作家の渡辺淳一さんが新作小説「孤舟」を書かれた際のインタビューで「エッセイは瞬発力、小説は持久力が問われる。」とおっしゃっていた。
初めて読んだのは高校生の頃で「花埋み」。本当に一生懸命読んだな、と思い出す。最近では「鈍感力」等のエッセイを興味深く読んだ。
なるほどそうだろうな、と思う。
比ぶるべくもないけれど、毎日こうしたエッセイもどきの日記を書くのは、本当にその時その時にピンと来たことを一気に書くから「瞬発力」なのだろう。が、いざ他人(ひと)様が読むに耐える小説を書くとなったら、まずは地道な取材から始まり、実際に書き始めるまでには半端ではない時間と努力と忍耐が必要だろう、というのは全くの素人の私にも想像くらいはできる。
そして、もちろん若い人には若い人の小説の良さがあることは十分わかるけれど、年齢を重ねた人が書く小説が味わい深いのは、若い人たちには持ちようのない人生経験がものをいうからなのだろうと思う。いくら取材をしたところで、自分より年上の人を主人公に描ききることは難しいのではないか。やはりその年代を実際に経験してみないと本当のところ、リアリティをもって書けないことがあるだろう。うんと想像力が豊かで、老成している人はどうなのか、わからないけれど。だから年齢を重ねる、ということは小説を書く身としてはとても貴重なことだろうと思う。
こうして毎日少しずつでもいろいろなことを思い出し、気持ちの整理をしていると、忘れていた青春時代をとても眩しく思い出すことが多い。そしてこれからそうした時代を迎える息子を本当に羨ましく、ちょっぴり妬ましくも思う。
これから私がどれだけの年齢を重ねていくことが出来るかわからないけれど、きっと誰でも1冊の小説は書ける、というのはそういうことなのだろうな、と思う。真実は小説より奇なり・・・誰もが小説に優るとも劣らない一回きりの素晴らしい人生を生きている。
そして人生にも日々の瞬発力とともに細く長く、の持久力が必要なのだと思う。
今日は1日曇り空のようだ。3日ぶりの職場だ。明日はまた通院日。気がつけば10月も下旬に入る。2010年もあと70日ほどだ。
ハロウィンの飾り付けが目立つようになったと思ったら年賀状印刷のお知らせなどが舞い込むようになり、今年もまた年末までまっしぐら、なのだろうか。
自分なりの瞬発力と持久力(とりわけ持久力については、私自身のモットーが“細く長く”であるように、それなりの自信がなくもない。)を駆使して、後悔のない毎日を送りたい。
初めて読んだのは高校生の頃で「花埋み」。本当に一生懸命読んだな、と思い出す。最近では「鈍感力」等のエッセイを興味深く読んだ。
なるほどそうだろうな、と思う。
比ぶるべくもないけれど、毎日こうしたエッセイもどきの日記を書くのは、本当にその時その時にピンと来たことを一気に書くから「瞬発力」なのだろう。が、いざ他人(ひと)様が読むに耐える小説を書くとなったら、まずは地道な取材から始まり、実際に書き始めるまでには半端ではない時間と努力と忍耐が必要だろう、というのは全くの素人の私にも想像くらいはできる。
そして、もちろん若い人には若い人の小説の良さがあることは十分わかるけれど、年齢を重ねた人が書く小説が味わい深いのは、若い人たちには持ちようのない人生経験がものをいうからなのだろうと思う。いくら取材をしたところで、自分より年上の人を主人公に描ききることは難しいのではないか。やはりその年代を実際に経験してみないと本当のところ、リアリティをもって書けないことがあるだろう。うんと想像力が豊かで、老成している人はどうなのか、わからないけれど。だから年齢を重ねる、ということは小説を書く身としてはとても貴重なことだろうと思う。
こうして毎日少しずつでもいろいろなことを思い出し、気持ちの整理をしていると、忘れていた青春時代をとても眩しく思い出すことが多い。そしてこれからそうした時代を迎える息子を本当に羨ましく、ちょっぴり妬ましくも思う。
これから私がどれだけの年齢を重ねていくことが出来るかわからないけれど、きっと誰でも1冊の小説は書ける、というのはそういうことなのだろうな、と思う。真実は小説より奇なり・・・誰もが小説に優るとも劣らない一回きりの素晴らしい人生を生きている。
そして人生にも日々の瞬発力とともに細く長く、の持久力が必要なのだと思う。
今日は1日曇り空のようだ。3日ぶりの職場だ。明日はまた通院日。気がつけば10月も下旬に入る。2010年もあと70日ほどだ。
ハロウィンの飾り付けが目立つようになったと思ったら年賀状印刷のお知らせなどが舞い込むようになり、今年もまた年末までまっしぐら、なのだろうか。
自分なりの瞬発力と持久力(とりわけ持久力については、私自身のモットーが“細く長く”であるように、それなりの自信がなくもない。)を駆使して、後悔のない毎日を送りたい。