかったろうか。
大作家が起業し、同時に自ら社を離れた菊池寛の半生は、なるほど多くの興味深いエピソードが満載だ。だからこそ単なる社史にしないために、書き手の力量が試される。
杞憂でした。とにかく面白い。文壇のゴシップ集としても、芥川龍之介と菊池の、直木三十五と菊池の友情物語としても上等。
どんぶり勘定だった文春が、有能な社員たち(そのなかのひとりが、伝説の編集者、池島信平だ)によって蘇っていくのを、少しさみしく思いながら見ている菊池が味わい深い。
「熊のプーさん」「ピーターラビット」の訳者にして「ノンちゃん雲に乗る」の作者、石井桃子が菊池寛の下で働いていたなど、知らなかったことがあふれるほどつめこんであります。
もちろん、菊池のダークサイドも察せられるつくりになっていて、とにかく面白かったのでした。