保津川下りの船頭さん

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水が教える‘潤い’の大切さとは。

2010-03-02 23:44:08 | 船頭の目・・・雑感・雑記
人間の体は60%が水分でできているといいます。

水分つまり潤いほど、人間が生きていく上で必要なものはありません。

体力の水分が消耗されると、耐え難い‘渇き’に襲われる経験は、誰でもお持ちだと思います。
その体を甦らせるのが‘水’です。
でも、これは身体的な話だけではありません。
人の心にも水の潤いが必要なのです。

人は、庭の花や草、木がしおれていたら、迷わず水を与えるでしょう。
この行為は、水が枯れかかった草木を甦らせる力を持つと信じているからです。

しかし、これが人間だったらどうでしょう?しかも他人。
人間関係をつくるのが下手で、傷つき倒れそうな人、引きこもり、前を向けず、うずくまっている人、
懸命に生きているのに報われない人など。

これらの人々の様に、運命に翻弄され、自分の力では立ちあがれない弱い人に出会った時、
あなたはどの様に接しますか?

草木に水をあげるように、それらの人々の心に水を差し出し、潤いを与えることができるでしょうか?

事実は決してそうでない場合が多いのです。

わざわざ、その人の短所を指摘して、とがめ、自己責任と突き放すことも少なくない。
ひどくなると「こんなことになったのも、全部、あなたが悪い」と、今にも倒れそうな
弱っている者に、自身の性格や行動について、みんなして糾弾することすらあるのです。

自分の論理での正当性と正義という名のもとに。

そして行き着く先は、生きる力さえ奪うところまでいき、「やっぱり、弱い人間だったな」
などと言い、納得して論理は完璧なものとなります。

しかし、この世に絶対に正しい人間などいるはずはありません。
いいところもあれば悪いところもあるのが人間。当たり前にみんな両面を持っているものです。お互い様なのです。
なのに、悪いところばかりを指摘し、改善せよ、と迫る、この滑稽さよ。

そんなことにすら、気がつない、鈍感な感性しか持ち合わせていない人ばかり
の寄り合い所帯がこの世なら、いくら美しい言葉を並べても、お互いに相手を貶めあい、
最後は破滅へと向かうでしょう。

枯れかかった草花も、水という潤いを与えてやることで、生きるエネルギーを
蘇生させることを自然は教えてくれています。
そして、違いは違いとして受け入れ、共生しながら生きているからこそ、
それぞれの特性と役割を果たし、永遠に続いていくのです。

人にも水という潤いが必要です。
そんな潤いのある水を与えられる、そんな人間に私はなりたい。

マザーテレサはいいます。
「貧しい人たちを能無しと非難する前に、自分の心の中を見つめる義務が私たち一人ひとりにあります」と。

与えてください。心が痛むほどに・・・