私達の保津川下りは観光船です。
観光船の役目はお越し下さった御客様に、素晴らしい
自然景観を眺めて貰いながら楽しい船旅を演出すること。
我々現場の船頭もそのために最高のサービスを提供するべく
日々、操船技術の向上に余念がない。
と、ここまでは‘観光船’として当然の心がけなのですが・・・
保津川下りの場合は少し変わった伝統?心構えがあるのです。
それは・・・‘川根性’・・・呼ばれるもの。
川根性とは?・・・船の操船中「他の船に遅れをとらない 」
という精神のことです。
つまり‘競争’負けない根性です!
保津川下りの船は2艘分~6艘分が一斉に
乗船場から出船するケースが多くあります。
そのような場合は、前をいく船、また後ろから来る船に
レースでけして負けてはいけない!・・・遅れをとるまい!
とお互いの船で壮絶なデットヒートを繰り広げながら
嵐山までの1時間半、闘い続けるのです!
この‘川根性’は新人の時に叩き込まれます。
私も新人の頃、先輩から
「前の船が見えたら追いつけ!後ろの船が見えたら離せ!
それが保津川に生きる男の伝統や!」
と教えられました。
そしてただひたすら1時間半、力の限り船を操船させられます。
まだ一端の技術もない新人はただただ船の上でもがくだけ。
途中、航路の半分くらいで体力が尽き、めまいや吐き気を
もよおし、倒れそうになりながら船を操船する日々の中で
船を早く進ます技術と精神を叩き込まれるというわけです。
バテたら、先輩船頭の罵声が容赦なく飛んできます。
帰りの電車を待っている駅でも、また電車の中でも
徹底的に今日出来なかったことを先輩に叱られ続けます。
ヒドイ時は夜に師匠や先輩の家に呼び出されて、
夜中まで眠い目を擦りながら講義を受けるのです。
ここまで読まれた方はおそらく???・・でしょう。
まさに楽しく優雅で乗られる人に癒しを提供する観光船
では想像もできないことと思いますが、まぎれもなく
保津川では約400年の長きに渡り、このような
新人教育で船頭たちに‘川根性’を叩き込んだのです。
人は程度の差はあるものの、総じて自分に優しいものです。
厳しい外部からのプレッシャこそが、自分を大きく成長
させる要素となることが多い様に、船頭も厳しく鍛えられて
体力、気力を兼ね備えた総合的な技術力が養われると
思います。
自然は我々に多大な恩恵と癒しを与えてくれる一方で、
恐ろしい牙を剥き襲い掛かってきます。
川も豪雨や強風で船頭たちに向かってきます。
船頭の最も大事な仕事はどんなに悪天候の中でも、
乗船下さっているお客さんを嵐山まで安全に送り届ける
‘技術’とそれを支える心構え‘根性’だというのは
私も身を持って体験するところです。
川という自然の中で生きてきた先人たちも、この厳しい自然に
対峙し立ち向かう気迫のようなものを技術以上に必要とした、
それを‘川根性’と呼び‘競争’というかたちで、
鍛え上げていったのではないでしょうか?
しかし最近では、このような精神主義的な教育方法は
お客様の手前、敬遠される傾向にあり「優しく合理的に教える」
という風潮に変わりつつあります。
川という厳しい自然の中で生きてきた先人の精神も
今では「全く時代遅れ」ということでしょう。
特に「ほめて育てる」という今の教育方針で育ってきた
世代には、このような保津川の新人教育はおそらく
受け入れ難いもので、もしかしたら今後‘川根性’なる
言葉も死語になり、精神性も消えてなくなる日が来るかも
しれません。
しかし400年の長き渡り、船頭という川で生きた男達が
代々受け継いできた心意気‘川根性’という
その心の奥底で脈々と息づいてきた精神とは何だったかの?
どうしてその精神を必要としたのか?
そこのところに焦点を当てる意味が必ずあると思います。
そのことに心を馳せず、ただ「時代遅れ」という言葉で
忘れ去ってほしくはないと思うのは私だけでしょうか?
観光船の役目はお越し下さった御客様に、素晴らしい
自然景観を眺めて貰いながら楽しい船旅を演出すること。
我々現場の船頭もそのために最高のサービスを提供するべく
日々、操船技術の向上に余念がない。
と、ここまでは‘観光船’として当然の心がけなのですが・・・
保津川下りの場合は少し変わった伝統?心構えがあるのです。
それは・・・‘川根性’・・・呼ばれるもの。
川根性とは?・・・船の操船中「他の船に遅れをとらない 」
という精神のことです。
つまり‘競争’負けない根性です!
保津川下りの船は2艘分~6艘分が一斉に
乗船場から出船するケースが多くあります。
そのような場合は、前をいく船、また後ろから来る船に
レースでけして負けてはいけない!・・・遅れをとるまい!
とお互いの船で壮絶なデットヒートを繰り広げながら
嵐山までの1時間半、闘い続けるのです!
この‘川根性’は新人の時に叩き込まれます。
私も新人の頃、先輩から
「前の船が見えたら追いつけ!後ろの船が見えたら離せ!
それが保津川に生きる男の伝統や!」
と教えられました。
そしてただひたすら1時間半、力の限り船を操船させられます。
まだ一端の技術もない新人はただただ船の上でもがくだけ。
途中、航路の半分くらいで体力が尽き、めまいや吐き気を
もよおし、倒れそうになりながら船を操船する日々の中で
船を早く進ます技術と精神を叩き込まれるというわけです。
バテたら、先輩船頭の罵声が容赦なく飛んできます。
帰りの電車を待っている駅でも、また電車の中でも
徹底的に今日出来なかったことを先輩に叱られ続けます。
ヒドイ時は夜に師匠や先輩の家に呼び出されて、
夜中まで眠い目を擦りながら講義を受けるのです。
ここまで読まれた方はおそらく???・・でしょう。
まさに楽しく優雅で乗られる人に癒しを提供する観光船
では想像もできないことと思いますが、まぎれもなく
保津川では約400年の長きに渡り、このような
新人教育で船頭たちに‘川根性’を叩き込んだのです。
人は程度の差はあるものの、総じて自分に優しいものです。
厳しい外部からのプレッシャこそが、自分を大きく成長
させる要素となることが多い様に、船頭も厳しく鍛えられて
体力、気力を兼ね備えた総合的な技術力が養われると
思います。
自然は我々に多大な恩恵と癒しを与えてくれる一方で、
恐ろしい牙を剥き襲い掛かってきます。
川も豪雨や強風で船頭たちに向かってきます。
船頭の最も大事な仕事はどんなに悪天候の中でも、
乗船下さっているお客さんを嵐山まで安全に送り届ける
‘技術’とそれを支える心構え‘根性’だというのは
私も身を持って体験するところです。
川という自然の中で生きてきた先人たちも、この厳しい自然に
対峙し立ち向かう気迫のようなものを技術以上に必要とした、
それを‘川根性’と呼び‘競争’というかたちで、
鍛え上げていったのではないでしょうか?
しかし最近では、このような精神主義的な教育方法は
お客様の手前、敬遠される傾向にあり「優しく合理的に教える」
という風潮に変わりつつあります。
川という厳しい自然の中で生きてきた先人の精神も
今では「全く時代遅れ」ということでしょう。
特に「ほめて育てる」という今の教育方針で育ってきた
世代には、このような保津川の新人教育はおそらく
受け入れ難いもので、もしかしたら今後‘川根性’なる
言葉も死語になり、精神性も消えてなくなる日が来るかも
しれません。
しかし400年の長き渡り、船頭という川で生きた男達が
代々受け継いできた心意気‘川根性’という
その心の奥底で脈々と息づいてきた精神とは何だったかの?
どうしてその精神を必要としたのか?
そこのところに焦点を当てる意味が必ずあると思います。
そのことに心を馳せず、ただ「時代遅れ」という言葉で
忘れ去ってほしくはないと思うのは私だけでしょうか?