「体罰」スタート篇はこちら。
さて、体罰に関していろいろと。まず教員の側が(内心)体罰を容認しているとすれば、その動機はわかりやすい。それは
「いまの自分をつくりあげたのは、(体罰も含んだ形の)教育だったから」
かもしれない。つまり体罰を否定すれば、自分のよって立つものが失われるではないかと。
あのドラマを思い起こしてほしい。
「今からお前たちを殴る!」
と生徒を泣きながらぶん殴っていた泣き虫先生が大活躍する「スクールウォーズ」を。花園高校にボロ負けしたときの名文句が
「今日という日を忘れるな。敗戦の痛みは一生残る。拳の痛みは三日で消える。」
……あまりに極端な例だったかもしれない。でもこのドラマは人気を博した。大映テレビ特有のくさい演出を好む人たちの嗜好ともマッチしたのだろう。素行の悪い劣等生たちを、全身全霊をかけて“矯正”し、全国大会優勝までみちびくという実話(!)はやはり胸を打つ。あくまで偶然だけれど、泣き虫先生の娘婿が桜宮の例の教師だったというのもめぐり合わせを感じる。
この、泣き虫先生の成功体験は強烈だ。彼自身も、生徒たちも、保護者も、みな感涙する状況で「体罰はいけないでしょう」と発言するのはかなり勇気がいる。
でもやっぱりわたしはまずいと思う。何度もくり返すけれども、桜宮の事例を再び起こさないことは緊急の課題だ。キャプテンの悩みは果たして特異なものだったろうか。弱い人間だから死を選んだのだろうか?
わたしは違うと思う。全国には、数多くの泣き虫先生の下で、数多くの生徒が「強烈な成功体験があるものだから(教師の)自分を絶対化した指導」のために苦しんでいるのではないかと疑っている。体罰の成功事例だけをもってきて、必要だとするのはあまりに短絡ではないだろうか。
じゃあ失敗事例だけをとりあげて、体罰はどんな場合でもまかりならんとするのは短絡じゃないのか、と突っこまれそう。ふむ。以下次号。