創作日記&作品集

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連載小説トリップ 12回 音の旅 「柳亭(夜)」

2014-03-21 08:56:24 | 創作日記
連載小説トリップ 12回 音の旅 「柳亭(夜)」

 『ジャンヌの肖像』=モディリアーニ

ー作者が誰なのか? モデルは誰なのか? いつ描かれたのか? 全ての分析は無意味に。ただ対峙するだけで、女はあなたに近づいてくるー

 田中さんと僕は、柳亭のカウンター席に腰を下ろした。僕たちを車で送ってくれたウェイターは、「お呼び頂いたら、お迎えに参ります」と言って、ホテルに帰った。
 柳亭は、朝はコーヒー、夜はコーヒーが酒になるだけのシンプルな店だった。アルコールの種類もすくなかった。酒は二種類(熱燗、冷酒)、ウィスキー、焼酎、ビールはそれぞれ一種類だった。
 カウンターは直線的で余分なものがなくすっきりしていた。それに清潔だった。多分人差し指でどこを擦っても埃一つないだろう。僕の部屋みたいに。客は僕たちの他に四人。女二人は僕から二つ席を空けて、男二人は、また、二つ席を空けて腰かけていた。誰もが静かに酒を飲んでいた。会話もなかった。知り合いではないのかもしれない。十席のカウンターでは、最良の配置かもしれない。客が増えれば一席詰める。十席埋まれば誰かが帰る。そんなルールを僕は空想した。
「ホテルに泊まっている四人は観光客です。観光は二日以内ですから、明日帰りますよ」
 田中さんが言った。食堂で見かけた人々だろう。
 マスターは、注文を聞いても頷くだけだった。話しているのは、僕と田中さんだけだった。だから、二人はとても小さな声で喋った。
「町の住民が何人いるのか、私は知りません。だけど、元の町民は誰もいません。みんな、原発が爆発した後にやって来た人間ばかりです」
 僕は、彼らが何故この町にやって来たのか考えた。放射能で汚染された帰還困難な町に。理由はある筈だ。ただ、みんな同じだとは思わない。
「国との約束が一つあるのですよ」
「国との?」
 僕は聞き返した。少なくとも僕は、約束をした覚えがない。父が勝手にしたのだろうか。
田中「不思議ですね。ご存知ないとは。密入国者が一人増えた。アメデオと君と」
僕「父がしたのかもしれません」
田中「お父さんが……。確かに、密入国者はホテルに泊まれませんね」
僕「約束って何ですか?」
田中「子供を作らないということですよ。子孫は作らない。百年もしないうちにこの町には誰もいなくなる」
 マスターがレコードの針を落とすのが見えた。ホテルのロビーで聞いた曲だった。
「シューマンのトロイメライ」
 田中さんは、水割りを一口飲んだ。
「ご存知ですか?」
「知りません」
 僕は素っ気なく答えた。
「素晴らしいピアノ曲でしょう」
「ええ」
 それには全く異存はなかった。僕はピアノを弾いていた女性を思い浮かべた。何故か切ない曲に聞こえた。これは子守歌なのだ。多分的外れだろう。だが、そんな気がした。
「アメデオ君が燈台の灯を入れる頃だよ」
 田中さんは、ぽつりと言った。