先日、K町の「春の法要」にご門徒さんと一緒にお参りさせていただきました。
ご講師はビハーラ僧として、また、地方新聞の人生相談のコーナー担当者としてもご活躍の鹿児島教区のN師。
そこで、宝石箱とゴミ箱のお話をいただきました。
宝石箱はきれいなモノしか入れられないけれど
ゴミ箱は、きれい事で済まない、死ぬまで煩悩まみれの、私の存在そのものを受け入れてくれる。
阿弥陀仏をゴミ箱に例えるのは、不謹慎かもしれないけれど、
南無阿弥陀仏は、そういう懐の広~い、大慈悲の存在である。
ご講師はビハーラ僧として、また、地方新聞の人生相談のコーナー担当者としてもご活躍の鹿児島教区のN師。
そこで、宝石箱とゴミ箱のお話をいただきました。
宝石箱はきれいなモノしか入れられないけれど
ゴミ箱は、きれい事で済まない、死ぬまで煩悩まみれの、私の存在そのものを受け入れてくれる。
阿弥陀仏をゴミ箱に例えるのは、不謹慎かもしれないけれど、
南無阿弥陀仏は、そういう懐の広~い、大慈悲の存在である。