土曜日に久しぶりに図書館に寄り、10冊の制限いっぱい借りてきた。そのうち3冊は病気関係の本で、この3冊だけ土日で読んでしまった。
1冊目は川上ますみさんの「にぃにのことを忘れないで -脳腫瘍と闘った8年間―」(文芸社)。去年の24時間テレビで放映されたスペシャルドラマは見た。開成中に入学、中1、中2と優等賞をもらうほどの好成績。きつい練習で評判の硬式テニス部で活躍。中3になった春、15歳で発病、その後高3の冬、大学受験直前の再発、3浪後、大学進学、そして、二度目の再発。8年間の壮絶(といってしまってはあまりに垢にまみれた言葉なのだが・・・)な闘い。こんなに勉強が好きな浩輔君が、闘病のために何度も大学受験をあきらめなくてはならなくなる。本当に神様はなんて意地悪なのだろう。それでもこうした子どもの闘病記を読むと、勝手なものでやはり病気になったのが息子でなく、自分で本当に良かった、と思う。
2冊目は尾関良二さんの「僕は慢性末期がん『余命半年』の宣告どおりに死にたくない人におくる本」(文春新書)。47歳でスキルス胃がんで余命半年と宣告された1958年生まれの広告代理店を起業した男性の闘病記。余命宣告を受けても、その通りに死ぬとは限らない、と治療の日々をユーモラスに振り返り、前向きながん生活を説く、というもの。この本が出た時には既に告知後3年半近く経過し、現在治療継続中とあったが、その後、どうなさっているのか、読みながらとても気になった。よせばいいのに検索したところ、本が出る直前に亡くなっていることがわかって、うなだれてしまった。
そして3冊目が中島梓さんの「転移」(朝日新聞出版)だ。
アマゾンの紹介文によると「2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じた。2008年、すい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながら、大ベストセラー「グインサーガ」や「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続けた。その合間に最期の闘病記となる本書を2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けた。天才作家であり、主婦であり、母であった一人の女性の闘病の日々を克明に描いた命の証。」とある。
ずいぶん前に乳がんを経験され、克服なさったことは知っていたが、恥ずかしながら彼女のベストセラーを読んだこともなかったし、亡くなって訃報欄に接して初めて転移性のすい臓がんで闘病されていたことを知った。
冷静な筆致の中の日々の心の揺れ、前向きになろう、少しでも明るく捉えようとしつつも、日々酷くなる便秘、下痢、浮腫み、痛みなど、体の不調を前にしたやるせなさ。朝起きて、ごく小さな体調の良さを感謝する気持ち、お洒落をして出かけることの喜び、もう着ることも出来ないくらい沢山持っているにもかかわらず新しい着物を買って華やぐ女心、自分は殆ど食べることができなくとも家族のために食事を作り、自分の体のためにいかに栄養をとるか工夫を重ね、少量でも美味しいものを食べる楽しみ、実のお母さまとの葛藤などなど・・・とても書き切れないほど胸に迫るものがあった。
こうしていろいろな方の闘病記を読むにつれて、本当に最後は皆、同じ気持ちになるのだ、と思う。
亡くなる1ヵ月半前の日記で、下らぬストレスについて書いてあるくだり。とてもうまく患者の気持ちが記してあるので、長いけれどまとめつつ引用させて頂く。
“メールで文通をしていた知人から『自分も33キロやせた』という話がメインに書いてある。私がガンで劇痩せするのとダイエットとは意味が違う。こうしたお見舞いメールに自分のことばかり書いてある人はけっこうよくいる。とにかくこちらがガンだとか病気だとか云うことを認めようとしない、あるいは軽く見ようとする、ということで決して『相手中心』の話にしようとしない。最終的にはいつのまにか『自分の話』になっている。
もうひとつは『実は私の80歳の父も○○癌で』『私の母も先日癌で・・・』、読んでいるとそれはお気の毒であるけれども、しかし私もなんとなくともに80歳代に追放されたような、一挙にその人の父母の世代に追いやられるような気を起こさせるような人。
そしてもう一つは『自分が認めてやっているからな』というような、なんというか上から上からものを言う人だ。これは別段メールとか手紙に限らないけれども、ことに文字というものは、感じのいい文章を書くのがとても難しい、気をつけなくてはいけない。基本的には、ひとは、ひとのことなんかどうでもよいのだ。・・・結局いまは3人に2人がガンにかかるという世の中で、ガンなど珍しくもなんともない。ああ、あの人もそうなんだ、というくらいが関の山だ。べつだん、ひどく冷たいものに世間を見て生きてゆこうとも思わないけれども、ひとが『好意』だと思って見せてくれるものであったりするものが、病人当人にとっては、好意でもなんでもなく、ただの押し付けであったり、共感の押し売りであったりすることも多い、ということは自戒しておくべきだろう。そういうときによくお茶の『淡交』という言葉を思い出す。そう、世の中は『淡交』でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい。”
それにしても昏睡状態に陥る3日前までパソコンのキーをたたき、冷静に日々を綴る強靭な精神力。それが叶わなくなった後、判読が難しいほど乱れた手書きでの2日間の日記。記録魔と自身を称する彼女の最期を想うと、本当に切ない。私もどちらかと言えば記録のための記録をするようなところがあるので、わかる、といってはおこがましいのだけれど・・・。奇しくも30年間連れ添ったご主人のがんの手術が終わったのが昏睡状態に入る20日ほど前。ご主人の入院・手術がどれだけのダメージであったのだろう、と思わざるを得ない。
こうして毎日ブログを書きつつ、私はいつまで書き続けることが出来るだろう、と考えることがある。かりに入院しても、書きたいと思える限り、そして書くことがあり書くことが出来る限り、書き続けていきたいと思う。
出先でも使えてブログを更新できる軽くて小さなパソコンをボーナスが出たら買いたいな、と思案しているところである。
今日はここのところ忘れていたのに、久しぶりになにやら胸の圧痛が酷く、息苦しさを感じる。どうしたのだろう。今だけのことなら良いのだが・・・。
1冊目は川上ますみさんの「にぃにのことを忘れないで -脳腫瘍と闘った8年間―」(文芸社)。去年の24時間テレビで放映されたスペシャルドラマは見た。開成中に入学、中1、中2と優等賞をもらうほどの好成績。きつい練習で評判の硬式テニス部で活躍。中3になった春、15歳で発病、その後高3の冬、大学受験直前の再発、3浪後、大学進学、そして、二度目の再発。8年間の壮絶(といってしまってはあまりに垢にまみれた言葉なのだが・・・)な闘い。こんなに勉強が好きな浩輔君が、闘病のために何度も大学受験をあきらめなくてはならなくなる。本当に神様はなんて意地悪なのだろう。それでもこうした子どもの闘病記を読むと、勝手なものでやはり病気になったのが息子でなく、自分で本当に良かった、と思う。
2冊目は尾関良二さんの「僕は慢性末期がん『余命半年』の宣告どおりに死にたくない人におくる本」(文春新書)。47歳でスキルス胃がんで余命半年と宣告された1958年生まれの広告代理店を起業した男性の闘病記。余命宣告を受けても、その通りに死ぬとは限らない、と治療の日々をユーモラスに振り返り、前向きながん生活を説く、というもの。この本が出た時には既に告知後3年半近く経過し、現在治療継続中とあったが、その後、どうなさっているのか、読みながらとても気になった。よせばいいのに検索したところ、本が出る直前に亡くなっていることがわかって、うなだれてしまった。
そして3冊目が中島梓さんの「転移」(朝日新聞出版)だ。
アマゾンの紹介文によると「2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じた。2008年、すい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながら、大ベストセラー「グインサーガ」や「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続けた。その合間に最期の闘病記となる本書を2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けた。天才作家であり、主婦であり、母であった一人の女性の闘病の日々を克明に描いた命の証。」とある。
ずいぶん前に乳がんを経験され、克服なさったことは知っていたが、恥ずかしながら彼女のベストセラーを読んだこともなかったし、亡くなって訃報欄に接して初めて転移性のすい臓がんで闘病されていたことを知った。
冷静な筆致の中の日々の心の揺れ、前向きになろう、少しでも明るく捉えようとしつつも、日々酷くなる便秘、下痢、浮腫み、痛みなど、体の不調を前にしたやるせなさ。朝起きて、ごく小さな体調の良さを感謝する気持ち、お洒落をして出かけることの喜び、もう着ることも出来ないくらい沢山持っているにもかかわらず新しい着物を買って華やぐ女心、自分は殆ど食べることができなくとも家族のために食事を作り、自分の体のためにいかに栄養をとるか工夫を重ね、少量でも美味しいものを食べる楽しみ、実のお母さまとの葛藤などなど・・・とても書き切れないほど胸に迫るものがあった。
こうしていろいろな方の闘病記を読むにつれて、本当に最後は皆、同じ気持ちになるのだ、と思う。
亡くなる1ヵ月半前の日記で、下らぬストレスについて書いてあるくだり。とてもうまく患者の気持ちが記してあるので、長いけれどまとめつつ引用させて頂く。
“メールで文通をしていた知人から『自分も33キロやせた』という話がメインに書いてある。私がガンで劇痩せするのとダイエットとは意味が違う。こうしたお見舞いメールに自分のことばかり書いてある人はけっこうよくいる。とにかくこちらがガンだとか病気だとか云うことを認めようとしない、あるいは軽く見ようとする、ということで決して『相手中心』の話にしようとしない。最終的にはいつのまにか『自分の話』になっている。
もうひとつは『実は私の80歳の父も○○癌で』『私の母も先日癌で・・・』、読んでいるとそれはお気の毒であるけれども、しかし私もなんとなくともに80歳代に追放されたような、一挙にその人の父母の世代に追いやられるような気を起こさせるような人。
そしてもう一つは『自分が認めてやっているからな』というような、なんというか上から上からものを言う人だ。これは別段メールとか手紙に限らないけれども、ことに文字というものは、感じのいい文章を書くのがとても難しい、気をつけなくてはいけない。基本的には、ひとは、ひとのことなんかどうでもよいのだ。・・・結局いまは3人に2人がガンにかかるという世の中で、ガンなど珍しくもなんともない。ああ、あの人もそうなんだ、というくらいが関の山だ。べつだん、ひどく冷たいものに世間を見て生きてゆこうとも思わないけれども、ひとが『好意』だと思って見せてくれるものであったりするものが、病人当人にとっては、好意でもなんでもなく、ただの押し付けであったり、共感の押し売りであったりすることも多い、ということは自戒しておくべきだろう。そういうときによくお茶の『淡交』という言葉を思い出す。そう、世の中は『淡交』でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい。”
それにしても昏睡状態に陥る3日前までパソコンのキーをたたき、冷静に日々を綴る強靭な精神力。それが叶わなくなった後、判読が難しいほど乱れた手書きでの2日間の日記。記録魔と自身を称する彼女の最期を想うと、本当に切ない。私もどちらかと言えば記録のための記録をするようなところがあるので、わかる、といってはおこがましいのだけれど・・・。奇しくも30年間連れ添ったご主人のがんの手術が終わったのが昏睡状態に入る20日ほど前。ご主人の入院・手術がどれだけのダメージであったのだろう、と思わざるを得ない。
こうして毎日ブログを書きつつ、私はいつまで書き続けることが出来るだろう、と考えることがある。かりに入院しても、書きたいと思える限り、そして書くことがあり書くことが出来る限り、書き続けていきたいと思う。
出先でも使えてブログを更新できる軽くて小さなパソコンをボーナスが出たら買いたいな、と思案しているところである。
今日はここのところ忘れていたのに、久しぶりになにやら胸の圧痛が酷く、息苦しさを感じる。どうしたのだろう。今だけのことなら良いのだが・・・。