「BOOK3騒動」はこちら。
近所の書店であっという間に売り切れるほどの人気。次回入荷まで一週間はかかるということなので静かに待とうと思ったら、娘のケータイから「(郊外型書店には)まだあるけど、買う?」と連絡が。即レスで「買え」。新潮社よ(あるいは取次よ)、ちゃんと小さな書店にも配本してやってね。
青豆と天吾の相聞歌になっていたBOOK1&BOOK2と違い、小さな役割しか担っていないと思われていた牛河という“探偵”の視点がくわわることでミステリ的色彩は強まった。
教団の使い走りとして青豆と天吾の関係を調べる牛河のキャラクターが圧倒的。醜い容貌のために誰からも(妻子からさえ)愛されたことがなく、しかし仕事については誰よりも有能な男。まるでシャイロックかスクルージのようなタイプなのに、次第にこの男の魅力に読者はあらがえなくなっていく。複雑な物語をきちんと解説してくれるし(笑)。
青豆、天吾、牛河の三人とも、それどころか登場人物はすべて何らかのトラウマをかかえている。考えてみれば悲しいお話。特に、妻との関係で強烈な屈託をかかえ、生き続けることをやめてしまう(自殺ではなくて)NHKの集金人である天吾の父親は悲惨ですらある。BOOK3発売時の狂騒をNHKも大々的に報じたけれど、内容がこうだと知っていたら果たして……。
オウム真理教がらみでこの物語を読みこめば、村上春樹があの教団を、そして彼らの行動をもちろん賞揚はしないけれども、決して侮ってはいないことがわかる。茶番、と切り捨ててすむ話ではないと。
これだけ悲しいお話なのだから、という前提でなければ気恥ずかしくなるほどのハッピーエンド(微妙だけどね)は成立しない。
「ねえ、私の胸ってあまり大きくないでしょう」、青豆はそう言う。
「これでちょうどいい」と天吾は彼女の胸に手を置いて言う。
「本当にそう思う?」
「もちろん」と彼は言う。「これ以上大きいと君じゃなくなってしまう」
「ありがとう」と青豆は言う。そして付け加える。「でもそれだけじゃなくて、右と左の大きさがけっこう違っている」
「今のままでいい」と天吾は言う。「右は右で、左は左だ。何も変えなくていい」
……1Q84年という、ふたつの月が存在する世界から脱出するふたりの行く末は決して平坦ではないが、青豆は天吾によって、天吾は青豆によって生きる承認をえて、幸福を獲得していくだろう。何も、変えないままに。