山崎龍明 師 の 『親鸞聖人「和讃」入門』 大法輪閣
のp248に こう書かれています。
アミダ如来の智慧を疑うということは、自我を唯一のものとして信ずるということです。(中略)
仏智を信ずるということは、人智を依りどころとせず、どこまでも真実なるものを根拠として生きるということです。
前者を私は「自己閉鎖の生」、後者を「解放の人生」と呼んでいます。
昨日は、仏教壮年会の会長さんが総会の打ち合わせにお出でくださっていました。
5月18日(土)午前10時
法専寺仏教壮年会総会です。
出席の返事をお忘れの方、また、新しく会にご参加くださる方(大歓迎です)、
昼食準備の都合上、早急に、ご連絡ください
のp248に こう書かれています。
アミダ如来の智慧を疑うということは、自我を唯一のものとして信ずるということです。(中略)
仏智を信ずるということは、人智を依りどころとせず、どこまでも真実なるものを根拠として生きるということです。
前者を私は「自己閉鎖の生」、後者を「解放の人生」と呼んでいます。
昨日は、仏教壮年会の会長さんが総会の打ち合わせにお出でくださっていました。
5月18日(土)午前10時
法専寺仏教壮年会総会です。
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