平安京とは桓武天皇が怨霊から逃れる為に
造営したと云われるところ。
平安の世の京の都は権謀術数と政権抗争に明け暮れ、
その犠牲のなった死霊に怯える魔界と化していたそうです。
そんな時代に天皇家や時の権力者から重用とされ
日本史を闇の世界から支配したといわれるのが陰陽師です。
その陰陽師の中でも、最も有名で力があった云われる
陰陽師がご存知、安部晴明。
その晴明が天文学を修行したと云われる山が亀岡にあるのを
ご存じでしょうか?
京都方面から国道9号線で亀岡市に入り、市役所の高い建物が
見えてくる所にマクドナルドがあります。その交差点を左折
するとモニュメントが立っている山が見えます。
この山こそ、あの伝説の陰陽師・安部晴明が修行したと
伝わる「安行山(あんぎょう)」です。
「安行」とは「安部晴明安行」という正式名から付けられた名前だそうです。
稲荷の赤鳥居が無数に並ぶ階段を最上段まで登りきった
頂上に「亀岡晴明神社」があります。
晴明は空気が澄み星座の観察に好条件だったこの地を選び
天文学の修行に勤しみ、日本の暦をつくったと伝えられている所です。
祠は小さく古いものですが、社の柱には晴明のトレードマーク
の五芒星が掘ってあり、確かに陰陽道のエネルギーの様なもの
を感じられる不思議な所です。
また、この山には稲荷神社も同じ敷地内にお祀りしてあり
晴明が稲荷信仰と深い関係であったことが窺えます。
稲荷とは「稲が成る」という言葉が変形して出来たとも
云われ、当時は天文学が農耕の目安となっていたのかも
しれないです。
フィクション化された晴明とは異なり、
天文学を極め当時の権力者の農業政策を指示した
と思われる学者・晴明の顔が垣間見えてもきます。
晴明はその基礎となる学問・占術をこの地で会得したのでしょう。
人ひとりとしていない、その空間に立っていると、
晴明の息吹が感じられそうで不思議な気分になりました。
亀岡には「安部晴明」にまつわる伝説が多くあります。
いつもラジオの渋滞情報でお馴染みの「国道9号線・加塚交差点」
も晴明が葬られたと伝わる「安行の塚」=安町加塚と呼ばれる様に
なったそうです。
京都の晴明神社などの隆盛とは大きくかけ離れた
ホントに小さな祠があるだけの寂しい「亀岡晴明神社」ですが、
不思議なエネルギーと平安のロマンを体感した気がします。
明日からやたらと勘が鋭くなっていたら・・・
スピリチュアルはっちんの誕生かも。
造営したと云われるところ。
平安の世の京の都は権謀術数と政権抗争に明け暮れ、
その犠牲のなった死霊に怯える魔界と化していたそうです。
そんな時代に天皇家や時の権力者から重用とされ
日本史を闇の世界から支配したといわれるのが陰陽師です。
その陰陽師の中でも、最も有名で力があった云われる
陰陽師がご存知、安部晴明。
その晴明が天文学を修行したと云われる山が亀岡にあるのを
ご存じでしょうか?
京都方面から国道9号線で亀岡市に入り、市役所の高い建物が
見えてくる所にマクドナルドがあります。その交差点を左折
するとモニュメントが立っている山が見えます。
この山こそ、あの伝説の陰陽師・安部晴明が修行したと
伝わる「安行山(あんぎょう)」です。
「安行」とは「安部晴明安行」という正式名から付けられた名前だそうです。
稲荷の赤鳥居が無数に並ぶ階段を最上段まで登りきった
頂上に「亀岡晴明神社」があります。
晴明は空気が澄み星座の観察に好条件だったこの地を選び
天文学の修行に勤しみ、日本の暦をつくったと伝えられている所です。
祠は小さく古いものですが、社の柱には晴明のトレードマーク
の五芒星が掘ってあり、確かに陰陽道のエネルギーの様なもの
を感じられる不思議な所です。
また、この山には稲荷神社も同じ敷地内にお祀りしてあり
晴明が稲荷信仰と深い関係であったことが窺えます。
稲荷とは「稲が成る」という言葉が変形して出来たとも
云われ、当時は天文学が農耕の目安となっていたのかも
しれないです。
フィクション化された晴明とは異なり、
天文学を極め当時の権力者の農業政策を指示した
と思われる学者・晴明の顔が垣間見えてもきます。
晴明はその基礎となる学問・占術をこの地で会得したのでしょう。
人ひとりとしていない、その空間に立っていると、
晴明の息吹が感じられそうで不思議な気分になりました。
亀岡には「安部晴明」にまつわる伝説が多くあります。
いつもラジオの渋滞情報でお馴染みの「国道9号線・加塚交差点」
も晴明が葬られたと伝わる「安行の塚」=安町加塚と呼ばれる様に
なったそうです。
京都の晴明神社などの隆盛とは大きくかけ離れた
ホントに小さな祠があるだけの寂しい「亀岡晴明神社」ですが、
不思議なエネルギーと平安のロマンを体感した気がします。
明日からやたらと勘が鋭くなっていたら・・・
スピリチュアルはっちんの誕生かも。