ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.5.2  改めて失ったものの大きさを想う

2011-05-02 19:28:51 | 日記
 一昨日の落し物騒動から思いを馳せたこと。

 比ぶるべくもないが、改めて3.11の大震災で一瞬にして全てを失われた被災者の方たちのお気持ちを慮るにつけ、心が再び苦しくなった。
 先月、長期にわたる闘病の末、乳がんで亡くなった田中好子さんのラストメッセージ・・・そのか細く、聞いているうちにこちらまで息苦しくなるような、亡くなる三週間前の肉声・・・で触れられたように、「心が破裂しそうに痛みます。」である。

 わずか数品の使い慣れた物を失くしただけでこの憂鬱感である。しかもあくまで不注意が原因の避けることが出来た事故。大震災のような、個人としては注意をしていてもいかんともしがたい自然災害に起因したものではないわけだ。

 一方、これまでの人生の長い時間をかけて形にしてきた全てのもの、住む家も愛する家族もそこにあったものをなすすべもなく一瞬にして失くした喪失感たるや、いったいどれだけのものだろう。
 失ったものを反芻することの辛さを想う。が、哀しいかな、自らが生きてきた経験からの乏しい想像力の範囲で想像することしか、できない。いや、だからこそ、今一度、謙虚に自分に問いかけてみないといけないのだろう。
 悲しみを反芻することは身を切られるほど辛いことだろう。けれど、反芻することなしに前には進めないと思う。もちろんいつまでも絶望していても始まらない、と力強く復興に向けて動き始めている中にあっても、実際に体験したわけでもないのに、下手に言葉にすることはなど、決してできない、と思う。

 失くして初めてどれだけ大切なものだったのかに気づくものは沢山あるだろう。健康もしかり、日々の小さな幸せもしかり、である。

 3.11以来、電気も水も、いつもあることが当たり前ではない、ということは嫌と言うほど分かっているはずなのに。大切なもの、失くしてはいけないと思うものは、つくづく自分の手から離してはいけない、のである。

 連休の合間の出勤日。今日は大学が一斉休校日のため、事務室もいつもより静かだった。そして週末の金曜日は今日より休暇を取る予定の人が多いようだ。

 今年の我が家のゴールデンウィークは、夫も息子もあくまで暦通り。もちろんコンスタントに週4日しか出勤していない私としては、こうした時に有給休暇を使えるほど休暇が潤沢にあるわけではない。

 文字通り風薫る5月になり、お弁当を早目に食べ終えてからの昼休みのお散歩はとても快適だ。ちょっとした森林浴気分が味わえ、午後に備えてリフレッシュできるひとときである。
 こうした小さな幸せを有難く思えることこそ、今の私にとって大切な幸せなのだろうと思う。

 さすがに昨日の大忙しが祟ってか午後から頭痛。迷った末に、夕方またロキソニンのお世話になっている。
 夫は、ホームステイ行きがほぼ確実になった息子と自分のパスポート申請のために、仕事の帰りに都庁に寄ってきた。凄い混雑だったそうだ。
 私鉄でも地下鉄でも、落し物はやはり見つからない、という答えだったようだ。

コメント (2)
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