2001年7月1日付の、清原ファンの悲痛な叫びです(笑)。
今どうしてるんだあいつは。
「おとうさん、野球の選手でだれが好き?」私の影響ですっかり巨人びいきになった息子がきいてくる。
「うーん、清原かなあ」
「キヨハラぁ?どうして?」息子は松井ファンだ。
「えーと…」どうしてって…
…1985年8月14日。第67回夏の甲子園7日目第2試合。山形県人にとって悪夢のような事態が起こっていた。当時は学校もまだ閉庁方式をとっておらず、私は出勤していたためリアルタイムでその試合を見ることはなかったが(職員室で甲子園を見ることが常態となっている職場も多いらしいが、どうも私はそのことに馴染めないでいた……他のことには全くいいかげんなくせに)、うちに帰ってそのスコアに目を疑った。
PL学園29-7東海大山形
ななななんだこりゃあ!?
この試合をテレビで見ていた連中は、今でも「まいったっけなー、あれは。」と飲み屋で話してくれる。この試合の凄さを数字で追うと、
・毎回得点
・チーム最多得点 29
・チーム最多安打 29
・ 両軍最多安打 41
・ 個人最多安打 6(笹岡)
これらは今でも大会記録だ。
でも、飲み屋で話す連中は、必ず一言付け加えるのを忘れない。「でもやー、あんどぎのPLがら7点も取たんぜー。」
あのときのPL学園。いうまでもなく、投手桑田、四番清原を擁した高校野球史上最強のチーム。関西人が「阪神とやったら勝つかもしれへん」と半分本気で語ったチームである。もっとも、この年、ペナントレースと日本シリーズを制したのはその阪神タイガースだったのだが。
まあ、7点取ったと言っても、最後の1イニングを投げたのは桑田を引っ込めて出てきた清原で、PLのサービスだったわけ。清原のピッチング、見たかったなあ。にしてもこの大敗、県議会で問題になるほどの大事件で、東海のピッチャーが肩を壊していたことを差し引いても、山形県人にKK(桑田・清原)恐るべし、との強力なインパクトを与えてくれたのだった。
そして例のドラフト騒ぎになる。桑田の巨人入団を日本テレビではニュース速報まで流したのを憶えているが、清原の涙は巨人を国民の敵にするに十分だった。あの時の巨人の監督は言っとくけど王だからな。ただ、みんな忘れたふりをしているが、あの時巨人が清原を獲れたのに桑田にした、というのはあたっていない。結局くじ引きになることは目に見えていた清原よりも、お得意の密約(あったに決まっている)で将来のエースを掠め取った、こんなところだろう。臆病な王のやりそうなことだ。
そして清原の西武時代。四番バッターとしての英才教育を森から受けた彼が、今にいたるも一つもタイトルを取っていないのは不思議だけれど、オールスターや日本シリーズになると無類の強さを発揮するあたり、目立ちたがりの本性が出ていて私はむしろ好きだ。そして例の1987年の日本シリーズ、巨人を倒して日本一になる第6戦の最終回、二死ランナーなしとはいえ、インプレー中に泣きはじめてしまうという彼の激情は、巨人ファンである私にもグッとくるものがあった。(あれを私は、百姓仕事をしながらラジオで聴いていたのだった。アナウンサーが、『おや?辻が清原のところへ向かいました。どうしたんでしょう?』と不思議がっていたのをよく憶えている)
こんなドラマをかかえた男が、巨人に来たのである。移籍した年に桑田と並んでお立ち台に立った彼の姿にはめちゃめちゃに感動した。
この、背景にドラマを感じさせる、という特質は、プロ選手として最大の財産だ。“記録よりも記憶に残る”ことがやっと認知されはじめた日本球界(これは、タイトルのために敬遠だの先発を外すだのを繰り返す悪弊への皮肉)だが、これ(ドラマ)なしには、メジャーという最大級のドラマに翻弄されつづけるだけだろう。松井秀喜を語るときに、甲子園での連続敬遠を外せないように、何らかのドラマ性をまとわせた選手は球界の宝なのだ。劇空間、とはよく名付けた。ただ気になるのは、その巨人戦の視聴率低迷が叫ばれているけれど、それ以前に、阪神大震災以来(だと思う)、どうも甲子園に誰も思い入れを抱かなくなったと思わないだろうか。本当なら準決勝で大逆転し、決勝で(!!)ノーヒットノーランをやってのけるという奇跡のドラマを生んだ松坂大輔のことなど、実はもっともっと騒がれていいはずだったのに。
あ、話がそれた。清原のことだった。
韓国から、大阪経由で転入してきた応援団出身のそれはこわぁい高校時代の先輩が、お兄さんと一緒に酒田で焼肉屋を開いていた。中学時代には日本語も話せなかったこの強面の旦那が、2年間ダブっただけで酒田のいわゆる進学校に転入してきた陰には相当の苦労があっただろう(だから他の先輩たちも年長の彼には怖れを抱いているようだった)。私がその高校に入学した当時、グランドへ新入生全員が引っぱり出されて応援歌練習をやらされていた昼休み、団の“顔”として睨みをきかせていたその旦那は、新入生の間を無言で歩いていたのだが、私の前で立ち止まり「お前、前へ出ろ」と命じたのだった。歌がお上手だからではもちろんない。態度が悪い、ということだった。同様に前に出された5人ほどの同級生とともに、「歌え」との彼の命令のおかげで、応援歌を情けないほどの絶叫調で歌わされた、それほどの怖い先輩だったのだが、その店で同級生と飲んでいる時、清原のことが話題になった。
※なんでまたそんな怖い先輩の店で飲むんだ、と思うでしょう。実は私の友人たちは全てその先輩に心服しており、焼肉は連中と飲む時はそこでしか食べさせてもらえないのである。おまけにその人は、去年うちの学区に独立して店を開いており、それは美味しいタン塩をサービスしてくれたりするのだ。やさしい笑顔がかえって怖かったりする。
「清原が、朝鮮系だって知ってるか?」先輩がいきなり持ち出す。
「え?そうなんですか?」
「あの強さはな、チョーセンだからだよ。」誇らしげに彼は言う。
彼ら在日にとって、清原は一種、民族のシンボルになっているのだった。その時点で、私にとって清原にもう一つのドラマが加わったのだ。もっとも、先輩兄弟は複雑な家族関係のせいで総連系(北)と民団系(南)に分かれた反目があるらしく、店を手伝っていた彼らのお母さんも加え、客を忘れた壮絶な怒鳴り合いが始まってしまい、それ以上清原の話題が深まることはなかったのだが。
先日の横浜戦を観ていただけただろうか。レフトスタンドに叩き込んだ清原のホームランを、横浜ファンがグラウンドに投げ返し、それを二三塁間で拾ったランナー清原が、そのボールを一塁側スタンドに投げ入れたシーンを。あんなことは、野球の神に寵愛されたスターにしか起こり得ないことだし、清原が、間違いなく神に愛された男であることを証明して見せた瞬間だ。
今年再びFA権を取得する清原だが、巨人に残るにしろ去るにしろ、私はファンとして変わらずに応援し続けるだろう。どんな未来が待つにしろ、全てのドラマを勲章として身につけてゆく、この稀代のスーパースターを。
↑今でも愛しているんだよマジで。ホントよ。