2017年1月号「CHANGE」はこちら。
「ハリウッドは国籍で差別しません。年齢と体重では差別がありますが」
アカデミー賞授賞式における司会ジミー・キンメルのジョーク。確かにジョークではあるけれど、これは真実だ。アメリカという国は移民がつくった、という断定はネイティブ・アメリカンに失礼だが、少なくともハリウッドは移民がつくったのである。
それはユダヤ人のマネーとショービジネスのセンスだけでなく、ナチスの脅威から数多くのヨーロッパの映画人がハリウッドに逃げ込んだことで、アメリカ映画界は芸術的にも評価されるようになった。現在もなお、国籍を問わずに多くの才能をかき集め、だからこそ全世界に発信できるメディアたりえているのはベースボールと双璧。そんなハリウッドが、恣意的に特定の国を狙い撃ちしている状況に危機感を持たないはずがない。
もちろん、内心ではトランプを支持する映画人もいるだろう。でも、そこをクリアするのがギャグの質だ。巨大で滑稽な権力者を揶揄するテクニックにおいて、アメリカ人ほど才能に恵まれた人たちはいない。その意味で、彼らは健康だし、日本人がとても及ばないところだと思う。
「(メリル・ストリープに)すてきなドレスですね?イヴァンカですか?」
言えないよこれは(笑)。
もっとも、この授賞式における最高の名言は
「LA LA LAND」
作品賞の発表で、プレゼンターのフェイ・ダナウェイがウォーレン・ビーティとともに。「俺たちに明日はない」のボニー&クライドの登場はうれしい。それにしてもすごいミス。でも、結果として「ラ・ラ・ランド」の日本における爆発的なヒット(らしいです)の後押しをしてくれたわけだ。
「これは真実だ。フェイクじゃない」
フェイクではない作品賞を受賞した「ムーンライト」のバリー・ジェンキンス監督がオスカー像を手にして。こちらも、見なくっちゃ。
PART2「笑えないジョーク」につづく。
アカデミー賞の前代未聞のミスは「今月の名言」でやるとして、こんな大騒ぎの陰でひっそりと亡くなった映画人を追悼。鈴木清順じゃないです(あの人が本気で水戸黄門をやるつもりだったのか、誰も追悼記事でふれてくれないんだな)。
ビル・パクストン。名前は知らなくても、顔を見れば
「ああ、この人」
とわかってもらえるはず。
あまりにも「エイリアン2」でのお調子者キャラがはまっていたので、以降の作品でどんなシリアスな演技を見せても
「てへ」
と舌を出しているような気がした。
伍長だか軍曹に何度も怒られながら、でも軽口をやめられず、
「ハドソン!」
と指で呼びつけられるシーンには笑ったなあ。そして戦闘シーンでのうろたえっぷりも素晴らしかった。
61才。あまりにも若い。
PART6「源義経」はこちら。
わたし、67年の「三姉妹」に至ってようやく日曜夜、NHKでは大河ドラマというのをやっているんだって意識しました。番宣を見たおぼえがありますもの。で、どう意識したかというと……うわー、つまんなそうだなあと(笑)。
小学校に入ったばかりのガキに、幕末から明治にうつる激動の時代に翻弄される旗本の三姉妹、なんてネタが面白そうなわけはない。で、またしても見逃していたのでした。
三姉妹を演じたのは上から岡田茉莉子、藤村志保、栗原小巻。俳優座の若手で、チェーホフのその名も「三人姉妹」で注目された栗原は、一般的にはこの大河でブレイクしたらしい。
わたしはナマの彼女をブレヒトの「セツアンの善人」酒田公演で見ていて、それどころか、芝居がはねた後に地元の演劇鑑賞会が主催した交流会でいっしょになっている。むちゃくちゃにきれいでした。というより女優オーラが凄かった。
もっとも、わたしはその交流会で司会をやりながらも、同じ実行委員のある女性が気になっており、のちに彼女と結婚するという禁じ手を使ったのだった。ありがとう栗原小巻さん。違うか。
三姉妹は時代に翻弄されっぱなしだったようだが、陰に狂言回しのような架空の人物が登場してそれが山崎努。彼をとりまく幕末の志士として
西郷隆盛(観世栄夫)
桂小五郎(山本学)
坂本竜馬(中村敦夫)
山縣狂介(のちの有朋、江守徹)
中村半次郎(のちの桐野利秋、米倉斉加年)
幕府側に
勝海舟(内藤武敏……彼のナレーションがもう一度聞きたい)
近藤勇(といえばやはり瑳川哲朗)。
うーん、当時としても地味なキャスティングだったのでは?
とにかく架空のお話なので(すべて大河は架空の話ではないかという正論もあるだろうけれども)どんな展開だったのかさっぱり。そのせいではないだろうが視聴率は初めて平均で20%を切っている。にしてもこの三姉妹、さまざまなタイプのいい女をそろえたなあ。
PART8「竜馬がゆく」につづく。
第7回「検地がやってきた」はこちら。
前回の視聴率は予想に反して12.9%と一気にダウン。この時期の12%台はきつい。「花燃ゆ」の悪夢がNHKの首脳陣をびびらせているに違いない。あの会長がいるときだったらざまーみろだったのだが。
今回は桶狭間直前の、ちょいと一服の回。もちろん、直親(三浦春馬)がなぜ参戦しないのかのネタ振りでもある。コンセプトは「女の闘い」なのが露骨。子ができない鬱屈を、次郎(柴咲コウ)を恨むことでなんとか抑え込んでいる正室しの(貫地谷しほり)。これがもう「ちりとてちん」のB子のときよりめんどくさい(笑)。直親は例によってやさしく無邪気に人を傷つけているし。
女の闘いは次郎の「さっさと自害なされ」と突き放す奇策(というかルーティン)でなんとかなったけれども、どうもこのお話は無理がある。
子作りの妙薬である麝香を政次(高橋一生)に買いに行かせる次郎も次郎なら、自分でしのに渡しなさいと告げるお母さん(財前直見)もいかがなものか。みんな都合よくあの井戸のセットに登場するのもどうかと思う。青春ドラマにおける校庭近くの川原ですか。
むしろ築山殿と家康の、ぐうたら亭主にハッパをかける強欲女房という夫婦関係のほうが昭和っぽくて笑える。菜々緒が妙に色っぽいためか、“腹のあく間もない”ほど子だくさんなシチュエーションも、史実とはいえ寝室での関係まで想像させておかしい。大河でそれを想像するわたしもいかがなものかですけど。
にしても、尼僧である次郎はやはりしゃべりすぎ。かつて「バトルロワイヤル」で寡黙な殺人者を演じて鮮烈だった柴咲コウの凄みが発揮されるのは、もっとずっと先のことなんだろうか。それまで、視聴率はもつのかなあ。
という心配をしつつも、今回の視聴率は12%を切るのでは。近ごろの視聴者は、一度見放すとあっと言う間だから……。
第9回「桶狭間に死す」につづく。
渋滞の高速。一台一台のカーステレオが、いかにもそのドライバーが好きそうな音楽を流している。ひとりの女性が我慢できずにドアを開け、路上で踊り始める。呼応して、まわりのみんなが微笑みながら壮大な群舞を……ここまでを長回し一発撮り。この時点で、「ラ・ラ・ランド」の“勝ち”だ。観客のわたしはノックアウトをくらいました。
近ごろめずらしく長大な画面サイズ。なつかしのシネマスコープであることを大々的に宣言したこの映画は、エンディングでハリウッド製であることも強調する。
カタカナで書くとわかりにくいが、原題はLA LA LAND。つまり、映画製作のメッカであるハリウッドに代表されるロサンゼルス=LAのお話。いかにも嘘っぽいセットで展開される苦いラブストーリー。逆に言うと、シリアスなお話を虚飾でコーティングして心浮き立つミュージカルに仕立ててある。
ジャズを愛するがゆえに業界でうまく立ち回ることができず、部屋にビル・エバンスのポートレイトを貼り、ホーギー・カーマイケルがすわった椅子を後生大事にすえるピアニスト。なんと演ずるのは「ドライヴ」で寡黙な“逃げ屋”だったライアン・ゴズリング。彼は、オーディションに落ちてばかりの女優志願のウェイトレス(エマ・ストーン)と恋に落ちるが……
通俗なストーリーではあるけれど、ジャズがやりたいのにロックバンドで食べて行かざるをえず、苦い顔でa-haの「テイク・オン・ミー」(この曲のMTVが、日常にうんざりしている若い女性をコミックの世界に誘う設定なのは偶然ではないはず)をプレイしている設定や、「理由なき反抗」のジェームス・ディーンなめのヒロインの立ち姿、クルマのリモコンキーの音でリズムをきざむ工夫など、センスのかたまりのような映画だった。もちろん、楽曲のすばらしさがなにより強いのだが。
監督はおととしのワーストにわたしが選んだ「セッション」のデイミアン・チャゼル。まだ31才の彼は、前作で音楽に対する愛憎にけりをつけ、頭でこねくりまわすのではなく、エモーションで語る覚悟ができたのだろう。「セッション」を経過したからこその傑作なのかもしれない。映画館で観なければ意味をなさない作品ですよ。急げ!
愛くるしいルックスとゲスな根性の共存。前作とポリシーはいっしょだけど、テッドが人間なのか所有物なのかというテーマ(ってこともないか)は、マイノリティの人権もからんで少しシリアス。
それはかまわないのだけれど、ちょっとギャグが少なくないだろうか。
もちろんアメリカでリアルタイムにテレビを見ている人なら笑えるネタが仕込んであるのは想像できても、それにしたってもう少し量がほしいところ。テッドの奥さん役のジェシカ・バースが「これぞセックス!」という体形を誇示してくれるのはひたすらうれしいんだけどね。もっとギャグを!もっと下品さを!
……かくのごとく、観客のリクエストは増進する。続編の製作がむずかしいわけだ。
スウェーデンの寒村。老人だけが住む過疎の村で、18人の老人と少年がひとり惨殺される。少年以外は、まるで処刑されるように……
「八つ墓村」の32人には及ばないが、壮絶なオープニング。なぜ老い先短い、共通点がないかのような老人たちが殺されたか。そしてなぜ特定の村人は殺されなかったのか。
捜査にあたるのは有能な女性警官。別の方面から事件に関わるのは女性裁判官。このふたりは実に味がある。特に裁判官の方はわたしと同い年という設定で、夫との関係が……ま、いいですそこは。
北欧ミステリの巨匠、ヘニング・マンケルを初めて読む。タイトルは英語版からとって「北京から来た男」だけれど、原題ははっきりと「中国人」。横溝正史ばりの事件は、次第に中国の近現代史の闇に集約されていく。
いきなりだけど、昔「燃えよ!カンフー」というアメリカ製テレビドラマがオンエアされていたのを見たことはないですか。デビッド・キャラダイン演ずる米中のハーフの僧が少林寺拳法の達人で、彼が西部を放浪するという思いきり無理のある設定。
このドラマにはたくさんの弁髪をした中国人が出てくる。どうして清代末のアメリカ西部にこんなに中国人がいたか、この作品を読んで理解できました。拉致です。食いつめた中国人をはるか彼方のアメリカに運ぶ、その描写が凄い。そして彼らは大陸横断鉄道の建設に駆り出され、簡単に使い捨てにされる……
この、清代末と現代が交差する局面で起きたのが最初の殺人。スウェーデン人にとっても、中国の闇は決して無縁のものではなく、それどころか女性裁判官たちは若いころに毛沢東語録を手に革命を語っていたことがドラマを深いものにしている。
マンケルは左翼の人だから毛沢東を断罪はしない。中国共産党が奴隷的な生活から多くの人を救ったのは確かだと。しかし彼の壮絶な失敗(文化大革命)についても冷静に語っていて、お恥ずかしいことながら東洋人として勉強になった。中国がアフリカに投資する背景に何があるのか、新たな植民政策ではないのか、と告発する書でもある。
あ、事件の方は途中からあまり関係なくなってきます(笑)。しかし2015年に亡くなったマンケルの気合いが伝わる入魂の書。
2015年版はこちら。
延々と続けてまいりました「ぼくのわたしの2016」も最終回。マイベスト映画2016を。
まずは邦画篇。
1.「シン・ゴジラ」
2.「ディストラクション・ベイビーズ」
3.「ふたりの桃源郷」
4.「俳優 亀岡拓次」
5.「続・深夜食堂」
洋画篇は
1.「ブリッジ・オブ・スパイ」
2.「トランボ ハリウッドで最も嫌われた男」
3.「ハドソン川の奇跡」
4.「ズートピア」
5.「スーサイド・スクワッド」
個人賞は
主演女優賞 藤山直美「団地」
主演男優賞 三浦友和「葛城事件」
助演男優賞 池松壮亮「海よりもまだ深く」
助演女優賞 マーゴット・ロビー(のお尻)「スーサイド・スクワッド」(笑)
……期待外れだったのは「64 後編」と「ジェイソン・ボーン」だろうか。ハードルを上げすぎたせいもあるだろうけれども。
去年はのっけからスピルバーグの魔術に酔った。今年は最初に見たのが「この世界の片隅に」なので、二年連続で最初に見た作品がトップになるのかも。
いやいやきっと素晴らしい映画が待っていてくれるに違いない。まあ、アカデミー賞の大本命「ラ・ラ・ランド」に期待しようか。2015年のワーストに選んだ「セッション」の監督作品だけど(笑)。
2017年1月号「源泉徴収票を見ろ!」はこちら。
「昨年12月29日に飲酒運転で自損事故を起こした本市職員が懲戒免職とされたことは、極めて残念である。引き続き、職員一人ひとりが公務員として自らの姿勢を正し、飲酒運転防止に向けた取り組みを徹底されるよう強く要請する。」
これは、2月16日付で市職員に発せられた総務部長名の通知。この事案はなかなか奥が深い。年末の “御用納めの会”で飲酒し、その後二軒をまわり、帰宅する途中に車が横転。“携帯電話の調子が悪かった”ので自宅に戻り、通報。しかし他からの通報で駆けつけた署員が酒の臭いに気づいて……という経緯。ふむ。
結果として懲戒免職。この“量刑”が妥当なものなのかはよくわからないけれど(近ごろ、免職は重すぎるのではないかという判決も出ているので)、しかし飲酒して運転したことを、何らかの形で償わなければならないのは確実。
・飲み屋から駐車場までの距離が長かったので
・酔いはさめたと思った
・魔が差した
こんな言い訳が通用しないことは、当の40代市民部主査だってよくわかっているはずでしょう。飲み会の主催者が市自身(関連団体?)だったことを考えれば、御用納めの会が今年からなくなるのも無理はない話。
さて、縁起でもない話はつづきますが、では懲戒処分にはどんな種類があるのか、ここで主なものを紹介しましょう。
1. 訓告……口頭によるものと文書によるものがあります。ハードなお小言、ととらえることができるでしょうか。昇給には影響しません。しかし教育委員会などに、管理職といっしょに頭を下げに向かう情けなさはひとしお(経験者談。ええそうですとも、わたしのことです)。
2. 戒告……厳にいましめる、という意味の処分。ここから上の処分はすべて文書によって行われ、履歴書に残ります(一定年数が経過すれば削除可なものもある)。『その責任を確認し、及びその将来を戒めるものとする』(昭和31年9月30日施行 市町村立学校職員給与負担法に規定する学校職員の懲戒に関する条例)ためのもの。昇給が遅れる効果があり、これが生涯賃金で考えるとでかい。
3. 減給……『1日以上1年以下、給料の10分の1以下を減ずる』もの(同条例)。
4. 停職……『停職の期間中、いかなる給与も支給されない』(同条例)と明記されています。期間は1日以上1年以下。職は保有するが職務には従事しないこととされています。つまり、公務員でありつづけるわけだから、バイトをするわけにもいかず、一切の収入を絶たれます。
5. 免職……要するに、クビ。退職手当も支給されず、あらゆる意味で放り出されることになります。
さあ、なぜ年度末のこの時期に縁起でもない特集を開始したかというと、それは来月号で。
画像は「ドクター・ストレンジ」
まさかマーベル漫画まつりにベネディクト・カンバーバッチやティルダ・スウィントンのような演技派が出演するとは。で、まさかぴったりだったとは。腕のいい外科医は根性が曲がっている、というセオリーは日米共通。続篇にはブラックジャックや米倉涼子登場か(まさか)。
第6回「初恋の別れ道」はこちら。
前回の視聴率は14.5%と予想よりも下がっている。世間はそんなにラブコメが好きではなかったということだろうか(イッテQがイモトで突っ走っていたせいでしょうけれども)。
あるいは、大河ドラマの視聴者層に合っていなかったとか。森下佳子さんはそのこともひょっとしたら計算に入れていたのかも知れない。今回はそんなお話。
本来ありえないはずの直親(三浦春馬)の家督相続を認めるかわりに、今川家は検地を交換条件に持ち出す。地方公務員が最も忌むべき(笑)「監査」をやるというのだ。井伊家には明かせない領地があって、直情径行なだけに見えた直平(前田吟)が、政治家らしい屈託を見せてくれる。よかった。そうでもなければ井伊家などとっくの昔に木っ端微塵だったろう。
それとまったく同じ構図をラブコメに当てはめたのが今回。
・直親は井伊家のためにどストレートにその隠し領地を守ろうとする。
・小野政次(高橋一生)は直親のその願いをどう受けとめていいか逡巡。
・その直親は政次が逡巡することを見越して、なお下駄をあずける。
・次郎法師は直親のために何ごとかできるはずだと、ある伝手を頼る。
・そんな動きに、直親の妻となったしの(貫地谷しほり)は何かを察して泣き崩れる。
……戦国の世に、ラブコメがそれ単体では成立しないことを思い知らせてくれます。と同時に、ラブコメが存在する余地がまだあったことも。
築山殿(菜々緒)は、家康(阿部サダヲ)を利用し、彼を「あのぼんやり」と形容することで軽侮しながら次第に取り込まれていく(のかな)。
地方公務員として、特に国の監査は大騒ぎ。供応することによって見逃してもらうなんてありえない。でも心のどこかに、鬼やプリンセストヨトミじゃあるまいし、情実が通用するのではないかと考えないでもない。
戦国の会計検査院である検地奉行を木村祐一に演じさせ、彼のある“弱点”を、次郎の職業にからめたあたりは技あり。視聴率は上昇して15%台でしょう。
第8回「赤ちゃんはまだか」につづく。