草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

アベガ―に加担した岸田首相

2022年09月11日 | 政局
 
 
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 自分たちの異常性に気づかないのが国葬儀反対派の特徴である。今は亡き安倍元首相が弁明できないのをいいことに、安倍さんが旧統一教会の代弁者であるかのような妄想をふくらませて、それで大騒ぎしているのである。朝日や毎日、さらにはその系列局のテレビが騒ぐのは理解できるが、ここまで混乱させてしまった責任は、読売やその系列局まで一緒になってキャンペーンを張ったからである。これでは多くの国民が騙されても仕方がない。
 そこまで読売がしたのは、自民党で大派閥ではない岸田首相を支えるためだったのだろう。当初から岩盤保守は、親中派内閣として警戒していた。それだけに、安倍さんがテロで殺されたことで、偶像化されるのを恐れたのだろう。そうなれば、自分たちの権力維持は難しくなるからだ。
 今回の事態でもっとも責任があるのは、岸田首相なのである。テレビのワイドショーに呼応するかのように、自民党の国会議員に対して、思想調査を実施したからだ。旧統一教会との接点があるかどうかを報告させ、関係を断つことまで要求したのだから、あまりにも愚かである。思想信条の自由は憲法で保障されている。それを踏みにじって、あろうことか、安倍元首相を貶める者たちに加担したのである。
 岸田首相が毅然として対応していれば、こんなことにはならなかったのである。自民党の保守派は、岸田首相に引導を渡すべきである。もしそれができなければ、必ずや中国は沖縄を含めた日本を自国の影響下に置こうとするだろう。それに対抗するには、保守リベラルの思想を超えて、救国国民政権を樹立しなくてはならない。もはや残されている時間は限られているのだから。
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マスコミに踊らされた国葬儀反対は恥ずべき行為だ

2022年09月10日 | マスコミ評
 
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 故安倍晋三国葬儀には、強制力などないのである。いくら案内状が届いても出席しなくてもいいのである。国民の大多数が反対していると勘違いした、立憲民主の辻元清美と蓮舫の両氏は、欠席の通知を出したことを、勝ち誇ったかのようなツイートをした。さも自分たちが国民世論の代弁者しているかのように、勝手に思い込んでいるのである。
 マスコミの一方的な報道に踊らされて、醜態をさらしているのが分からないようだ。外国からの要人がやって来るのに、それに背を向けるというのは、とんでもない恥ずべき行為なのである。
 僕は昨日、ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使のツイートをシェアした。「個人に対する目に余る言動に心を締め付けられております。たったひとりでも国外からの来賓があるならば、国民が一丸となって対応することが日本の懐ではないでしょうか」との言葉を、私たちを深刻に受け止めるべきだろう。
 そこまで外国の人に言われるほど、愚かな国民に成り下がってしまったのである。国葬儀反対キャンペーンは、誰を利するものであるかは明らかである。台湾や日本を侵略しようとしている中国の脅威から目を背けさせるために、日本国内の反日勢力とマスコミが火を付け煽り、それに多くの国民が踊らされたのである。
 しかし、そんなことが長続きするわけがない。岩盤保守にとどまらず、一部のまともなリベラルも気づきつつある。オリンピック反対のときのように、それに加担した者たちは、口を拭って知らんぷりするだろう。だが、今回ばかりは、私たちも黙っているわけにはいかない。攻勢に転じつつある今、徹底的に反日勢力をあぶり出さなくてはならない。サイレントインベーションに与した者たちを、断じて許すことはできないからである。
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大規模デモで安倍さんの死を貶める左翼全体主義者

2022年09月09日 | 治安

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 日本の左翼全体主義者は、あたかも安倍元総理の死を悼む国葬儀が、とんでもない暴挙であるかのように言いふらし、大規模なデモまで予定している。言語道断で最悪である。妻の昭恵夫人に対しても、辞退するように圧力をかけているというのも、血の通った人間のすることではない。
 すでに葬式は終わっているのであり、安倍元総理の死を悼む外国からの要人に対して、敬意を示す催しであり、それを邪魔するという神経が理解できない。それにかかる費用にしても、コストパフォーマンスを考えれば、何ら問題ないのである。
 国葬儀反対に血眼になっている左翼全体主義者は、阻止できないのをわかっていて、どうして騒ぎ立てるのだろう。共産党や中核派はデモをして、その式典を粉砕するつもりなのだろうか。そこまでする意味がどこにあるのだろう。国葬儀の費用をとやかく言う前に、そんなデモをすべきではないだろう。警備費用がかさむことを自分たちはしておきながら、「金がかかりすぎだ」と批判するわけだから、どうかしている。
 今回の出来事は、左翼全体主義者が火を付け、自民党内の親中派が加担した茶番劇である。これによって、岩盤保守を叩き潰したいのだろう。旧統一教会の接点があった政治家は、自民党の清和会にとどまらず、党内親中派にも、さらには、立憲民主党にもいるのである。そっちの方は大きく伝えず、保守の国会議員をターゲットにするのは、憲法改正を阻止したいからなのである。それによって誰を利するかは明らかではないか。日本を侵略する者のお先棒を担ぎたいのだろう。
 しかし、声なき声の日本国民の多くは、今の異常さに気づきつつある。時が経過すれば、必ずや分かってくれるはずだ。日本の自由と民主主義を守り抜くためには、「魔女狩り」に拍手喝采するような者たちに与してはならないのである。
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福田恆存は中共の野望を見抜いていた

2022年09月08日 | 国際問題
 
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 今の日本の保守は、台湾との関係の強化を望んでいる。しかし、50年前がそうではなかった。台湾と結んでいた日華平和条約を一方的に我が国は破棄したのである。大平外務大臣の見解によれば「日中国交正常化の結果として日華平和条約は存続の意義を失い、終了したと認められる」というものであった。それでいて、なぜ存続の理由が失われたかについては、まともに語らなかった。当時のマスコミは中共の悪い面は報道しないように自己規制して、日中復交を第一としたのである。
 慎重派がいなかったわけではない。その急先鋒が石原慎太郎や中川一郎らの青嵐会であった。孤立を恐れず発言した言論人に福田恆存がいた。昭和47年12月号の「諸君」に掲載された、「條約が破られるとき」というテーマで、高坂正尭と対談し、台湾を切り捨てたことを痛烈に批判したのである。
 福田によれば、日本が戦争をしたのは国民党の中華民国である。実に5万74回戦ったが、八路軍と呼ばれた中国共産党とはわずか2回。いくら国共内戦で中国共産党が勝ったとはいえ、講和條約は戦争した政府と結ぶのが筋である。台湾と断交することで、どれだけ日本の国益に合致するのか、と福田は疑問も呈したのである。
 また、福田は、戦争に突入したのは軽佻浮薄であったが、戦後の民主主義と平和、中共一辺倒というのも、それと大差がないと断じたのである。さらに、日中国交回復に前のめりになることが、長期的には禍の種になることを予言していた。現実主義の国際政治学者の高坂よりも、福田の方が的を射たことを述べていたのだ。
 中共を友好国として我が国が認めたことで、福田は「政府公認で反体制運動がやれるわけですよ」と警告をしていたのだ。中共がことさら日本を攻撃しなくても、日本を精神的に武装解除できる。そこまで相手は考えているというのだ。「黙って友好的に中共側は革命路線を実現すればいいので、その意味では国交正常化後のほうがやりやすいでしょう。そして日本人のほうもわけが分からずそれに抵抗を感じないでしょう」との見方をしていたのである。
 現在の日本人の多くは、台湾に親近感を抱いている。人権を無視し、欧米に敵対する覇権国家中共を、日本の安全にとっての脅威と考えているのだ。中共の躍進は著しく、軍備の拡大も急ピッチである。沖縄を自国の領土と言って憚らないのである。福田が言った通りになってしまったのだ。日本と台湾は運命共同体である。自由と民主主義を守り抜くためには絆を強化しなくてはならない。もはや平和ボケは許されないのである。
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国葬儀反対を勢いづかせた自民党の親中派

2022年09月07日 | 政局
 
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 今回のアベガ―騒動の原因は、岸田首相がまともに反論しなかったからである。国葬に関しては、維新の会も国民民主も反対はしていない。国会の勢力比から見れば、反対は一部なのである。世論があらぬ方向に傾いているのは、岸田首相が毅然として対応しないからである。国葬儀の予算までも、マスコミはいちゃもんを付けているが、海外から要人がやってくるのに、警備が手薄であれば、何が起きるか分からない。その点を無視して、高すぎるとか批判するのは、とんでもない的外れである。
 親中派である岸田首相は、自民党内での主導権を握るために、清和会が目の上のたん瘤なのだろう。それで特定野党が、旧統一教会の件で騒いでいるのを、岸田首相も利用したかったのだろう。台湾有事は迫っており、岩盤保守はかなりの危機感をもっている。その力を殺ぐには、亡き安倍さんを叩くアベガ―が、頼もしく思えたのではないか。自民党内で親中派が力を持てば、日中国交回復五十周年にも、堂々と出席することができる。そう考えても不思議ではないのである。
 国葬儀の問題でこんなにこじれてしまった責任は、岸田首相にあるのだ。予算的にも内閣葬とたいして変わらないのである。目くじらを立てる方がどうかしているのだ。
 国葬儀反対の勢力も、自分たちの存在を誇示するためのデモンストレーションなのである。その中心は共産党や社民、さらには中核などの極左である。立憲は今になって困っているのではないか。それらと同列に見られれているからだ。
 地上波のテレビの異常さは目に余る。国葬儀反対を煽っているだけなのである。そこに便乗した一部野党と自民党内の親中派。日本の危機を目を背けようとしても、あくまでも一時的なことでしかないのに、どうして気付かないのだろう、必ず因果は巡ってくるのである。
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安倍さん追悼のデモを組織化できなかった脆弱な保守

2022年09月06日 | 祖国日本を救う運動
 
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 安倍元総理はテロで殺されたのである。国政選挙で全国を飛び回っている最中に。その死を悲しんで、なぜ多くの国民が街頭に繰り出さなかったのか。僕は唖然としてしまう。まともな保守の司令塔が存在しなかったからではないか。
 昔であれば、自民党の院外団体が呼びかけて、安倍元総理の遺影を掲げて街頭に出たのではないか。自民党の保守を名乗る国会議員も、そこまでやる勇気はなかった。保守のそれ以外の政党や団体も、先の参議院選挙で、自分たちが新たな党を立ち上げて、自民党と争ったものだから、そんな気にもならなかったのだろう。
 さらに、保守のインフルエンサーにしても、あくまでも個人のフロアーを増やす話題に取り上げる程度で、政治的な運動まで組織することはできなかった。以前のように、もし頑張れ日本全国行動委員会が日本中に呼びかけて、安倍さんの死を悼むデモを計画したならば、東京の首都中枢は、日の丸の旗で埋まったはずである。国葬も大事ではあるが、それ以上に国民一人ひとりが声を上げるべきだったのである。
 20代、30代の若手経営者が立ち上げた「安倍元総理デジタル献花プロジェクト」の献花者は、もう少しで100,000名になろうとしている。マスコミでは産経新聞がわずかに触れた程度である。それでも、声なき声が結集したのである。本来であれば、保守のネット民がこぞって応援すべきだと思うが、そうした広がりにはほど遠い。
 被害者である安倍元総理が加害者のように扱われているのは、保守が小異を捨てて大同に付かなかったからである。岸田内閣が親中派であることは明々白々である。政治を保守の手に取り戻すには、ネットで声を上げている人たちの力を結集して、その声を政治にぶつけなくてはならない。もはや評論家であることは許されないのである。
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孟子の至誠通天と革命を認めない日本の国柄

2022年09月05日 | 自衛隊
 
 
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 僕は自分の本を謹呈するにあたって、いつも「至誠は天に通ず」と書くことにしている。孟子の「至誠通天」であるが、それは後で知ったことである。吉田松陰が好んだ言葉でもある。
 孟子は孔子の聖学を後の世に伝えようとした人だが、紀元前4世紀前半に生まれたといわれる。金谷治の『孟子』によれば「仁義にの道徳にもとづく王道論」を説いたのだった。金谷は「孟子の主張をひと口でいえば、それは要するに道徳主義の鼓舞である」とも書いている。
 孟子は民衆を中心に据え、天がそれを望むのならば、革命もやむなしとの考え方の持ち主であった。「仁を害し義を害するものは、もはや君ではない。一夫すなわち一介の野人にすぎません。一夫の紂を誅罰したということはあっても、君主をあやめたということは知りません」と断じたのである。
 国柄としての皇室を重視する僕にとっては、相容れない思想であった。それだけに、孟子から学うとする気持ちはあまりなかった。しかし、言葉においては、僕もまた孟子の徒であったのだ。世の中が混迷を深めている中では、孟子的な思想が頭を持ち上げてくるのではないだろうか。
 僕にとっては、誠を貫けば、国柄としての日本が明らかになるという考えである。革命を是認するものではない。大陸中国と島国で万世一系の我国とでは、違いがあって当然なのである。
「至誠は天に通ず」という僕なりの解釈にこだわりながら、これからもその言葉を大事にしたい。そして孟子について、もっと深く学びたいと思っている。
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自民推薦のサキマ淳候補の勝利を —知事選の結果が沖縄の運命を決める―

2022年09月04日 | 選挙
 
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 沖縄を中国が支配するようになるか、それとも阻止できるか、その天下分け目の決戦が今回の知事選挙である。来る9月11日の投開票の結果に注目が集まっているが、沖縄県民が賢明な判断をすると信じたい。
 自民党のサキマ淳候補が負けるようなことにでもなれば、沖縄は中国の手に落ちることになるだろう。その結果、日本国民は本気で中国の脅威に対処するようになる。人民解放軍が乗り込んでくるような事態を目撃すれば、いくら平和ボケした日本国民であろうとも、目が覚めないわけはないからだ。しかし、そのときには、沖縄県民は今のウイグルの人たちのような目に遭っているのだ。
 沖縄県民の皆さんに言いたい。中国による台湾侵攻が間近だといわれるのに、そのお先棒を担ぐような人を知事にしておいていいのだろうか。野党系であれば岸田内閣を譲歩させることができるとか、多額の予算を分捕れると思うのは、あまりにも短絡的である。そんな物取り主義は、もう通用しない。東アジアは風雲急を告げているのである。
 一度自由を奪われれば、どういう結果になるかは、現在の香港を見ても分かるはずだ。中国は台湾ばかりではなく、沖縄も自国の領土にしたいのだ。沖縄県民が結束してかけがえのない自由を守り抜くべきなのである。
 有事に突入すれば、多くの自衛隊の諸君が命を落とすことになるだろう。その前に我が国は抑止力を強化して、相手が手を出せないようにしなければならない。戦争は阻止しなくてはならないからだ。先島諸島の人たちの避難にしても、中国べったりの知事はまったく念頭にない。見殺しにしようとしているのだ。サキマ候補を当選させて、抜かりなく進めなくてはならない。
 沖縄が大変なことになれば、日本国民は一つにまとまるだろう。だが、それは沖縄の悲劇が前提なのである。中距離弾道弾を配備し、中国に付け入る隙を与えないようにすれば、いくら何でも侵攻してくることはないのだ。日本と米国を敵に回そうとする者たちは、中国を沖縄に引き入れようとしているのだ。知事選で勝てば流れが変わる。絶対に負けてはならないのである。
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ネット民が応援するのは立派で純粋なジャーナリスト

2022年09月03日 | マスコミ評
 
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 僕はテレビはほとんど見ない。ワイドショーは音を聞くのも嫌である。コメンテーターは局に命じられたそのままを口にしているのだろうが、あまりにもわざと過ぎる。
 マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』(脇圭平訳)で、ジャーナリストについて触れている。世の中の出来事を分かりやすく解説し、一定の指針を示す職業として、ジャーナリストがある。それだけに、ヴェーバーの言っていることは、含蓄に富んでおり、大いに参考になる。
「市場の需要があればどんなことでも、また人生のありとあらゆる問題にについて即座に納得のゆく意見を述べ、しかもその際、断じて浅薄に流れず、とりわけ品位のない自己暴露にも、それに伴う無慈悲な結果にも陥らないということ、これも決して生やさしいことではない。だから、人間的にも崩れてしまった下らぬジャーナリストがたくさんいても驚くに当たらない。驚くべきはむしろそれにもかかわらず、この人たちの間に、立派で本当に純粋な人が―局外者には容易に想像できないほど―たくさんいるという事実の方である」
 ヴェーバーは、ジャーナリストをそれなりに評価しているのである。大半がセンセーショナルな記事を書くだけの騒動師であるとしても、そうでない人たちも、想像以上にたくさんいるからなのである。
 今回の統一教会騒動で、ジャーナリストの色分けがはっきりした。マスコミに同調して大衆迎合的な物言いをするのは最悪である。集中砲火を浴びても、信念を貫く人たちが、予想以上にいたのには感動した。ヴェーバーが書いたことは間違ってはいないのである。
 ジャーナリストには誘惑が付きものである。普通の人が経験しないような場面にも直面するはずだ。「内的確信」が試されるのである。金の誘惑もあるに違いない。マスコミ全体が左翼の牙城である。外国勢力からの働きかけもあるだろう。そこで筆をまげないというのは、かなりの勇気が求められる。
 今の時代のまともなジャーナリストには「憲法を正面から論じる」「アベガ―に与しない」「外国の脅威から目を背けない」「反財務省である」という共通点がある。
 具体的な名前を挙げることはできないが、私たちネット民は、サイレントインベーションに対抗するためにも、立派で純粋なジャーナリストを応援しなくてはならない。言論戦も日を追うごとに熾烈になってきており、ここで負けるわけにはいかないのである。

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立憲民主の国葬儀反対は単なる嫌がらせ

2022年09月02日 | 政局
 
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 立憲民主党はオリンピックのときと、同じことをしようとしている。安倍元総理の国葬儀には、本心では出席したいのである。あくまでもマスコミに尻馬に乗っただけであり、党利党略から出たポーズでしかなかった。そんなことは百も承知だから、僕は「出るべきではない」とあらかじめ釘を刺しておいたのである
 泉健太代表が昨日のBSフジの番組に出演し「出席の可能性はあると思う」と発言し、物議を醸しているが、前から予想されたことなのである。優柔不断な岸田内閣であっても、今の立憲では政策論争で勝てないし、安全保障の議論になると、いうまでもなく守勢に立たされる。それよりは、国葬儀反対を叫ぶマスコミと一緒になって、岸田内閣を批判した方が得策だ。ただそれだけのことであったのだ。
 マスコミに踊らされた情報弱者も、ここにきて気付き始めているが、立憲にしても、最後まで反対を貫き通すことなど考えていなかったのである。世界の要人と顔を合わせる大切さは、政治家であれば、あ誰もが熟知している。さらに、極左の中核派と一緒になってデモをする勇気もない。国葬儀反対は、あくまでも行きがかり上そうなっただけで、引くに引けなくなったのを、どうソフトランディングしたらよいか、頭を悩めているのである。
「ありがとう安倍元総理」デジタル献花プロジェクトでの献花数は、今日午前11時現在で、92,445名に達した。静かに安倍さんの死を悼む人たちの輪が広がってきているのだ。嫌がらせをした立憲は大恥をかいて、賛成反対の両方から顰蹙を買っており、もはや立場がなくなってしまったのである。
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