ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.5.16 母と娘(1)

2011-05-16 20:39:41 | 日記
 先日旧友と会った時の話。

 友人は働き始めてまもなく、お元気でバリバリに現役だった50代のご両親を突然の交通事故で亡くされた。
 当時の彼女の言葉を思い出せば、ご両親2人、自動車で買い物に行かれた帰りの事故だったらしい。いつもはお父様が運転されていたのに、その時に限ってお母様が運転されていて、レスキュー隊が到着したときにはお二人とも既に間に合わなかった、という惨い事故だったと記憶している。
 彼女からそのことを聞いたとき、あまりのことに当時の私はかける言葉すらなかった。

 そして、彼女と高齢のおばあさまと海外留学中だった妹さんの3人が遺された。
 ちょうどその頃、私たちの周りは結婚式のラッシュだったが、何人かの友人の結婚披露宴に彼女の姿はなかった。当然のことだが、それどころではなかった、のだろう。
 
 その後、結婚の挨拶状を頂いたが、それを見るとご主人が旧姓となっており、彼女が自分の姓を継いだことが分かった。その通知が舞い込んだと思ったら、翌年以降、毎年のように新しい可愛い赤ちゃんの写真入りの年賀状が届くようになった。
 1番目のお嬢さんが今年大学生になり、2番目の坊ちゃんは高校3年生の受験生、3番目のお嬢さんが中学3年生の受験生、一番下のお嬢さんは小学校高学年だ。
 そう、なんと彼女は4人のお子さんたちのお母さんなのだ。
 あのか細い彼女が4児の母?!ということを聞いても、私はとても想像がつかなかった。それでもお子さんたちの写真を拝見するにまさしく彼女の遺伝子が息づいている。4人ともお母さんそっくりの美男美女だ。

 彼女は「それ以来、本当に人間は生身であり、次の瞬間どうなるかわからない存在なのだと思う。」としみじみ言っていた。何か困ったことがあれば親を頼りにすればいい、と何の疑いもなく思っていた20代。それが何の前触れもなく、突然の両親の死により絶たれてしまったのだから。

 出産だって子育てだって、どれほどお母様を頼りたかったことだろう。
 母は私一人しか産んでいないし、大昔のことでもあり、私が息子を出産したときには残念ながらあまり頼りになる存在ではなかった。けれど、ただそこにいてくれただけで、どれほど精神的にありがたかったことか。これがたとえば義母であったとすれば、そうはいかなかっただろう。だからこそ、いかに彼女が大変だったかは想像に難くない。

 亡くなったお母様は助産師であったということを先日初めて聞いた。そしてお母様も、少女の頃から痩身で華奢なつくりの娘を心配して、「あなたはきっと難産になるだろうから私が取り上げる。」とおっしゃっていたと言う。
 どれほど無念でいらしただろう。
 だが、幸いなことに、帝王切開でもなく自然分娩で4人を出産したという。
 「お母様がちゃんとそばについて守ってくださっていたのね。」と話した。

 そして、その後何年かの間、彼女と妹さんに何か嬉しいことが起こるのは、決まってご両親の祥月命日の日だったという。何か良いこと、サプライズがある、というと決まってその日だったそうだ。
 さすがに亡くなって4半世紀近くが経ち、最近ではずいぶんその回数は減ってきたけれど、5年、10年くらいは続いていたのだという。

 見えないけれど、母はずっと娘の後ろについている。母と娘、命のリレーについてとても考えさせられた話だった。
 私には娘はいないけれど、今も母にとっての娘であることは違いない。明日ももう一つの母と娘の話を書いておきたいと思う。

 新しい週が始まった。5月も後半だ。どうもお天気が下り坂。せっかく副作用がおさまったと思ったのに気圧のせいか頭が重い。 明日は雨降りのようだ。通院日の水曜日にはお天気が良くなっていますように。 
コメント
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