いつの日か中共が凶暴な国家として日本の前に立ち現われる。それを予言していたのが福田恆存であった。日中が国交正常化した昭和47年の段階で、今日の事態を見抜いていたのだ。その時点で日本は周恩来にしてやられたのである。昭和47年「諸君!」12月号の高坂正堯との対談「条約が破られるとき」において、福田は日本が日華平和条約を破棄して台湾を切り捨てたことを問題視する。日本外交の汚点だというのだ。支那大陸で日本が戦った相手は、ほとんどが蒋介石の軍隊であり、中国共産党の八路軍ではなかったからだ。にもかかわらず、国交正常化以降日本は中共に擦り寄ることになり、友邦国家として認めたのである。その結果どのようなことになるか。福田は「黙って友好的に中共側は革命路線を實現すればいいので、その意味では國交正常化後のはうがやりやすいでせう。そして日本人のはうもわけが分からずそれに抵抗も感じないでせうよ」と断言していた。あの当時の熱烈歓迎の流れは、まさしく軽佻浮薄であった。それに水を差すようなことを言ってのけたのである。それと同時に、福田は将来の日本の危機も見据えていた。「雨のち晴れ、冬のあとに春がきたといふだけで、またそのあとに雨が來、冬のおとづれるに決つてゐる」とまで述べていた。中共は50年、100年のスパンで、日本を属国化しようとしてきたのだ。中共に媚びるマスコミや文化人が多くなったのも、日中国交正常化以降のことであった。福田の言葉の通りになってきているのである。
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