朝日新聞社のネット記事で医療・健康の分野を閲覧することが多い。
長尾和弘先生の「町医者だから言いたい!」ブログは昨年4月20日からスタートしたもの。本当に頭が下がるのだが、365日これまで一日たりともお休みされたことはなく、毎日欠かさず更新がある。
先生は私より3歳年上の1958年生。16年前、36歳の時に阪神大震災に被災され、それをきっかけに兵庫県尼崎市でクリニックを開業された長尾クリニックの院長先生である。
こうして自分でブログを更新していると、物書きでもないし、充電することなしに放電し続けることは出来ないから、やはり何も書けない日が出てくる。もちろん私などは誰との約束があるわけでもなく、勝手に自分のペースで書いているので、一日欠かしたところで何のことはないのだけれど、それでも更新できなかった日にも多くの方たちがアクセスしてくださっているのがわかると、とても申し訳ない気持ちになる。
だからこそ、この407日(今日5月30日まで)、一日も欠かすことなく更新されている先生に敬意を表したい。
先生は先日来、東日本大震災の被災地で積極的に活動を続けてこられている。これは昨日のブログだが、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
【406回】 《東日本大震災》 仮設住宅に「つどい場」を [11/05/29]
16年前も今回も、仮設住宅で同様な光景を見ました。みんなが表に出て、楽しそうに会話をしているのです。彼女らの笑顔を見ていると何も無かったかのようです。
しかし、聞いてみると、身内に犠牲者が出ていました。慌てて「大変でしたね」と声をかけるのが精一杯でした。その悲しみを吹き飛ばすかのようにお喋りしていました。
仮設住宅に必要なものは、「つどい場」だと思いました。フラーと座れて、お茶を飲んで、自由にお喋りできる。そんな「場」こそ、仮設住宅のどこかに必要です。
さらに、老人ばかりの仮設住宅はどうしても暗くなります。どこからか子供の遊び声が聞こえてくる環境が望まれます。老人ばかりを集めるのではなく、老若男女が入り混じる。
そんな仮設であって欲しい。孤独死と自殺を防ぐのが、仮設の最大の課題です。そのためには医療や介護以前に、「つどい場」です。
相馬型井戸端長屋にしても、尼崎型グループハウスにしても、共通しているのは、長屋の中に「つどい場」があること。人間社会の原点なのかもしれません。
仮設では、要介護老人がいても車椅子で外出しやすいのが利点。どんどん外出して、移動して欲しいもの。どんな病気になっても、「移動」も人間の原点。
認知症患者さんも、旅行をすると元気になります。仮設に入っても、小旅行くらいは可能な環境であってほしい。移動のための「交通手段」を確保するのは国の仕事でしょう。
「集う」ことは、本能。「移動」できることは、尊厳。いろんな人が「まじくる」のが、ポスト3.11のキーワード。
(転載終了)※ ※ ※
最後の段落に心動かされた。集うことは人間社会の原点、人間の本能だ、と。確かにそうだ。人はさまざまな集団に属しながら生きている。そして決して1人では生きられない。
そして、自分と似たような経験をした人や同じような境遇にある人たちの集団に属することで元気をもらったり、勇気をもらったり、再び上を向くことが出来たり。
患者会の集まりなど、その最たるものだろう。辛いのはあなた一人じゃないよ、と今一度前を向いて生きるためのものなのだと思うから。(もちろん慰めあうだけのもの、人によっては傷をなめ合う、と称する人もいるようだけれど、それだけのものでは決して、ない。)
さらに「移動」出来ることは、尊厳だ、と。本当だ。自分が行きたい時に行きたいところに思うように行けなくなったら、病室やベッドで過ごすしかないというだけの毎日になったら、尊厳はかなりの部分が損なわれるであろう。
だからこそ、家族という足場をきちんと大切にした上で、社会参加を実感できる職場に、明日を信じて元気をもらえる仲間と集うために、概ねどこにでも自由に出かけて行ける今の自分の心と体に感謝し、一日も長く“今”を繋いでいけるように、今週も4日間はしっかり働き、1日はきちんと治療を続け、いろんな人と「まじく」ってこよう、と思う。
さて、悪運の強い息子。早朝、通っている学校から緊急連絡網による電話があり、叩き起こされた。「“大雨洪水警報”のため、本日は休校。試験は1日順延」とのこと。一日遅らせたところで明日からしっかり4日間あるのだから、そんなに喜ぶべきことでもないだろうに、彼は私を「いってらっしゃーい!」とテンション高く送り出してくれた。もの凄く嬉しそう!試験勉強ができると言っていたが、本当のところ、何をして一日過ごしたやら・・・である。
長尾和弘先生の「町医者だから言いたい!」ブログは昨年4月20日からスタートしたもの。本当に頭が下がるのだが、365日これまで一日たりともお休みされたことはなく、毎日欠かさず更新がある。
先生は私より3歳年上の1958年生。16年前、36歳の時に阪神大震災に被災され、それをきっかけに兵庫県尼崎市でクリニックを開業された長尾クリニックの院長先生である。
こうして自分でブログを更新していると、物書きでもないし、充電することなしに放電し続けることは出来ないから、やはり何も書けない日が出てくる。もちろん私などは誰との約束があるわけでもなく、勝手に自分のペースで書いているので、一日欠かしたところで何のことはないのだけれど、それでも更新できなかった日にも多くの方たちがアクセスしてくださっているのがわかると、とても申し訳ない気持ちになる。
だからこそ、この407日(今日5月30日まで)、一日も欠かすことなく更新されている先生に敬意を表したい。
先生は先日来、東日本大震災の被災地で積極的に活動を続けてこられている。これは昨日のブログだが、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
【406回】 《東日本大震災》 仮設住宅に「つどい場」を [11/05/29]
16年前も今回も、仮設住宅で同様な光景を見ました。みんなが表に出て、楽しそうに会話をしているのです。彼女らの笑顔を見ていると何も無かったかのようです。
しかし、聞いてみると、身内に犠牲者が出ていました。慌てて「大変でしたね」と声をかけるのが精一杯でした。その悲しみを吹き飛ばすかのようにお喋りしていました。
仮設住宅に必要なものは、「つどい場」だと思いました。フラーと座れて、お茶を飲んで、自由にお喋りできる。そんな「場」こそ、仮設住宅のどこかに必要です。
さらに、老人ばかりの仮設住宅はどうしても暗くなります。どこからか子供の遊び声が聞こえてくる環境が望まれます。老人ばかりを集めるのではなく、老若男女が入り混じる。
そんな仮設であって欲しい。孤独死と自殺を防ぐのが、仮設の最大の課題です。そのためには医療や介護以前に、「つどい場」です。
相馬型井戸端長屋にしても、尼崎型グループハウスにしても、共通しているのは、長屋の中に「つどい場」があること。人間社会の原点なのかもしれません。
仮設では、要介護老人がいても車椅子で外出しやすいのが利点。どんどん外出して、移動して欲しいもの。どんな病気になっても、「移動」も人間の原点。
認知症患者さんも、旅行をすると元気になります。仮設に入っても、小旅行くらいは可能な環境であってほしい。移動のための「交通手段」を確保するのは国の仕事でしょう。
「集う」ことは、本能。「移動」できることは、尊厳。いろんな人が「まじくる」のが、ポスト3.11のキーワード。
(転載終了)※ ※ ※
最後の段落に心動かされた。集うことは人間社会の原点、人間の本能だ、と。確かにそうだ。人はさまざまな集団に属しながら生きている。そして決して1人では生きられない。
そして、自分と似たような経験をした人や同じような境遇にある人たちの集団に属することで元気をもらったり、勇気をもらったり、再び上を向くことが出来たり。
患者会の集まりなど、その最たるものだろう。辛いのはあなた一人じゃないよ、と今一度前を向いて生きるためのものなのだと思うから。(もちろん慰めあうだけのもの、人によっては傷をなめ合う、と称する人もいるようだけれど、それだけのものでは決して、ない。)
さらに「移動」出来ることは、尊厳だ、と。本当だ。自分が行きたい時に行きたいところに思うように行けなくなったら、病室やベッドで過ごすしかないというだけの毎日になったら、尊厳はかなりの部分が損なわれるであろう。
だからこそ、家族という足場をきちんと大切にした上で、社会参加を実感できる職場に、明日を信じて元気をもらえる仲間と集うために、概ねどこにでも自由に出かけて行ける今の自分の心と体に感謝し、一日も長く“今”を繋いでいけるように、今週も4日間はしっかり働き、1日はきちんと治療を続け、いろんな人と「まじく」ってこよう、と思う。
さて、悪運の強い息子。早朝、通っている学校から緊急連絡網による電話があり、叩き起こされた。「“大雨洪水警報”のため、本日は休校。試験は1日順延」とのこと。一日遅らせたところで明日からしっかり4日間あるのだから、そんなに喜ぶべきことでもないだろうに、彼は私を「いってらっしゃーい!」とテンション高く送り出してくれた。もの凄く嬉しそう!試験勉強ができると言っていたが、本当のところ、何をして一日過ごしたやら・・・である。